【15ー12】準備
レーンブルグ公爵家令嬢、エリアーヌ・ハイアットは実家から送られてきた手紙に、憤りを隠せなかった。
(あら、あら、まぁ、まぁ、お父様ってば……)
今、セレンディア学園は歴史にない騒動に見舞われている──否、これはセレンディア学園だけの問題ではない。この国を揺るがす一大事件だ。
学園内では大っぴらに口にする者はいないが、誰もがその噂は耳にしている。
──この国の第二王子、セレンディア学園生徒会長フェリクス・アーク・リディルが暗殺され、偽物と入れ替わっていた。この偽物は、チェス大会の侵入者である、帝国の魔術師である。
エリアーヌはこんなの第一王子派の陰謀に決まっている、と密かに憤慨していた。
その上で、大叔父のクロックフォード公爵なら、きっとフェリクスを助けてくれると信じていたのだ。
その矢先に届いたのが、実家からの手紙。その手紙ではフェリクスの安否については一切触れておらず、このようなことが記されていた。
社交界のシーズンが始まったら、エリアーヌと第三王子アルバート・フラウ・ロベリア・リディルの婚約発表を行う、と。
(これってどういうことかしら? わたくしはフェリクス様の婚約者になるのだと、お父様はいつもいつも仰っていたのに、これじゃあまるで……)
まるで、フェリクスを見限ったみたいじゃないか。
エリアーヌは己の父が、クロックフォード公爵と懇意であることを知っている。
もし、クロックフォード公爵がフェリクスを助けるつもりなら、当然、エリアーヌの父レーンブルグ公爵もそれに協力する筈だ。
だが、父はエリアーヌと第三王子との婚約だけを告げてきた。
もし、この婚約がクロックフォード公爵の指示によるものだとしたら?
(……クロックフォード公爵がフェリクス様を見捨てた? 嘘よ、嘘よ、そんなことあるはずがない……だって、自分の孫なのよ?)
そうだ、クロックフォード公爵がいる限り、フェリクスは安泰だ。処刑されるなんてあり得ない。
* * *
リディル王国第三王子アルバート・フラウ・ロベリア・リディルは、従者のパトリックに身支度を手伝ってもらいつつ憤慨していた。
「えぇい、まったく、どういうことだ!」
ここ数日の間に、アルバートは臨時休校に至る噂を何度か耳にしていた。
曰く、第二王子フェリクス・アーク・リディルが殺害され、偽物と入れ替わっていたというのだ。
「なにが一番問題って、誰も僕に事情を説明しないということだ! 寮の連中は遠巻きにヒソヒソ言うし、挙げ句の果てに母上から来た手紙には、なんて書いてあったと思う!? 『レーンブルグ公爵令嬢との婚約が決まった』ただそれだけだ!」
喚き散らすアルバートに、パトリックはアルバートの飾りボタンを留めてやりながら、おっとりと言う。
「エリアーヌ様、可愛い方じゃないですか〜」
「僕はブリジット嬢みたいな凛とした女性が良いんだ! ……って、大事なのはそこじゃなくてっ! 今は僕の婚約者なんか決めてる場合じゃないだろうっ!」
アルバートが地団駄を踏めば、パトリックは「う〜ん」と何か考え込むように首を捻る。
「こういう状況だからこそ、じゃないですかね〜」
「……どういう意味だ?」
「エリアーヌ様のご実家のレーンブルグ公爵家は、クロックフォード公と懇意にされてますから〜。つまり〜」
パトリックが言いたいことを察したアルバートは、フンと鼻を鳴らした。
「……クロックフォード公爵は、僕を擁立したいということか」
「第二王子が本当にお亡くなりになっているなら、そういうことじゃないかな〜と」
既にアルバートの母であるフィリス妃は、クロックフォード公爵側についている。だからこそ、アルバートはこのセレンディア学園に入学せざるをえなくなったのだ。
てっきり、第二王子が王になるのを邪魔せぬよう、アルバートを飼い殺しにするつもりだとばかり思っていたが……まさか、第二王子のスペアにされるだなんて。
なんという屈辱か、とアルバートは憤慨する。
「そもそも、あのフェリクス兄上が殺された? しかも偽物と入れ替わってた? 馬鹿馬鹿しい! 新学期になってから何度か兄上とお会いしているが、どこからどう見ても、性格の悪い兄上そのものだったじゃないか」
「今の台詞を聞いた限りじゃ、アルバート様の方が性格悪そうですよ〜」
「お前はもっと自分の主人の味方をしろ!」
噂だと第二王子の偽物は、二週間後の最高審議会で処分が決まるらしい。
だが、アルバートはその最高審議会に出席することもできないのだ。
