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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第16章「決着編」
232/236

【16-16】一年後、王宮にて

 快晴の夏空の下、リディル王国城内から響き渡るのは、オーケストラとソロピアノによる演奏。

 新進気鋭の宮中音楽家ベンジャミン・モールディングが作曲した「ピアノ協奏曲第五番」

 第一楽章は、ややテンポの早いメロディで、ソロピアノとオーケストラの管弦楽器が互いに競い合うような印象を与える。

 それが第二楽章では緩やかなメロディになり、最後の第三楽章でパッと花が開くかのように華やかなロンドへ転じるのだ。

 第一楽章では競い合っていたソロピアノとオーケストラが、第三楽章では互いを高め合い、一つの旋律を追いかけるよう変化する。そうして奏でられるメロディには厚みがあり、それでいて華やかで、聴衆達の心を強く揺さぶった。

 リディル王国国王も、国賓であるシュヴァルガルト帝国の皇帝も、この若き天才音楽家の演奏に大満足だったらしい。舞台に向かって惜しみない拍手を贈っている。

 誰もが素晴らしい演奏の余韻に浸っている中、エリオット・ハワードは微妙に居た堪れないような顔で拍手をしていた。



 * * *



 エリオットがそそくさとコンサート会場を離れると、廊下の反対側から歩いてくる女性と目が合った。

 動きやすい藍色の制服を身につけていても、なお目を惹く華やかな容姿の美女は、エリオットのかつての同級生ブリジット・グレイアムである。

「よぉ、ブリジット嬢じゃないか。久しぶりだな」

「ご機嫌よう。貴方も来ていらしたの?」

「あぁ、父の付き添いでな」

 ブリジットと会うのはセレンディア学園の卒業式以来なので、かれこれ一年ぶりであった。

 シェイルベリー侯爵令嬢であるブリジットは、卒業後は婚約の申し込みを全て蹴って女官採用試験を受け、見事合格している。

 そして僅か半年足らずでその才覚を現し、第三王子付きの外交補佐官として異例の抜擢をされたのだとか。

「噂じゃ、今日の演奏会はブリジット嬢が手配をしたって話だが?」

「えぇ。黒獅子皇が、我が国が誇る新進気鋭の音楽家に興味を持っているとうかがったので」

 隣国の皇帝がリディル王国を訪問するにあたって、第一王子と第三王子は接待の手配を命じられている。

 今まで外交の場に殆ど出たことのない第三王子にとって、皇帝の接待は一大外交デビューでもあった。

 第三王子の外交補佐官であるブリジットも、さぞ忙しかったことだろう。

「それにしても、よくベンジャミンを捕まえられたな。気分屋だから苦労しただろう?」

 ベンジャミンはセレンディア学園在学時代から、宮廷で演奏会を開くことも多かったが、卒業後は更に活躍の幅を広げていた。

 彼の演奏会は数年先まで予約が埋まっている、という噂もあるぐらいだ。

 エリオットがそのことを指摘すると、ブリジットは形の良い唇に意味深な笑みを浮かべた。

「少し前、魔法兵団の訓練に〈沈黙の魔女〉が特別講師で呼ばれたことはご存知?」

 突然出てきた懐かしい名前に、エリオットは困惑しつつ頷く。

「あぁ……すごかったらしいな、彼女」

 〈沈黙の魔女〉は、魔法戦の訓練開始とほぼ同時に、魔法兵団の団員達全員を戦闘不能にしてしまったのだとかなんとか。

 いつも内気なあのモニカが……と考えると、彼女の正体を知っていても俄かに信じ難い。

 それでもエリオットとしては、チェスの対局における彼女の恐ろしさを知っているので、まぁ理解できなくもなかった。

「……で、その〈沈黙の魔女〉の話が、ベンジャミンとどう繋がるんだ?」

「ベンジャミン・モールディングは新曲のアイデアに悩んでいた時、偶然、その魔法戦を目撃したそうよ」

「……あー、なんか展開が読めてきたぞ」

 ブリジット曰く、モニカの無詠唱魔術を目撃したベンジャミンは、モニカの精緻な魔術に天啓のような閃きを覚え、これで曲を作りたいと考えた。


『おぉ、あの素晴らしい魔術を曲としてしたためるために、もっとモニカ嬢が無詠唱魔術を使うところが見たい! それもできれば実戦で!』


「そこに都合良く、ヒューバード・ディーがいたから、あたくしの方で魔法戦のセッティングを少々。ベンジャミン・モールディングには特等席を用意して」

「…………おぉう」

 つまりブリジットは、ヒューバードをモニカにけしかけて魔法戦をさせ、それをベンジャミンに見学させたのだ。

 そしてベンジャミンにたっぷり恩を着せて、今回の演奏会の約束を取り付けたというわけである。

「そのうち、ベンジャミン・モールディングの新曲、組曲『沈黙の魔女(サイレント・ウィッチ)』が完成するでしょうね。今回の演奏会でファンになった黒獅子皇も、さぞお喜びになるでしょうよ」

