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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第16章「決着編」
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【16-1】決戦の朝

 最高審議会の日の朝、モニカはラナの部屋を訪れた。

「いよいよね。ちゃんと充分な睡眠と食事は摂ってきた?」

「……うん」

 腕まくりをするラナにモニカはコクリと頷く。

 最高審議会までの準備期間中、モニカの食生活や睡眠時間はイザベルとアガサが徹底して管理していた。

 特に黒い聖杯作りに夢中になって睡眠時間を削ろうとするモニカを机から引き剥がし、寝台に連れ込むアガサの手際の良さは誰もが感心したほどである。

 おかげで、モニカは万全の体調で最高審議会に挑むことができるのだ。

 そして、そんなモニカを七賢人に相応しい装いにすべく、ラナは化粧やコルセットなどの小道具を用意していた。

 ラナはまず、モニカにコルセットを身につけさせる。

 学祭の舞踏会でドレスの下に着ていた物のように、スカートを膨らませる骨は入っていない……が、上半身にボリュームを出すため、とにかく胸の詰め物がすごい。厚い。

 その上に七賢人専用のローブを着るのだが、このローブも元の形にだいぶ手が加えられていた。

 二年前にモニカに与えられたローブは、モニカが成長することを見越して少し大きめに作られている。だが、この二年間でろくに成長しなかったモニカは、今もローブを引きずっていた。

 こんなダボダボのローブでは威厳を出せない、とラナは断言し、モニカのローブの裾を職人に直させたのである。

 体のラインを美しく見せるよう絞られたローブに着替えたら、次は化粧。これもチェス大会や学祭の時とは異なる化粧だ。

 目が丸くて鼻と口が小さい素朴な顔に、ラナは手早く化粧を施していく。

 目元はすっきりと知的に。眉は凛々しく。唇は品良く。

「……こうしてラナにお化粧してもらうのも、今日が最後だね」

 唇に紅を塗られたモニカがポツリと呟けば、ラナは唇をキュッと引き締める。

「卒業式には、出ないの?」

「多分、無理だと思う」

「……そう」

 これから行う作戦が成功であれ失敗であれ、全てが終わったら、モニカ・ノートンはセレンディア学園を去らねばならない。

 来年の学祭はおろか、間近に迫った卒業式の後のパーティにも、モニカが出席することは叶わないのだ。

 だが、ラナは鼻からフンスと息を吐いて、モニカを真っ直ぐに見据える。

「別に化粧ぐらい、呼んでくれれば、いつだってしてあげるわよ……友達なんだから」

 ポツリと付け加えられた言葉に、モニカははにかみながら頷いた。

「……うん。でも、自分でもできるように、お化粧の勉強する、ね」

「わたしが商会を立ち上げたら、化粧品も取り扱うつもりよ。その時は、うちの商会の化粧品を使ってちょうだい……使い方、ちゃんと実践で教えてあげるから」

 いつもの勝気な口調のラナに、モニカもいつものように眉を下げて微笑む。

 正体がバレても、ラナはこうして友達として接してくれる。そのことが嬉しくて、うっかり泣いてしまいそうだ。

(いけない、泣いたらお化粧が崩れちゃう)

 こみ上げてくる涙をグッと堪え、モニカは髪結いの準備を始めたラナに、白バラの花飾りを差し出した。

「あのね、これ……つけてもらえる、かな?」

 ラナは花飾りを眺めて、にんまりと笑う。

「これって学祭の時の……なるほどねぇ、そっかぁ……そっかぁ」

「……?」

「うんうん、任せて。とびきり素敵にしてあげるっ」

 ラナのニヤニヤ笑いの理由が分からないモニカは首を傾げつつ、花飾りとは別に持参した物をラナに見せた。

「あとね、これも着けたいのだけど……」

 モニカが持参したアクセサリーに、ラナは目を丸くする。

 今までモニカが花飾り以外に何かを持参したことがないから、意外だったのだろう。

「素敵なネックレスね。貰い物?」

「……うん、大事な友達にもらったの。今までは、勇気が無くて着けられなかったけど……」

 モニカの手の中で揺れているのは、繊細なデザインのネックレス。

 細い鎖の先端で揺れているのは、モニカの目の色によく似たペリドット。


「今日、この時のためにあったんだって、今なら思うの」



 * * *



 火のついたように泣く愛娘のレオノーラを抱き抱え、ルイス・ミラーは途方に暮れていた。

 首と体の支え方を徹底的に検証し、快適な抱っこをしている筈なのに、レオノーラはその可愛らしい顔をクシャクシャにして、喉も裂けんばかりに泣き叫ぶのだ。

 母乳をたっぷり飲み、おしめを替えてもらったばかりのレオノーラは、少し前までは大層ご機嫌だった。それはもう可愛らしくキャッキャと微笑んでいたというのに、ルイスが抱き上げた途端にこれである。

