【16ー6】陳述書
〈沈黙の魔女〉がフードを外した瞬間、室内がざわついた。
社交界に殆ど顔を出さず、式典でもフードをかぶっている〈沈黙の魔女〉の素顔を知る者は少ない。それどころか、彼女の声を聞いたことのある者すら稀だろう。
いつだって目立たないように隅の方で俯いて、縮こまっていた。そんな彼女が、今は背筋を伸ばして真っ直ぐに立っている。その手に、七賢人だけが持つことを許される金の杖を握りしめて。
幼さの残る顔にしっかりと化粧を施し、薄茶の髪は高い位置で結い上げ、清楚な白バラの花飾りをあしらっている。
光の加減で茶色にも緑にも見える神秘的な目は、真っ直ぐに正面を……クロックフォード公爵を見据えていた。
──どうして今まで気づかなかったのだろう。
アイザックは混乱の中、胸の内で自問自答する。
彼が敬愛するレディ・エヴァレットはこんなにも近くにいたのに。
思い返せば、心当たりはいくらでもあったのだ。それなのに、アイザックの中で「敬愛するレディ・エヴァレット」と「小動物のようなモニカ・ノートン」がイコールで結びつかなかった。
正直、目の前にいるモニカの姿を見てもなお、アイザックは信じられずにいる。
そんなアイザックを、人に化けた黒竜がニヤニヤと笑いながら見ていた。
あぁ、あの黒竜がそばにいるということは、間違いなく彼女が〈沈黙の魔女〉なのだ。
「〈沈黙の魔女〉よ」
ざわめきの中、国王が声を発した。
その一言で、場は水をうったように静まる。
国王は眉一つ動かさず、静かな目で〈沈黙の魔女〉を見据えた。
「その者が、本物の第二王子であると申したな」
「はい」
〈沈黙の魔女〉は国王を前にしても怯むことなく、堂々とした態度で口を開いた。
「陛下はご存知かと思いますが、この場にいる方のために改めて説明いたしましょう。わたくしは昨年の秋から今現在に至るまで、セレンディア学園に生徒として通いながら、フェリクス殿下の護衛をしておりました」
〈沈黙の魔女〉が、秘密裏に第二王子の護衛をしていた。
その事実に再び場がざわめきだす。あのクロックフォード公爵ですら、一瞬だけ眉を動かした。
そんな中、クロックフォード公爵に近しい大臣の一人が声を荒げる。
「どういうことだ! セレンディア学園はクロックフォード公爵の管轄! そこに身分を偽って入り込むなど、閣下を愚弄する行い……!」
誰かに大声で怒鳴られた時、モニカ・ノートンはビクッと体を震わせ、涙目で俯くのが常だった。
だが〈沈黙の魔女〉は、怒鳴り散らしている大臣に冷ややかな一瞥を向けて告げる。
「貴方のその発言に、わたくしの説明を遮るほどの価値は、おありですか?」
大臣は目を剥いて「……なっ!?」と絶句した。
よもや、自分の子どもぐらいの年齢の若い娘に、そんな言葉を返されるとは、露ほども思っていなかったのだろう。
顔を真っ赤にして激昂する大臣に、〈沈黙の魔女〉は淡々と言う。
「この度の護衛任務は、国王陛下より直々に承りしもの。陛下の決定にご不満が?」
「む……それは……」
大臣が口をモゴモゴさせて黙り込むのを確認し、〈沈黙の魔女〉は言葉を続けた。
「わたくしは一年近くの間、フェリクス殿下をそばで見て参りました。だからこそ断言いたしましょう。この方が本物の殿下であると」
堂々と自信に満ちた声で言い放ち、〈沈黙の魔女〉はその場にいる者達をゆっくりと見回す。
「もしも、わたくし一人の証言では不足だと仰るのなら……」
そう言って〈沈黙の魔女〉はパチンと指を鳴らした。
すると、背後に控えていた従者が廊下に引っ込み、書類の山を抱えて戻ってくる。
人に化けた黒竜が、いかにも芝居がかった仕草で書類を〈沈黙の魔女〉に差し出した。
〈沈黙の魔女〉はその書類を一枚手に取り、よく響く声で読み上げる。
「『我が兄、第二王子フェリクス・アーク・リディルとは、新年の儀で会った後、セレンディア学園でも何度か会話をしている。その時の兄の発言に矛盾は無く、筋も通っていた。偽物であると断じるのなら、相応の聞き取りをし、事実確認を行うべきである。セレンディア学園中等科二年アルバート・フラウ・ロベリア・リディル』」
突如飛び出した第三王子の名前に、その場にいる誰もが、ポカンと目と口を丸くしていた。アイザックもだ。
唯一、クロックフォード公爵の目元だけが、にわかに険しくなる。
「『フェリクス殿下は、呪竜騒動で我がレーンブルグ公爵家を救ってくださった救世主です。剣の腕に長けた英雄王子が、どうしてそう簡単に暗殺者などに殺されたりするでしょうか。また、殿下は冬休み明けに、レーンブルグ公爵家に滞在していた時のことを口にされていますが、何も矛盾点はありませんでした。その方が新年の儀を境に入れ替わった偽物なら、我が公爵邸で食べた食事の内容や味まで話題にするのは不可能でございましょう。どうぞ、今一度、この度の審議をご再考願いたく思います。セレンディア学園高等科一年エリアーヌ・ハイアット』」