「……モニカ嬢が知ったら、泡ふいて倒れるんじゃないか、それ?」

 自分をイメージして曲を作られることの居た堪れなさは、まさに今しがた味わったばかりである。まさか、いつぞやの学園祭の時の曲が完成し、公開される日が来るなんて!

 エリオットが懐かしい日々に遠い目をしていると、廊下の奥からくだんの黒獅子皇と第三王子のアルバートが並んで歩いてくるのが見えた。

 エリオットは咄嗟に背すじを伸ばして姿勢を正す。

 だが、黒獅子皇はエリオットなど目に入らぬ様子で、真っ直ぐにブリジットに歩み寄った。

 近くで見ると改めて風格のある男だ。緩やかに波打つ黒髪に彫りの深い顔立ちの美丈夫で、なによりその場に佇んでいるだけで、見る者を圧倒する気迫がある。

「アルバート殿下より聞いたぞ。ブリジット・グレイアム嬢。この度の演奏会は、その方の計らいだと」

 皇帝陛下直々の言葉にブリジットは萎縮することなく、上品に微笑んでみせた。

「大袈裟ですわ。全てはアルバート殿下が指示されたこと。あたくしはただ、手配をしただけです」

 あくまで主人の顔を立てるブリジットの気遣いに、アルバートは恥ずかしそうに頬を染めていた。そうして、まだ若い第三王子は生真面目な顔で言う。

「いいや、この演奏会以外でもブリジットはよくやってくれている。僕には勿体無いぐらい優秀な補佐官だ」

「まぁ、恐れ入りますわ、殿下」

 この一年ですっかり背が伸びたアルバートは顔つきも大人びてきていたが、それでもブリジットの美しい横顔をチラチラと見る姿は、なんとも若者らしかった。

 分かりやすいなぁ、とエリオットが内心ニヤニヤしていると、皇帝が一歩前に進み出て、ブリジットの手を取る。そうして精悍な顔をキリリと引き締めて、皇帝は告げた。


「気に入った。余の妃になるが良い」


 あまりにも唐突な皇帝の宣言に、アルバートの顔が崩れた。具体的には目が飛び出しそうなほど見開かれ、顎が外れそうなほど口が開いている。

 皇帝は冗談で言っているのか、本気で言っているのか、その態度からはなんとも分かりづらい。

 さしものエリオットも「おぉう」と呻きながら、ブリジットの出方を見守った。

 国賓中の国賓である帝国の皇帝からの求婚に、ブリジットはどう答えるのか?

 エリオットとアルバートが固唾を飲んで見守る中、ブリジットは長い睫毛を伏せて、憂いを帯びた溜息を吐く。

「陛下、お言葉は嬉しいのですが、あたくし……添い遂げるのは、青いバラを贈ってくださる殿方と決めてますの」

 途端に、皇帝は喉を仰け反らせて楽しそうに笑った。

「くははっ! 余を試すか……悪くない。わがままな女は好みだ」

 皇帝はニヤリと口の端を持ち上げ、ブリジットの顔を覗き込む。

「よかろう。余に手に入らぬ物などない。次は青いバラの花束を持って求婚しに来てやる」

 そう言って皇帝は上着の裾を翻す。

 アルバートはオロオロとその後を追いかけるが、エリオットはすれ違い様に、アルバートが小声で「青いバラ……〈茨の魔女〉殿に頼めば作れるだろうか……」とブツブツ呟いているのを聞いた。

 二人の背中が廊下の角を曲がったのを確認し、エリオットは横目でブリジットを見る。

「あんな大物を手玉に取るなんて、大した悪女じゃないか、ブリジット嬢」

「あら、あたくしは無理難題を吹っかけたつもりはなくってよ?」

 そう言ってブリジットは金色の目を細める。

 口元に浮かぶのは、大抵の男は骨抜きに出来そうな蠱惑的な微笑。


「青いバラなんて、スカーフ一枚あれば作れるのに……可愛らしいこと」


 エリオットは「おぉ、怖っ」と呟き、肩を竦めた。


作中の登場人物の中で、最も後世に語り継がれた男、ベンジャミン・モールディング。

ピアノ協奏曲第五番は【9ー9】のあれです。

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