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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第16章「決着編」
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【16-11】復讐の権利

 迎賓室の前までやってきたアイザックは扉の前で足を止め、ノックをするべく持ち上げた手を下ろした。

(……どんな顔で、彼女と向き合えばいい)

 〈沈黙の魔女〉の正体を知ってもなお、アイザックは全てを受け止めきれずにいる。

 彼女に対して、アイザックが抱く思いは、あまりにも複雑だ。


 七賢人の〈沈黙の魔女〉に対する敬意と憧憬。

 アイザックのせいで父親を失ったモニカ・レインという少女に対する罪悪感。


 重すぎる感情は腹の奥でぐちゃぐちゃに混ざって、いまだ消化できずにいる。

 それでも、いつまでもここで立ち止まっているわけにもいかない。

 アイザックが小さく深呼吸をして扉をノックすれば、扉は内側から開いた。扉を開けたのは、黒髪に金眼の従者だ。

「よぉ、キラキラ」

 相変わらず人の名前を覚える気のない黒竜はニヤリと笑い、アイザックを中に招き入れる。

 室内のソファには、モニカがちょこんと座っていた。

 七賢人だけが着ることを許される紺色のローブを身につけ、薄茶の髪を美しく結い上げたモニカは、アイザックに気づくとゆっくりと顔を上げる。

 光の加減で緑色にきらめく目がアイザックを見据えた。その目で見つめられた瞬間、アイザックの胸は締めつけられたかのように苦しくなる。言葉が、上手く出てこない。

 アイザックが扉の前で立ち尽くしていると、モニカはゆっくりとソファから立ち上がり……


「ふぎゃっ!?」


 ローブの裾を踏んづけて、その場に顔から倒れた。

 ビターン! という豪快な音が静かな室内に反響する。

「…………」

「…………」

 なんとも気まずい沈黙を破ったのは、スンと哀れに鼻を啜る音だった。

「ネロぉ……杖取ってぇ……」

「おぅ、ほらよ」

 一つ発見だ。バーソロミュー・アレクサンダーを名乗るこの黒竜の名前は、どうやらネロと言うらしい。

(そういえば、たまに彼女が「ネロ」と口走っていた気がするけど……まさか彼のことだったとは)

 ネロは壁に立てかけていた杖を、モニカに手渡す。

 モニカはフゥフゥと荒い息を吐きながら、その杖にすがりつくようにして、立ち上がった。

 だがその足はガクガクと震えており、生まれたての小鹿よりもなお覚束ない。

「……今ので、足に怪我を?」

 アイザックが訊ねれば、モニカはフルフルと首を横に振る。

「あの、今日は靴のヒールがすっごくすっごく高くて……」

 こんなにあるんです、と言ってモニカは親指と人差し指を限界まで広げてみせた。

 なるほど、今日の彼女はやけに大きく見えたのだが、それは威厳ある態度故にではなく、靴のヒールの高さが理由だったらしい。

「一日、この靴を履いてたら……爪先が、げ、限界、で……」

 モニカは杖にすがりつきながら歩こうとしたが、それをアイザックは片手を上げて制した。

「どうか、座っていてほしい。僕もそちらに座っても?」

「ど、どうぞっ!」

 モニカがホッとした顔でソファに座り直した。それも、ソファのギリギリ端っこに身を縮こまらせて。

 それがなんとなく面白くなくて、アイザックはモニカのすぐ横に腰を下ろす。

 モニカの薄い肩がビクッと震え、涙の膜が張った目はアイザックの視線から逃げるように、足元をじっと見つめていた。

 完全に萎縮しきったその姿は、とても最高審議会の場で堂々と振る舞っていた人物には見えない。

 アイザックは身を乗り出し、モニカの額に手を添えた。

「やぁ、大変だ。レディの額が腫れている」

 先ほど床にぶつけた額をするりと撫でて、アイザックはネロをちらりと見た。

「医務室で軟膏を貰ってきてくれないかい?」

「これってアレだろ。気を利かせろってやつだよな」

「察しが良くて助かるね」

 モニカは口をあわあわさせてネロを見上げている。

 ネロはフンフンと鼻を鳴らしながら頷いてみせた。

「オレ様は空気の読める使い魔だからな。そんじゃ、ちょっくら行ってくるわ」

 そう言ってネロはスタスタと部屋を出て行った。

 隣に座るモニカは「あぁぁ……」と絶望の声を漏らしている。

 バタンと扉が閉まると、モニカは石像のように凍り付いてしまった。



 * * *



(どっ、どっ、どっ、どうしよう、どうしよう、どうしよう)

 モニカは全身から冷や汗を流しながら、内心頭を抱える。

 本当はアイザックを前にしても、モニカは〈沈黙の魔女〉として堂々と振る舞うつもりでいた。

 それなのに、ローブの裾を踏んづけて転んだ瞬間に、なんというか……心が折れてしまったのだ。

 ふぎゃっ! なんて言って転んだ時点で、もはや威厳を取り繕う余地などない。

 おまけにアイザックに言おうと思っていた言葉は全て、転んだ拍子に頭からスポーンと抜け落ちてしまった。あぁ、数式ならこんな簡単に忘れたりしないのに!!


