【16-17】肉屋のせがれとお姫様
セレンディア学園の長期休暇も後半に差し掛かり、社交シーズンのパーティが一段落した頃、避暑地から戻ってきたエリアーヌ・ハイアットはおろしたての水色のドレスに身を包み、日傘をさして、とある下町を歩いていた。当然に、お忍びである。
(……確か、この辺のはず……)
活気のある町を地図を頼りに歩くエリアーヌは、やがて前方にお目当ての看板を見つけて足を止めた。
ダドリー精肉店。つい最近セレンディア学園を卒業した、グレン・ダドリーの実家だ。
学園を卒業したばかりのグレンは、師匠である〈結界の魔術師〉の従者のようなことをしている。
だが一年以上前からリディル王国では、〈宝玉の魔術師〉に代わる七賢人の不在が続いており、有力候補を探すために、グレンの師匠は国中を飛び回っているらしい。
そのため、現在留守番中のグレンは実家の手伝いをしている……というのが、使用人に調べさせたグレンの近況である。
(さぁ行くのよ、エリアーヌ。わたくしは偶然この街を訪れて、たまたまあの人の実家のそばを通ったから、ちょっと気紛れに挨拶をしようと思っただけ……)
自分にそう言い聞かせながら、ダドリー精肉店に足を向けたエリアーヌだったが、店内から出てきたグレンの姿を見て、咄嗟に物かげに隠れた。
グレンの右腕と左腕には、それぞれ可愛らしい女の子がしがみついている。どちらも年齢は十四、五歳ぐらいだろうか。
右腕にしがみついているのは金茶色の髪を一つに束ねた、つり目の少女。
左腕にしがみついているのは金茶色の髪を二つに分けて束ねた、そばかすのある少女。
二人ともどことなく似たような顔立ちをしているから、姉妹なのだろう。
「ねぇねぇ、どこ行くの。ねぇねぇ、折角久しぶりに帰ってきたんだから、あたし達と遊んでよぅ」
「そうそう、セレンディア学園でのお話も、もっと聞きたいわ! お姫様が通ってるって本当なのです?」
キャアキャアと大はしゃぎしている二人の少女に、エリアーヌは頬を引きつらせた。
(あらあら、まぁまぁ、これはどういうことかしら? 故郷に帰ったら女の子とイチャイチャしていたなんて……まぁ、たまたま近くを通っただけのわたくしには、これっっっぽっちも関係の無い話ですけど!)
少女二人は甘えるのに慣れた態度で、グレンの腕にぶら下がっていた。その遠慮も容赦もないぶら下がりかたに、とうとうグレンが眉を吊り上げて叫ぶ。
「あー、もうー! 重いってば! アナもベティも大きくなったんだから、二人同時にぶら下がられたら動けないってーの!」
「まぁ、グレン兄ってば、レディに対して失礼だわさ!」
「たとえお兄ちゃんでも、言って良いことと悪いことがあるのですよ!」
グレン兄、お兄ちゃん。その言葉に、エリアーヌはハッと我に返った。
なるほど、言われてみれば二人の少女は、どことなく顔立ちや髪色がグレンに似ている。
(……まぁ、まぁ、そうなの、妹さんでしたの。そういうことなら多少馴れ馴れしくても仕方がないわね、えぇ)
自分にそう言い聞かせて心を落ち着かせたエリアーヌは、今度こそ物陰から飛び出してグレンに声をかけようとした……が、それより早くグレンに話しかけた人物がいる。
「失礼、グレン殿」
「あっ、リンさん。こんにちはっス!」
グレンに声をかけたのは、メイド服を身につけた金髪の美女であった。どこか人間離れした神秘的な美貌に、エリアーヌは思わず凍りつく。
(あらあら、今度は美人メイド? どういう関係なのかしら? ただのお客さんよね? そうよ、そうに決まっているわ……)
再び物陰に引っ込んだエリアーヌは、日傘を握る手に力を込め、固唾を飲んで様子を見守る。
美貌のメイドの登場に、グレンの妹達はキャッキャと声をあげた。
「あっ、リンさんだわさ。こんにちは!」
「リンさん、今日はルイス様はご一緒ではないのです?」
無邪気な少女達の言葉に、美貌のメイドは真顔で一言。
「はい、ルイス殿は……星になりました」
数秒の沈黙の末に、グレンが口を開いた。
「七賢人候補を探して、国中を飛び回ってるんスよね?」
「はい、ルイス殿が飛行魔術を使い、流星のように空を飛んでいく姿を星に喩えてみました。詩的に」
「一瞬、師匠が帰らぬ人になったかと思ったっス」
会話を盗み聞きしている限り、どうやらあのメイドはグレンの知人ではあるけれど、それ以上の関係ではないらしい。
エリアーヌがホッと胸を撫で下ろしていると、今度は地味なドレスを着た女がダドリー精肉店の前で足を止めた。
「こんにちは、グレン。元気そうね」
こげ茶の髪をまとめ髪にした地味な女だ。その腕には、まだ一歳ぐらいの女の子を抱っこしている。
(……流石にあの女は、ないわね)
子連れだし、年齢もグレンと十歳ぐらい離れていそうだし……と、エリアーヌはこっそり安堵の息を吐く。
だが、エリアーヌの予想に反して、グレンはパッと顔を輝かせた。
「ロザリーさん! こんにちはっス!」
グレンの声は明らかに弾んでいるし、大型犬が嬉しそうに尻尾をブンブン振っているような幻覚が見える……目に見えてはしゃいでいるのだ。あの地味な人妻相手に!
