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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第13章「潜入編」
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【13ー10】名前

 ブリジットが見つけた小屋には、明かりとりの窓がついてはいたが、窓の位置が高く、中の様子を覗くのは難しそうだった。

「鍵はかかっていないようね……中に入るわよ」

 あまりの決断の早さに、モニカはギョッと目を剥く。

「えぇっ!? な、中に誰かいたら、どうするんです、か……?」

「それが本物の殿下なら万々歳。それ以外だったら『倉庫かと思った』とでも言えば良いわ」

 そう言ってブリジットはモニカが止める間も無く、扉を開ける。

 小屋の中は物置ではなく、誰かが暮らしている生活空間のようだった。

 調理台も、素朴なつくりの家具も、どれも使い込んだような雰囲気がある。

 ただ、とても本物のフェリクス殿下が──貴人が暮らしているとは思えない空間だ。モニカが暮らしていた山小屋よりは幾らか上等、といったところだろうか。

 部屋の奥にはベッドがあり、そこで誰かが寝ているようだった。そのベッドの膨らみを見たブリジットの横顔が期待に輝く。

 きっと、彼女は「殿下!」と声をあげたかったのだろう。それでもブリジットは開きかけた唇を一度閉じ、静かな足取りでベッドに近づいた。


「…………んぅ? 飯の時間かね?」


 ベッドに横たわっていた人物が、ゴロリと寝返りを打ってこちらを見る。

 予想はしていたことだが、それは本物のフェリクス殿下ではなかった。白髪頭の痩せた老人だ。

「はて、お嬢さん方は……新しい使用人かね?」

 老人はベッドに寝そべったままブリジットとモニカを見上げて、驚いたように濁った目を丸くしている。

 言葉に詰まるモニカに代わって、ブリジットが口を開いた。

「あぁ、すみません。わたす達、今日は庭の手入れに来た者なんですけど。草刈り鎌をお借りしたくて、物置を探してたんです」

「あぁ、あぁ、そうだったのか。ワシが腰を痛めたばかりに、すまないね。鎌は、そこの木箱に入っているよ。他にも庭の道具は全部そこに入ってるから、必要なら持って行くがいい」

