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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第15章「沈黙の魔女」
201/236

【15ー3】彼が敬語を使わなかった理由

 生徒会室に残されたモニカは、ブリジットをチラリと横目で見た。

 彼女は今にも倒れそうな顔色をしていたが、それでも気丈に背筋を伸ばし、テーブルの木目を睨んでいる。聡明な彼女のことだから、情報を整理し、今の状況を把握しようとしているのだろう。

 一方エリオットは腕を組んで座っていたが、おもむろに頭をかくと、椅子から腰を浮かせた。

「なんだか落ち着かないな。茶でも飲むか?」

「結構よ」

 落ち着かないと言う割に、エリオットの方がずっと落ち着いているようにモニカには見える。

 エリオットはやれやれと肩を竦めると、再び席に戻った。そんなエリオットにブリジットは琥珀色の目を向ける。

「随分余裕だこと。殿下の幼馴染みなら、もっと動揺しても良いのではなくって?」

「ピリピリしても仕方ないだろ。俺達にできることなんて何も無いんだ」

 二人のやりとりを聞いていたモニカは、思わずエリオットを見た。

「……ハワード様は、殿下と、幼馴染み、なんです、か?」

「まぁな、六歳かそこらの頃からの付き合いだ」

 ブリジットが幼少期のフェリクスと知り合ったのも、それぐらいの年齢だったはずだ。だが、エリオットとブリジットはあくまで「フェリクスの友人」という共通点があるだけで、この二人の間に交流があったわけではないらしい。

 モニカは改めて、様々な疑問が腑に落ちるのを感じた。

(……そういう、ことだったんだ)

 モニカは目を閉じ、過去にエリオットに言われた言葉を思い出す。

 モニカの中にあった幾つかの小さな疑問や違和感が、ようやく少し繋がった。

「……わたし、ずっと、不思議だったんです。ハワード様は身分にすごく拘る方なのに……どうして、殿下には敬語を使わないんだろう、って……」

 モニカがぎこちなくそう言えば、エリオットは垂れ目を細めて、薄く笑った。

「言ったろ。幼馴染みだって」

「それだけ、ですか?」

 エリオットがフェリクスに対して敬語を使わなかったのは「幼馴染みだから」という理由だけでは、モニカは納得できない。だって、エリオットは根っからの階級主義者なのだ。

 平民は平民らしく、貴族は貴族らしくということにこだわる男なのだから、王族に対してはもっと敬意を払うのが当然だろう。

 だが、そうしなかったのは何故か?


「……ハワード様は、もしかして、知っていたんじゃないですか? 殿下が偽物だって」


 ブリジットがギョッと目を剥き、エリオットを凝視する。

 エリオットはやはり薄ら笑いを浮かべたまま、面白がるようにモニカを見ていた。

「おいおい、ノートン嬢。何を証拠に」

「さっき、グレンさんが殿下が連行されたって報告した時……ハワード様は、驚いていないように見えました」

 あの時、モニカは咄嗟にブリジットを見て……そして気づいたのだ。ブリジットの隣に座るエリオットが、やけに静かな表情だったことを。


 ──あれは「あぁ、やっぱり」と、何かを悟った顔だった。


「前に、ハワード様は、わたしに言いました。才能を持って生まれた平民は、ずる賢い人に利用される。そうやって人生を狂わされた人を知っている……って」

 あれはチェスの選択授業が始まったばかりの頃。

 身の丈について語るエリオットが、口にした言葉だ。


『類稀な才能を持って生まれた平民は、えてして無能に妬まれるか……ずる賢い奴に利用されるもんだ。俺はそうやって人生を狂わされた奴を一人知っている』


 モニカは膝の上で拳を握りしめ、エリオットを真っ直ぐに見据えて問う。

「ハワード様の言う『人生を狂わされた人』って、もしかして……」

 パチパチ、と乾いた拍手の音がモニカの声を遮った。

「よく覚えてたな、そんな古い話」

 エリオットが苦笑混じりに言えば、ブリジットは信じられないものを見るような目でエリオットを凝視する。

「どういう、ことなの……」

 エリオットは答えない。

 ブリジットが、痺れを切らして叫んだ。

「どういうことなのッ!!」

「そう怒鳴らないでくれよ」

 エリオットは苦笑まじりにブリジットをなだめる。それでも、ブリジットの今にも掴みかかってきそうな態度に、諦め顔で頭をかいた。

「ブリジット嬢は覚えてるだろ。昔の殿下はそりゃあ弱虫で泣き虫で、勉強も運動も苦手な弱い子どもだった」

 その話はモニカもブリジットから聞かされている。

 幼少期の……本物のフェリクスは、とても頼りない王子様だったのだと。

「俺は初めて殿下と会った時に、そりゃもう猛烈に腹が立ったね。こんな頼りない奴が人の上に立つ王族だなんて。こんな奴に、俺達はヘコヘコしなきゃいけないなんて冗談じゃない! って」

