【13ー14】黒獅子の誘い
「いずれリディル王国は内戦になる。そうなる前に、我が帝国にいらっしゃい。皇帝陛下は最高の待遇を保証すると言っているわ」
それは、条件だけ見ればモニカにとって決して悪い話ではなかった。
帝国に行けば、リディル王国ではできない最新の魔術研究もできる。元より、七賢人の地位に執着の無いモニカだ。一年前、山小屋に引きこもっていた頃なら、その誘いに流されていたかもしれない。
だが今のモニカには、この国に大事な人達がいるのだ。
内戦になるかもしれないと分かっていて、一人で逃げだすつもりはない。
「……お断り、します」
「そう、それは残念……でもね、断られても連れてこいっていうのが、陛下の命令なのよぉ?」
ユアンとハイディが同時に動きだす。二人はそれぞれ手にナイフを握り締めていた。
(今日は風が強いから、散布式の毒は使えないはず)
ユアンとハイディが即座に距離を詰める。
モニカは物理防御結界を張って二人の攻撃を防ぎ、同時に雷の魔術を発動した。
モニカが雷を放ったのはユアンでも、ハイディにでもない。先ほどまでユアンがもたれていた木の上にだ。
「ぬぉっ!?」
木の上からくぐもった声がして、潜んでいたもう一人の刺客が木の上から落下する。
実を言うとモニカは、この森に足を踏み入れる前に探知魔術を使って、魔導具が仕掛けられていないか、他に伏兵はいないかを既に調べていた。
だから、とっくに気づいていたのだ。木の上に誰かが隠れていることに。
雷の魔術を受けて木から落ちてきたその男は、フード付きのマントを被っていた。声と体格でなんとなく男性であることは分かるがそれ以上は分からない。
モニカは氷の魔術で槍を作り、その先端を落下して痙攣している男の喉元に突きつける。
仲間の命が惜しければ降伏を──モニカがそう宣言するより早く、痙攣している男が怒鳴った。
「ぬるいっ!」
「………………へ?」
モニカが思わず間の抜けた声を漏らせば、マントの男は木から落ちた体勢のまま怒鳴り散らす
「ぬるいと言っているのだ! 人質にするなら臓腑を傷付けぬ程度に手足を痛めつけて反抗できぬようにし、武器の所持を確認するぐらいせんか!」
人質の身でありながら、人質の扱いについて説教をする男に、モニカはポカンと目を丸くした。
ユアンとハイディはとっくに臨戦体勢を解いて、各々の武器を納めている。
「え? え? あの……」
オロオロとユアンを見れば、ユアンは色々なものを諦めたような顔で肩を竦めていた。
モニカが途方に暮れていると、マントの男は嘆かわしいとばかりにフード頭を振る。
「まったく期待外れだ。ユアンが冷酷無慈悲な魔女と言うから、どれほど恐ろしい女なのかと期待していたというのに……ただの、おぼこい田舎娘ではないか」
「す、すみません……えっと……?」
「だが、その無詠唱魔術とやらは、なるほど見事であった。余が木の上に隠れていたことを見抜いた慧眼も、褒めてつかわそう」
「あ、ありがとうございます……?」
敵にダメ出しをされ、最終的に褒められてしまった。
流石にこれはしまらないと感じたのか、ハイディとユアンが麻痺している男の左右に立ち、肩を貸して立ち上がらせる。
その拍子にマントのフードが外れ、男の顔が露わになった。少し癖のある黒髪に、彫りの深い顔立ちの美丈夫だ。年齢は二十代半ばから後半ぐらいか。
「改めて名乗りをあげよう。〈沈黙の魔女〉よ。余はシュヴァルガルト帝国、第十六代皇帝レオンハルト・アロイス・マクシミリアン・ベルント・クレヴィング! 世に言う黒獅子皇とは余のことである!」
モニカは言われた言葉の意味を理解するのに、たっぷり十秒ほどの時間を要した。
そうして、男の言葉の意味を理解してもなお状況を理解できず、引きつった顔のまま硬直する。
皇帝を名乗る男は、そんなモニカの態度に首を傾けた。
「なんだ、耳が遠いのか? よし、もう一回言ってやろう。余はシュバルガルト帝国、第十六代皇帝レオンハルト・アロイス……」
「こ、ここ、こっ、こっ……?」
「なんだ、藪から棒に鶏の真似事など始めおって」
「こっ、ここっ、こう、ていっ?」
モニカが素っ頓狂な声をあげれば、男は両脇を部下に支えられながら、胸を張った。
