【14ー16】見限る
帰りの馬車の中、アイザックはぼんやりと窓の外を眺めながら、一人の少女について考えていた。
彼の行く先々に現れる、不思議な少女。
内気で、小心者で、はにかみやで、でも数字のことになると目の色が変わって。
刺客にも護衛にも思えなかったから、彼女の正体についてはあまり追求せず手元に置いて、アイザックは彼女の観察を楽しんでいた。
……そうしている内に、少しずつ情が湧いた。
気が弱くて、すぐに自分を責めて、二言目には「ごめんなさい」と謝る姿が、幼い日のフェリクスに重なって見えたのだ。そうすれば、どうしたってアイザックは手を差し伸べたくなる。かまいたくなる。
彼が手を差し伸べる度に、モニカは何を思っていたのだろう。
痩せすぎの体に、背中に残る古い傷。他人の視線に怯えた態度。
父親が処刑された後、彼女がどんな苦労をしてきたかは、想像に難くない。
やがて馬車が寮に到着し、夜更すぎに自室に戻ってからも、アイザックは眠れなかった。
心配そうなウィルディアヌに適当に言葉を返し、アイザックは寝台の中でぼんやり考える。
アイザック・ウォーカーは目的のためなら、邪魔者はいくらだって排除できる人間だ。大事な人の亡骸をこの手で燃やした時に、そうあろうと決意した。
その決意に従うなら──真実に気づいているであろうモニカ・ノートンは排除すべき存在だ。
それなのに、モニカをどうこうしようという気持ちが、アイザックにはこれっぽっちも起こらないのだ。
フェリクスと入れ替わって、ブリジットが衝撃を受けていたことには気づいていた。それでも、アイザックの心は痛まなかった。
エリアーヌやシリルが慕っているのは、フェリクス・アーク・リディルという王子様だ。騙していると分かっていたけれど、それでも罪悪感はなかった。
フェリクス・アーク・リディルの名を残すためなら、アイザックはいくらでも冷酷になれたのに、モニカのことを思うと、アイザックの血は凍り、鉛の塊でも飲んだかのように臓腑が重くなる。
一体、自分はこれからどんな顔でモニカに接すれば良いのだろう。
考えても考えても答えが出ぬまま、気がつけば朝になっていた。
あぁ、こんなふうに眠れない夜を過ごしたのは、きっと、本物のフェリクスの亡骸をこの手で燃やした日の夜以来だ。
あの日の自分は、朝なんて来なくていいと思いつつ、カーテンの向こう側が明るくなるのを、じっと見つめていた。
「……殿下」
「どうしたんだい、ウィルディアヌ?」
「……いえ、なんでもありません」
侍従姿で身支度の手伝いをしていたウィルディアヌは、何か言いたげな顔で口をつぐみ、身支度が終わると壁際に控えた。
アイザックはソファに腰かけ、出しっぱなしにしていたチェス盤をぼんやり眺める。
モニカは盤外のポーンを、じっと見つめていた。あの時の彼女には盤外の駒がどう見えていたのだろう。
盤面の駒に触れることなく、アイザックは虚ろにチェス盤を眺めていた。
今日は休日だが、午前中に新生徒会役員候補との顔合わせがある。現生徒会長である彼が、顔を出さないわけにはいかない。
それでも、モニカにどんな風に接すれば良いのか……いまだ答えを出せていない彼は、時間ギリギリまでチェス盤と睨みあっていた。
「そろそろ、お時間では?」
「あぁ、分かってる……行こう」
侍従姿のウィルディアヌは一礼して、人の姿からトカゲの姿に化けると、制服のポケットにスルスルと忍び込む。
ウィルディアヌの姿が完全に見えなくなったことを確認して、アイザックは部屋を出た。
休日ということもあり、エントランスに人の姿は少ない。だが、丁度アイザックとは反対方向からシリルの怒鳴り声が聞こえた。あの方角は下級生の部屋の方角だ。
声の方に目をやれば、シリルがグレンを引きずりながら大股で歩いてくるのが見えた。
「まったく、いつまで寝ぼけている! 今日は新旧生徒会役員の顔合わせがあると言っただろうが!」
「何も休日にやらなくても、いいじゃないスかぁ……うぅ、ねむ……」
あふぅ、と大きな口を開けてあくびをするグレンの耳を、シリルが問答無用でつねる。
あいだだだ! と悲鳴をあげるグレンは、まだ髪が寝癖だらけだった。恐らく、顔合わせのことも忘れて惰眠を貪っていたところを、シリルに叩き起こされたのだろう。
「おはよう、二人とも」
アイザックが声をかけると、シリルがビシッと背筋を伸ばして挨拶をした。
「おはようございます、殿下!」
「あ〜、会長おはようっス〜。会長も時間ギリギリっスね。寝坊っスか?」
グレンの言葉に、シリルがギロリと青い目を底光りさせる。
「貴様と殿下を一緒にするな、グレン・ダドリー。いつまでも寝ぼけていると、その口に氷をねじ込むぞ」
「うぅ〜」
まだ眠たげなグレンは、シリルの叱咤もなんのその。マイペースに自身の頬をこねている。
そんな二人のやりとりを、どことなく微笑ましい気持ちで見守っていると、エントランスの扉が外側から開いた。
この時間に外から? 外出していた誰かが戻ってきたのだろうか?