 リンが無言で手を差し伸べたので、ルイスはレオノーラをリンの腕にそっと移した。途端にレオノーラはピタリと泣き止む。

「何故、レオノーラは私が抱っこすると、この世の終わりのように泣くのでしょう」

「きっとルイス殿が、この世を終わらせる魔王に見えるのでしょう」

「…………」

 色々と文句を言いたいところだが、妻のロザリーはレオノーラの夜泣きに寝不足で、先ほど仮眠をとるべく横になったばかり。これ以上レオノーラを泣かせては、妻が仮眠を取れない。

 父親としての意地と、妻への気遣いを天秤にかけ、結局ルイスは今日も抱っこを諦めた。

「ルイス殿、そろそろお出かけの時間では? 馬車を表に待たせています」

「あぁ、飛行魔術ならひとっ飛びなのに、なんと面倒臭い」

 ルイスが七賢人になる前、まだ魔法兵団団長だった頃は、城に出向く際にしばしば飛行魔術を使っていた。真っ直ぐ飛ぶなら大した距離ではないし、何と言っても馬車より時間がかからない。

 だが七賢人ともなると、至急の時以外は基本的に馬車で出仕しなくてはならないのだ。

 まして今日は最高審議会。国内のトップが集まる日ともなれば、当然に体裁を取り繕う必要がある。

「では、行ってまいります。帰りは遅くなるので、先に食べていてください」

「はい、いってらっしゃいませ」

 ルイスは未練がましくレオノーラに手を振りつつ、馬車に乗り込んだ。

 帽子をかぶった若い御者が、扉を閉めて馬車を走らせる。

 手持ち無沙汰になったルイスは頬杖をつき、今日の審議会について思考を巡らせた。

 第二王子を騙る罪人の審議──なるほど、あの青年は確かに偽物なのだろう。

 だが、本物と偽物が入れ替わったのは、ルイスの推理が正しければ最近ではなく十年前。そして、その入れ替わりはクロックフォード公爵が主体で行われている……というところまで、ルイスはほぼ確信していた。

 だが、悔しいことにそれを証明するための証拠が無い。

 狡猾なクロックフォード公爵は、間違いなく証拠を全て握り潰しているはずだ。

(……ともなれば、今回はクロックフォード公爵の主張を通すしかない)

 先手を打たれたことは腹立たしい。だがクロックフォード公爵にしても、利用価値の高かった第二王子を手放さなくてはならないのだから、それなりに痛手のはずだ。

 今後クロックフォード公爵は強引に第三王子を擁立し、次期国王に推すだろう。だが、第三王子は第二王子と比べると幼いし、目立った功績も無い。

 王位継承争いは、今後ますます混戦模様となることだろう。

 これからどうやって、クロックフォード公爵を牽制していくか。そんなことに思いを馳せつつ窓の外を見たルイスは、細い眉をひそめた。

(…………おや?)

 窓の外の風景がいつもと違う気がする。

 ルイスは御者の背中に声をかけた。

「いつもと道が違うのでは?」

「いつもの道は、逃げた牛が立ち往生してるらしくてねぇ。今日は遠回りせざるをえないんですよぉ」

 こんな日に限って、なんと間の悪い。

 それでも時間には余裕があるし、どうしても間に合わないのなら飛行魔術を使えば良いだろう、とルイスはあっさり結論づける。

 しかし、その考えは窓の外の景色を見ているうちに変わり始めた。

 馬車は少しずつ街を離れ、人の少ない森の中を進んでいく。確かに遠回りにはなるが、この森を突っ切れば城に行くことはできるだろう。

 だが、他にも迂回路はあるのに、わざわざ森を選んだのは何故か?

