【14ー13】忠義を示すためのスープ
七賢人が一人〈宝玉の魔術師〉エマニュエル・ダーウィンは、目の前に座る人物──クロックフォード公爵ダライアス・ナイトレイを前に、なんとか平静を取り繕おうとしていた。
フェリクスからクロックフォード公爵に一服盛るよう命じられ、既に数日が経過している。
どのタイミングで、どうやって……その答えが出せぬまま悶々としていた矢先に誘われたのが、クロックフォード公爵邸での晩餐会。
晩餐会と言っても、クロックフォード公爵とエマニュエルの二人だけの、実質近況報告のようなものである。
これはチャンスだ。だがしかし、いつ毒を盛るのか。絶対に自分だとバレないようなタイミングにしなくてはならない。バレたら全てが終わりだ。破滅だ。
考えに考えた末、エマニュエルはその毒を自分と公爵、両方の料理に盛ることを考えた。そして、自分もほんの一口だけ食べて違和感を覚えたフリをし、吐き出すのだ。
毒を盛られたのが公爵だけならエマニュエルが疑われるかもしれないが、二人同時に毒を盛られたとなれば、疑われにくくなる。
故にエマニュエルは事前に厨房に忍び込み、既に二人分の肉料理に毒を盛っていた。
あとは公爵が肉料理に口をつけるのと同じタイミングで、自分も肉を口に運び、咀嚼をしつつ飲み込まないようにする。そして公爵が毒に反応したら、自分も毒が回ったフリをして、口の中の肉を吐き出すのだ。完璧な作戦である。
エマニュエルは愛想笑いを貼り付けながら、スープを口につけた。
「いやはや、この空豆のスープの滑らかさ! 流石、公爵邸の料理人は腕が良いですなぁ」
「新しい弟子は見つかったのか」
エマニュエルの世辞を流し、公爵は率直に要件を口にする。公爵が無駄を嫌う人物であることを知っているエマニュエルは、すぐに世辞を切り上げ、公爵が振った話題に応じた。
「弟子は……えぇ、まだ、私の目に叶う職人が見つかっておりませんでして……」
以前、エマニュエルの代理で魔導具を作らせていた弟子は、エマニュエルに見切りをつけて工房を辞めてしまった。そのせいで工房の依頼が滞っているのだ。早急に新しい弟子を探す必要があった。
なにより、エマニュエル商会には、クロックフォード公爵が多額の出資をしているのだ。
「今月中には、必ずや……」
「よい」
公爵はエマニュエルの言葉をたった一言で、いとも容易く遮る。
公爵の言葉を「焦らずとも良い」という意味に捉えたエマニュエルは胸を撫で下ろしたが……。
「もう、弟子を探す必要はない」
その言葉の真意を理解できず、エマニュエルは硬直した。
それは一体、どういう意味のお言葉でございましょうか?
エマニュエルがそう口にするより早く、公爵が告げる。
「貴公はいつも、一番に肉料理に手をつけるのに、今日はなかなか手をつけぬのだな」
食器を持つエマニュエルの手が小さく震え、皿とぶつかってカチリと音をたてた。その音が、やけにうるさく室内に響く。
「どうした? 食さぬのか」
「えー、いえ、今日は、その……少々、腹の具合が悪く……」
「ほぅ?」
公爵は水色の目をふいっと横に逸らし、壁際に控えている使用人に目配せをした。
給仕役の男はエマニュエルに近づくと、肉料理の皿を持ち上げ……スープ皿の上で傾ける。
ソテーされた肉がボチャボチャと空豆のスープに沈み、肉汁でスープの色が濁った。
しかし使用人は気にした様子もなく、スプーンでスープ皿をかき混ぜ続ける。執拗に。丁寧に。
「スープなら、飲めるのであろう」
「いや、ですが、これは流石に……」
しどろもどろに言い訳を口にして逃げようとするエマニュエルに、公爵は冷ややかな目を向ける。
「忠義を示すのなら、飲み干すがいい」
エマニュエルの全身からぶわりと汗が噴き出した。
空豆の緑と肉汁が混じり、濁ったスープ。そこにはエマニュエルが仕込んだ毒が肉汁から流れ出て、たっぷりと溶け込んでいる。
「あ、ああ……あ……」
エマニュエルは震える手でスプーンを握り、スープを掬った。この一口に、どれだけの毒が溶け込んでいるのか、その毒がどれほど強力な物なのか、エマニュエルには分からない。
「う……うぅ……うぅ〜〜〜っ」
震える手からスプーンが滑り落ち、濁ったスープがテーブルクロスを汚す。
エマニュエルは床に這いつくばり、額を絨毯に擦りつけた。
「申し訳ありませんっ、私は……私は、フェリクス殿下に唆されたのですっ!!」
もはや、取り繕う余裕などなかった。この恐ろしい公爵は、全てを見抜いているのだ。
エマニュエルが毒を盛ったことも。それを命じたのが誰なのかも。
無慈悲で残酷な公爵が裏切り者を粛清し、見せしめにするところを、エマニュエルは何度も見てきた。だからこそ恥も外聞もかなぐり捨てて、エマニュエルは命乞いをする。
「全ては気の迷いでございますっ! 私の忠義は全て、貴方様のためのもの! どうか、ご慈悲、を……っ?」
言葉の最後が不自然に震えたのは、舌がピリピリと痺れだしたからだ。
痺れているのは舌だけではない。指先、足先、体の末端の至るところがチリチリと痺れている。
次第に脈が狂いだす。まるで心臓を拳で殴られたかのように、鼓動が不自然に跳ね、息が詰まる。
「……ぁ、ぁ……かは……っ……ぁん、で……?」
この症状は毒によるものだ。
だが、エマニュエルは、まだ肉を口にしてはいない。
「ぁ、まさ、かぁ……最初から、スープ……に……どく、を……」
「忠義の示し方も知らぬ蝙蝠を、私がそばに置くと思ったか」
エマニュエルは泡を噴き、喉をかきむしりながら公爵に懇願した。どうか慈悲を、お助けを……と。
だが公爵は、もはやエマニュエルなど目に映していない。公爵はセレンディア学園の方角に目を向け、低く呟く。
「やはり、アレは裏切ったか」
アレ、という言葉が誰を指すのかは言うまでもない。
クロックフォード公爵は、第二王子の裏切りを予見していたのだ。
「なれば、貴公にはアレの後始末のため、役立ってもらおう」
そう言ってクロックフォード公爵がエマニュエルに目を向けた時にはもう、エマニュエルは苦悶の表情で絶命していた。