「モニカ」


 アイザックがモニカの名を呼ぶ。レディ・エヴァレットではなく、モニカと。

 モニカはアイザックに向き直ると、叱られる子どもみたいな顔でギュッと目を瞑り、頭を下げた。

「あ、あのっ……い、いっぱい嘘をついてて、すみません、でした……」

 本当は〈沈黙の魔女〉として、彼の期待に応えたかった。

 だが、審議会で全てを出し尽くしたモニカは、もうこれ以上アイザックの前で取り繕って格好をつける余裕など残っていない。

「……わたしが〈沈黙の魔女〉で、ガッカリしました、よね……ごめんなさい……」

「嘘をついていたのは、僕も同じだ」

 静かな声がそう告げる。

 モニカが黙り込むと、アイザックは淡々とした口調で訊ねた。

「あの黒い聖杯は、どういうトリックだったんだい?」

 国王とアイザックは血が繋がっていない。にも関わらず、黒い聖杯は紅く染まった。

 アイザックの疑問に、モニカはぎこちなく笑って答える。

「あれはですね……聖杯は、ちゃんとした魔導具です」

 黒い聖杯は現在、証拠の品として提出してある。ミネルヴァなり魔術師協会なりに鑑定に出せば、黒い聖杯が本物の魔導具であると証明してもらえるだろう。

 このイカサマで重要なのは「黒い聖杯は本物である」ということだ。

「あの時、杯に注いだ血は……アルバート殿下の血です」

「アルバートの?」

 第三王子のアルバートは最高審議会に出席することはできないが、現在は城に滞在している。

 モニカは最高審議会が始まる直前にアルバートの血を採血し、凝固しないよう小瓶に入れて袖の中に隠し持っていた。

 アイザックの血を杯に注ぐ時、アイザックの手に触れたのは、袖に隠した小瓶の血を自然に杯に落とすためだ。

 モニカの説明に、アイザックは意外そうな顔をしている。

「……つまり、アルバートも君の協力者というわけか」

 ポツリと呟き、アイザックはモニカを見据えた。

「君は僕が偽物だと知っているのに……どうして僕を、助けるようなことを?」

 アイザックは自嘲じみた苦い笑みを浮かべている。

 その碧い目はどこか陰っていて虚ろだ。

「僕は、あのまま処刑されて構わなかったのに」

「だ、駄目ですっ」

 モニカは咄嗟に叫んだ。

 言いたいことが頭の中でグチャグチャになっていて、言葉は全然まとまっていない。

 それでも、黙ってはいられなかった。

「そんなこと言っちゃ、駄目です。あなたを助けたくって……たくさんの人が力を貸してくれたんです。シリル様も、ブリジット様も、グレンさんも……っ!」

 モニカ一人では、黒い聖杯を完成させることはできなかったし、あれだけの量の陳述書を集めることもできなかった。

 なにより、グレン達がルイスの足止めをしてくれなかったら、ルイスにイカサマを見破られていたかもしれない。

「みんな、生徒会長のあなたを助けたかったんです。あなたと卒業式を迎えたかったんです。だから……いっぱい、いっぱい、助けてくれたんです、よ……」

 モニカが必死になって訴えれば、アイザックの冷たい無表情が、鈍く輝く碧い目がモニカを見据えた。


「ヴェネディクト・レインという学者は…………君の父親だろう?」


 アイザックの口から飛び出した父の名が、モニカの胸を抉る。

「そう、です」

 モニカが震える唇で答えると、アイザックはモニカの手首を掴み、突如自分の方に引き寄せた。

「ひゃうっ!?」

 ソファに仰向きに寝そべるアイザックの上に、モニカが馬乗りになるような体勢になる。まるで、モニカがアイザックをソファに押し倒したみたいに。

 アイザックの胸板に手をついて、モニカが目を白黒させていると、アイザックはモニカの手を己の首に導いた。

「君のお父さんが死んだ理由は、僕にある……僕とクロックフォード公爵の妄執が、君の父親を殺した」

 アイザックの手に押さえつけられ、モニカの指の腹がアイザックの首に食い込む。

 首の薄い皮膚越しに、トクトクと彼の脈を感じる。


「君は、僕に復讐をする権利がある」



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