「馬車を止めなさい」

「突然どうしたんですかぃ?」

 御者が馬車を止める様子はない。

 ルイスは御者の首の後ろに杖を突きつけ、低く命じる。

「止めろ」

 御者は言われた通りに馬車を止めた。

 それと同時に周囲の気配が一変する。広範囲に広がる魔力の気配。

 たった今、この森に結界が張られたのだ。

(これは……魔法戦用の結界?)

 森を覆う結界に意識を奪われたその時、御者が指をパチリと鳴らした。それと同時に、炎の矢がルイス目がけて飛来する。防御結界を詠唱していては間に合わない。

 ルイスは素早く馬車から飛び降り、炎の矢を回避した。そこに今度は別方向から巨大な火球が飛んでくる。

 炎の矢と火球。放ったのはそれぞれ別の人間だ、とルイスは冷静に判断しつつ、短縮詠唱で防御結界を張った。

 馬車を飛び降りながら詠唱を済ませていたので、今度はきっちり防御結界で火球をガードする。

 結界は火球を防いだだけで、ヒビが入っていた。

 ルイスが使用したのは短縮詠唱で咄嗟に張った簡易防御結界だ。

 とはいえ防御結界の強固さに定評のある〈結界の魔術師〉が張った結界である。並みの魔術ならヒビ一つはいることはない。

 それなのに、たった一発の火球で、ルイスの結界にヒビをいれたのだ。

(……この威力)

 ルイスは立ち上がり、服の汚れを払いながら口を開いた。


「いますぐ、この場に出てきて命乞いをするなら、簀巻きにして屋敷の屋根から逆さ吊りにする程度で勘弁してやりましょう…………グレン」


 ヒィッという微かな声を地獄耳のルイスは聞き逃さなかった。

 声が聞こえた木の茂みに向かって、ルイスは雷の矢を容赦なく撃ち込む。

 だが、ルイスの攻撃魔術をすかさず防御結界が防いだ。

 防御結界を張ったのは御者の男だ。長身でヒョロリと手足が長い。目深にかぶっていた帽子を投げ捨てれば、短い赤毛が目に入る。

「んーっ、んっんっんっ、潜伏が下手すぎて話にならねぇなーぁー?」

「う、うっさいな! ちょっと声がでちゃっただけっス!」

 茂みからガサゴソと這い出してきたのは、ルイスの弟子のグレン・ダドリー。

 そして御者に扮していた赤毛の男……こちらも面識はないが見覚えはある。セレンディア学園の魔法戦でグレンと戦っていた男、ヒューバード・ディー。

 何故、ヒューバードが御者に扮してルイスをこの森に連れてきたのか。何故、グレンが攻撃を仕掛けてきたのか。

 気になる点はいくつかあるが、この森全体に張られた魔法戦用の結界を見れば、仕掛け人は一目瞭然。


「この精緻な結界……なるほど〈沈黙の魔女〉殿の仕業ですか」


 分かりやすくグレンの顔が強張った。

 ルイスは愚かな弟子に、美しい笑みを向ける。

「さて、お前達。跪いて、命乞いをして、洗いざらい全てを話す気はおありですか?」

 聖職者のように穏やかな声で話しながら殺意を撒き散らす師に、グレンがゴクリと唾を飲んだ。

「し、師匠っ……こ、ここは通さないっス! 勝負っス!」

 叫ぶグレンの横で、ヒューバードもニヤニヤと楽しそうに笑う。

「んっんっんっ、俺と遊んでくれよ。〈結界の魔術師〉様ぁ?」

 立ちはだかる若者二人を前に、ルイスは物憂げな顔で溜息を吐き、ゆるゆると首を横に振る。

「困りましたねぇ。私は弱い者いじめは趣味ではないのです。なので……」


 ──これは弱い者いじめにあらず。


 ルイスは三つ編みにした栗毛をピッと背中に払うと、手にした杖でトントンと肩を叩いた。

 片眼鏡の奥で灰紫の目がグレンとヒューバードを睥睨し、誰もが見惚れる美貌に凶悪な笑みが浮かぶ。

 いつも品の良い言葉を紡ぐ口が、ベロリと舌舐めずりをして低い声で告げた。


「折檻の時間だ、クソガキども」


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