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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第14章「真相編」
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【14ー8】どうか、君自身のために

 日付が変わる直前まで机に向き合っていたアイザックは、その日の分の課題を仕上げると、椅子の上で伸びをした。

 アイザックがこの屋敷に訪れて、かれこれ三年が経とうとしている。この部屋を与えられた当時は、椅子と机の高さが合わずに苦労したものだが、それなりに背も伸びた今は、そういった不便もなくなった。

 与えられた課題は問題なくこなしているし、剣や乗馬の腕も評価されている。

 いずれ従者ではなく、顔を作り替えられた影武者になろうとも、フェリクスのそばにいられるなら、それで良い。

 ただ一つ気がかりなのは、アイザックが影武者になることを知った時、フェリクスがどんな反応をするか……それだけがアイザックは怖い。

 いずれくるであろう未来を思い溜息を吐くと、コンコンと控えめなノックの音が聞こえた。こんな時間に誰だろう?

 アイザックが扉を開けると、そこにはフェリクスが佇んでいた。もう深夜だというのに、寝間着ではなく簡素なシャツとズボンを身につけている。

「殿下? 何かご用ですか?」

「……アイク」

 フェリクスは硬い顔で、使用人ではなく友人の名を呼ぶ。

 アイザックは少しだけ目元を緩めた。

「どうしたんだい、アーク?」

 アイザックが穏やかな声で促せば、フェリクスはアイザックの服の裾を握りしめて言った。

「星を、見に行こう」

「……今から?」

 小首を傾げるアイザックに、フェリクスはいつになく硬い口調で「今から」と頷く。

「窓から見るのでは、ダメなのかい?」

「裏庭に行こう。マーシーに頼んで、勝手口付近の人払いをしてもらったんだ」

 いつも良い子なフェリクスらしからぬ提案に、アイザックは正直驚いていた。

 だが、フェリクスはやけに必死で頑なだ。もしここでアイザックが断っても、一人で裏庭に行きそうな雰囲気がある。

「いいよ、分かった」

 アイザックが頷けば、フェリクスはホッとしたような顔で胸を撫で下ろす。

 二人は足音を殺して廊下を歩き、勝手口から外に出た。表門の方には夜通し見張りをしている門番がいるが、近づかなければ問題ないだろう。

 フェリクスは裏庭で一番大きな木を見上げ「この木にしよう」と指さした。

 フェリクスは以前、木登りの最中に木から落ちて、大怪我をしている。アイザックが心配そうにフェリクスを見れば、フェリクスは「大丈夫だよ」と笑った。

「エリオットにコツを教えてもらったんだ」

 そう言って、フェリクスは拙いながらも木を登り始めた。なるほど、エリオットにコツを教わったというだけあって、ちゃんと太い枝を選んで足をかけている。

 フェリクスがいつ落下しても受け止められるように、アイザックが木の下で待機していると、フェリクスが木の上からアイザックに手を振った。

「アイクもおいでよ」

 この調子なら、フェリクスが落ちる心配は無さそうだ。アイザックはフェリクスと同じように枝に足をかけ、スルスルと木を登り、フェリクスの隣に腰掛ける。

 見上げた夜空は雲が多く、月も星も半分以上が隠れていた。星を見るのに適しているとはとても思えないのに、何故フェリクスは強引にアイザックを誘ったのだろう。

 空を見上げていたフェリクスは、視線をアイザックに向けると眉を下げて笑った。

「わがままを言ってごめんなさい。部屋を抜け出して星を見るの……一度、アイクと一緒にやってみたかったんだ」

「次はもっと早めに言ってほしいかな。そうしたら、お茶とかお菓子とか、君が好きそうなものを色々と用意するのに」

 フェリクスは少しだけ視線を落とし、か細い声で「……うん」と呟く。その顔がなんだか悲しそうに見えて、アイザックは身を乗り出した。