第三王子に続き、レーンブルグ公爵令嬢の名前まで出てきたものだから、会場はますます騒ついた。
レーンブルグ公爵も娘の行動を知らなかったらしく、目を剥いてオロオロしている。
「『セレンディア学園生徒会長の業務は多忙であり、例え事前に情報を仕入れて準備をしていようと、一朝一夕でこなすことは不可能。そのことは最高審議会の場にいる、セレンディア学園卒業生の方なら、誰もが当然に理解していることでしょう。新年の儀が明けた後も、生徒会長の仕事ぶりは完璧なものでした。冬休み前に交わした細かな案件も、生徒会長は全て覚えていらした。よって、生徒会長が新年の儀の後に入れ替わったという主張については、ご再考いただきたく思います。セレンディア学園高等科三年、シリル・アシュリー』」
〈沈黙の魔女〉は書類を──陳述書を手に取り、次々とその内容を読み上げていく。
「『殿下はこのセレンディア学園での日々を通して、私の奏でる音楽について高く評価し、年明けの魔法戦の舞台では、私に音楽を奏でる場を与えてくれました! その際、私に演奏を依頼した殿下は、過去の演奏にも触れており、正しく私の音楽性を理解していた! ごく最近入れ替わった人間に、私の音楽性を理解することなど不可能! 故に私は、私の音楽家生命に賭けて、フェリクス・アーク・リディル生徒会長が本物であると断言する! セレンディア学園高等科三年、ベンジャミン・モールディング』」
アイザックがフェリクスとして共に過ごした学友達が、彼の無罪を訴えかける。
「『チェスです。チェスをすれば、その人間が本物か偽物かは容易に判別できることでしょう。フェリクス・アーク・リディル殿下は前々回のチェス大会に参加し、そこで記録を残している。もし偽物なら、チェスを一局指せば、すぐに本物か否か判明するはずです。検証のための対戦相手が必要なら、自分にご一報ください。喜んで対局いたしましょう。セレンディア学園高等科一年、ロベルト・ヴィンケル』」
(うん、どうして彼のをチョイスしちゃったかな)
アイザックは状況も忘れて、思わず苦笑した。
〈沈黙の魔女〉は幾つかの陳述書を読み終えたところで、パチンと指を鳴らす。
途端に、従者の手の中にある分厚い書類の束がパラパラと舞い上がった。風の魔術だ……それも無詠唱の。
書類はまるで一枚一枚が意思を持っているかのように宙を舞い、一糸乱れぬ美しさで国王の目の前に積み重なる。
恐ろしく精緻な魔力操作技術。それを無詠唱でやってのけた〈沈黙の魔女〉に、人々は畏怖の眼差しを向けた。
だが、こんな派手なパフォーマンスをやってのけた張本人は、大したことではないと言わんばかりの顔で、言葉を続ける。
「これらはセレンディア学園の教師、生徒達から集めたものです。どうぞ、判決を下す前にご一読を」
この場にいる者の中には、セレンディア学園の卒業生もいれば、我が子を通わせている者もいる。そんな彼らにとって、この陳述書は馬鹿げた子どもの意見だと鼻で笑い飛ばせるものではない。
まして、これだけの数ともなれば、一つ一つの証言は些細なものでも検証が必要になるだろう。
フェリクスとアイザックが入れ替わったのは本当は十年前だ。だが、この場では「新年の儀の後」ということにされている。だから生徒達の証言に矛盾は無い。
あの人見知りのモニカが、どうやってこれほどの証言を集めたのやら。
(しかし、彼女は何を考えているんだ……?)
モニカは知っているはずだ。
アイザックが父を死なせた原因であることを……第二王子の偽物であることを。
「既にその者は、己の罪を認めた」
口を開いたのは、クロックフォード公爵だった。
公爵の顔は感情の読めぬ無表情──だが抜身の刃のように鋭い空気が、その場にいる者を威圧する。
「もう、この偽物は罪を認めたのだ。なれば、これ以上、何を論じる必要があるのか」
公爵が言葉を紡ぐたびに、場の空気が変わる。
この方の言うことは、もっともだ。閣下の言葉こそ正しい。そんな空気が公爵一派を中心に、波紋のように広がっていく。
その連鎖を〈沈黙の魔女〉は一言で断ち切った。
「それでは、誰もが分かるように、真実をご覧にいれましょう」
そう言って〈沈黙の魔女〉は袖から小さな何かを取り出す。
それは小ぶりのゴブレットに見えた。金でも銀でもない、まるで黒い石から切り出したかのように、つるりとした漆黒の杯だ。
それをその場にいる全員に見えるように掲げ、〈沈黙の魔女〉は高らかに宣言する。
「わたくしの作ったこの魔導具『黒い聖杯』で、こちらにおわす方が、真に王族の血を引く者であるということを証明いたします」




