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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第16章「決着編」
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【16ー10】国王のチェス

 城内にあるフェリクス・アーク・リディルの私室に戻ったアイザックは、まだ事態を飲み込めずにボンヤリとしていた。

 あれから医務室に連れて行かれて、入れ替わり立ち替わり医師が出入りして、枷を外されて、健康状態を確認されて……。

 気がついたら、もう日は暮れかけていて、窓の外は茜色に染まっている。血のように赤い夕焼け──その色に、〈沈黙の魔女〉が掲げた杯を思い出す。

(……あれは、どういうトリックだったのだろう)

 ぼんやりとそんなことを考えていると、部屋の扉がノックされ、使用人の声が聞こえた。

「フェリクス殿下。国王陛下が、私室にお呼びです」

「…………すぐに行くよ」

 先ほどまで罪人扱いされていた男を、見張りもつけずに自由にして良いのだろうか。

(まして、国王の私室に呼びだすなんて……)

 だが、断るわけにもいかないので、アイザックはノロノロと立ち上がり、身嗜みを整える。

 王族の服なんて、もう二度と袖を通すことなどないと思っていたのに……と、小さく苦笑しながら。



 * * *



「フェリクス・アーク・リディル、参りました」

「入りなさい」

 室内から聞こえる王の声は、弱々しい病人のそれではなかった。

 部屋に足を踏み入れると、国王は椅子に腰掛け、チェス盤と向かい合っていた。

 国王の向かいには〈星詠みの魔女〉メアリー・ハーヴェイが優雅に腰掛けているが、チェスの相手をしているわけではないらしい。

 国王は一人でチェスを指し、それをメアリーは眺めている。星空を見上げて星を詠む時のような、どこか遠くを見る目で。

 アイザックが入室すると、メアリーは静かに立ち上がる。

「では、あたくしは失礼いたしますわ〜」

 メアリーはうふふ、と少女めいた笑みを残して、部屋を後にした。

 アイザックは入り口に立ったまま、国王が口を開くのを待つ。

「かけなさい」

「はい」

 アイザックは先ほどまでメアリーが座っていた椅子に腰を下ろし、チェス盤を眺めた。

 盤面はある程度拮抗していたが、白が有利だった。白はその気になれば、あと数手で王をチェックメイトできるだろう。

 王の節くれだった指が白のクイーンを動かした。悪手ではないが最善手ではない。あれでは即座にチェックメイトに持ち込めない。

 王はやはりチェス盤を見たまま、ポツリと呟く。

「チェックメイトの瞬間に、このゲームは終わる。だが現実では……王を失った国は、その後どうなると思う?」

「混乱状態に陥るでしょうね」

 即座にアイザックが切り返せば、王は小さく頷き、手元にある黒のポーンを指先で転がした。

「それが勝者側にとって、必ずしも望ましいとは限らんな。決着のつかぬゲーム。その方が都合が良いことが、現実には多々ある」

 決着のつかないゲームとは、先程の審議会の暗喩なのだろう。

 〈沈黙の魔女〉の行動により、クロックフォード公爵はアイザックを始末し損ねた。

 アイザックはクロックフォード公爵に一矢報いることもできぬまま、死に損ねた。

 そうすることで、一番の利益を得たのは他でもない、国王陛下その人だ。


 クロックフォード公爵は残忍だが有能な男だ。公爵でなければ動かせない案件が幾つもある。だからこそ、国王も今まで袂を分かつことなく、互いに牽制しあいながら、これまでやってきた。

