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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第13章「潜入編」
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【13ー13】答え合わせ

 その夜、モニカは屋根裏部屋の窓から地面を見下ろし、緊張に顔を強張らせていた。

「……窓から下りるのって、勇気がいるね、ネロ」

「目を瞑って、一気に飛び降りれば怖くないぜ」

「……駄目、目を瞑ったら着地のタイミングが分からない……」

 ハイディが寄越した連絡通り、モニカは夜、屋根裏部屋を抜け出して森へ向かおうとしていたのだが、屋根裏部屋から森に向かうまでで、既に一苦労だった。

 たとえ七賢人であろうと、高いところから飛び降りるのは怖いのだ。

 もし、風の上位精霊であるリンがいれば何の苦労も無いのだが、リンに協力を頼むわけにはいかない以上、自力でどうにかするしかない。

 ここしばらく、こっそり飛行魔術の練習をしたりもしてみたのだが、やはり安定はしなかった。こればかりはモニカの運動神経の問題である。なにより、モニカは魔術式に意識を割きながら、体を動かすのが苦手だ。

 よし行くぞ、行くぞ、と自分に言い聞かせていると、ネロが窓枠に飛び乗ってモニカを見上げた。

「本当にオレ様が一緒に行かなくていいのか? あの、グニャグニャ野郎と会うんだろ?」

「……うん、大丈夫。ネロはお留守番してて」

 モニカがいつになくしっかりした口調でそう告げれば、ネロは月よりもなお濃い金色の目をきらめかせた。

「オレ様は、お前の使い魔だからな。助けがいるならちゃんと呼べよ。お前の前に立ち塞がるもの全部、噛み砕いて、尻尾で薙ぎ払ってやる」

 今までなら「物騒すぎるよぅ……」と腰が引けていたモニカだが、今はネロの存在が妙に心強かった。

 ネロが冬眠している間、モニカはなんやかんやで寂しかったのだ。

「ありがとう、ネロ。うん…………頼りにしてる」

「ちゃんと頼れよ」

「……うん」

 人に頼ることを覚えろ、とはモニカが今までシリル・アシュリーに言われてきた言葉である。

 モニカは今でも他人に何かを望むのが怖いけれど、少しずつ変わり始めているのだ。

「大丈夫。今のわたしなら、ちゃんと、頼れる」

 その言葉は、半分は自分に言い聞かせるための言葉だ。

 ネロはにんまりと満足げに笑い、モニカの手を肉球で叩く。

「なら良し。行ってこい!」

「うん!」

 モニカは窓枠に足をかけ、飛び降りる。そうして、全身に春の夜風を感じながら無詠唱魔術を起動した。

 強い風がモニカを包みこみ、着地の瞬間にふわりと優しく受け止める。

 少しだけ勢い余って風のクッションの上を跳ねたモニカは、地面にべショリと転んだが、すぐに服についた土を払って立ち上がった。

(……行こう。ここからが、正念場、だから)



 * * *



 指定された森の入り口では、セレンディア学園の制服を着たハイディが佇んでいた。

「……お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ」

 ハイディはランタンを片手に、森の奥へ歩きだす。モニカは無言でその後に続いた。

 冷たい春の夜風が森を吹き抜ければ、ざわりざわりと揺れる木々が夜空に浮かぶ月を隠す。

 ハイディは道なき道を、迷いのない足取りで進んでいき、やがて大きなケヤキの木の前で足を止めた。

 木にもたれているのは、金色の髪の美男子──フェリクス・アーク・リディル。

 だが、モニカはそれが別人だと即座に判断した。

「……私の知ってる人に化けるの、やめてほしい、です」

「あーらぁ、だって今日の本題って『彼』についてデショ? これほど、この場に相応しい顔もないんじゃなぁい?」

 フェリクスと全く同じ顔で、ユアンはコロコロと笑う。

 その蜂蜜を焦がしたみたいな甘ったるい声に、モニカがほんの少しだけ顔をしかめれば、ユアンは唇の両端を吊り上げ、フェリクスならしないようなニヤニヤ笑いを浮かべる。

「さぁ、答え合わせをしましょう。貴女の答えを聞かせてちょうだい。〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレット」

