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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第15章「沈黙の魔女」
209/236

【15ー11】ウィルディアヌの願い

 セレンディア学園の女子寮に戻ったモニカは、ほんの少しだけ仮眠を取ると、朝から晩まで机に座って紙面にペンを走らせ続けていた。

 今、モニカは父が残した研究資料の仕上げに取り掛かっている。

 設計図は八割完成していたが、まだ細かな部分が詰めきれていなかった。その不足部分をモニカは己の持てる全ての知識を総動員して埋めているのだ。

 幸いだったのは、遺伝子学や生物学的知識が必要な基礎部分は、既に完成していたことだろう。そのあたりの知識は、モニカの専門分野ではないので、正直この部分が欠けていたら手に負えなかった。

 未完成の二割は主に魔術式に関する部分なので、モニカの得意分野である。とは言え、魔術と数学に関して飛び抜けた才能を持つモニカをしても、まだ設計図を完成させることができずにいる。

 セレンディア学園は三日間の臨時休校になっていたが、明日からは通常通りに授業が開始される。

 最悪授業はサボるとしても、放課後に生徒会の会議があるのだ。今後の生徒会の方針について、新旧生徒会役員で話し合うことになるので、これをサボるわけにはいかない。

 窓の外を見れば、とうに日は沈んでいた。モニカは今更になって、朝から水しか口にしていなかったことを思い出す。

 立ち上がると少しだけ目眩がした。今夜は徹夜になるだろうから、今のうちに木の実をかじって、コーヒーでも飲んでおこうか。

 そんなことを考えていると、外出していたネロが窓をコツコツと叩いた。その口には何かを咥えている。

「おかえり」

 モニカが窓を開けると、ネロは屋根裏部屋に飛び込み、口に咥えていた物をベッドの上に置いた。それは銀色の懐中時計だ。表面には王家の紋章が刻まれている。

「やっと見つけたぜ。男子寮の茂みに隠したっつーから、あの辺ずーっと探してたんだけど見つからなくてよぉ」

 ネロの真っ黒な毛並みはところどころ汚れ、細かな葉っぱがくっついていた。

 モニカはベッドに腰掛けると、ネロにくっついた葉っぱを摘んで取ってやる。

「結局、どこにあったの?」

「おぅ、カラスが自分の巣に持ち帰っちまっててな。そこでオレ様はカラスどもと熾烈な戦いを……」

「…………」

 カラスとの戦いに熱弁を振るう黒竜がいるなんて、どれだけの人間が信じてくれるだろう。

「そこでオレ様は己の尻尾を囮にカラスの気をひき、この爪でガリッとだな……」

「はいはい」

 モニカは適当な相槌を打ちつつ、懐中時計を掌に乗せた。

 蓋を開けてみれば何の変哲もない懐中時計だが、少しだけ底に厚みがある。試しに底の方を何度か強く捻ってみると、カチリと手応えがあった。

 そうして再び蓋を持ち上げれば、時計盤の下に隠れたもう一つの盤面が表れる。

 中央に埋め込まれているのは大粒のアクアマリン。そして、それを囲うように精霊との契約を意味する魔術式が刻まれていた。

 精霊の名前は「ウィルディアヌ」そして、契約者の名は「アイザック・ウォーカー」だ。

 精霊との契約には膨大な魔力を必要とする。それと正しい契約の知識も。

 アイザックは独学でこれらの術を身につけたのだから、大したものだ。やはり、彼には魔術師としての才能があったのだろう。

「おーい、トカゲー。出てこいよ」

 ネロがアクアマリンに呼びかけても、返事はない。恐らく契約主であるアイザックが呪具で魔力を封印されている影響で、契約精霊も石から出てくることができないのだ。

 モニカの得意属性は風。ウィルディアヌの属性は水。属性が違うのでモニカは契約することはできないが、魔力を分け与えることぐらいならできる。

 懐中時計のアクアマリンに魔力を流し込むと、水色の石の内側に小さな光が灯った。


『…………あぁ、そこに、どなたかいるのですか?』


 アクアマリンの内側から、微かに声が聞こえた。ともすれば風の音にかき消されてしまいそうなほど、か細い声だ。

 ネロが興味深そうに、アクアマリンを覗きこむ。

「よぉ、トカゲ。もしかして、こっちの様子が見えてねーのか?」

『……はい、何も見えません…………ですが、声は微かに……この声は、ウォーガンの黒竜様ですね……』

 ウォーガンの黒竜は尻尾を左右に揺らしながら、肉球でアクアマリンをテシテシ叩いた。

「おぅ。お前のご主人様が、自分が死んだらお前を頼むって言ってたからな。熾烈な戦いの果てに懐中時計を取り戻したオレ様に感謝しろ」

 カラスと戦って得意気な顔をする黒竜に、アクアマリンの中の精霊はか細い声で懇願した。

『……あぁ、あぁ……お願いです……どうか、我が主人を助けてください……あの方は……』

「偽物なんだろ」

『……あなたは、全てを知って……』

