【15ー8】グロッキー七賢人ズ
リディル王国七賢人が一人〈宝玉の魔術師〉エマニュエル・ダーウィンの死に、残った六人の七賢人には緊急招集がかかったのだが、全員が揃うまでに実に三日ほどの時間を要した。
七賢人と国王のみが入室を許される「翡翠の間」に一番最後に到着したのは、竜退治の遠征に出ていた〈砲弾の魔術師〉ブラッドフォード・ファイアストンである。
竜退治を終え、その足で戻ってきたばかりだというブラッドフォードは、いつもより髭も濃く、旅装の上に七賢人用のローブを羽織っただけの雑な身なりだったが、それでもその精悍な顔に疲労の色はなかった。
むしろ、先に到着していた五人の方が、よっぽど暗い顔をしている。いつもと変わらないのはマイペースに野菜をかじっている〈茨の魔女〉ぐらいだ。
「おぅおぅおぅ、揃いも揃ってシケた面してんなぁ。〈深淵〉のが暗いのは、いつものことだが……〈結界〉の。お前さんがそんなにやつれてるなんて珍しいじゃねぇか」
ブラッドフォードの言う通り、この部屋の中で最も疲労の色が濃く、やつれているのは、意外にも〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーであった。
長い栗毛はパサついて艶がなく、いつものように三つ編みにはせず雑に束ねている。おまけに目の下にはクッキリと濃い隈が浮いていて、ルイスの憔悴は誰の目にも明らかであった。
「〈宝玉〉のを毛嫌いしてたお前さんなら、高笑いしてワインでも傾けてんじゃねぇか、ぐらいに思ってたんだがよぉ……お前さんにも、人の心ってモンがあったんだな」
「ご期待に添えず申し訳ありませんが、これは育児疲れでして」
「…………」
「私があやすと、何故か娘が寝ないのです」
ブラッドフォードは「……お、おぅ」と、なんとも言えない顔で相槌を打ち、モニカの方に目をやった。
「〈沈黙〉の嬢ちゃんも、酷ぇ顔色だな。朝飯食ってきたか?」
「あ、は、はい……だいじょうぶ、です」
モニカの顔色が悪いのは、殆ど休みなしに動き回っていたせいである。
ハイディからマーシーの居場所を聞いたモニカは、そのままネロに乗って北の修道院に赴き、そしてすぐにセレンディア学園に帰ってきた。
モニカはネロの背中に乗っていたわけだが、竜の背中に乗るというのはリンの飛行魔術ほど快適なものではない。とにかく寒いし、振り落とされそうで怖いし、正面から飛んでくる鳥に衝突しそうになるしで、ひとときたりとも気が抜けないのだ。
だからモニカはネロの背中に乗る時は、胴体をネロの背中の突起に縄で括りつけていたし、常に薄い防御結界を張り続けていなければならなかった。
そうしてクタクタに疲れ果ててセレンディア学園の寮に戻ったところを、今度はリンに拉致され、城まで連れてこられたのだ。今のモニカは、魔力も体力も底を突く寸前である。
隣に座る〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグがポケットから人参を取り出して「食べる?」と訊いてくれたが、モニカは丁重に辞退した。流石にこれから会議が始まるというのに人参を齧っていられるほど、モニカの神経は図太くない。
ラウルは相変わらずマイペースだし、〈深淵の呪術師〉レイ・オルブライトもまた、いつも通り鬱々とした空気を撒き散らしている。
そんな中、最年長の〈星詠みの魔女〉メアリー・ハーヴェイが「さて」と口を開いた。
「全員揃ったところで、会議を始めましょ……と言っても、今のあたくし達にできることなんて、殆どないのだけれど」
〈宝玉の魔術師〉エマニュエル・ダーウィンが、帝国の魔術師と手を組み、国家転覆を企んだ。
……具体的には〈帝国の魔術師〉が第二王子を殺害して入れ替わるという凶悪犯罪に、〈宝玉の魔術師〉が加担したというのだ。
この説がそのまま通ってしまうと、アイクは「第二王子に成り済ました帝国の魔術師」として処刑されてしまう。下手をしたら帝国との戦争に直結しかねない。
だから、モニカは必死で声をあげた。
「あ、あのっ」
普段の会議で滅多に発言をしないモニカに、一気に注目が集まる。
ここで上手く他の七賢人達を説得し、アイクを処刑しない流れにしなくては、とモニカは腹に力を込めた。
「わ、わたし、は〈宝玉の魔術師〉様が、そんなことをしたとは思えない、です」
「まぁ、そうでしょうねぇ」
モニカにあっさり同意したのは、ルイスだった。ルイスは机に頬杖をつき、ほつれた横髪をクルクルと指に巻きつけながら言う。
「〈沈黙の魔女〉殿の言う通り、あの小心者にクロックフォード公爵を裏切れる筈がないでしょう。ましてあの生き汚いジジイが罪の意識に駆られて自殺だなんて、ちゃんちゃら可笑しい。アレは他人を蹴落とし、誰かの靴を舐めてでも生き延びようとする男です」
口の悪いルイスに、ブラッドフォードが胡乱げな目を向ける。
