【13ー15】灯台下暗し
リディル王国と帝国の戦争を回避する。
勢いで言ってしまったが、モニカには何の策も無い。それでもモニカが失敗したら、きっと皇帝はフェリクスの秘密を第一王子派に流すだろう。
……そして、フェリクスの正体はリディル王国中に明かされ、リディル王国は真っ二つに割れて内戦となる。
そうならないようにするために、自分に何ができるだろう? モニカが自問自答していると、皇帝が物騒な笑みを浮かべた。
「さて、余の命を交渉のテーブルに乗せたからには、貴様もテーブルに乗ってもらうぞ」
「……わたしが失敗して、戦争になったら……わたしを、殺しますか?」
モニカの言葉に、皇帝は眉間に皺を寄せる。まるで、見当違いの解答を見せつけられた教師のように。
「馬鹿め。貴様を殺して、余が得することなど何もないわ」
言われてみればご尤もである。ならば、皇帝はモニカに何を望むと言うのだろう?
モニカが訝しんでいると、皇帝はニヤリと笑ってモニカの顔を覗き込んだ。
「もし、リディル王国が帝国に宣戦布告をしたら貴様の負けだ。その時は余に忠誠を誓い、終生仕えるがいい」
皇帝の言葉には有無を言わせない、強い支配力があった。
その圧に飲まれ、立ち尽くすモニカの顎を掴み、皇帝は獲物を喰らう獅子の顔で告げる。
「我が帝国とリディル王国が戦争になった暁には……〈沈黙の魔女〉よ、貴様がリディル王国の王族の首を刎ねて、その手で戦争を終わらせるのだ。そうして余に忠義を示せ」
そんなの嫌だ、できるはずがない。
……そう言いたいのに、舌が痺れて、唇が震えて、声が出ない。
「嫌なら全力で戦争を回避することだな。無論、余とて無駄な諍いは好まぬ」
皇帝は酷薄に笑い、モニカに背を向ける。
「さて、なかなかに刺激的な夜であった。余は城に戻るとしよう。ユアン、供をせよ。ハイディ、お前は〈沈黙の魔女〉を見張れ」
ユアンが「はぁい」と肩を竦め、ハイディが「かしこまりました」と一礼する。
「〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレット。貴様がこれから何を成すか、見届けさせてもらうぞ」
そう言い残して、皇帝はユアンと共にその場を立ち去った。サクリサクリと軽快に草を踏みながら、軽やかかつ堂々たる足取りで。皇帝はその後ろ姿ですら、王の威厳に満ちていた。
後に残されたモニカが、へなへなとその場にしゃがみこむと、ハイディがモニカを見下ろして言う。
「今になって、腰が抜けましたか?」
「は、はい、ぬけ、ましたぁ……」
ハイディはそれを労るでも、手を貸すでもなく、無言で見ていた。
やがてモニカがのろのろと立ち上がり、寮に向かって歩きだすと、ハイディは一定の距離をあけてモニカの後ろをついてくる。
なんとなく気まずくなって、モニカはチラチラとハイディの方を振り向きながら訊ねた。
「あ、あの、あなたは……どこで、寝泊りを?」
「貴女が知る必要の無いことです」
淡々と……と言うには、些か刺のある声だった。他人の悪意に敏感なモニカは反射的に「す、すみません」と謝り、また、ノロノロと歩きだす。
やがて、女子寮の門が見えてきた。これからモニカは門の裏手に回って、高い壁を飛行魔術で飛び越えて移動しなくてはならない。
ハイディに何か声をかけた方が良いだろうかとモニカがもじもじしていると、ハイディは無表情に口を開いた。
「私は今の状況に不満を感じています。貴女が明確に戦争を回避したと陛下が判断されるまで、私は帝国に帰ることができない」
「ご、ごめんなさい……」
「謝罪は不要です。迅速に結果で示してください。バックアップが必要なら、最低限、手はお貸ししますので」
迅速に結果で示せ、と言われてモニカは途方に暮れた。
そもそも戦争を回避する方法なんて、何も考えていなかったのだ。
戦争をしたがっているのは、クロックフォード公爵である。それなら、まず第一に思いつくのがクロックフォード公爵の説得だ。だが、モニカが「戦争をしないでください」と言ったところで、それを聞き入れてもらえるとは思えない。フェリクス──アイクは公爵の言いなりだから、彼から説得してもらうことも難しいだろう。
