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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第14章「真相編」
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【14ー4】幼い王子様

 孤児院の子ども達は、まともな教育など受けさせてもらえず、ろくに仕事も選べない……というのが世間一般の認識だ。

 竜騎士団に保護された後、孤児院に連れて行かれたアイザックは、自分がこれから暮らす孤児院もそういった環境なのだと思っていた。

 だが、アイザックが連れてこられた孤児院は想像していたよりずっと小綺麗で、施設内できちんと教育を受けさせてくれた。


「あなた達は、幸運にも選ばれたのです」


 それが孤児院の院長が朝食の祈りの前に、必ず口にする言葉である。

 選ばれたとはよく言ったものだ。この孤児院に集められた子ども達は、比較的容姿に恵まれている子どもが多い。アイザックもまた、右目の上に傷を負ったけれど、元々の顔立ちは整っている。右目を前髪で隠してしまえば、それなりに見られる容姿ではあった。なにより濃い金色の髪は、貴族達に気に入られる条件の一つだ。

 つまるところ、ここの子ども達は貴族に引き取られることを前提として集められているのだ。だから、孤児院の大人は、子ども達に必死で勉強をさせる。優秀な子どもを「出荷」すれば、相応の金が孤児院に入るから。

 孤児院での勉強は過酷で、出来の悪い子どもは食事を抜かれたり、鞭で手を打たれることもしょっちゅうだった。

 そんな環境の中で、孤児院の子ども達が結束を固めていたかといえば、そうでもない。

 むしろ自分が「選ばれた」のだと信じている子ども達は競争意識が激しく、告げ口などでライバルを蹴落とそうとすることも珍しくなかった。

 特に、飛び抜けて成績優秀だったアイザックは、年上の子ども達に目をつけられやすかった。

 傷物の癖に、お前なんかがお貴族様に選ばれるはずがない、と彼ら彼女らは露骨な意地悪をする。

 貴族に引き取られることに魅力を感じていないアイザックは、そういった周囲の声を無視して、黙々と勉強にうち込んだ。

 別に良い学校に入りたいわけじゃない。貴族の養子になりたいわけでもない。

 ただ、家族を失ったあの日から、他に何をすれば良いのか分からなかったのだ。

 だから、空っぽになった心に、ひたすら知識を詰め込んだ。そうしていないと、頭がどうにかしてしまいそうだった。



 * * *



 ある日、アイザックは院長室に呼び出された。だが、肝心の院長室に院長の姿はなく、ソファには見るからに貴族然とした初老の男が一人座っているのみ。

 男はアイザックをチラリと見て口を開く。

「入れ」

 人に命令することに慣れた声だ、と思った。貴族というのはえてしてそういうものだが、この男はその中でも格が違う気がした。

「顔を見せなさい」

 歯向かうのも面倒で、アイザックは言われた通りに右目を隠す前髪をかきあげる。

 この客人は、どうやら自分に興味があるらしい。恐らく、孤児院で一番成績の良い子どもを引き取りたいとでも言ったのだろう。

(……それでも、この傷を見ればきっと躊躇するはずだ)

 だが、アイザックの予想に反して、男は醜い傷痕を見ても眉一つ動かさなかった。

「その程度の傷痕なら、作り替える時にどうとでもできよう」

「…………?」

「髪色と骨格が似ているなら、充分だ。成績も申し分ない」

 この男は一体何を言っているのだろう。ただ、得体の知れない不気味さと嫌悪感を感じる。

 この孤児院の子ども達は、貴族に引き取られれば幸せになれると信じているようだが、アイザックは本当に幸せになれる者など一握りもいないことを知っていた。

 有り体に言って、真面目に子どもが欲しい者は極少数だ。あとは憂さ晴らしの玩具にするか、夜の慰み者にするか。子を亡くして心を壊した妻に、人形代わりにあてがったという話も聞いたことがある。

 だが目の前にいる男は、そのどれとも違う気がした。強いて言うならば、最後のパターンが一番近いか。

 この男は何か明確な目的があって、子どもを欲しがっているのだ。

 男が呼び鈴を鳴らすと、孤児院の院長はすぐさますっ飛んできた。

「この子どもを引き取ろう」

 そう言って男が金貨の詰まった袋を置けば、院長は相好を崩して男に頭を下げる。

「ありがとうございます閣下。さぁ、お前からもお礼を言いなさい。アイザック」

「……閣下?」

 いまだ名乗らぬ男に訝しげな目を向ければ、男は静かに名乗る。


「クロックフォード公爵、ダライアス・ナイトレイ」


 この国の人間なら子どもでも知っている大貴族の名に、流石のアイザックも言葉を失った。



 * * *



 クロックフォード公爵に引き取られることが決まったアイザックは、その日の内に上等な服を着せられて、公爵の馬車に乗せられた。まるで、アイザックがクロックフォード公爵に引き取られたことを、他の子ども達には知られたくないかのように。