「つまり〈結界〉の。お前さんは〈宝玉〉のが誰かに殺されたと思ってるわけか?」
「十中八九、そうでしょう」
この流れならルイスを味方につけられる。アイクの処刑を回避できるかもしれない。
そんな僅かな希望をモニカが抱いた次の瞬間、ルイスはボソリと言い放った。
「ですが、このことについて、我々が議論したところで無駄でしょう」
ルイスの熱の無い声に、モニカは思わず声を張り上げる。
「ど、どうして、無駄なんですかっ」
「『〈宝玉の魔術師〉は国を裏切り、帝国の魔術師と組んで第二王子を殺害した』……ということにしておいた方が、誰にとっても都合が良いからです」
ルイスの言葉の意味が分からず、モニカは混乱した。
そんなモニカに、メアリーが少しだけ同情するような目を向ける。
「もし、エマニュエルちゃんが自殺ではなく他殺で、何者かに仕組まれたものだということになったらぁ、誰が疑われるのかって話ね」
メアリーの言葉に、腕組みをしたブラッドフォードがうんうんと頷く。
「まぁ、真っ先に疑われるのは第一王子派だろうなぁ」
そう言ってブラッドフォードがニヤリと笑ってルイスを見れば、ルイスはフンと鼻を鳴らした。
そこでようやくモニカは理解する。
(そうだ……〈宝玉の魔術師〉様は第二王子派……そんな〈宝玉の魔術師〉様が、他殺ということになったら、真っ先に疑われるのは……帝国じゃなくて、第一王子派の人達なんだ!)
今回の件における表向きの被害者は、孫である第二王子を殺害されたクロックフォード公爵なのだ。
擁護する王子を殺された。第二王子派にとって、これほどの痛手があるだろうか。
そんな状況で、全ての黒幕がクロックフォード公爵だと気づく者はまずいない。そうなれば、誰が黒幕なのかと人々は考える。
第一王子派にとって、自分達に疑いが向けられるのは好ましくない。だったら帝国の人間が犯人である方が、まだ都合が良い。
第二王子派にとっては犯人が第一王子派であっても、帝国であっても、どちらでも都合が良い。
そして、第三王子派もまた、犯人が第一王子派であっても、帝国であっても、第三王子を擁立するきっかけになるので損は無い。
つまるところ、リディル王国側の誰から見ても一番都合が良いのが「犯人は帝国の人間である」という説なのだ。
青ざめるモニカにルイスが言う。
「結局のところ『〈宝玉の魔術師〉は裏切って、帝国の人間と手を組んだ』ということにしておくのが、一番無難な落とし所なのです」
「で、でも、誰にとっても都合が良いからって、そんな……強引な……」
必死に食い下がろうとするモニカに、ルイスが冷ややかな目を向ける。今日のルイスは寝不足で隈までできているので、その迫力は普段の比ではなかった。
「今日に限って、やけにさえずりますな、同期殿?」
「…………っ」
ルイスは第一王子派である。故に、今回の件で下手に口を挟んで、第一王子派に疑いを向けられるぐらいなら、このまま帝国のせいということにした方が都合が良いのだ。
この場に味方はいないと思い知るモニカに、ルイスは薄く笑って告げる。
「貴女に一つ、良いことを教えてあげましょう……『政治においては正しいことが真実になるとは限らない。権力者にとって都合の良いことが真実になることが、ままある』」
お勉強になりましたね? と囁くルイスの笑みは、育児疲れの寝不足による凄みに満ちていた。
モニカには、本物のフェリクス王子の日記という切り札がある。これをルイスに見せれば、ルイスはモニカに協力してくれるだろうか?
(……ううん、ルイスさんはきっと、入れ替わりの真実を知って、その決定的な証拠を手に入れたら……その全てを公表する。クロックフォード公爵を徹底的に潰すために)
クロックフォード公爵のしたことが全て明るみに出れば、公爵の処刑は確実。
そうすれば、確かに戦争は回避できるだろう。なによりモニカの父の無念も晴らせる。
きっとこれが一番「正しい」やり方だ。
──そして、アイクは処刑される。フェリクス王子の、本当の願いを知らないまま。
(……だったら、だったら……)
やがて会議が終わると、一人、また一人と部屋を出ていく。
モニカはルイスが部屋を出たのを確認してから、〈星詠みの魔女〉メアリー・ハーヴェイに声をかけた。
これからモニカがすることは、絶対にルイスに知られるわけにはいかない。
「〈星詠みの魔女〉様に……お願いが、あります」
「あら、なにかしらぁ?」
メアリーはおっとりと首を傾け、ごくごく薄い水色の目でモニカを見つめる。
その目には、どこまで真実が見えているのだろう。この国一番の予言者である彼女は、モニカのこの行動すらも見透かしているのだろうか?
いずれにせよ、これはモニカの人生における、最大の賭けだ。
戦争を回避し、アイクの命も救う……そのために。
「わたしを………………に、会わせてください」




