【15ー15】本題に入る前の爆弾発言が大きすぎた件
「モニカお姉様、冷やした布を用意いたしましたから、どうぞお顔をお拭きになって。今、アガサが温かい飲み物を用意しておりますから、もう少しお待ちくださいませね」
東の大貴族ケルベック伯爵家の令嬢といえば、身内のモニカを疎み、苛めているということで学園内では有名である。
そんなイザベルが甲斐甲斐しくモニカの世話を焼く光景に、誰もが複雑そうな顔をしていた。
エリオットが額に手を当てて、天を仰ぐ。
「……この数分で一気に老けた気分だぜ……まさかノートン嬢が……魔法伯……『身の程を思い知れ』とか言った、あの時の俺を誰か殺してくれ……」
エリオットがそう呟けば、死体のように机に突っ伏していたクローディアが、生気の無い声で呻いた。
「……〈沈黙の魔女〉本人の前で〈沈黙の魔女〉について語った私が、死ぬほど馬鹿みたいじゃない……」
クローディアは、モニカと出会った時のお茶会のことを言っているのだろう。
あの場で、クローディアは〈沈黙の魔女〉について言及している。
〈沈黙の魔女〉は沈黙の価値を知る、理知的で聡明な人物だと。
「……しかも、お義兄様は薄々気付いていたのね…………そう…………今、とても死にたいわ」
「クローディア嬢、し、しっかりしてください……」
本当にこのまま首を括りそうなクローディアを、ニールがおろおろと慰める。
そんな中、珍しく今まで喋るのを我慢していたグレンが「はいはい!」と挙手をしながら言った。
「それじゃあ、レーンブルグ公爵領で呪竜をやっつけたのも、モニカなんスか!?」
「そ、その節は……わたしのフォローが足りず、グレンさんには、大変ご迷惑を……っ」
縮こまって謝るモニカに、グレンは目をキラキラさせながら詰め寄る。
「じゃあじゃあ! 七賢人選抜試験で師匠をボッコボコにしたのも、モニカなんスか!?」
グレンの師匠、即ち〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーは、七賢人の中でも有数の武闘派である。
そのルイスをボッコボコにしたという物騒な発言に、誰もが目を剥いてモニカを見た。
「誤解ですぅぅぅぅぅぅ、あ、あの時は、ルイスさんが怖くて広範囲魔術を連発しただけで……っ」
モニカが首をもげそうな勢いで横に振れば、ヒューバードがニヤニヤ笑いながら口を挟んだ。
「ついでに言うと、この間の魔法戦で俺をボッコボコにしたのも、そいつだぜぇ?」
「あ、あれは、ディー先輩がっ、みんなにひどいことするからぁ……っ!」
「最新の高度追尾術式で俺のことをジワジワいたぶって、俺の魔導具の書き換えをして主導権奪って、無慈悲に力の差を見せつけた姿は最高だったぜぇ? なぁ? モーニーカーぁ?」
「やめてくださいぃぃぃぃぃぃ」
ポロポロと出てくる情報が「誰それをボッコボコにした」だのと、いちいち物騒である。そのギャップが臆病なモニカ・ノートン像と結びつかないらしく、誰もが混乱していた。
アルバートは「言われてみれば確かに、式典で見た姿と背丈が……」とブツブツ言っているし、エリアーヌは「あらあら、まぁまぁ」と微笑みつつ、視線が泳いでいる。
そんな中、一人だけブレない男がいた。
「つまり、この国の七賢人はチェスの名手の集団なのですね。他の七賢人の方もお強いのでしょうか」
どんな時でも真っ直ぐなチェス馬鹿男、ロベルト・ヴィンケルの言葉に、モニカは流石に苦笑した。
「えっと……七賢人とチェスは、関係なくて、ですね……」
エリオットが、頭痛を堪えるように頭に手を当てながらぼやく。
「七賢人はリディル王国の魔術師の最高峰だよ。伯爵位相当の地位を持ってて、国王陛下の相談役だ」
「つまり、モニカ嬢は国王ともチェスを……!?」
「頼むからチェスから離れてくれ!!」
エリオットは悲鳴じみた声で叫んで、ぐったりと机につっ伏した。
その横で、ブリジットがポツリと呟く。
「ようやく合点がいってよ」
ブリジットは眉間の皺に指を添えて、モニカとイザベルを交互に見る。
「ケルベック伯爵家の諜報員だとばかり思っていたけれど……正確には、ケルベック伯爵家のバックアップを受けた、殿下の護衛役だったわけね」
「は、はい……そう、です……あの、殿下にも内緒で、護衛しろって、言われてて……」
「七賢人に命を下すことができるのは、国王陛下のみ……それなら、正体を言えないのも道理だわ」
ブリジットは細い指先でトントンと机を叩くと、琥珀色の目を煌めかせてモニカを見据える。
「そして、その七賢人が自ら正体を明かしたということは……それ相応の事情があると考えてよろしくって?」
モニカはコクリと唾を飲み、一度だけ頷く。
ここからが本題なのだ。
モニカは革表紙の日記──本物のフェリクス・アーク・リディルの日記を取り出す。
「事情を説明する前に……まずはこれを、皆さんに読んで欲しいんです」
モニカは立ち上がると、日記をエリオットとブリジットの間に置く。
この日記は全員に読んでもらうつもりでいるが、それでも一番最初に読んでほしいのは、亡きフェリクス王子のことを知っている、この二人だった。
エリオットとブリジットは怪訝そうな顔をしていたが、最初のページを見るとすぐに目を見開いた。
「おい、ノートン嬢、これ……どこで……」
「まずは、全部読んでください。この場にいる全員に、読んでほしいので」