「……アーク?」

 アイザックが心配そうに声をかければ、フェリクスはパッと顔を上げて、殊更明るい声を出す。

「ねぇ、アイク。アイクは将来、何になりたい?」

「……え?」

 困惑するアイザックに、フェリクスはいつもより早口に言い募る。

「アイクは頭が良いし、剣術や馬術も得意だから、何にだってなれると思うんだ。医者とか教師とか……騎士にだってなれるかも!」

「僕は君の従者だ。これまでも、これからも」

 それ以外に望むことなんて何もないよ。と締め括れば、何故かフェリクスは泣きそうな顔をした。

 細い眉毛が悲しげに傾き、澄んだ水色の目に薄く涙の膜が張る。

「……ねぇ、アイク」

「なんだい、アーク」

 アイザックが宥めるように穏やかな口調で返せば、フェリクスはいつになく必死な態度でアイザックに詰め寄った。

 そして、彼らしからぬ強い口調で言う。


「私は、他の誰のためでもなく、君自身のために、夢中になれるものを見つけてほしい。君だけの好きなものを、楽しいものを、いっぱい見つけてほしいんだ」


 何故、フェリクスは泣きそうな顔をするのだろう。

 フェリクスに仕えたいというのは、アイザックの心からの本心なのに。

 家族を失って空っぽになっていたアイザックにとって、フェリクスが全てだ。もう二度と失いたくない、守りたい。そのためなら、なんでもできる。

 だから、他にしたいことなんて何も思いつかない。

(……寧ろ、他のものなんて、必要ないんだよ、アーク)

 だって、もうすぐ「アイザック」は損なわれ、フェリクスと同じ顔をした人形になるのだから。

 そこにアイザックの嗜好なんて必要ない。必要なのはフェリクスへの忠誠心。それ以外に、何が必要だというのだろう。

 アイザックの反応の薄さに気づいたのだろう。フェリクスはアイザックの手を握りしめて、必死で言い募った。

「……約束して、アイク。どうか君自身のために、君が楽しいと思えるものを、夢中になれるものを、探すって」

「分かった、君がそう言うのなら。ちょっと考えてみるよ」

「……うん、約束だよ」

 どうしてフェリクスは、突然こんなことを言い出したのだろう。

 フェリクスの真意を探ろうと幼い顔を見つめれば、ざぁっと強い風が吹いて、二人の髪を揺らした。枝がしなり、葉がサワサワと音を立てる。アイザックの手を握りしめるフェリクスの手はすっかり冷たくなっていた。

「風が強くなってきたね。これ以上は体に障るから戻ろう、アーク」

「……うん」

 フェリクスは思いのほか素直に頷いた。

 二人は黙って木を下り、勝手口からそっと屋敷の中に戻る。

 そうしてフェリクスの部屋の前まで辿り着いたところで、フェリクスはポケットから封筒を取り出し、アイザックに差し出した。

「アイク、部屋に戻ったら……これを読んでくれる?」

「今、ここで読んではダメなのかい?」

「ダメ。絶対、部屋に戻ってから」

 フェリクスが今より幼い頃、文字の練習がてらに手紙を書いては「アイザックにあげる。お返事書いてね」と可愛らしいおねだりをしてきたことがある。その時のことを思い出し、アイザックは口元に小さな笑みを浮かべた。

「分かったよ、部屋に戻ったら読ませてもらう」

「うん……それじゃ、おやすみ、アイク」

「おやすみ、アーク」

 フェリクスが部屋の扉を閉めるのを見守り、アイザックは自室に戻る。

 そうして、貰ったばかりの封筒を燭台の明かりにかざした。

「…………うん?」

 封筒は紙以外にも何かが入っているらしく、僅かに膨らんでいる。振ってみるとシャラシャラと細い金属の鎖が擦れるような音がした。

 わざわざ封蝋を使って封をしたそれを、アイザックは慎重に開封し、中身を取り出す。

 封筒を傾ければ、手紙より先に小さな何かがコロリとアイザックの掌に落ちてきた。それは大粒のアクアマリンをあしらったネックレス……亡きアイリーン妃の形見の、精霊との契約石のネックレスだ。