 声が途切れ、しばし葛藤するような間があった。

 話しかけるべきか否か、モニカが迷っていると、ウィルディアヌは再び語りだす。

『一つ、昔話をお許しください……わたくしは、元々は亡くなられた王妃、アイリーン様の契約精霊でした』

 アイリーン妃。クロックフォード公爵の娘で、本物のフェリクス王子の産みの母。

 モニカは王家のことにあまり詳しくないが、アイリーン妃がとても美しい人だったこと、そして魔術の才に長けていたことは耳にしたことがある。

 国内で十人といない上位精霊との契約者なのだ。上級魔術師相当の腕前だったことは間違いない。

『アイリーン様は美しく、賢いお方だった……わたくしは、自分がアイリーン様に抱く感情をどう形容すれば良いのか分かりません……信頼、尊敬、敬愛、憧憬、或いは恋慕……どれが適切なのか……ただ、心からお慕いしておりました』


 笑っていてほしかった。

 幸せになってほしかった。

 願いを叶えてあげたかった。


 人と異なる感性を持つ精霊が、ぽつりぽつりと己の心を吐露する。

『ご懐妊されたアイリーン様は、我が子には王族という立場に縛られようと、個の幸せを追求することを忘れて欲しくない……と、いつもお子様の幸せを願っておられました……わたくしは、その願いを叶えたかった』

 産まれてくる王子には、きっと誰もが王族として相応しい振る舞いを望むだろう。

 王族が個の幸せを追求するのは、きっと困難だ。

 それが分かっていたからこそ、人間ではない自分だけは、王子の味方でいてやりたかった。どんなにささやかなことでも良いから、王子個人の幸せを感じてほしかった。

 ……ウィルディアヌは悲しい声でそう語る。

 だが、その願いは叶わなかったのだ。

 アイリーン妃の死と共に契約精霊は自由に動けなくなり、宝石の中から、外の世界を見ていることしかできなかった。

 幼いフェリクスが王族の立場に縛られ、ささやかな幸福すら祖父に取り上げられるところを。

 祖父に期待してもらえぬまま、残酷な真実に打ちのめされ、死に至るところを。

 ウィルディアヌは見ていることしかできなかったのだ。

『……フェリクス様が願われたのは、アイザック様の幸福でした……アイリーン様の願いが叶えられぬのなら、せめて……わたくしは、アイリーン様のご子息であるフェリクス様の願いを叶えたかったのです』

 亡きフェリクス王子の願いをモニカは知っている。

 知っているからこそ、やるせなさに胸が苦しい。

『もし、そこに〈沈黙の魔女〉様がいるのでしたら、どうかどうか、お願いです……わたくしをアイザック様に引き渡してください』

 ウィルディアヌの懇願に、ネロが不思議そうに首を傾ける。

「お前をお前の主人に引き渡して、何が解決するんだ?」

『わたくしは幻術を得意としております。封印された状態でも最後の力を振り絞れば、一回ぐらいは幻術を使える……それでアイザック様に化け、代わりに処刑されれば……』

 本来精霊は実体の無いものだ。だが、人間と契約することで一時的に実体を得ることができる。

 そして実体を得た状態での致命傷は……そのまま、精霊の死に繋がることもあるのだ。


「ダメです」


 今まで黙っていたモニカは、キッパリと宣言する。

 アクアマリンの奥で白い光がチカチカと点滅した。まるで、困惑するかのように。

『その声は…………まさか……』

 外の様子を見ることが叶わぬウィルディアヌは、ネロの隣に座る人物が誰か気付いていなかったのだろう。

 常にアイザックと共にいたウィルディアヌは知っている。この声の主を。

『……貴女は……まさか、貴女様が、〈沈黙の〉……』

「これ以上、誰かが犠牲になるのは、ダメです」

 モニカは懐中時計をベッドに置いたまま立ち上がり、机の引き出しを開ける。

 そこに入っているのは、モニカの宝物だ。

 父の形見のコーヒーポット、ラナに貰ったリボン、ケイシーに貰ったハンカチ、アイザックに貰ったペリドットのネックレス……それらの中から、モニカはドライフラワーにした白薔薇をそっと持ち上げる。

 それは学祭の時にシリルから貰った花飾りだ。あの時のような瑞々しさは失われているが、それでもこれを貰った時の気持ちをモニカは覚えている。


 ──これは、モニカが強くなれるおまじないだ。


 あの学祭の日、人に頼ることができず倒れたモニカをシリルは叱った。人に頼ることを覚えろと言って。

 モニカは人に期待することが怖かった。だから今までずっと一人で引きこもって生きてきた。

 でも、今はそれではダメなのだ。

 モニカ一人では、設備も、資材も、時間も、技術も、情報も、戦力も、何もかもが圧倒的に足りない。

 だから、モニカは決断しなくてはいけないのだ。


 ……その結果、この引き出しいっぱいの宝物と、モニカ・ノートンとしての幸せな思い出を失うことになっても。



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