「いかにも! 余が皇帝である。噂に聞く〈沈黙の魔女〉の実力をこの目で見たくて、遥々足を運んだのだ」
本来なら玉座に座っているべき男が、そんな馬鹿馬鹿しい理由で、正体を隠して隣国まで足を運んだりするものだろうか。ありえない。ありえないのだが、目の前のこの男を見ていると、どうにも嘘に思えないのだ。
まして、皇帝を騙る偽物にしては、男はあまりにも風格がありすぎた……今はちょっぴり麻痺して、部下に支えられているけれど。
モニカが反応に困っていると、皇帝はそんなモニカをまじまじと眺めて言う。
「しかし、あれだな。無詠唱魔術は…………すごくはあるが地味だな。うん。暗殺向きではあるが。華が足りん」
「す、すみません……」
「〈砲弾の魔術師〉みたく、ドカーンと派手な技は無いのか? あるなら、見せてみよ」
見せてみよ、と言われて、はい分かりましたというわけにもいかないのだ。
ここはセレンディア学園の敷地内にある森の中である。派手な魔術なんて使ったら、警備兵が駆けつけてきてしまうではないか。
「あの、今、夜中なので……」
「余は深夜であろうと興が乗れば、派手に篝火を焚いて楽団を呼び、祭りをするぞ。なんの問題がある」
大問題である。
流石に見かねたのか、ユアンが口を挟んだ。
「陛下、陛下、ここは帝国じゃなくて余所のお国なんですから」
「むっ、それもそうだな」
そろそろ痺れも取れてきたのか、皇帝はハイディとユアンに「もういいぞ」と声をかける。
両サイドを部下に支えられた間抜けな体勢から一転、背筋を伸ばして立つ姿は、一国の主人に相応しい貫禄に満ちていた。
モニカが無意識に背筋を伸ばせば、皇帝は鷹揚に笑う。
「安心しろ、先ほどユアンに攻撃させたのは、無詠唱魔術が見てみたかったからだ。これ以上危害を加える気はない。隠し武器を疑うなら、全裸で会話に応じよう。余は裸にも自信があるからな」
ユアンとハイディの顔が一気に曇った。
「……陛下。それはアタシとハイディが困るので、やめてくれます?」
「む? そうか? とにかく、こちらは誠意を見せたのだ。会話に応じるがいい〈沈黙の魔女〉よ」
全裸が誠意になるのだということを、この日、モニカは初めて知った。
だが、もとより話し合いをしたかったので、応じない理由はない。
「あ、あの、皇帝陛下……」
「うむ」
「……っ、フェリクス、殿下の、秘密を暴くの……やめて、ください」
「断る」
即答だった。
なんとか説得しようとモニカがあうあう口を震わせていると、皇帝は黒い目を細めてモニカを見る。
「よもや知らぬわけではあるまい。クロックフォード公爵が、我が帝国と戦争をしたがっていると」
「…………っ」
「クロックフォード公爵の傀儡であるフェリクス・アーク・リディルが王位につけば、いずれは帝国とリディル王国の間で戦争が起こるだろう。それが貴様の望みか?」
「ち、ちが……っ」
弱々しく首を振るモニカを、皇帝は無知な子どもを哀れむような目で見た。
「かれこれ五十年以上、多少の小競り合いはあれど、この大陸で大きな戦争は起こっておらぬ。何故だか分かるか?」
「竜害の対処に忙しくて、戦争どころじゃないから……とか、ですか?」
「違うな」
皇帝はモニカの言葉をキッパリ切り捨て、断言する。
「魔術師が増えたからだ」
魔術師が増えたことで、どうして戦争が起こらなくなるのか。
いまいちピンとこないモニカに、皇帝は淡々と言う。
「かつて、魔術は一部の特権階級の人間達の間で隠匿されていた。だが、今では門戸が開かれ、魔術師は増えている。魔術の研究も進み、新しい術式も増えた。魔術師は、ただの兵士とは一線を画した『兵器』たり得るのだ」
まるで自分のことを「兵器」と言われたような気がして、モニカは思わず顔をしかめる。
だが、モニカの感情などお構いなしに、皇帝は言葉を続けた。
「この状況で戦争になり、戦場に魔術師が複数配属されたらどうなると思う? 例え戦争に勝利したとしても、互いに被害は甚大。千や万ではきかぬ程の死者が出る」
超大型攻撃魔術を叩き込めば、それだけで数百人の死者が出る。
もし、百を超える上級魔術師が広範囲魔術を撃ち合ったら……国の一部は焦土と化し、魔力に汚染された土地はまともな作物が実らなくなるだろう。