 モニカは何から口にするか悩んだが、やはり駆け引きは自分には無理だと判断し、率直に訊ねることにした。

「……アルトゥールという医師は、あなたの知り合いですか?」

「共に帝国で肉体操作魔術を学んだ仲。元友人で、裏切り者。アタシの研究成果を横取りして、隣国にトンズラこいたクソ野郎よ」

「その人が、帝国を逃げ出したのは十年以上前ですよね。その時には既に、あなたの肉体操作魔術は完成していた……違いますか?」

 ユアンは猫のように目を細め、あざとく小首を傾ける。

「大・正・解。ご褒美にこの顔でチューでもしてあげましょうか?」

「……遠慮します」

 帝国で肉体操作魔術が解禁になったのは、今の皇帝に代替わりしてからだ。

 それまでは、帝国でも肉体操作魔術は禁術扱いだった。だから、ユアンは己の研究成果を公開したりはしなかった……が、その研究成果を持ち出した男がいた。

 それが、アルトゥール。クロックフォード公爵邸でアーサーと呼ばれていた医師だ。

「アタシはねぇ、もうずぅっと長いこと、あの憎い男を追いかけ続けてたのよ。そうして一年前になってようやく、あの男がクロックフォード公爵邸で匿われていたことを知ったわ……とっくにあの男は死んでたけど」

 柔らかな金髪の下に見えるユアンの目は、ほんの数秒前まではフェリクスと同じ碧い色をしていた。

 それが、どろりどろりと苔むしたように淀んでいき、最後は底の見えぬ漆黒へと変わる。

「そうして、アルトゥールの死因について調べているうちに、アタシは……いいえ、正確にはアタシの主が、とあることに気がついた」

「…………」

「アタシのご主人様は、とっても勘の良いお人でね。アタシにその件について調査をするように命じたのよ。アタシがチェス大会と学祭という舞台を使って、フェリクス・アーク・リディルに近づいたのは、その事実を確かめるため」

 そこでユアンは言葉を切り、モニカに流し目を向けた。ここからは、モニカが語れということか。

 モニカはゆっくりと呼吸を整えてから、口を開く。

「……十年前、アルトゥールさんが死んだ火事で、もう一人、死者が出ています……当時のフェリクス殿下の従者で、名前はアイザック・ウォーカー」

 ブリジット曰く、フェリクスが兄のように慕っていた、右目のそばに傷のある少年。

「……彼は、十年前に死んでなんかいなかった。じゃあ、火事の現場から見つかった少年の遺体は誰のものだったのか」

 そんなの、答えは一つしかないのだ。


「……本物の、フェリクス殿下です」


 フェリクス・アーク・リディルの運命の星は、〈星詠みの魔女〉の力をもってしても、十年前から見えなくなっていた。

 当然だ。その時、既に本物の第二王子は死んでいたのだから。

 モニカは唾を飲もうとして失敗した。口の中がカラカラに乾いていて、飲み込む唾すら無いのだ。

 もう一度深呼吸をして、モニカは乾いた唇で十年前の真相を口にする。

「……十年前、なんらかの事情で本物のフェリクス殿下が亡くなった。そこで、クロックフォード公爵は医師のアルトゥールに命じ、殿下の従者であるアイザック・ウォーカーに肉体操作魔術を施した……殿下とそっくり同じ顔になるように」