 アイザックが演じてきた、フェリクス・アーク・リディル王子もまた、有能な王子だ。既に幾つもの外交案件で成果を出している。

 もし、クロックフォード公爵、あるいはアイザック演じるフェリクスのどちらかが処刑される流れになれば、国内は大混乱に陥るだろう。

 なにより、第二王子が偽物だったなどと諸外国に知られれば、リディル王国の信用は一気に失墜し、これまで積み重ねてきた外交成果が無駄になりかねない。


「アイザック・ウォーカーよ」


 王が口にした名前にアイザックは凍りつく。

 あぁ、薄々予感はしていたが……やはり、王は知っていたのだ。

 第二王子が、偽物であることを。

 第一王子派のルイス・ミラーをフェリクスの護衛に据えようとしたのも、恐らくはルイスを通じて第二王子の正体を探るためだ。

「私は王だ。故に、我が息子を死なせた者達の咎に目を瞑る。国益を守るために」

 本物のフェリクスは、祖父とアイザックのせいで自殺に追い込まれたも同然だ。

 目の前のこの男は国を守ることを選んだが、それでも息子の顔をしている偽物のことが憎くて仕方がないだろう。

「だから、これは一人の父親としての言葉だ」

 国王は初めてチェス盤から顔を上げて、アイザックを見る。

 その目は穏やかで理知的で……そして、優しかった。

 その笑い方をアイザックは知っている……フェリクスと同じ笑い方だ。


「息子の友人でいてくれたこと、息子の名誉を守ろうとしてくれたことに、礼を言う。ありがとう」


 アイザックの喉が引きつる。頭の奥がキシキシと痛む。

「……違う」

 咄嗟に口にした言葉は、酷くかすれていた。

 呼吸の仕方も忘れて、アイザックはハッと短く息を吐く。自嘲のように、あるいは懺悔のように。

「……僕は、守れなかったんだ」

 フェリクスを死なせたという事実は、いつまでもアイザックを苛み続ける。きっとこれから先も、永遠に。

 項垂れるアイザックに、国王は穏やかな声で告げた。

「息子の最期の願いを、彼女から聞くが良い。迎賓室でお前を待っている」



 * * *



 王の部屋を後にした〈星詠みの魔女〉メアリー・ハーヴェイは、廊下の端にあるバルコニーの前で足を止めた。バルコニーでは旧知の男が姿勢良く佇み、夕焼けの沈んでいく空を眺めている。

 男の白髪まじりの金髪は夕焼けのオレンジに染まって、燃える炎のように輝いて見えた。


「感傷に浸っているのかしら? ダライアスちゃん?」


 メアリーの言葉に、クロックフォード公爵ダライアス・ナイトレイは振り向くことなく答える。

「貴女は全てを知っていたのか。〈星詠みの魔女〉よ」

「さぁ、どうかしらね」

 メアリーはしゃなりしゃなりと前に進み出ると、バルコニーの手すりにもたれながら公爵を見上げる。

「星の並びはとてもシンプルよ。詠むのは決して難しくないわ。でも、人の心はとても難しくて複雑ね。あたくしは、人の心までは読み取れなくってよ」

 その人の運命は見えても、心までは見えない。

 まして、こんなに複雑に入り組んだ人間関係ともなれば、なおのこと。

「ダライアスちゃんは、戦争がしたかったの?」

「…………」

 クロックフォード公爵は答えない。だが、公爵と同じ年を生きたメアリーは知っている。

 リディル王国が最後に戦争をしたのは、今から五十年以上前。帝国との領土問題から始まった戦争だ。

 戦争は当初、リディル王国側の優位であった。

 このまま押し切れば勝てる。そんな状況であったにもかかわらず、先代クロックフォード公爵──ダライアスの父は和平を提案した。これ以上の犠牲を出すべきではないと主張して。

 最終的に、先代クロックフォード公爵は殺害された。


 帝国にではない。戦争での完全勝利を望むリディル王国内の人間にだ。


 その上で、リディル王国の人々は先代国王を筆頭に、ダライアスの父を糾弾した。臆病者、腑抜けた国の恥さらし、と。

 当時、まだ少年だったダライアス・ナイトレイは父親を喪い、その上で臆病者の息子という烙印を押されたのだ。

 その頃、七賢人ではなくただの侯爵令嬢だったメアリーと、公爵子息のダライアスは婚約者同士だったのだが、その婚約もメアリーの父が一方的に破棄をした。あんな国益を損なう男の息子になど、嫁がせられぬと言って。