モニカが静かにそう告げれば、エリオットとブリジットは無言で日記を読み進める。
丁度良いタイミングで、イザベルの侍女のアガサが全員分の茶を運んできてくれたので、一同は茶を飲み、モニカの正体についてあれこれ話を交えつつ、エリオット達が日記を読み終わるのを待った。
やがて、最後のページを目にしたらしいエリオットとブリジットが息を飲む。
特にエリオットの顔色たるや、蒼白と言っても良かった。
「おい、ノートン嬢、これって……っ! じゃあ、あいつは……」
エリオットはアイザックから、本物のフェリクス王子の最期を聞いている。
だからこそ、動揺を隠せないのだろう。
ブリジットもまた細い眉を歪め、悲痛な顔をしている。
モニカは、そんな二人に一度だけ頷いて見せる。
「……まずは、この場にいるみなさんに、この日記を、読んでもらいたい、です。その上で……わたしのお願いを、聞いてほしいんです」
モニカの言う通り、エリオットは読み終わった日記を隣に座るシリルとニールに渡す。そうして時計回りに、この部屋にいる者達はフェリクス王子の日記を読んだ。
日記に記されているのは、十年前の真実。
幼い王子とアイザックの友情、クロックフォード公爵の企み、そして……フェリクス王子の本当の願い。
一番最後に日記を手にしたヒューバードが、ソファにもたれながら、首だけをぐるりと回してモニカを見た。
「んーっ、んっんっんっ、つまり十年前に第二王子と、このアイザックって奴は入れ替わってんのか? この日記を書いた後、本物の第二王子はどこ行った?」
「……亡くなられたそうです」
「まぁ、そうだろうなぁ。それが妥当だもんなぁ。つまるところ、俺達の知るフェリクス・アーク・リディル……紛らわしいから『生徒会長』と呼ぶか。生徒会長がアイザックってぇワケだな……んんっ? そうなると『ごく最近偽物と入れ替わった』っていう〈宝玉の魔術師〉の告発とは矛盾するなーぁー?」
そこまで呟き、ヒューバードはニヤリと凶悪な笑みを浮かべる。
「……なるほど。生徒会長とクロックフォード公爵は、今までは協力関係にあった。だが、何らかの事情で決別して、クロックフォード公爵は共犯者の生徒会長を処分することにした……ってぇ、とこか。〈宝玉の魔術師〉は捨て駒だな」
ヒューバードの頭の回転の速さと察しの良さが、今はありがたかった。
モニカはコクリと頷き、口を開く。
「あの人は……生徒会長は、本物のフェリクス王子の名誉を残すことだけに、固執しています。そのために、大罪人として、死ぬつもりです」
フェリクス・アーク・リディルの名を残すこと。それがアイザックの動機の全てだ。
そのために、彼は自分の顔も名前も捨てて、十年間生きてきた……誰もが認める、完璧な王子として。
「でも、あの人が、このまま〈帝国の魔術師〉として処刑されたら……それは、帝国との戦争の引き金になりかねない」
クロックフォード公爵が戦争をしたがっていることは、この場にいる人間なら誰しも少なからず耳にしたことがあるだろう。
唯一、国内世情に疎いグレンが「そうなんスか?」と首を傾げれば、アルバートが苦々しげな顔で呻いた。
「……僕とエリアーヌ嬢の婚約を強引に進めようとしたのは、このためだったのか」
「えっ!? アルバートとエリー、婚約するんスか!?」
グレンが大きな声をあげれば、エリアーヌがあわあわと視線を彷徨わせる。
「そ、それは、まだ決まったわけではありませんのよ。ただ、本当に突然お父様がそう言い出しただけで……」
うろたえるエリアーヌとは対照的に、アルバートは落ち着き払っていた。ただし、その目に静かな怒りを煮えたぎらせて。
「エリアーヌ嬢の父、レーンブルグ公爵はクロックフォード公爵と懇意の仲だからな。二公爵家揃って、第三王子の僕を次期国王として擁立するつもりなのだろう。婚約はそのためのお膳立てだ」
そしてアルバートが国王となった暁には、その後見人としてクロックフォード公爵が権力を振るい、ゆくゆくは帝国に攻め込むつもりなのだろう。
故にクロックフォード公爵にとって、都合の悪い傀儡は、もう不要なのだ。
「わたしは、生徒会長を助けて、その上で、戦争も回避したいんです」
モニカの主張に、クローディアが死人のように机に突っ伏したまま、ボソリと言う。
「不可能よ」
〈識者の家系〉の末裔であるクローディアの言葉は、重い。
「……確かにこの日記を公表すれば、クロックフォード公爵が十年前に犯した罪は明らかになるわ……でもそれは、アイザックという人間の罪も明らかになるということ……公爵の共犯者であるアイザックの処刑は免れない……」
クローディアの言う通りだ。全ての真実を公表しても、アイザックの死は免れない。
モニカは膝の上で拳を握りしめると、一言一言噛み締めるように言う。
「一つだけ、わたしに、策があります」
それは策というのもおこがましい……モニカの人生最大のイカサマだ。
だが、これならアイザックの処刑と戦争の両方を回避できる。
「この作戦は、わたしだけじゃ、できないんです……みんなの力を、貸してください」
そう言ってモニカが頭を下げれば、シリルがいつもの厳しい口調で言う。
「ノートン会計、まずは概要の説明を。力を貸すか否かは、その説明を聞いてからだ」
厳しいながらも続きを促してくれる態度が、今のモニカにはありがたかった。