【15ー1】混乱
セレンディア学園の生徒会室には、新旧生徒会役員候補が集合していた。
現生徒会役員であり次期生徒会長であるニール、現書記のエリオットとブリジット、そして現会計のモニカ。
そして次期生徒会役員候補は、副会長ロベルト、書記エリアーヌ、会計ラナだ。あとはフェリクス、シリル、グレンの三名の到着を待つのみである。
ラナが新生徒会役員に抜擢されていることを昨日まで知らなかったモニカは、ラナに話しかけたかったのだが、それよりも何よりも気になる人物がいた。
ラナも同意見らしく、その人物──ニールの横にちゃっかり座っているクローディアをじとりと睨む。
「な、ん、で、あなたがここにいるのよ? 生徒会役員になる話は断ったんじゃなかったの?」
この場にいる全員の心境を代弁するラナに、クローディアはいつもの人形じみた無表情で答えた。
「……そうよ、引き受けるわけないでしょ、そんな面倒な役目」
「じゃあ、なんでこの場にいるのよ。今日は新旧生徒会役員の顔合わせなのよ?」
ラナの言葉にクローディアは口の端を持ち上げ、物語の悪い魔女もかくやという邪悪な笑顔でニールにしなだれかかった。
「……私は、ニールの私設秘書よ。お・わ・か・り?」
「分かるわけないでしょ」
ラナは頬をヒクヒクさせながら、ニールを見た。
「ねぇ、ちょっと、それって有りなの?」
「えーっと、それがですね……」
困り顔をするニールの首にクローディアの腕がするりと絡みつく。
クローディアはニールの左半身にぴとりと貼りついて、抑揚のない声で告げた。
「『生徒会規約第十七条の三、生徒会長は副会長以下、書記、会計、総務を各一名以上、最大二名まで任命することができる。また、必要に応じて、適宜、有志の補佐官を任命することができる』」
つまり、クローディアはこの「有志の補佐官」であるらしい。
補佐官とは生徒会役員としての権限を持たない、言わばボランティアのようなものである。
だが、クローディアが大人しく奉仕活動に専念する性格でないことは言うまでもない。
「面倒な仕事はせずに婚約者のそばにいたいだけ、っていう魂胆が見え見えなのよ」
「いやぁ、ところが、そうも言えなくてだな」
低く呻くラナを窘めたのは、意外にも現書記であるエリオットだった。
エリオットは資料室をちらりと見て、少しだけ気まずそうに頬をかいている。
「卒業式の来賓リスト整理をクローディア嬢に手伝ってもらったら、まぁ捗る捗る……本の知識だけじゃなくて、社交界の親族婚姻関係も網羅してるんだもんな。あと、国内貴族の紋章も全部覚えてるから、作業が早い早い……紋章官も真っ青だ」
クローディアは基本的に、他者に頼られることを嫌う性格である。
だが、ニールのそばにいるためなら、多少の面倒事には目を瞑るらしい。
(クローディア様らしいなぁ……)
モニカが苦笑していると、離れた席に座るロベルトが、袖まくりした二の腕をアピールするかのように挙手をした。
「自分も一つ、確認したいことがあります」
嫌な予感がする。
モニカがそう思った時にはもう、ロベルトは一点の曇りも無い目でモニカを見ていた。
「モニカ嬢は、来年も生徒会役員だと思っていたのですが、違うのですか?」
「えっ!? モニカも会計やるんじゃないの!?」
ロベルトの言葉に、ラナがギョッと目を剥いてモニカを見る。
モニカは苦く笑いながら、少しだけ視線を机に落とした。
「えっと……わたしは、この一年で、充分なので……」
「自分はまだ充分にモニカ嬢とチェスをしていません。モニカ嬢、同じ生徒会役員なら交流が更に増え、チェスをする時間も確保しやすくなります。是非、会計継続のご検討を」
「チェスするために生徒会役員やれってのは、おかしいでしょ。でも、わたしも、モニカと一緒に会計できると思ってたのに……」
ロベルトはともかく、ラナにしゅんとされるとモニカも心が痛む。
それでも、モニカ・ノートンに来年は無いのだ。
「……あの…………わたし……」
モニカが言い訳を口にしかけたその時、生徒会室の扉が勢い良く開いた。
「大変大変大変っスよーーーーーー!!」
生徒会室中に響き渡る声で叫びながら駆け込んできたのは、言わずもがな、セレンディア学園で最も声の大きい男、グレン・ダドリーである。
グレンが騒がしいのは、まぁいつものことだが、今日はなにやら様子がおかしい。
必死の形相のグレンはシリルの腕を掴んでいた。どうやらシリルはグレンに引きずられるようにして、ここまで来たらしい。
