【16-15】あなたが開いてくれた道
パーティ会場を飛び出して外に出ると、心地良い初夏の夜風が頬を撫でた。
アイザックは先ほど窓から見た植木の辺りで足を止める。
「モニカ」
「へぅっ!?」
ガサッと近くの茂みが揺れて、フードを被った頭がピョコンと飛び出す。まるで茂みから飛び出してくる小動物のようだ。
アイザックは笑いを噛み殺しながら、茂みに近づく。
「そんなところで何をしているんだい、子リスさん?」
茂みに隠れていたモニカはオロオロと視線を彷徨わせながら、服の裾を気にしていた。
今のモニカが身につけているのは、七賢人用ではない質素なローブだ。そのスカートの裾が茂みに絡まって捲れ、細い足が太もも近くまで露わになっている。
「あの、えっと、ここに隠れてたら、ローブが絡まっちゃって……ですね……」
「少しジッとしていて」
アイザックは身を屈めて、枝に絡まったスカートに手を伸ばす。スカートは正面部分が太もも近くまで裂けてしまっていた。
アイザックは青白い足をなるべく見ないようにしつつ、絡まった部分を外してやる。
「取れたよ」
「あ、ありがとうございます……」
モニカがペコリと頭を下げた拍子に、スリットのように破れたスカートの裾がパックリ開いて、白い足が膝上まで露わになる。
これはあまりに目の毒だと、アイザックは礼服の上着を脱いで、モニカの腰に巻き付けた。
モニカは立派な装飾が施された上着にギョッと目を剥き、ブンブンと首を横に振る。
「ああああああああの、こんな、立派な、上着っ、ダメ、ダメですっ、お返ししますっ」
「スカートをそのままにもしておけないだろう?」
「今夜は、そんなに寒くないから、大丈夫ですっ」
上着を貸したのは、寒さが理由ではないのだけれど、どうやらモニカには伝わっていないらしい。
なにせ、アイザックの前で服が脱げても気にしないような少女なのだ。
「そのままだと、目の毒だからね」
「お、お見苦しくて、申し訳ありません……」
ダメだ、これは伝わっていない。
「そういう意味ではないのだけれど……僕のためだと思っておくれ。その格好でいられると、ちょっと色々と自制が必要になりそうなんだ」
「……は、はぁ」
モニカがよく分かっていないような顔で曖昧に頷けば、その拍子に首元のネックレスが揺れた。
パーティ会場の光を反射してきらめく石は、モニカの目によく似た色のペリドット。
アイザックはブリジットとの談笑中に、この石のきらめきを見て、モニカに気づいたのだ。
以前、自分が贈った物をモニカが身につけている。それだけで、アイザックの胸は喜びに跳ねた。
「ネックレス、つけてくれたんだ?」
「あ、はいっ、まだ、お洒落上級者には程遠いんですけど……ラナが『こういうのは普段使いして良いのよ』って言ってくれて」
ありがとう、コレット嬢。と声に出さずに感謝しつつ、アイザックはとろりと微笑んだ。
「よく似合ってる」
「えへ……ありがとう、ございます」
はにかみながら微笑むモニカの姿は、彼女の正体を知る前のそれとなんら変わらない。
ここ最近は多忙だったようだが、特にやつれた様子もなかった。元気そうで何よりだと思いつつ、アイザックは訊ねる。
「それで、どうしてこんなところに?」
「あっ、そうですっ……わたし、皆さんに卒業のお祝い、したくって……」
モニカは茂みの方に引き返し、地面に置きっぱなしにしていた籠を持ち上げた。少し大きめの籐籠の中には小さな花束がいくつも詰まっている。
モニカはその一つをアイザックに差し出した。
「卒業、おめでとうございますっ」
祝いの言葉と共に差し出された花束に、アイザックは思わず顔を綻ばせる。
「嬉しいな。その言葉を……君に言ってほしいって、思ってたんだ。本当は卒業式にも来てほしかったのだけど」
「えっと、さすがに七賢人として参列するのはちょっと……」
事情を知らないセレンディア学園の生徒は、モニカが七賢人として卒業式やパーティに出席したら、腰を抜かすことだろう。モニカはそれを気にしていたらしい。
「それで、こうしてお忍びで?」
「は、はいっ、こっそり皆さんにお花を渡したいなって思ってたんですけど、どうやって渡したら良いのか思いつかなくて……」
そうして茂みの中でどうするか悩んでいるうちに、ローブを引っ掛けて身動きがとれなくなっていたらしい。
モニカは眉を下げて、恥ずかしそうに笑う。
「なので、アイクが見つけてくれて、助かりました」
「言っただろう? 君がそのネックレスを身につけてくれたら、すぐに見つけられるって」
冗談めかしてそう言えば、モニカはギョッと目を剥いた。
「ま、まさか……そういう魔導具……?」
大真面目な顔で見当違いなことを口走るモニカに、アイザックは肩を震わせて笑う。
「いいや、おまじないさ。どこにいても君を見つけられる……君と僕を繋いでくれるおまじない」
アイザックはモニカの首元で輝くペリドットを指先で持ち上げる。
そうして身を屈め、モニカの目と同じ色の宝石に唇で触れようとした、その時……。
「殿下、こちらにいらしたのですかっ!」
背後からシリルの声がした。