 何故、フェリクスはこんな大事な物を封筒に入れたのか。

 アイザックは動揺に震える指で、同封された手紙を取り出し広げる。




『親愛なるアイクへ


 いつも私に優しくしてくれてありがとう。いっぱい面倒を見てくれてありがとう。君には何回お礼を言っても足りないって、いつも思ってる。

 君が私の従者になってくれた日から、そして友達になってくれた日から、毎日が本当に楽しくて、幸せだった。だから、私は君に甘えてしまった。甘えすぎてしまった。

 お祖父様に聞いたんだ。君が、私の影武者になるために引き取られたって。いずれ顔を作り替えて、私の代役にするつもりだって。そのために……君の体に、私とおなじ傷痕をつけたって。

 全部、私が弱いせいだ。私がお祖父様の期待に応えられなかったから、立派な王子様じゃなかったから。

 ……私のせいで、君が作り替えられることに、私は耐えられない。

 だからどうか、この屋敷から逃げてほしい。逃げて、自由になって、そして本当にアイクがやりたいことを見つけてほしい。

 私のためじゃなくて、アイクのために、自由に生きてほしいんだ。


 今夜この手紙を君に渡したら、私はちょっとした騒ぎを起こすつもりだ。その隙に、裏門から逃げ出してほしい。

 同封したネックレスを売れば、きっと幾ばくかの足しになると思うんだ。私はこれをどうすればお金にできるか分からないけれど、賢い君ならきっと上手くやってくれると思う。


 これが、今の私にできる精一杯だ。こんなことしかできなくて、ごめん。


 私の一番の従者で、親友のアイク。

 君の幸せを、誰よりも願っている。


        フェリクス・アーク・リディル』




 全身の血が引いていき、耳鳴りがする。

 母親が目の前で竜の爪に貫かれるのを見た時と同じように、アイザックは考えるよりも早く、部屋を飛び出した。

(アーク! アーク! アークっ!!)

 フェリクスの部屋の扉を開けると、部屋の中はもぬけの殻だった。

 だが、フェリクスと別れてからそう時間は経っていない。遠くには行っていないはずだ。

 一体どこに、と視線を彷徨わせるアイザックの耳に、遠くの方から誰かの悲鳴じみた声が聞こえた。


「誰か来てくれっ! 殿下が……殿下が、屋根に……っ!」


 アイザックは先ほど外に出る時に使った勝手口から外に飛び出す。

 今思えば、フェリクスが夜空を見ようと誘ったのも、そのために勝手口を使ったのも「ここから逃げだしてほしい」という布石だったのだ。

 勝手口から外に出て、そして裏門から外に出れば、アイザックは自由の身だ。

 だが、彼はそうしなかった。迷うことなく屋敷の正面へ走る。フェリクスがアイザックを逃すため、皆を引きつけるために行動をするなら、裏門とは反対側だと思ったのだ。

 予想通り、屋敷の正面には門番や数人の使用人達が集まり、屋根を見上げていた。

 屋根の上には小さな人影が見える。微かに揺れる金色の髪──間違いない、フェリクスだ。

 屋敷の最上階のバルコニーから屋根にかけて、梯子がかけられている。恐らく、フェリクスはあれを使って屋根に登ったのだろう。梯子を用意していたということは、やはり事前に準備をしていたのだ。

 びゅぅと強い風が吹いた。雲が風に流れ、隠れていた丸い月が姿を見せる。ぼんやりと輝く月の周りには煌く星々。

(ダメだ、やめてくれ、アーク!!)

 屋根の上のフェリクスは、輝く星に手を伸ばし……


 そして、落ちた。


 ドン、という鈍い音。使用人達の悲鳴。

 庭園の花壇に投げ出された小さな体は、手足がデタラメな方向に曲がっている。

 獣の咆哮のような声が響いた。それが己の慟哭だと気づかぬまま、アイザックは使用人達をかき分けフェリクスの元へ駆け寄る。


「あ……あぁ…………ぁー……く……? 起きて、起きてくれ……」


 触れた体はまだ温かい。

 だが、虚ろに見開かれた水色の目は夜空の星を映したまま、もう二度と瞬くことはなかった。


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