次に思いつく手は、戦争を望まぬ第一王子ライオネルを王になるように仕向ける、という方法。
だが、モニカ一人がライオネルを次期国王に推したところで、もはや第二王子派の勢いを止めることはできない。
それこそクロックフォード公爵を暗殺でもしない限り、戦争を止めるのは難しい。そして、国王は病床の身なのだ。もう、残された時間は少ない。
(あとは調べていないことと言えば、「あのこと」ぐらいだけど……それが、突破口になるとは思えない……)
それでも今は何もしないよりはマシだと考え、モニカはハイディに話しかけた。
「あ、あの、手伝ってもらえるなら……し、調べて欲しいことが、あるん、ですが……」
「調べごとは得意分野です。承りましょう」
モニカは指をこねながら、ゴニョゴニョと「調べごと」について話す。
ハイディの少し太めの眉毛が、訝しげにしかめられた。
「……その情報が、現状を改善するのに役に立つとは思えませんが、良いでしょう。調べておきます」
「あ、ありがとうござい、ます」
モニカがペコペコと頭を下げると、ハイディは涼やかな顔に僅かな嫌悪を滲ませた。
「礼も謝罪も全て不要です。全ては、私が早くユアンに会いたいがためにすることですから」
素っ気なく言って、ハイディはモニカに背を向けた。
その背中が闇夜に紛れて見えなくなったところで、モニカは額に浮かんだ冷たい汗を拭う。
(……なんだか、すごいことに、なってきちゃった)
隣国の皇帝を脅し、戦争を回避すると約束してしまった。
そして、それに失敗すれば……モニカの手でフェリクス達を殺め、戦争を終結させるとも。
今更になってまた足がガクガク震えてきたので、モニカはその足を無理やり動かして自室へ向かう。とにかく、今は屋根裏部屋に戻ろう。戻ってネロに事情を話して、それからもう一度、自分にできることを探すのだ。
女子寮の壁を飛行魔術で飛び越えたモニカは、こそこそと自室の前まで移動し、再び飛行魔術を起動した。
ただジャンプをするのと違い、窓から室内に入るためには微調整が必要だ。
慎重に慎重に風を操って窓まで辿り着いたモニカは、窓枠に足をかけたところで術を解除する。
「ただいま、ネロ」
「おぅ、おかえり」
ネロは猫の姿のまま、ベッドの上に本を広げていた。どうやら、お気に入りの冒険小説を読み直していたらしい。
モニカはベッドにぐったりと突っ伏すと、首だけを動かしてネロを見た。
「ネロぉ……なんか、すごく大変なことになっちゃった……」
「おぅ、話を聞いてやるから、まずは栞を挟んでくれ」
「はいはい」
モニカは枕のそばに落ちていた栞を拾い、ネロが広げていたページに挟む。
小説は丁度きり良く新しい章に切り替わったところだったらしい。
なんとはなしに開かれたページに目をやったモニカは、その章題を目にして息を飲んだ。
──第十四章「バーソロミュー・アレクサンダーと黒い聖杯」
「……黒い、聖杯……?」
モニカは慌ててベッドから起き上がり、机の引き出しを開ける。そうして、父の本の最終ページに挟まれていた紙片を、引っ張り出した。
それは、糊づけで巧妙に隠されていたメッセージ。
『黒い聖杯の真実に気づいたのなら、もう一度店を訪ねるがいい』
モニカはこのメッセージを目にした日から、父の関わっていた分野の文献で「黒い聖杯」とは何かを調べていた。
だが考えてみれば、このメッセージを残した人物であるポーター古書店の店主は、ダスティン・ギュンターの名で小説を書いているのだ。
そちらから調べるべきだった、とモニカは今更ながら自分の迂闊さを反省する。
「……ネロは、このお話の内容、もう知ってる、の?」
「おぅ、何十回も読んでるからな」
「……黒い聖杯って、どんな役割をしてる物なの?」
モニカが訊ねれば、ネロはモニカが小説に興味を持ったことが嬉しいのか、機嫌良く尻尾を左右に振りながら、その章の内容について──そして、黒い聖杯が果たす役割について語りだした。
「黒い聖杯っていうのはだな、バーソロミュー・アレクサンダーがとある国を旅した時に……」
(……あぁ、だから……だから……)
ネロの話を聞いたモニカはカタカタと体を震わせ、ベッドの上に広げられた小説を……「黒い聖杯」の文字を睨みつける。
(……だから、お父さんは殺されたんだ)