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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第14章「真相編」
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【14ー9】彼の棺

 寝台に横たわるフェリクスは、まるで眠っているかのようだった。

 だが、フェリクスがその目を開けることも、アイザックに笑いかけることも、もう二度と無い。

 室内にいるのは、フェリクスの亡骸を検分するアーサー医師と、それを見守るクロックフォード公爵、そしてアイザックだけ。

 静かすぎる室内には、アーサー医師の衣擦れの音が微かに聞こえるのみ。

 やがて、アーサー医師はフェリクスの体に清潔な布をかけると、クロックフォード公爵に向き直った。

「フェリクス・アーク・リディル殿下の死を、確認いたしマシタ」

 孫の死を告げられてもなお、クロックフォード公爵は揺るがない。フェリクスの亡骸を見る冷たい無表情には、悲しみはおろか、哀れみや同情すら浮かんでいなかった。

「邸内の者には、フェリクスは一命を取り留めたと告げよ。ただし、第二王子が屋根から落ちたなどという醜聞を外に晒す訳にはいかぬ。箝口令を敷き、外部にはフェリクスは大病を患ったことにせよ」

「ハイ、かしこまりマシタ」

 こんな時ですら、クロックフォード公爵は外聞ばかりを気にしている。そのことにアイザックが静かに憤っていると、公爵は低い声で忌々しげに呟いた。


「最後まで愚かしいことだ……自ら死を選ぶなど」


 その一言に、アイザックの臓腑が凍りつく。

 アイザックが影武者になることを知ったフェリクスは、どれだけ絶望しただろう。どれだけ己の無力さを呪っただろう。お前など、もう必要ないと公爵から見放されて、どれだけ辛かっただろう。

 そんな絶望を抱えながら、フェリクスはアイザックを逃そうとしたのだ。屋根から飛び降りて、自らの命と引き換えに。

 アイザックがいたから、フェリクスは己が不要になったことを知り、絶望した。

 そうして深い絶望に包まれながら、それでもアイザックを逃すために、自ら死を選んだ。


(僕のせいだ)


 あんなに守りたかったのに、他でもないアイザックの存在がフェリクスを死に追いやった。

 アイザックがいなければ、フェリクスはきっと死なずに済んだ。


(僕のせいで、アークが、死んだ)


 その事実が、絶望が、アイザックの胸を穿つ。そうしてできた胸の穴から、フェリクスと出会い積み上げてきた優しい記憶がサラサラと流れ落ちていくかのようだった。

 虚ろな目でフェリクスを見つめるアイザックに、公爵は告げる。

「計画に変更はない。今日からお前がフェリクス・アーク・リディルだ」

 あぁ、これを回避するために、フェリクスは自らの命を投げ出したというのに。誰よりも優しい王子様は、アイザックの自由を願ってくれていたというのに。

 それなのにアイザックはここにいる。フェリクスの遺志を無駄にして。

(……逃げる? 逃げて、自由になって、それで?)

 ここでアイザックがいなくなれば、公爵はフェリクスの死を世間に公表するしかなくなるだろう。

 そうして、フェリクスの死は人々に受け入れられ…………やがて、忘れられるのだ。

 アイザックの耳の奥に、幼いフェリクスの声が蘇る。


『きっと、わたしは大人になる前に死んで……みんなに忘れられてしまうんだ。弱くてみっともない第二王子なんて、まるで最初っからいなかったみたいに、忘れられるに決まってる……』


(僕が覚えているだけじゃ、きっとダメなんだ)


『……わたしが死んだら、お星様になれたらいいのに……初代国王のラルフみたいに。星座になったら、みんなに、わたしのことを覚えていてもらえる』


(だったら、僕がフェリクスになればいい。そうして、この名を歴史に刻むんだ。誰からも忘れられないように)


 アイザックの目の奥に、暗い輝きが宿る。

 それは十歳の少年が抱くにしてはあまりにも暗すぎる、狂気と妄執の灯火だ。

 大切な主を失った人形は、閉ざしていた唇をゆっくりと開いた。

「……処置を、お願いできますか?」

 アイザックの言葉に、アーサー医師は「えぇ、勿論」と頷く。



 こうして、アイザック・ウォーカーは己の顔を捨てた。

 フェリクス・アーク・リディルの名を歴史に残すために。

 幼くして死んだ優しい王子様を、英雄ラルフと同じぐらい、みんなに覚えていてもらうため。


 ……ただ、それだけのために。



 * * *



 アーサー医師の施した処理は、思ったより短時間で終わった。せいぜい、一時間するかしないかといった程度だ。

「包帯を外していいデスよ」

 言われた通りに、アイザックは己の顔を覆う包帯を剥がす。その様子をアーサー医師と公爵がじっと眺めていた。

 包帯を剥いだ顔に、ひんやりと冷たい夜の空気が触れる。それだけでは肉体操作魔術が成功したか否かは分からない。

 困惑するアイザックに、アーサー医師が手鏡を差し出した。

 無言で鏡を見つめたアイザックは、咄嗟に口走りそうになった。アーク、と。

 鏡の中からこちらを見つめ返しているのは、紛うことなくフェリクスだ。

「元々骨格が似ていたので、それほど苦労はしませんでしたネ。背中の傷痕を消す方が、よっぽど大変でしたヨ」

 アイザックが己のシャツの中に手を突っ込み背中に触れてみれば、アーサー医師の言う通り、背中の傷はすっかり消えていた。

 指先に傷痕特有のボコボコした感覚はなく、背中をなぞる指はするりと滑らかに皮膚の上を滑る。右目の上にあった傷も同様だ。目を凝らして見ても、とても傷痕があったようには思えない。