 ブリジットがこの事実に気づかなかったのも無理はない。

 リディル王国の人間にとって、肉体操作魔術はそうそう縁のない話だ。その存在を知っているモニカですら、十年前に顔を作り替える技術が完成していたとは思わなかった。

 ……アイク、というのはアイザックの愛称だ。

 アイクという青年を知っているモニカだからこそ、この真実に気づくことができたと言ってもいい。

「……そして、公爵はアルトゥールを口封じのために殺害し、亡くなった本物の殿下の遺体と共に、火事に見せかけて燃やした」

 モニカは俯きたくなるのをグッと堪え、ユアンを真っ直ぐに見据える。

「あなたが、殿下に近づいたのは……あの人の顔を確認するため、ですね? 肉体操作魔術に長けた魔術師は、至近距離なら施術の痕を確認できる」

 ユアンは芝居がかった仕草で拍手をし、幼子でも褒めるかのように「よくできました」とニッコリ笑った。


「答え合わせはここまで。さぁ、ここからは取引の時間よ」


 そう、過去の真相が判明した今、重要なのは「これから」の話なのだ。

 ユアンとハイディは帝国の人間だ。リディル王国と帝国は、現状は敵対関係にない……が、クロックフォード公爵は戦争を仕掛けたがっている。

 戦争の口実など、作ろうと思えば簡単に作れるのだ。例えば、近年帝国が土地開発をしているせいで、竜がリディル王国に流れ込んできているとでも難癖をつければいい。

「あなた達は、この真実を……どうするつもり、ですか」

「勿論、暴露するわよ。それも、フェリクス・アーク・リディルが国王に即位した直後にね」

「…………っ!!」

 それは間違いなく、考えうる限り最悪のタイミングでの暴露だ。

 青ざめるモニカに、ユアンは楽しげに笑いながら言う。

「勿論、帝国名義で公表したりはしないわよぉ? ただ、その真実をリディル王国の反クロックフォード公爵派の貴族に、証拠も込みで握らせてやればいい……例えばブライト伯爵とかに、ね?」

 ブライト伯爵。それは、かつてフェリクスの暗殺を目論んだケイシーの父親だ。

 なぜ、ここでケイシーの父親の名前が出てくるのか? その理由は、少し考えればすぐに分かった。

「アタシ達ね、リディル王国内の貴族とも、ちょっとした繋がりがあるの……正確にはランドール王国経由でだけど」

 ランドール王国はリディル王国と帝国という二つの大国の間に挟まれた小国。ここ数十年は両方の顔色を窺って波風立てずにやり過ごしてきたが、どうやら最近は帝国側に傾きつつあるらしい。

 ユアンは「第二王子が偽物である」という真実を、ランドール王国経由で、リディル王国内の反クロックフォード公爵派に流すつもりなのだ。

 そうすれば、リディル王国で内部紛争が起こるのは想像に難くない。

 帝国側は兵を動かすことなく、リディル王国を衰退させられる。

「あぁ、一応言っておくけれどぉ、ここでアタシとハイディを殺して、口を封じても無駄よ? さっきも言ったけど、アタシのご主人様は、ぜーんぶお見通しだから……ねぇ、なんでアタシがアナタの答え合わせに付き合ってあげたか分かる?」

 ユアンは少しだけ哀れむような目で、モニカを見つめる。

「……アナタが真実を知ったところで、できることが何もないからよ」

 そう、ユアンの言う通りだ。

 帝国側はフェリクスが偽物だと気付いている。そして、おそらくその証拠も用意しているのだ。あとは、フェリクスが王になったタイミングで、真実を暴露すればいい。

 ……そして、モニカにはそれを止める手立てが無い。

「ねぇ、〈沈黙の魔女〉さん。アタシのご主人様から、一つ提案があるのだけれど」

「…………?」

 ノロノロと顔を上げるモニカに、ユアンは猫撫で声で言う。

「アナタ、うちの国に来る気はなぁい?」

「………………えっ?」

 予想外の言葉にモニカがポカンと目を丸くすれば、ユアンは場違いなほど茶目っ気たっぷりに、ウィンクをしてみせた。

「アタシ達がアナタの誘いに応じた、一番の理由はこれよ。我が主……皇帝陛下はアナタを召し抱えたいと言っている」

 ユアンがその手をモニカに差し伸べる。

 何人もの人間を殺めた血塗られた手が、ヒラヒラと揺れてモニカを誘う。

「これから衰退するリディル王国なんて見限って、我が帝国にいらっしゃい。〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレット」


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