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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第14章「真相編」
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【14ー5】秘密の友達

 本来使用人は一部屋に複数人寝泊りするのが一般的だが、フェリクス付きの従者に選ばれたアイザックは特別に、フェリクスの部屋から比較的近い個室を与えられた。

 稀に見る特別待遇なのは、アイザックがいずれフェリクスの影武者になる時のことを考えてのことだろう。

 アイザックは日中はフェリクスの従者を務め、その合間に護身術や乗馬を教わり、夜、自室に戻ったら公爵から与えられた膨大な課題をこなすという、多忙な日々を過ごしていた。

 フェリクスの従者をするのは、フェリクスの行動や仕草を真似るため。

 護身術や乗馬、それに大量の課題はいずれ、彼が影武者を務める時のためのものだ。

 そんな暮らしを続けていく内に、アイザックは何故クロックフォード公爵が影武者の用意を急いでいたのかを理解した。

 フェリクスは、あまりにも体が弱すぎたのだ。恐らく気管支が弱く、血が薄いのだろう。少しでも走り回るとすぐに目眩を起こして倒れるし、筋力も同年代の子どもと比べて圧倒的に弱い。ちょっとした気候の変化で熱を出す。

 第二王子は長くは生きられないだろう……と、周囲の大人達は薄々察していたのだ。



 アイザックがフェリクスの従者になって最初の夏が過ぎ、朝晩が冷え込むようになった頃、フェリクスは高熱を出して寝込んだ。

 食事もろくに受け付けず、頬を真っ赤にして苦しそうな呼吸を繰り返している姿は、ただただ痛々しい。

 それなのに同じ屋敷に暮らす公爵は、孫のことを顧みようともしない。死んだらそれまで、と思っている節すらある。

 アイザックは高熱でうなされているフェリクスに、つきっきりで看病をした。こまめに汗を拭いてやって、水差しの水を飲ませてやって。そうして何かをしてやるたびに、フェリクスは潤んだ目でアイザックを見て、苦しそうに言うのだ。

「……迷惑かけて、ごめんなさい」

「迷惑だなんて思っていませんよ」

 アイザックが穏やかにそう言っても、フェリクスの悲しげな顔は晴れない。

 王族なら尽くされて当然だろうに、フェリクスはいつだって誰に対しても申し訳なさそうにしている。


 勉強が分からなくて、ごめんなさい。

 乗馬ができなくて、ごめんなさい。

 上手に挨拶ができなくて、ごめんなさい。

 みんなの期待に応えられなくて、ごめんなさい。


 今までクロックフォード公爵がフェリクスをどう扱ってきたのかが、手に取るように分かる。

 期待に応えられない者などいらないと、公爵の目はいつも言っていた。

 だから公爵はアイザックを影武者として育てているのだ。役立たずの王子様が本来すべきことを、全てアイザックにさせるために。

「……アイザック」

「はい」

「わたしは、どうして、いつも上手にできないのだろう……おじいさまの期待に応えたい、のに……」

 ぐす、と鼻をすする音がした。どうやらフェリクスは体だけでなく、心まで弱ってしまっているらしい。

「きっと、わたしは大人になる前に死んで……みんなに忘れられてしまうんだ。弱くてみっともない第二王子なんて、まるで最初っからいなかったみたいに、忘れられるに決まってる……」

 そんなことありませんよ、と気休めを言ったところで、フェリクスの涙が止まることはないだろう。

 フェリクスは泣きすぎて腫れぼったくなった瞼を閉ざし、掠れ声で呟いた。

「……わたしが死んだら、お星様になれたらいいのに……初代国王のラルフみたいに。星座になったら、みんなに、わたしのことを覚えていてもらえる」

 それは、最近フェリクスが読んでいた本の物語だ。

 初代国王ラルフは死後、人々に存在を忘れられてしまうことを恐れていた。

 それを知ったラルフの妻アメーリアは、ラルフの葬儀の際に闇の精霊王に頼み、ラルフを星座にしてもらうのだ。

 星が好きなフェリクスらしい発想に、アイザックは苦笑する。

(……星座になんてならなくても、僕は忘れたりしないのに)