 今のアイザックに残っている傷は、フェリクスの脇腹の傷を模した傷痕だけだ。

「ただ、体格差だけはどうにもなりませんノデ、一年ぐらいは外部の人間に会わないほうが良いでショウ」

「大病で伏せっていることにする。世話役は新しい人間を雇おう」

 これから一年、フェリクス・アーク・リディルは大きな病を患い、寝たきりということになる。一年もあれば、多少の体格差も成長期特有のもので誤魔化すことができるだろう。

 アイザックは立ち上がろうとし、軽い目眩を覚えた。それと吐き気も。最初は己の顔が作り替えられたことに対する、生理的な嫌悪感によるものかと思ったが、どうやら違うらしい。

「肉体操作魔術の副作用の、魔力中毒ですヨ。本来なら起き上がるのも辛い筈なのデスが……どうやら貴方は魔力量が多いラシイ」

 肉体操作魔術は人体に直接魔力を流し込み、肉体に影響を与えるものだ。

 魔力は一定量を超えると人間にとって害になる。だからこそ、肉体操作魔術は禁じられている。

 ……そんな禁術を使って顔を作り替え、アイザックは第二王子を騙るのだ。公になれば、首を刎ねられるのは確実だろう。

 それほどの重罪を、これから自分は背負うのだ。


(……構うものか)


 完璧なフェリクスを演じ、人々を欺いてみせる。

 そうしてこの名を歴史に残すためなら、自分は何だって犠牲にできる。

 暗い決意を胸に抱くアイザックに、公爵が静かに釘をさした。

「フェリクスを名乗るなら、魔術は使わぬことだな。得意属性の不一致から、入れ替わりに気づく者がいるやもしれぬ」

「それは残念デスね。折角の才能なのに」

「周囲に才覚を示すなら、魔術以外にせよ」

 公爵が「フェリクス」に求めているのは、完璧な王子としての振る舞いだ。ならば、まずは外交。社交界の掌握。

 第一王子は外交下手だと聞く。ならば、まずは国内貴族を味方につけ、着実に外交で成果を上げていくのが王位に近づくための最善策。

 そのための手段をアイザックが模索していると、公爵が窓の外を見て「さて」と呟いた。

「最後の仕上げをするか」

「……仕上げ、とは?」

「知れたこと」

 そう言って公爵は、離れた寝台に寝かされたフェリクスの遺体に目を向ける。


「アイザック・ウォーカーを殺すのだ」



 * * *



 公爵邸の庭園の奥には、庭師が物置に使っている小さな小屋がある。

 アイザックとアーサー医師は二人がかりでフェリクスの遺体を小屋に運び込むと、小屋の中に油を撒いた。

 今夜、この小屋を燃やし、アイザックがこの火事に巻き込まれて死んだことにする。

 それが、入れ替わり計画の仕上げというわけだ。

 埃と黴のにおいがする、この薄汚い小屋がフェリクスの棺桶になるなんて、誰が想像できただろう。

 本来、火葬は流行病で死んだ者や、一部の罪人に施す処置だ。

 王族の人間なら当然に美しい棺に入れられて、沢山の花と祈りの言葉とともに王族専用の墓所に埋葬されるはずなのに。

(違う、違う、違う、ここで死ぬのは、アークじゃない。アイザック・ウォーカーだ)

 何度自分にそう言い聞かせても、フェリクスの亡骸を見れば、罪悪感に息が詰まった。

 自分は今、途方もなく恐ろしいことに手を染めようとしている。

 これは必要なことなのだと何回言い聞かせても、手の震えが止まらない。

 油のそばに燃えやすい物を動かした。あとは火をつけるだけだ。

 アイザックが震える手でマッチを取り出すと、これまでの成り行きを黙って見ていた公爵がボソリと言う。


「これで、仕上げだ」


 はひ、という間の抜けた声は、アーサー医師の口から鮮血と共にこぼれ落ちた。

 カラン、と音がして眼鏡が床に落ち、その上にアーサー医師が崩れ落ちるように倒れ込む。その細い背中には、ナイフが深々と刺さっていた。

 躊躇なく医師の背中を刺した公爵は、無表情に言い放つ。


「これで、真実を知る者は私とお前だけだ」


 口封じのために殺されたアーサー医師を見て、アイザックが思ったのは、ただ一言。

(あぁ、やっぱり)

 この先、アイザックがヘマをして、公爵にとって不要な存在となったら、公爵はきっと同じようにアイザックを処分するのだろう。これは、そのための見せしめだ。

 だが、残酷な公爵に恐怖を感じるには、アイザックの心はあまりにも麻痺しすぎていた。

(……ただ、一つ罪が増えただけだ)

 胸の内で冷ややかに呟き、アイザックはマッチを擦る。

 小さな棒の先端でユラユラと揺れるオレンジ色の火を油の端にポトリと落とせば、たちまち火は大きく膨れ上がった。

 床を舐めるように広がる炎が、二つの遺体を包み込む。

「行くぞ」

「……はい」

 アイザックは炎に包まれていくフェリクスの顔を目に焼きつけ、小屋を後にする。

 やがて、激しく燃え上がる炎は物置小屋を……フェリクス・アーク・リディルが眠る棺を焼き尽くした。







 アーク! アーク!

 あぁ、僕の大事な人が、燃えていく。

 顔と名を奪った罪人が、祈りの言葉も捧げる花もなく、燃えあがる棺で骨まで焼いて。




 もし、冥府の底で再会できたなら、どうか僕を許さないでくれ。



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