【15ー17】約五十年後「注射器」が生まれる
先月領地を継いだばかりの若きアンバード伯爵、バーニー・ジョーンズは非常に多忙の身であった。
とにかく覚えるべき仕事、挨拶すべき相手が多く、休む時間も惜しい。そんな彼が執務室を離れて外出するのは街の視察のためであった。
彼が治める領地は技術者が多く、特に工業や魔導具開発における収入は国内でも三本指に入ると言ってもいい。
帝国が医療魔術に力を入れているのなら、魔導具開発に力を入れているのがリディル王国だ。そんなリディル王国の中でも、工業魔導具など大掛かりな魔導具を扱っている工房はそう多くない。
そして、工業魔導具の工房を最も多く抱えるのが、アンバード伯爵領なのだ。
バーニーがこれから向かう工房も、特殊な魔導具を製作するための工房の一つであった。
話は遡ること数日前。
バーニーの生涯のライバルにして七賢人が一人〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットが、突然バーニーの屋敷に乗り込んできて、魔導具工房を借りたいなどと言い出した。
なにやら極秘で作りたい物があるらしいが、わざわざ工房を借り切ってだなんて、ただ事じゃない。
それでも七賢人であるモニカに「アンバード伯爵」として協力を請われれば、バーニーだって悪い気はしなかった。無論、タダで協力してやるのは癪に障るので、きっちり対価は要求したが。
モニカが今作ろうとしているのは、宝石に魔術式を組み込んだ簡単なアミュレットとは訳が違う。専門の設備が無くては作れない、非常に高度な魔導具だ。
リディル王国の魔導具産業の一端を担う身としては、非常に興味の尽きない魔導具である。
だから、バーニーが興味を持って足を運ぶのは当然のことだ。
(僕が工房に顔を出すのは、領主として当然の行い。そして、手土産に伯爵家自慢の料理人が作った焼き菓子を用意したのは、工房の人間を労うためであって、民想いの領主として当たり前のことをしただけのこと……えぇ、勿論、深い意味なんてありません)
自分にそう言い聞かせつつ、バーニーは工房の扉を開けた。
「ご機嫌よう、エヴァレット魔法伯。開発は順調ですか? ところで、どうせ貴女のことだから、また研究に夢中になって寝食を忘れていたのでしょう? 偶然にもここに焼き菓子があるのでお茶を飲んで一息……」
「んーっんっんっんっ? なんか見覚えのあるツラだなーぁー?」
工房の中ではモニカが机にかじりついて、凄まじい勢いで羽ペンを動かしており、向かいの席で赤毛の男が薬液の調合をしていた。バーニーに声をかけたのは、この男の方である。
数秒遅れてバーニーに気づいたらしいモニカが、紙面から顔を上げてバーニーを見る。
「あ、バーニー、こんにち……」
「モニカ、ちょっと、こっちへ、来なさい」
バーニーは無表情でモニカを手招きする。
モニカは羽ペンを置いて、トテトテとバーニーに近づき「どうしたの?」と小首を傾げた。どうしたもこうしたもない。
「なんだって、ディー先輩がここにいるんですかッ!!」
「えっと、魔導具作りを手伝ってもらってて…………もしかしてバーニーって、ディー先輩のこと、苦手だった?」
「ミネルヴァの人間で、あの人を苦手じゃない人はいません」
七賢人〈砲弾の魔術師〉の甥であり、戦闘狂のヒューバード・ディーは、教師、生徒問わず、魔法戦をふっかけてくることで有名だ。
当時、ミネルヴァでは秀才で通っていたバーニーも、何度か魔法戦に巻き込まれ、痛い目を見たことがある。
バーニーはずれた眼鏡を直しつつ、モニカに耳打ちする。
「そもそも、貴女だってあの人のことが苦手だったでしょう?」
「う、うん、そうなんだけど……魔導具作りに関しては、ディー先輩、本当にすごい、から」
確かにヒューバード・ディーが魔導具作りの天才であるということは、ミネルヴァにいた頃から何度も耳にしている。
七賢人のモニカが認めるほどだから、実際にその腕前はそこらの職人より遥かに上なのだろう。
だが、モニカがそうやって素直にヒューバードを褒めることが、バーニーには面白くない。モニカのライバルは自分なのだ。
モニカなんてメソメソ泣きながら「バーニー助けてぇぇぇ」とバーニーを頼り、ふにゃふにゃ笑いながら「バーニーありがとう」とバーニーに感謝していればいいのに!