 エリオットは基本的に日和っているが、気に入らない相手にはとことん辛辣で、意地悪だ。そういうところは幼少期から変わっていないらしい。

「ある日、俺は周りの目を盗んで殿下に意地悪をした。殿下が大事にしていた本を、木の上に隠してやったんだ。従者に頼らず自分で取り返してみろよ、って。殿下は泣きそうになりながら木に登り……落下して、大怪我をした。脇腹を数針縫うほどの大怪我だ」

 モニカは、以前歓楽街で一晩を過ごした時、アイクの脇腹に傷痕があったことを思い出した。

 あの時、彼は言っていた「これは、必要な傷だから」と。

 あれは本物の殿下に成り済ますために必要だったのだと、モニカは今更理解する。

「俺のせいで殿下が大怪我をしたんだ。まして、傷痕は一生残る。当然、俺は処刑されるもんだと思って、ブルブル震えてた。ところが殿下は俺を庇ったんだ……自分がふざけて怪我をした。俺は何もしてない、って」

 エリオットは言葉を切り、息を吐く。そうして口元に苦い笑みを浮かべた。

「なんで俺を庇ったんだって殿下に訊いたらさ、何て言ったと思う? ……上手に木登りできない自分が悪いんだ、なんて言うんだぜ」

 ブリジットがポツリと「あの方らしいわ」と呟く。

 エリオットもまた、少しだけ視線を落とし、懐かしむような目をした。

「あぁ、参るよな、本当……」

 その一言だけで、エリオットが本物のフェリクスをどう思っていたかが伝わってくるようだった。

 エリオットもまた、ブリジットと同じように慕っていたのだ。


 弱虫で、泣き虫で、勉強も運動も苦手な……それでも、誰よりも優しい王子様を。


「俺が八歳ぐらいの時、殿下が大きい病を患った。面会もできない、手紙の返事も書けない、そんな大病だ。当然、心配したさ。そうして一年以上が経って、やっと会えたと思ったら……」

 あぁ、そうだ。この先どうなったのかをモニカは知っている。ブリジットもまた。


 ……エリオットの顔が皮肉げに歪む。


「あいつは完璧な王子様になっていた」



 * * *



 久しぶりに会ったフェリクスは、一年前と比べてすらりと背が伸びていた。いつも青白くて血の気の薄かった肌も、すっかり健康的な色になっている。

 以前のフェリクスは折角綺麗な顔をしているのに、オドオドと俯いていて、その美貌を全く活かせていなかった。

 だけど、今の彼は立ち振る舞いが自信に満ちている。まだ十歳にもならないのに、自分の容姿の使い方を心得ているかのように。

 公爵家別荘地でのパーティに招かれたエリオットは、そんなフェリクスの姿にただただ唖然としていた。

 いつだって自信無さげで、粗相をしないよう、祖父に叱られないよう、周囲の視線を気にしながらジッとしていたフェリクスが、今は堂々たる振る舞いで大人達との会話に混じり、令嬢達のダンスに応えている。

 誰もがフェリクスのことを「素晴らしい王子だ」と称賛している。



 パーティが終わった後、エリオットは父親の目を盗み、たった一人でフェリクスの私室を訪ねた。

 どうしても一対一で話さねば、と思ったのだ。

「やぁ久しぶり、エリオット」

 エリオットを出迎えるフェリクスの笑顔は柔らかく穏やかで、エリオットの知るフェリクスと寸分違わない。なのに、どうしてこんなにも違和感があるのだろう。

「……なんだか、別人みたいだな」

「久しぶりに会うからね」

「……本当に、殿下、なんだよな?」

 固い声で問うエリオットに、フェリクスはクスクスと笑うと、シャツの裾をたくし上げた。

 白く滑らかな肌に残る傷痕は、かつて彼が木から転落した時のものだ。

「ほら、ちゃんとあの時の傷痕があるだろう?」

 確かに、その傷痕はあの時と同じものだった。それなのに違和感はますます募っていく。

 フェリクスの顔を凝視していたエリオットは、そこでふと気がついた。


 一瞬……本当に一瞬だけ、フェリクスの目に嫌悪が見えたのだ。

 瞬き一回分の時間で嫌悪の残滓は消えた。だが、エリオットはその嫌悪を見逃さなかった。


 ──だって、エリオットはその目を知っているのだ。


 「あいつ」はいつだって、エリオットを嫌悪の目で見ていた。

 エリオットがフェリクスを苛めていた頃も、フェリクスが怪我をした事件をきっかけに親しくなってからも。ずっとずっと、「あいつ」はエリオットを嫌っていた。

 エリオットが来るたびに、すました顔で出迎えて。そのくせ、その碧い目に強い嫌悪を滲ませて!!