女の腕の中では一歳ぐらいの幼子が「あぅあぅ」と不明瞭な声を漏らしながら、小さな手をグレンに伸ばしていた。グレンは幼子を受け取って、軽々と抱き抱える。
「レオノーラ、大きくなったっスね〜!」
「ちゅ〜」
幼子はふくふくとした手でグレンの頭にしがみつき、涎まみれの唇でグレンの頬にキスをする。
「あはは、くすぐったいっスよ〜」
「ちゅ〜、ちゅ〜」
無邪気にキスを繰り返す幼子を眺め、美貌のメイドが無表情に呟いた。
「ルイス殿が見たら発狂しますね」
「えっ、師匠、まさか……まだまともに抱っこできてないんスか!?」
「そのまさかです」
「……うわぁ」
エリアーヌは、ワイワイと盛り上がっている一行に近づくこともできぬまま、物陰で顔を引きつらせていた。
(あらあら、まぁまぁ、折角わたくしが来てさしあげたというのに、どうしてあの人は他の女達に囲まれているのかしら? これではわたくしが話しかけづらいじゃない。ほら、ちょっとだけ物陰から日傘がはみ出しているのだから、そろそろお気づきあそばせ?)
日傘の下で密かに念を送っていると、グレンがハッと顔を上げた。
ようやくエリアーヌに気づいてくれたのかと思いきや……。
「……っと、オレ、そろそろ行かなくちゃいけないんだった! アナ、ベティ、ちゃんと店番してろよ!」
そう言ってグレンはレオノーラをメイドに渡し、飛行魔術で浮かび上がる。そして、ぐんぐんと屋根の上まで上昇し、あっという間にその姿は見えなくなった。
エリアーヌはフルフルと震えていたが、とうとう我慢できずに声を張り上げる。
「もうっ、なんなのよっ、グレン様のバカぁーー!!」
エリアーヌの声は届かない。グレンは既に遥か彼方の空まで飛んでいってしまった。
あぁ、なんて馬鹿らしいのだろう。わざわざ下調べまでして、遠路遥々やって来たというのに!
地団駄を踏んでいると、グレンの妹達がエリアーヌの元に駆け寄ってきた。ギクリとするエリアーヌに、少女達は無邪気に訊ねる。
「今、グレン兄のこと呼んでた? グレン兄のお友達?」
「その素敵なお召し物……もしや、セレンディア学園の方なのです?」
グレンの妹達は興味津々という顔で、エリアーヌを見上げていた。
「そ、そうです、けど」
エリアーヌがぎこちなく頷けば、少女達ははしゃいだ声をあげる。
「お姫様だわ」
「本物のお姫様よ」
「グレン兄にお姫様のお友達がいたなんて初耳だわ!」
「あたし、セレンディア学園のことが聞きたいのです!」
「グレン兄が帰ってくるまで、うちでお茶をしてもらえばいいんだわ!」
「素敵! 素敵! うちにお姫様が来るなんて!」
二人の少女は大はしゃぎでエリアーヌの手を引き、店に向かって歩きだす。
少女達に手を引かれながら、エリアーヌは予想外の展開に目を白黒させた。
(な、なんなんですのーーーーー!?)
結局エリアーヌはダドリー家の人々に肉料理で歓迎され、グレンが帰ってくるまでの間、あれこれと質問責めにされるのだった。
グレンの妹のアナちゃん(15歳)は下町訛り全開の元気な女の子です。
ベティちゃん(14歳)は最近読んだ小説の影響で、令嬢風の喋り方がマイブームです。