訝しく思いながら振り返ったアイザックは、軽く目を見張った。シリルとグレンもまた、驚きの顔で目を見開いている。
玄関から次々と中に入ってくるのは、鎧姿の兵士達だ。鎧に刻まれた紋章は、この学園の警備兵のそれとは違う。あれは城の兵士だ。
セレンディア学園は、クロックフォード公爵の息がかかった施設だ。国王と言えども簡単には干渉できない。まして、帯剣した兵士を寮に入れるなんて、前代未聞だ。
兵士達の中の隊長格の男は、アイザックに目を向けると大股で近づいてくる。
アイザックはそんな隊長格の男に、冷ややかな目を向けた。
「ここが貴族の子女を預かる、神聖な学び舎であると知った上での狼藉かい? 所属と名を名乗るがいい」
大の男でも怯みそうな冷たい威圧感に、男は動じることなく、むしろ朗々と声を張りあげた。
「元七賢人〈宝玉の魔術師〉エマニュエル・ダーウィンと共謀し、フェリクス・アーク・リディル殿下を騙った偽物め! 国家転覆を謀った罪で、貴様をこれより城へ連行する。言い訳は城で存分に語るのだな!」
この言葉に、誰よりも早く反応したのはシリルだった。
「殿下が偽物だとっ!? ふざけるなっ、その目は節穴かっ!!」
「意味わかんねーっスよ! どっから見ても、いつもの会長っス!」
シリルの言葉に便乗して、グレンも声を張りあげる。
だが、兵士達はシリルとグレンには見向きもしない。
「残念だったな、王子を騙る偽物よ。貴様の共犯であるエマニュエル・ダーウィンは良心の呵責に耐えきれず、自殺した。その遺書に全てが書いてあったぞ。貴様が帝国の魔術師であることもな!」
アイザックの頭はこんな時でも、動揺するよりも冷静に状況を分析しようと勝手に動き出す。
もし、本当にエマニュエルが自殺したのなら、遺書にアイザックが帝国のスパイであるなどと記すのは、あまりに不自然だ。となると、エマニュエルの自殺を誰かが利用したか、あるいはエマニュエルは他殺と考えるのが妥当。
アイザックは、あくまで穏やかな態度は崩さずに問う。
「……このことを、クロックフォード公爵はご存知なのかな?」
「無論だ。公は大事な孫が殺害されたと知り、大変心を痛めておられる」
その言葉を聞いて、アイザックは確信した。
この兵は公爵の手の者だ。
そして、自分は……公爵に見限られたのだ。
(いずれ公爵が、僕に見切りをつける日が来るだろうとは予想していたが……あまりに早すぎる)
フェリクスとアイザックの入れ替わりは、時間と金と手間のかかった計画だ。
それを簡単に手放すとは、流石のアイザックも思っていなかった。
(……そうか、だから、公爵はアルバートを自陣に取り込んだのか)
第二王子を国王にし、国を陰から牛耳る計画が失敗した時のために、保険として用意されたのが第三王子のアルバートだ。
恐らくクロックフォード公爵は第三王子を擁護し、アルバートを国王に据えるべく動き出すつもりだ。そのことを、第三王子の母であるフィリス妃も了承しているのだろう。
第二王子が偽物だと見抜いたのは、第三王子である……などと適当にこじつければ、第三王子の支持を高めることは、さほど難しくない。
恐ろしく手の込んだ入れ替わり計画すらも、必要ならば躊躇わずに切り捨てる……その見切りの早さが、クロックフォード公爵の恐ろしさだということを、今更アイザックは思い知る。
「さぁ、来い!!」
兵士二人がアイザックを左右から挟んで拘束する。シリルが顔色を変えて叫んだ。
「殿下っ!」
反射的に飛びかかろうとしたシリルに、アイザックは静かに首を横に振る。
「シリル」
シリルは「フェリクス」の命令を待っている。この無礼な兵士どもを蹴散らせと。
「生徒会はキミに任せる」
それだけ告げて、アイザックは己を拘束する兵士とともに、護送用の馬車に乗り込む。
──これは、報いだ。
自分でも驚くぐらい、アイザックの心は凪いでいた。