シリルは立っているのも精一杯という憔悴しきった顔で、真っ青になって俯いている。
ブリジットが「騒がしいこと」と呟き、エリアーヌが「あら、あら、まぁまぁ」と口元に手を当てる。
そんな中、エリオットが呆れたように頭をかきながら、グレンに訊ねた。
「おいおい、どうした? シリルが貧血でも起こしたか?」
エリオットのからかい混じりの言葉にもシリルは反応しない。俯いたまま、ブツブツと何事か呟いている様子は、ただ事ではなかった。
グレンがブンブンと首を横に振り、叫ぶ。
「急に寮に城の兵士が押しかけてきて……っ、〈宝玉の魔術師〉が自殺したとか、こっかてんぷくざい? とか訳分かんないこと言ってて……!」
〈宝玉の魔術師〉エマニュエル・ダーウィンは、モニカにとって同じ七賢人である。
そのエマニュエルが自殺したと言われ、モニカは心底仰天した。
だが、衝撃はそれで終わらない。
「あいつら、会長は悪人だって……第二王子は偽物だって言いだしてっ、まるで犯罪者みたいに、会長をお城に連れていっちゃったんス!」
モニカはヒュゥッと息を飲んだ。
* * *
七賢人〈宝玉の魔術師〉エマニュエル・ダーウィンが自宅の書斎にて服毒自殺。
書斎の机には遺書があり、そこには以下のようなことが記されていた。
エマニュエル・ダーウィンは七賢人の身でありながら、私欲に目が眩み、リディル王国を裏切った。
そして肉体操作魔術の使い手である〈帝国の魔術師〉と手を組み、第二王子を秘密裏に暗殺。
〈帝国の魔術師〉はまんまと第二王子に成り済ました。
この〈帝国の魔術師〉こそが、今現在、フェリクス・アーク・リディルと呼ばれている人物である。
この偽第二王子はリディル王国を乗っ取り、帝国の属国にしようと目論んでいた。
エマニュエル・ダーウィンは次第に己のしていることが恐ろしくなり、自らの命を絶って、全てをここに打ち明けることとする……。
リンが淡々と報告書を読み上げるのを、ルイス・ミラーは自宅の書斎で爪を磨きながら聞いていた。
いつもより念入りに短く丸くした爪に息を吹きかけ、ルイスは苦々しげに呟く。
「よもや、先手を打たれるとは……リン、その報告には招集命令も?」
「はい。七賢人は大至急、翡翠の間に集合せよと」
恐らく今頃、城内は大混乱になっていることだろう。
ルイスとしても、ここまで計画が狂ってしまった以上、次にどう動くかを考え直す必要がある。
「リン、大至急〈沈黙の魔女〉殿の元に赴き、今の報告を伝えなさい。彼女は飛行魔術が使えないから、お前が城まで連れてくるのです」
「ルイス殿は?」
リンの問いに、七賢人が一人〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーは戦場に赴く戦士の顔で言った。
「無論、城に向かいます。ですがその前に……今日こそは……今日こそは、この手で」
「その手で」
「レオノーラを寝かしつけます」
「………………」
今のミラー家は産まれたばかりの娘、レオノーラを中心に回っていると言っても過言ではない。まして、妻を溺愛しているルイス・ミラーともなれば、育児には大変協力的であった。
ところがどういうわけか、レオノーラはルイスが抱いた時だけ火がついたように泣くのである。
──ロザリーはさておき、このポンコツ駄メイドが抱っこしても機嫌が良くなるというのに!
というわけで、今のルイス・ミラーにとって目下の急務は、可愛い娘に懐いてもらうことなのであった。
娘に懐いてもらおうと大真面目な新米パパに、リンは淡々と告げる。
「おそらくレオノーラ様は、ルイス殿に染み付いた血臭に怯えているのでしょう」
「失礼な。私は喧嘩で返り血を浴びるほど間抜けではありませんよ」
「…………」
心外そうなルイスに、リンは珍しく真っ当な疑問をぶつけた。
「大至急、城に向かわなくてよろしいのですか?」
「急いで城に向かったところで、今頃、城は大混乱ですよ。情報が錯綜しているのが目に見えています」
それに〈沈黙の魔女〉が到着しないことには、七賢人会議は始められないだろう……今は、六賢人になってしまったけれど。
(……あの小娘の退学手続きも、近いうちにしておかなくてはなりませんね)
護衛対象の第二王子がいなくなったとなれば、〈沈黙の魔女〉がセレンディア学園にいる理由はない。
まして七賢人の席が一つ空いてしまった今、次の七賢人の選考を始める必要がある。
(……さて。それまでに、あの小娘が余計なことをしなければ良いのですが)
爪やすりを引き出しにしまいながら、ルイスは憂い顔で溜息を吐いた。