 しかし、その一年後に戦況は逆転。リディル王国は圧倒的に不利になり、帝国に有利な条件を呑むことで停戦を受け入れた。

 半端な幕引きをした戦争にダライアスは何を思ったのか、メアリーには分からない。

 ただ、あの時の苦い感情をきっと彼は今も引きずって生きているのだ。まるで亡霊のように。

「今回の件で、私は己の孫を──第二王子を罪人扱いした、愚か者と見られることだろう」

「でしょうねぇ〜。爵位を誰かに譲る気?」

「いずれは、そうせざるを得なくなるだろう」

 致命傷とまではいかないが、今回の件で確実にクロックフォード公爵の権威は削がれた。

 第二王子は適当な領地と爵位を与えられ、呪いの療養という名目で王都を追い出される。

 そう遠くない未来、国王は第一王子のライオネルを、次期国王として指名するだろう。

 恐らく、王は元から第一王子を後継者に見据えていたのだ。だが、第二王子を擁立するクロックフォード公爵の権力が強すぎたため、後継者を指名できずにいた。

 今回の件でクロックフォード公爵の権威が弱まれば、なんのしがらみもなく第一王子を後継者に指名できる。

「王の仕組んだ罠に、まんまと引っ掛かった、私の敗北だ」

 クロックフォード公爵の独白めいた呟きに、メアリーはコロコロと鈴を転がすような声で笑った。

「違うわよぉ、確かに最初の方は陛下が仕組んだことだったけれど……」

 ごくごく薄い水色の目を細め、〈星詠みの魔女〉は、予言を口にする時のように厳かな口調で告げる。


「この結末になるように導いたのは〈沈黙の魔女〉よ」


 クロックフォード公爵もアイザックも、自分がチェスのプレイヤーだと錯覚していた。

 そして互いを出し抜くべく、駒を動かす側になっていた……つもりだった。

 だが実際は、公爵もアイザックも駒にすぎなかったのだ。

 チェス盤を眺めて全てを俯瞰していたのは、国王ただ一人。

 国王がたった一人で指していたチェス。その向かいの席に座ったのは〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレット。

「この間の七賢人会議の後にね、あの子、国王陛下に面会をしたいと申し出たのよ……陛下が仮病だと、薄々見抜いていたんでしょうねぇ」

 あの内気で臆病な少女は、国王とチェス盤を前にした時、顔つきが変わった。

 ぞっとするほど冷たい無表情で、彼女は今回の計画について話し、そして最後にこう言ったのだ。


 ──この結末が、陛下にとって最も利益になるでしょう。ですから、力を貸していただきたいのです。


「審議会で王が〈沈黙の魔女〉に協力的だったのも、そのためか」

 つまり最高審議会が始まると同時に、もう決着は付いていたのだ。

「……アレは、恐ろしい魔女だな」

「恐ろしいだなんて、いやねぇ。語るべき言葉も沈黙の価値も知っているイイ女、って言っておあげなさいよぉ〜」

「貴女は少し口を閉じるべきでは?」

 ダライアスの言葉に、妙齢の魔女は膨れっ面をした。

「そんな意地悪を言うんなら、もうダライアスちゃんの未来は教えてあーげない」

「結構。私は予言など、利用するためにしか使わぬ」

「知ってるわよぉ〜。呪竜騒動では、あたくしの予言を逆に利用してくれちゃって!」

 メアリーは呪竜騒動の顛末も、モニカから聞いている。

 そして、同僚である〈宝玉の魔術師〉エマニュエル・ダーウィンを殺害したのが誰なのかも。


 ……全てを知っていて、この態度なのだ。


 残忍で知られるクロックフォード公爵は「女とは、恐ろしいな」と小さく呟いた。


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