成人している第一王子は出席するが、まだ幼い第三王子は必要ないということらしい。その癖、次期国王候補として都合良くアルバートを擁立しようという、大人達の態度がアルバートは気に入らなかった。
アルバートがブツブツと文句を垂れ流していると、パトリックがアルバートのスカーフを整えながら問う。
「アルバート様は、王様になりたくないんですか?」
「…………」
もし、このままクロックフォード公爵がアルバートを擁立したら、アルバートが国王になる未来は現実みを帯びてくる。
だが、アルバートは薄々気づいていたのだ。
「……僕は王の器じゃない」
新年の儀で采配を振るう二人の兄を見て、アルバートは改めて思い知らされたのだ。
ライオネルもフェリクスも、それぞれ方向性は違えど優秀な人間だ。それは武勇に優れているとか、外交が得意といった理由だけではない。
兄達は人の心を惹きつけるのが上手いのだ。この人に仕えたい、この人の役に立ちたい、そう思わせる何かがある。
そしてなにより、困った時「この人ならなんとかしてくれる、助けてくれる」という周囲からの信頼がある。
それがアルバートに欠けているものなのだ。
「……僕は、誰かに頼られたことが、一度もない」
誰からも頼られない人間が、どうして王になれるだろう。
項垂れるアルバートに、パトリックが「う〜ん」と首を捻る。
「そんなことないと思いますけどね〜」
「気休めはいい。それより、校舎に行くぞ」
「いつもよりお早くないですか〜?」
「……あまり、人と顔を合わせたくない」
第二王子が偽物だった、という噂は既に学園中に広まっている。ともなれば、その弟であるアルバートに不躾な目を向ける者も少なからずいるだろう。
今は、そういう連中に余裕の態度を返す自信がなかったのだ。
アルバートはパトリックと共に男子寮を出て、少し歩いたところで足を止めた。道の途中に見覚えのある少女を見つけたのだ。
高等部の制服を着たその少女は小柄な体を更に縮めるようにして、落ち着かなげにもじもじと指をこねている。
「モニカじゃないか」
モニカ・ノートン。アルバートの数少ない友人の一人だ。
モニカは地味で目立たない少女だが、高等部生徒会の会計を務めており、その計算能力には目を見張るものがある。アルバートも何度か算術の課題で、グレンやパトリックとともに世話になっていた。
「おはよう、モニカ。どうしたんだ。こんなところで立ち止まって」
「あのぅ、顔色が優れませんよ〜。大丈夫ですか〜?」
アルバートとパトリックは気遣うようにモニカを見上げた。
人見知りのモニカは人が多いところだと、いつも俯いて強張った顔をしているが、今日は一段と顔色が悪い。おまけに目の下には濃い隈が浮いている。
きっと、フェリクスが城に連行された件で、高等部の生徒会もてんやわんやなのだろう。それでモニカも苦労しているに違いない。
どう声をかけるべきかアルバートが迷っていると、モニカはギュッと唇を噛み、何かを決意したような顔で言った。
「あ、あのっ……アルバート殿下に、お願いしたいことが、あるんですっ」
「僕に?」
モニカが頼み事をするなんて珍しい。
まして、滅多に人から頼られた経験の無いアルバートは、ほんの少し自尊心をくすぐられ、いかにも物分かりの良い王族の態度で胸を張った。
「いいぞ。友人の頼みなら、できる限り応えよう」
「あ、ありがとうございますっ……そしたら、ですね。今日の放課後……生徒会室に、来てもらえますか?」
「……うん?」
今ここで頼み事の内容を話すのではなく、放課後の生徒会室で話したいということだろうか?
アルバートの横で、パトリックが「あれぇ?」と首を傾ける。
「でも、今日の放課後って、高等部の新旧生徒会の顔合わせですよね〜?」
「はい、そこに、アルバート殿下も来て欲しい、です」
モニカは高等部生徒会の人間だ。きっと第二王子偽物騒動の件で、高等部生徒会はアルバートから何かしらの話を聞きたいのだろう。
つまり、これはモニカの個人的な頼みではなく、高等部生徒会からの依頼なのだとアルバートは考えた。
「正直、僕に協力できることがあるとは思えないが……分かった。放課後になったら生徒会室に行こう」
「ありがとうございますっ!」
モニカは深々と頭を下げると、くるりと身を翻してその場を立ち去る。アルバートに負けず劣らず鈍臭い走り方だ。
その後ろ姿を見送りながら、パトリックが不思議そうに言った。
「あれ〜? あっちは校舎と反対側ですよね〜?」
「きっと、寮に忘れ物でもしたんだろう」