ちょっとタイミングが悪すぎないかな? とアイザックが顔を上げれば、ぱぁっと顔を輝かせているモニカが目に入る。
「シリル様! こ、こんばんはっ」
「……ノートン会計?」
驚きに目を丸くしたシリルは、モニカとモニカの腰に巻かれたアイザックの上着を交互に見て、どういう状況なのかと困惑しているようだった。
そんなシリルに、モニカはいそいそと籠から花束を取り出して差し出す。
「あのっ、そ、卒業おめでとうございますっ」
「わざわざ、それを言いに?」
「あ、はい……えっと、ご、ご迷惑、でしたら、すみ、ません」
花束を差し出すモニカの耳は、夜目でも明らかなほど赤い。
俯いてプルプル震えているモニカに、シリルは少しだけ口元を緩め、花束を受け取った。
「いや、ありがたく受け取ろう。ありがとう、ノートン会計」
シリルが小さく微笑めば、モニカはへにゃりと嬉しそうに笑う。
モニカはシリルを前にする時、よくそういう笑い方をする……その緩んだ頬をちょっと抓ってやりたい、とアイザックは割と真剣に思った。
シリルは受け取った花束を眺めながら、ふと思いついたように顔を上げる。
「いや、待て。在学していないなら、もうノートン会計と呼ぶのはおかしいか?」
「あ、あのっ、それなら……わたしは、シリル様の後輩、ですし……その……モ、モニ……モニ……」
指をこねながらモニモニと鳴くモニカの肩に、アイザックは背後から手を置く。
そしてモニカの鳴き声を遮るように、殊更大きな声を出した。
「シリル、パーティの進行に滞りは?」
「ありません。ですが、代理役の精霊がそろそろ困っているので、戻ってきてほしいと」
どうやらウィルディアヌは、アイザック以外の人間を頼ることを覚えたらしい。
日に日に強かになっていくなぁ、と思いつつ、アイザックはニッコリ微笑んだ。
「そうかい。それなら、もう少ししたら戻るから、シリルはウィルディアヌを助けてあげておくれ」
生真面目なシリルは、全てを丸投げにされてもなお「かしこまりました」と、キリッとした顔で答えた。
アイザックの正体を知っても変わらぬ忠義心は、実にありがたい限りである。
「それとパーティが終わった後に、新旧生徒会役員だけでささやかな打ち上げをしようと思う。部屋の手配を頼めるかい?」
「……! はい、勿論ですっ!」
新旧生徒会役員だけのささやかな打ち上げなら、モニカも気兼ねなく参加できるだろう。
アイザックの配慮に、シリルは感銘を受けたような顔で「早速手配してまいります!」と早足で会場へ戻っていく。
モニカはそんなシリルの背中を名残惜しそうに見送っていたが、やがて困惑したようにアイザックを見上げた。
「あ、あの、アイクは……戻らなくて、いいんです、か?」
「もう少しだけ、君といたいんだ」
やっぱりモニカはよく分かっていない顔で「はぁ」と曖昧に頷いた。
(モニカもシリルも、どちらも見たところ無自覚かな……)
モニカがその気持ちを自覚していないのなら、まだ、自分に勝機はあると思うのだ。
アイザックは会場を出る時に抜き取った花を、胸ポケットから取り出す。そして、礼服の装飾に使われているリボンを抜き取り、花に結びつけた。
アイザックの髪色に似た黄色いバラに、目の色に似た碧いリボン。
それを、アイザックはモニカに差し出す。
「受け取ってくれるかな?」
「……? えっと、ありがとう、ございます」
モニカは不思議そうに首を傾げながら黄色いバラを受け取った。
今はまだ、これを受け取ってもらえただけでも良しとしよう。
「その花、今日はずっと身につけていてくれるかい?」
「これも、おまじないですか?」
「……そんなところかな」
学園祭の花飾りの真実を、ここでモニカに教えようか……いや、それだとなんだかシリルに負けたような気がして悔しい。
(これは、君に好きになってもらうための、おまじないだ)
胸の内で呟いて、アイザックはモニカに手を差し伸べる。
「レディ、僕と一曲踊りませんか?」
「……? あのぅ、ダンスがしたかったのなら、やっぱり会場に戻った方が良いんじゃ……」
「君は僕の夜遊び仲間だろう? もう少しだけ、僕の夜遊びに付き合っておくれ。君といる時間は楽しいんだ」
夜遊び仲間。そう口にすれば、モニカは腑に落ちたような顔をする。どうやらモニカにとって、アイザックは「そういう位置づけ」になっているらしい。
……無論、アイザックとしては、ただのお友達で終わるつもりはないのだけど。
だって、一度は閉ざされたアイザックの道を、モニカが開いてくれたから。
「僕はもう、楽しいことや好きなものを諦めるのは、やめたんだ」
フェリクスの最後の願いを知っているモニカは小さく微笑み、アイザックの手を取った。
「そういうことなら……はい、えっと、アイクの『楽しい』探しのお手伝い、します」
パーティ会場から聞こえる僅かな音楽を頼りに二人は踊りだす。
完璧なエスコートのアイザックと、拙いステップのモニカ。
まるでチグハグなダンスに、アイザックは心の底から楽しそうに笑う。
そんな二人を、頭上に輝く英雄の星が優しく照らしていた。
この後に、一年後の未来の話が続きます。
どうぞもう少しだけ、お付き合いください。