 それでも、アイザック一人が覚えているだけでは駄目なのだ。きっと。

 アイザックはフェリクスの額を冷やした布で拭うと、汗で貼りついた前髪を払ってやった。

「殿下の熱が下がったら、なんでもおねだりを聞いてさしあげますよ」

「…………なんでも?」

「えぇ。だから、あまり弱気なことを仰らないでください」

 アイザックが穏やかに頷けば、フェリクスは毛布の端をもじもじと弄りながら、恥ずかしそうに言った。

「じゃあ……友達が、欲しい」

「では、公爵に頼んでみましょう。ご友人に相応しい良家のご子息を紹介してくれるはずです」

 アイザックがそう提案すれば、フェリクスは毛布の隙間から手を伸ばしてアイザックの上着の裾を控えめに掴んだ。

「……アイザックがいい」

「僕は使用人ですよ?」

「……他の人がいない時だけでいいから」

 そう言ってフェリクスは、恥ずかしそうに口をモニュモニュとさせる。

 アイザックは小さく噴きだすと、もう一度フェリクスの額を拭いてやりながら言った。


「アーク」


 それは、あまり呼ばれることのないフェリクスのミドルネームだ。

 フェリクスは水色の目をキョトンと見開いて、アイザックを見上げている。

 アイザックは少しだけ茶目っ気まじりにウィンクをしてみせた。

「呼び方を変えると、友達っぽいだろう?」

 途端にフェリクスの顔はパァッと明るくなる。さっきまで、しょぼくれて泣き言を言っていたのが嘘みたいに。

「じゃあ、じゃあ、わたしもアイクって呼ぶ!」

「いいよ。アークとアイク、なんだかそっくりだ」

「うん! ……うんっ!」

 フェリクスは目をキラキラさせて、満面の笑みで何度も何度も頷いた。とても嬉しそうに。




 もし、アイザックがフェリクスの影武者になることを知ったら、きっとフェリクスは絶望するだろう。自分は公爵から必要とされていないのだと。

 だから、アイザックは自分が影武者になることをフェリクスには教えていなかった。

 貴方が弱くて無能だから、ボクは公爵に買われたんです、だなんて言えるはずがない。


 ……いずれ言わねばならぬ日が来ると、分かってはいたけれど。


 アイザックはその真実から目を逸らし、フェリクスとの秘密の友達ごっこに夢中になった。

 フェリクスは大人の見ていないところでアイザックの服の裾を引き、年相応の子どもらしい笑顔で「アイク」と呼ぶ。

 フェリクスが「アイク」と口にしたら、秘密の時間の始まりだ。

「どうしたんだい、アーク?」

「うん、あのね、今夜は流星群が見えるらしいんだ。窓からで良いから、一緒に見よう?」

 子どもらしいおねだりに、アイザックは少しだけ困ってしまった。夜中に部屋を抜け出すのは簡単だが、彼には公爵から与えられた大量の課題があるのだ。

 それでも可愛いアークのおねだりを叶えてあげたくて、アイザックはニコリと微笑んだ。

「いいよ。夜になったら、こっそり君の部屋に行く。でも、それまで起きていられるのかい、アーク?」

「う、ちゃんと起きてるよ……わたしが寝そうになったら、アイクが起こしてくれる?」

「ビスケットとミントのお茶を用意しておこう。それがあれば起きていられるだろう?」

「うん!」

 その晩、二人は窓に張りついて、お茶を飲み、ビスケットを齧りながら夜空を眺めた。

 フェリクスは星が好きだ。お世辞にも物覚えが良いとは言えないフェリクスだが、好きなことを覚えるのは得意らしい。

 フェリクスは輝く星を一つ一つ指差しては、星座の名前や由来などを語って聞かせてくれた。

 まぁ結局、途中でフェリクスはウトウトとしてしまって、アイザックがベッドまで運んでやることになったのだけど。

 スヤスヤと眠るフェリクスの髪を、アイザックはかつて幼い弟にしてやったように優しく撫でる。

「……おやすみ、アーク」

 アイザックにとって、フェリクスは主人であり、友人であり、弟のような存在だ。

 家族を失い空っぽになっていたアイザックの心を、この小さな王子様は優しく満たしてくれる。



 所詮ごっこ遊びと言うには、その時間はあまりに優しすぎたのだ。


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