【番外編18】袋娘
──その少女はまるで化け物のように醜い顔をしていた。
いつだったか腕の良い化粧師が、人の美醜など化粧でどうとでもできるのだと歌うように言っていたのを聞いたことがある。
だが、いくら化粧を駆使したところで、どうにもならないものがあることを、少女は物心ついた頃から嫌になるぐらいよく知っていた。
少女の顔は醜かった。おぞましい、と言っても良い。
殴られたわけでもないのに瞼は常に腫れぼったく目の半分を覆い隠し、肌はブツブツと気持ちの悪い湿疹に覆われ、鼻はあるのか無いのか分からないほどのっぺりとしており、唇はひしゃげて歪んでいた。
少女は物心ついて少しした頃、帝国南東部の花街に捨てられた。
親が己を捨てた理由なんて考えるまでもない。こんな化け物のような醜い顔の子どもを、誰がそばに置きたいと思うだろう。
生きるために必死だった少女は花街を歩き回り、何でもするから自分を置いてほしいと大人達に懇願した。
そんな少女を拾ってくれたのは、とある娼館の店主だ。店主は少女が雑用係として働くなら、物置小屋に寝泊りすることを許してくれた。
その日から少女は死に物狂いで働いた。どんなに過酷な肉体労働だろうが、真冬の水仕事だろうが、文句を言わずにせっせとこなした。
たまに娼館の娼婦が流行り病で死ぬと、その死体の始末を任される代わりに、死んだ娼婦の服や持ち物を少しだけ分けて貰える。
ある日、少女は死んだ娼婦の私物の服と一冊の本を貰った。
その本を読んでみたくて、少女は元学者だという乞食の老人に頼み、文字を教えてもらった。
娼婦の遺品の本は流行りの娯楽小説だった。
悪い魔女に呪われ、醜い顔にされてしまった姫が、試練を乗り越えて呪いを打ち破り、最後は王子様と結ばれる。
少女は呪われた姫の境遇に自分を重ね、夢中でその本を読んだ。
いつか自分にも王子様が現れて、この呪いを解いてくれる──勿論、空想だと分かってはいたけれど。それでも、その空想は周囲から奇異の目で見られる苦痛をほんの少しだけ忘れさせてくれた。
物語の中のお姫様は、どんなに醜い娘だと周囲に罵られても、自暴自棄になったりしなかった。誰にでも優しく、誠実であり続けた。姫としての矜持を忘れず、上品に振る舞い続けた──だから、王子の目に留まったのだ。
自分もそうありたいと考えた少女は、その日から、少しずつ立ち振る舞いを改善していった。
どんなにくたびれていても姿勢良く。過酷な仕事を命じられても返事の声は美しく。
上流階級の客を見かけたら、その発音や振る舞いをしっかり目と耳に焼き付け、それを真似た。
流行りの歌や舞があれば、仕事の合間に見様見真似で練習をした。
店の娼婦達はそんな少女を馬鹿にしたけれど、馬鹿にされることに慣れていた少女に、娼婦達の嘲笑などこれっぽっちも響かなかった。
少女が十三歳になった春、店主は少女に客を取るように命じた。
その娼館はそこそこに流行っていて、店の娼婦の手が足りぬ時がしばしあったのだ。そういう時、少女は他の娼婦の手が空くまでの繋ぎとして、接待を命じられた。
だが、その接待は店の美しい娼婦達が、客に酒を注ぎ、歌や舞を披露するものとは違う。
空いた部屋の一室で、少女は客の男にただ同然で抱かれた。それも、頭に麻袋を被せられたまま。
「あぁ、あぁ、お客様、お待たせして申し訳ありませんね。もし良かったら、お気に入りの娘の手が空くまでの間、この娘で暇を潰しませんか? 勿論、お代は結構でございます。いつもご贔屓にしていただいているお客様に、ほんのサービスでございますよ。この娘、顔は見られたものではありませんが、体は若くて美しい。どうぞ、どうぞ、好きに使ってくださいませ」
店主はそう言って、客の男達を連れてきては、少女に相手をさせた。
接待を命じられた少女は、客を喜ばせる会話をして、拙くとも歌や舞を披露して──店の娼婦達と同じように接待をするつもりでいたのだ。
だが、そんなもの、男達は誰も望んでなどいなかった。
男達の目には、麻袋を被った娘が、物とさして変わらなく映るらしい。
少女は人間らしい扱いなどしてもらえぬまま、男達の慰みものにされた。
必死で身につけた教養も、歌も舞も、何一つ披露できぬまま。
* * *
「アナタはどうして、頭に袋を被っているの?」
とある客が少女に言った。
麻袋を被っている少女は、客の顔を見ることがかなわない。麻袋の荒い目の隙間からは、せいぜい室内の僅かな明暗が分かるだけだ。