バーニーが密かに苛立っていると、モニカは眉を下げて、へにゃりと笑った。
「でも、バーニーが来てくれて良かった……あのね、バーニーに協力してほしいことが、あって」
「まぁ勿論、多忙な伯爵の身である僕が魔導具作りに手を貸すことはできないですけど、魔導具製作や特許取得に必要な各種手配で知恵を貸すぐらいなら……」
「バーニーの血が、ほしいの」
バーニーの眼鏡がずるりと傾く。
「……今、なんと?」
「えっとね、いろんな人の血液のサンプルが欲しくて、工房の人には全員にお願いしたんだけど……魔力量が多い人の血液ほど魔素の抽出がしやすいから、魔力量の多いバーニーの血がほしいなぁって」
「………………」
「わたしとディー先輩のは、もう調べ尽くしちゃったから……」
とりあえず傾いた眼鏡を直そうと、バーニーは手を持ち上げた。
だが、バーニーが眼鏡の傾きを直すより早く、後ろから伸びた長い腕がバーニーの首をガシリと固定する。
耳元に聞こえるのは不快な鼻歌混じりの声。
「んーっんっんっんっ、血液サンプル提供者ぁ、確保ぉ」
「ぎゃっ!?」
ヒューバードはニマニマと笑いながら、バーニーの体を羽交い締めにした。その手足は蛇のように長く、バーニーに絡みついて離れない。
青ざめるバーニーの前で、モニカは瀉血用の細いナイフを火で炙り始めた。
「えっと、バーニー、動かないでね。ちょっとチクッとして、ギュッとするだけだから」
「ぎゃーーーーーーーーっ!!」
* * *
色々と危うい手つきのモニカに左手の指先を切られ、血を搾り取られたバーニーは、不貞腐れた顔で血止めの軟膏を指に塗り込んでいた。
「まったく、この僕の血を提供したからには、その魔導具、絶対に完成させてくださいよ」
ぶすっとした顔でバーニーが主張しても、モニカとヒューバードはろくに聞いちゃいなかった。
「やっぱり魔力量が多いと、検査結果が出るの、早いです」
「んっんっ、微小な魔力量からでも、魔素を抽出できるようにしねぇと、使いモンにならねぇだろ」
「はい、ここから検査精度を上げていきます」
モニカとヒューバードは血液のサンプルを混ぜた試薬の記録に忙しそうだった。
やっぱり面白くないバーニーは、ムスッとしつつ机の上に散らかっている資料に目を通す。
バーニーは魔導具に関しては専門家ではないが、ミネルヴァ時代に基礎は一通り学んでいる。
世間に流通している魔導具のおよそ六割は、宝石に魔術式を組み込んだ「アミュレット」と呼ばれる物だ。これは主に、防御結界などの魔術式を組み込み、護身用の装飾品として貴族達に愛用されている。
だが、近年は工業化が進んでおり、機械や船の一部に魔導具の技術を組み込むことも珍しくはなかった。寧ろその分野において、リディル王国は他国よりも一歩進んでいると言って良い。
そして今、モニカが作ろうとしている物が、魔導具産業の新しい風となることは間違いなかった。
だが、設備を提供しているバーニーとしては、物申したいことが幾つかある。
「この魔導具……血液中の魔力から魔素を抽出し、解析することで遺伝子解析を行い、遺伝的病気の早期発見と治療方法を確立することが本来の目的なのでしょう? 本来の用途と些かズレているのでは?」
バーニーの指摘に、モニカは手を動かしながら答える。
「うん、本来の用途についても掘り下げていきたいけど、それだと二週間じゃ間に合わないから……今は一番必要な部分だけ完成させたいの」
モニカはこの魔導具を応用して、血縁者を証明する装置を作ろうとしている。
その検査結果を表すやり方が、どうにもバーニーには気に入らない。
「この設計、無駄が多すぎませんか? 本来、検査結果は数値で表すべきでしょう。なんで、こんなやり方で……」
バーニーの小言に、同じく手を動かしながらヒューバードが言う。
「そりゃお前、検査結果が馬鹿でも分かるようにするためさぁ。ヒヒッ、なにより年寄りどもは、こういう演出をすりゃあ、勝手にありがたがってくれるからなーぁー?」
「ディー先輩の言い方には、ちょっと語弊がありますが……でも、演出は大事、だと思います」
モニカの言葉がバーニーには意外だった。
モニカはいつだって研究内容の中身を重視していて、それを聞こえの良い言葉や演出で飾り立てるようなことは好まなかったはずだ。
なにより、分かりやすく派手で見栄えの良い研究でなくとも、モニカの堅実な研究は、いつだってしっかり評価されてきた。
「“演出”にこだわるなんて、随分と貴女らしくないですね」
なんとなくモニカの変化が面白くなくて、刺のある口調で言えば、モニカは苦笑を浮かべる。
「……うん、そうだね、そうかも……でも、いいの。これを使うのは学会じゃないから」
セレンディア学園に通ったことで、モニカも変わっていたらしい。
ただ愚直に結果だけを伝えるのではなく、時に伝え方を工夫しなくては、主張が大衆に聞き入れられないことを、きっと彼女は学んだのだ。
「えっと、こういうのなんて言うんだっけ……うん、そうだ。ハッタリ。ハッタリ、するの。大勢の前で」
そう言ってモニカは、ちょっとだけ恥ずかしそうに笑った。