「お、前……っ……片目の従者……っ!!」


 エリオットはわざわざ他所の家の従者の顔と名前を覚えたりはしない。それでも、その従者のことだけはよく覚えていた。

 そこそこ整った顔をしているのに、顔の右半分を長い前髪で隠していたのも印象的だったし、なによりその従者は常にフェリクスについて回っていたのだ。

 エリオットがフェリクスを揶揄えば、従者のくせに生意気にも睨み返してきた。

 フェリクスが木から落ちて大怪我をした時は、エリオットに殴りかかるのではないかというぐらい殺気立っていた。

 その従者の目の色はフェリクスによく似ていたけれど、フェリクスの鮮やかな水色と違い、ほんの少しだけ緑を混ぜたような色をしている……そう、目の前にいる「フェリクス」と同じ色だ。

「なんで、だよ……本物の、殿下は……っ」

 目の前の「フェリクス」から表情が消える。

 次の瞬間、エリオットは足を払われて、絨毯の上に仰向けにひっくり返っていた。

 そうして「フェリクス」は──否、フェリクスの顔をした従者は、エリオットに馬乗りになり、エリオットの喉に親指を軽く食い込ませる。


「やっぱり貴方は目障りだ…………今も、昔も」


 抑揚の無いその喋り方は、間違いなくエリオットの知る従者の少年のそれだった。

「なんだよ、それ。どうなってんだよ、その顔……まるっきり、フェリクスと同じじゃないか……っ!」

 もはや、ぶつけた後頭部の痛みなど気にしている場合ではない。

 エリオットが引きつった声で叫べば、フェリクスの顔をした従者は不愉快そうにエリオットを見下ろす。

「当然だ。僕はあの方の影武者になるために育てられたのだから。この顔も、そのために作り替えてもらった」

「影、武者……? じゃあ、本物のフェリクスは、今、どこに……」

 ギシリ、と何かが軋む音がした。目の前の「フェリクス」の歯が軋む音だ。

 もはや目の前の少年は、フェリクスの表情を取り繕ってはいなかった。

 フェリクスと同じ顔で、フェリクスが絶対にしなかった憎悪に満ちた顔をしている。

 ……その憎悪が誰に向けられたものなのかまでは、分からなかったけれど。


「僕が影武者であることを知ったフェリクス様は、僕を逃すため、自ら命を絶たれた」


 憎悪に満ちた声で、呪詛のように、フェリクスの顔をした従者は言う。

 まるで噛み締めるかのように、自分に言い聞かせるかのように。


「僕が、殺したも同然だ」


 フェリクスが、死んだ。

 あの誰よりも優しかった少年が……自ら命を絶って。


「あの方は自ら屋根に登られ、落ちて死んだ……忌々しいエリオット・ハワード。貴方がフェリクス様に木登りを教えていなければと何度思ったことか」


 絶句するエリオットに、従者は暗く笑う。


「フェリクス様は自分が死んだ後、人々から忘れられることを恐れていた。だったら、僕がフェリクス・アーク・リディルになればいい。誰にも忘れられることのないよう、優秀な王として、歴史にこの名を刻むんだ」


 俺は今、何と向かい合っているんだ──とエリオットは混乱した。

 フェリクスと同じ顔に作り替えられた元従者が、エリオットには人外の何かに見えた。

 少なくとも、こんなの正気じゃない。

「イカれてるぜ、お前……平民風情が王族を騙るなんて、おこがましい……いや、おぞましい」

「それが何か?」

 エリオットの喉に添えられた指に、クッと力がこもる。その指に少し力を込めるだけで、従者はエリオットの息を止めることができるのだ。

 額に脂汗を滲ませるエリオットの顔を従者が覗き込む。暗く淀む目に映るエリオットは、恐怖に引きつった顔をしていた。

「ハワード家の繁栄を願うなら、この話は忘れることだ。口にしたが最後、クロックフォード公爵はあらゆる手を使って、貴方の家を滅ぼすだろう……だからどうか、僕の邪魔をしないでくれ」

 あぁ、そうだ。こんな大それたこと、たかが従者一人で実行できるはずがない。あのクロックフォード公爵が、糸を引いているのだ。

 ともなれば、エリオットが「第二王子は偽物だ」と吹聴したところで、誰も信じてくれないだろう。それどころか、間違いなくハワード家は潰される。

 だから余計なことはするなと、しっかりと釘を刺して、従者はエリオットの上から退いた。

 エリオットはゆっくりと体を起こし、従者を睨みつける。

「俺は知っている。軽率に身分の垣根を越えた奴は、いつだって自滅するんだ。お前もきっといつか身を滅ぼすぜ」

 精一杯の強がりを口にするエリオットを、フェリクスの顔が嘲笑う。

「英雄として歴史に名を刻んだ後ならば、どんな滅びでも受け入れるさ。それこそ、主人を死なせた愚かな従者に相応しい」

 この従者は、もはや自分の破滅など恐ろしくないのだろう。

 この従者にとって恐ろしいのは、フェリクス・アーク・リディルの名が忘れられること。

 フェリクスの名誉さえ守れるのなら、この従者はなんだってする。

「だったら俺は、傍観者として見届けてやるよ。王族を騙る道化の行く末を……お前が破滅したら、盛大に嘲笑ってやる。ほれ見たことか、ざまぁ見ろ! ってな」

 エリオットの言葉に、今まで淀んでいた碧い目が少しだけ透明さを取り戻す。


「あぁ、その時は是非とも見届けてくれ……道化の末路を」


 今更エリオットは気がついた。

 この従者が憎んでいるのも、嘲笑っているのも、呪っているのも……全て彼自身なのだと。


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