「分かるか? 今の時代の戦争は、かつての戦争とは比べものにならぬほど被害が出るのだ。それを分かっているからこそ、各国の王は小競り合いにとどめ、大規模な戦闘は回避している」
それでもクロックフォード公爵は戦争を望んでいる。
魔術師を兵器として前線に出すことで、万を超える死者が出ようとも。土地の一部が死に絶えようとも。
青ざめるモニカに、皇帝はキッパリと告げた。
「余は戦争を回避したいのだ。故にフェリクス・アーク・リディルが即位したタイミングで内密に告発し、陥れる。この方法なら、我が帝国は血を流すことなく戦争を回避できるからな」
「で、でも、リディル王国は、滅茶苦茶に、なります」
「それがどうした。元々はそちらの国の貴族が蒔いた種であろう。余の知ったことではないわ」
モニカは返す言葉に詰まった。
皇帝の言ってることは、リディル王国民としては認めがたいが、理に適っているし、筋が通っている。
そもそも戦争を仕掛けようとしているのは、クロックフォード公爵側で、皇帝はそれを回避しようとしているだけなのだ。
だが、それでもモニカは認められない。
アイクの秘密が暴かれることも。
リディル王国が内乱で滅茶苦茶になることも。
モニカは絶対に見逃せないのだ。
「……戦争を、回避できれば、いいん、です、よね」
モニカは自分の腹に力を込める。あぁ、目の前に立つ男の威圧感に胃を押し潰されて吐きそうだ。
それでもモニカは胃液の代わりに、必死で言葉を絞り出した。
「わたしが、絶対に戦争を、させません。だから……戦争を回避できたら……『殿下の秘密』を明かさないって、約束して、ください」
モニカの決死の言葉に、皇帝はつまらなそうな顔をした。
「具体策を聞かせてみよ」
「……具体策は、ありません。でも、絶対に、戦争を回避して、みせます」
「くだらん、つまらん。それではまるで話にならんな。何より、余にメリットが無い」
「メリットは、あります」
退屈そうだった皇帝の顔に、ほんの少しだけ面白がるような笑みが浮かぶ。
「申してみよ」
モニカの顔から表情が消えた。まるで、チェスの盤面を前にした時のように。
緑がかった目が、暗い夜の闇の中、皇帝をひたりと見据える。
「……約束してもらえたら、貴方をここから、生かして帰します」
皇帝も、ユアンも、ハイディも、呆気に取られたような顔をしていた。
かと思いきや、次の瞬間、皇帝が腹を抱えて笑いだす。
「は、は、ははっ! わははははっ! 南の異民族を屠り〈黒獅子皇〉と恐れられる余を、面と向かって脅迫する者がいるとはな! ははっ! のぅ、おぼこい小娘よ。貴様に、この黒獅子を殺めることができるのか?」
「……できます」
モニカは右手をスッと前に差し出し、小さな駒を摘まむ仕草をする。
「貴方をただのチェスの駒だと思えばいい」
幼さを残した丸い目が、ガラス玉のような無機質さで黒獅子皇を映しだす。
今のモニカにとって、キングもビショップもポーンも等しく同じ駒だ。
「『要求を呑まねば生かして帰さぬ』か。ははっ、懐かしい! 余が異民族の長に言った言葉そのものではないか!」
ユアンとハイディは硬い顔をしていた。当然だ、二人はモニカが無慈悲にその力を振るう様を目にしている。
だが、皇帝だけは酷く楽しそうに声を上げて笑っていた。
「のぅ、〈沈黙の魔女〉よ。興味があるので聞かせよ。貴様をそこまで動かすのは、誰への忠義だ?」
「……忠義とかじゃ、ない、です。わたしは、わたしの大事なものを、これ以上、奪われたくないだけです」
モニカの頭に浮かぶのは、セレンディア学園で過ごした日々。
たとえ嘘の学園生活だとしても、モニカにとってはかけがえのない宝物なのだ。それを壊したくない。奪われたくない。
もうこれ以上、父が死んだ時のような思いをしたくない……それが、モニカを動かす力だ。
「残念だな。誰かへの忠義で動いているなら、鞍替えさせてやる自信があったのだが。なにせ、余ほど魅力のある主君など、そうはいまい」
高慢極まりないことを、さも当然のように言って、皇帝はモニカを真っ直ぐに見据える。
「さて、〈沈黙の魔女〉よ。余の命を駆け引きのテーブルに乗せたからには、必ずや戦争を止めてみせよ。貴様がしくじった時は……こちらは、いつでも真実を公表できることを忘れるな」
そう言って、皇帝は黒獅子の二つ名に相応しい獰猛な笑みを浮かべた。