ただ、声から察するに、まだ比較的若い男なのだろう。男の言葉には少しだけ外国訛りがあって、それを誤魔化すみたいに女みたいな喋り方をしている。奇妙な客だ。
きっと、この男はこの店が初めてなのだろう。何回か通った常連ならば、この店の「袋娘」のことを知らない筈がない。
「……私は、あまりに醜い顔なので、こうして顔を隠しているのです」
「ふぅん?」
ベッドに腰掛ける少女のもとに、男が近づいてくるのが麻袋越しでも分かった。
このまま服に手をかけられるのかと思いきや、男が手にかけたのは、麻袋の縁だ。少女は慌てて袋を押さえた。
「興味本位で見ることはお勧めしません。気分を害し、抱く気が起きなくなるでしょう」
「構わないわよ、ねぇ……」
男は甘く囁き、麻袋越しに少女の頬をするりと撫でる。
「比べっこしましょ?」
パッと視界が開けて、頬に風を感じる。男が一瞬で麻袋を剥いだのだ。
少女の袋を奪った男は、黒髪に黒目の平坦な顔の男だった。あまりこの国ではみない顔立ちだから、やはり異国の民なのだ。
ただ、その顔を少女は決して醜いとは思わなかった。スッキリとした涼しげな顔立ちだ。
……が、次の瞬間、男の顔が皮膚がめくれるかのように変色していく。
健康的な肌が赤黒く爛れ崩れていく。唇がベロリとめくれ、歯茎が露わになる。
「ひ、ぃ……っ!?」
少女が思わず後ずさると、男は両手で自身の顔を覆う。そうして、まるで粘度でも捏ねるかのように、己の顔を捏ねた。
頭蓋骨の上で皮膚がぐにゃりぐにゃりと歪み、赤黒く爛れた皮膚は健康的な肌色に覆われていく。
やがて骨格に合わせて肉を整えていけば……今度は別の男の顔になった。少女はこの男の顔をよく知っている。この娼館の店主だ。
「昔、濡れ衣で君主の怒りを買い、顔に煮えたぎる油をかけられたことがあってね。そりゃもう悔しくて悔しくて、顔を作り直す方法を独学で開発したの……よくできてるでしょ?」
そう言って男は、また顔を捏ねて、平坦な男の顔に戻す。
少女はそのおぞましくも奇跡のような光景に魅入った。
男は少女の気持ちを察したのだろう。クスクス笑いながら、少女の頬に指を這わした。今度は麻袋越しではなく直に。少女の湿疹だらけの頬を撫でる。
「……貴女にも、施してあげましょうか?」
少女は腫れぼったい唇を震わせる。
「……できるの、ですか?」
「他人に施術する場合、この術は一回きりしか使えないけどね。それ以上使うと、魔力中毒で死んじゃうから」
男はそう言って少女に手を差し伸べる。誰かにこうして手を差し伸べられたのは、もしかしたら初めてかもしれない。
少女はコクリと唾を飲み、男の手に己の手を重ねる。
男はニコリと微笑んだ。
「貴女の発音綺麗ね。それに姿勢も良い……ちょうど、お行儀の良い従者が欲しかったのよねぇ」
男は少女の手を取り、立ち上がると、店主を呼びつけた。そうして懐から金貨を数枚取り出して、店主に握らせる。
「この娘を身請けするわ。構わないわね?」
店主はそれはもう、飛び上がらんばかりに驚き喜んだ。こんな銅貨一枚の価値すらない娘に、金貨が支払われたのだ。店主は揉み手をしながら「どうぞどうぞ、好きにしてください」と、ヘコヘコ頭を下げる。
男は歩きながら言った。
「そうそう、名前を訊いてなかったわね。アタシはユアン。貴女は?」
誰かに名前を訊ねられたことすら、久しぶりだ。
だって、袋娘を抱く男達は袋娘の首から下以外に興味を持たない。顔も、名前も、教養も。
「……ハイディと申します」
「可愛い名前ね。よろしく、ハイディ」
* * *
ユアンの手で肉体操作魔術を施されたハイディは生まれ変わった。
腫れぼったい目は涼しげに、湿疹だらけの皮膚は滑らかに、鼻筋は通り、唇は形良く。
誰もが振り向く美女というわけではないが、涼やかでキリリとしつつ、年頃の少女らしいあどけなさを残した顔だ。
ただ、作り直された顔の中で、ハイディは一つだけ気になっている部分があった。眉毛だ。少し太めの眉毛だけは、変わらず目の上で存在を主張している。
少し剃って整えようか……そう考え、剃刀を手に取るハイディにユアンは言う。
「あら、剃っちゃうの? 勿体無い。せっかく可愛いのに」
「………………」
ハイディは剃刀を置いた。
今の顔が可愛いのは当然だ。だって、見苦しくないように作り替えてもらったのだから。
だが、前から変わらない部分を可愛いと言ってもらえたのは、初めてだった。
「……可愛いですか?」
「麻袋を剥いだ時から思ってたわよ。あら、可愛い眉毛って」
「…………」
ハイディは無言で己の眉を撫で、剃刀をそっとしまった。