 元より別れを惜しむ相手などいなかったけれど、アイザックの意思を反映せず、勝手に物事を進めてしまう大人達が腹立たしかった。

 馬車の中は公爵とアイザックの二人きりだ。公爵クラスの人間にしては、あまりにも護衛が少ない……つまり、それだけアイザックの存在を隠したいということなのだろう。

 一体、自分は何をさせられるのか。何のために引き取られたのか。注意深く公爵を観察しながら考え込んでいると、公爵がおもむろに口を開く。

「自分が何かしらの役割を課せられると、理解している顔だな」

 引き取られたことを素直に喜ぼうとしないアイザックのことを、むしろ評価しているような口ぶりだった。

「……僕に、何をさせたいんですか?」

「我が孫の代役を」

「…………孫?」

 クロックフォード公爵の孫と言われて、真っ先に思い浮かぶのは、公爵の娘であるアイリーン妃が産んだ第二王子、フェリクス・アーク・リディルだ。

 第二王子の年齢は今年で五歳。七歳になったばかりのアイザックと比較的年が近い。それに第二王子は病弱で、現在は祖父であるクロックフォード公爵邸で療養中だと聞いたことがある。

「……僕に、フェリクス殿下の影武者になれと? この顔で?」

 アイザックは右目を隠す髪をかきあげた。右目の上を縦に走る傷痕は、一生消えることはないだろうと言われている。傷口は変色して盛り上がり、化粧で簡単に誤魔化せるようなものではない。

 だが、クロックフォード公爵は何も問題ないと言わんばかりの態度だ。

「顔を作り替える術はある」

「……顔を、作り替える?」

 アイザックは医師の息子だ。だからこそ、簡単に傷痕が消えるものではないことを知っていたし、人間の顔を弄ることの難しさも知っている。誰かとそっくり同じ顔にするなんて、今の技術では不可能だ。

 だが、クロックフォード公爵の声は不気味な自信に満ちていた。

「いずれ、お前には顔も名前も捨ててもらう。それまでは、フェリクスの従者として、アレに成り代わる準備をしておくがいい」

 この男は、そうするのがさも当然のように、アイザックに顔と名前を捨てろと言う。

 だがそのこと以上に、己の孫を「アレ」呼ばわりしているという事実に、アイザックは嫌悪感を覚えた。



 * * *



 公爵邸に到着したアイザックに公爵が真っ先に引き合わせたのは、案の定第二王子のフェリクスだった。

 まだ五歳になったばかりの幼い王子は、人形のように可愛らしかったが、オドオドと怯えたような顔でクロックフォード公爵を見上げている。

「お、おかえりなさいませ、おじいさま……」

 そう言ってもじもじと指をこねる孫を、クロックフォード公爵は無機質な目で見ていた。

 あれは相手を値踏みした上で、期待するに値しないと判断した目だ。そういう目をした大人を、アイザックは孤児院で過ごす一年間で、嫌になるほど見てきた。

 クロックフォード公爵にとって、この国の第二王子である孫ですら価値のない存在なのかと思うと、何やら薄ら寒い気持ちになる。

「今日から、お前付きの従者になるアイザックだ」

 それだけ言って、もう用は済んだとばかりに、公爵はフェリクスの横をすり抜ける。

「あ、あの、おじいさま、えっと……」

 フェリクスは、あたふたと祖父の後を追いかけようとした。だが、そんなフェリクスに公爵は冷ややかな目を向ける。

「新しい従者に屋敷のルールを教えるのが、主人であるお前の役目だ。そんなことも言わないと分からないのか」

「ご、ごめんなさ……あっ、ちがっ、もうしわけ、ありましぇん」

 幼い王子が舌足らずに謝罪の言葉を口にすれば、公爵の無表情が初めて崩れた。

 幼い孫に頬を緩めるのではなく、不快そうに眉をひそめる形で。

「見苦しい。それでもアイリーンの子か」

 フェリクスは叩かれたかのように、肩をビクリと震わせ立ち尽くす。

 その間に、クロックフォード公爵はスタスタと早足で立ち去ってしまった。

 まだ五歳のフェリクスは綺麗な水色の目に涙を滲ませながら、それでも泣きだすのを必死で我慢している。

 その姿がアイザックには、幼くして死んだ弟のコリンに重なって見えた。コリンはもっと小さかったけれど、頼りなさという点ではこの王子様も大差ない。

 アイザックはポケットからハンカチを取り出すと、それをクルクルと丸めてウサギの形にし、フェリクスの前で動かしてみせた。

「……あ、うさぎしゃん」

 アイザックはほんの少しだけ口の端を持ち上げ、ハンカチで作ったウサギでフェリクスの目元にキスをする。そこに滲む涙を拭うように。

「涙は止まりましたか?」

「あ……ぅ……」

 フェリクスは泣きそうになっていたことを恥じるように、顔を真っ赤にしてもじもじしている。

 アイザックは反対の目に浮かぶ涙も、ウサギ人形でぬぐってやった。

「他に作って欲しいものはありますか? 猫か花なら、すぐに作れますが」

「……わたしでも、できる?」

 コリンが生きていたら、こんな感じだったのだろうか。

(あぁ、そうだ。僕はコリンに……もっといろんなことを、教えてあげたかったんだ)

 家族を失った日から抜け殻みたいになっていたアイザックに、その時初めて、やりたいことができた。


 ──この幼い王子様を笑わせてあげたい。


 水色の目をキラキラさせてこちらを見上げるフェリクスに、アイザックは久しぶりに作り物ではない笑みを浮かべた。

「お教えしますよ、フェリクス様」


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