 ブリジットは「ありがとうございます」と礼を言い、言われた通りに木箱を漁り始めた。

 木箱に入っているのは、どれも庭の手入れに使う道具ばかりだ。ついでに言うと、壁際には泥や草の汁で汚れた作業着やブーツなどがぶら下がっている。

 モニカは思わず老人を見た。老人は痩せてはいるが、その肌は赤茶色に焼けている。

「……おじいさんは、この屋敷の、庭師さん、なんですか?」

「あぁ、かれこれ四十年はこのお屋敷に仕えさせていただいてるよ」

 その庭師の男は、今も毎日庭の手入れをしているらしい……が、年故に足腰が悪く、今日のように大規模な植え替えの時は外部の者に任せているのだという。

 この小屋は庭師の作業小屋兼、住居という訳だ。

 老人は億劫そうにベッドから起き上がると、モニカを見て言った。

「あぁ、お嬢さん。そこの薬をとってくれないかね。そぅ、そこの紙袋だ」

 老人は起き上がるのも一苦労なのだろう。言われた通りに、モニカは紙袋を手に取る。

 紙袋には薬の種類と、食後に一包み飲む旨、それと処方した人間の名が記されていた。

 その名前にモニカはギョッと目を剥く。


 ──ピーター・サムズ


 それは、レーンブルグ公爵家に潜り込み、呪竜騒動を引き起こした実行犯。そして、モニカの父を売った男の名だ。

 モニカの心臓が音を立てそうなほどに跳ねる。

 紙袋をモニカが凝視していると、老人は「どうしたのかね?」と不思議そうにモニカを見た。

 モニカはぎこちなく笑い、紙袋を老人に手渡しながら訊ねる。

「あ、えっと、ピーター・サムズさんには、個人的にお世話になったことが、あって……その、まだ、この屋敷にいらっしゃるんですか?」

 モニカなりに精一杯頭を働かせて訊ねれば、老人は「あぁ」と少し寂しげに溜息を吐いた。

「そういえば、最近は姿を見ないな。彼が作ってくれたこの薬も、残りが少ないから困ったものだ」

「……ピーター・サムズさんが、お薬を?」

「彼は医者だったからね……うん? 違ったか? 旦那様お抱えの研究者だったか? ……まぁ、医者みたいなもんだろう」

 ピーターは〈深淵の呪術師〉のオルブライト家分家に弟子入りしていた生粋の呪術師だ。

 だが地域によっては、呪術師が医師や薬師紛いのことをするのは珍しくない。

 クロックフォード公爵邸にいる間、ピーターは表向きは医師の顔をして、裏で呪術の研究をしていたのだろう。

(やっぱり、ピーター・サムズとクロックフォード公爵は繋がっていた……〈深淵の呪術師〉様の言ってたとおりだ……)

 もう少し、ピーターについての情報が欲しい。

 ブリジットはモニカのことを訝しげな顔で見ていたが、急かしたり口を挟んだりはしなかった。

 モニカはドクドクと煩い心臓を服の上から押さえ、呼吸を整える。

 モニカは即興で嘘をついたり、探りを入れたりという駆け引きが苦手だ。それでも、拙いなりになんとか情報を引き出したかった。

「ピーターさんも、このお屋敷に勤めて、長かったです……よね。何年ぐらい、でしたっけ」

「十年ぐらいだったかねぇ。前のアーサー先生とほぼ入れ違いみたいなもんだったが」

 アーサー、という名前がモニカの記憶に引っかかる。

(アーサー? 誰だっけ? …………そうだ、確かあの時……)

 モニカはピーター・サムズが死の間際に残した言葉を思い出す。


『あぁ、あぁ、どうせ閣下は私を逃しはしない……は、はは、はははははは、アーサーの二の舞になど、なってたまるか!』


 アーサーという人物は、どうやらピーターの前に医師を務めていた人物らしい。

 ピーターは死の間際に「アーサーの二の舞になど」と口走っていた……ということは、そのアーサーという人物はクロックフォード公爵の手で、消されてしまったのだろう。

 モニカがうんうんと考え込んでいると、その間をもたせるかのように、ブリジットが世間話を装って老人に話しかけた。

「おじいさんは、長いことこの屋敷にお勤めなんですね……それじゃあ、もしかして、フェリクス殿下の幼い頃も見たことが?」

「あぁ、確かにフェリクス殿下は幼少期にこの屋敷に滞在してたが……お体の弱い方でな。あまり外には出られなかったから、ワシも何回かしかお顔を見たことがないよ……それに」

 老人は言葉を切り、少しだけ遠い目をしてボソリと呟く。


「あの事件とご病気が重なって、フェリクス殿下はすっかり引きこもってしまわれたからなぁ」


 ブリジットの目が、眼鏡の奥でキラリと輝くのをモニカは見た。

 ブリジットはいかにもお喋り好きな若い娘を装って、興味津々の体で身を乗り出す。

「あの事件って?」

 老人はすぐには答えず、紙袋の中から粉薬を取り出し、水差しの水で流し込んだ。

 そうして紙袋を枕元に置いて、この小屋をぐるりと見回す。

「この小屋はなぁ、昔はもっとオンボロかった。当時はワシも使用人棟で暮らしておって、ここはただの物置小屋だったんだ……そこで火事があってな。火を消そうとして、使用人が二人亡くなったんじゃよ」

 ゾクリ、と嫌な予感にモニカの背すじが震えた。


 幼少期のフェリクスが病気になったのと、ほぼ同時期に起こった火事。


 そこで死んだ二人の人間。


「……ど、どなたが……亡くなったんです、か」

 思わず口を挟むモニカに、老人はポツリと呟く。

「さっき話に出たアーサー先生と、殿下の従者の少年だよ。当時、侍女頭だったマーシー婆さんも、この事件にショックを受けて、修道院に入っちまってねぇ……殿下はその侍女頭と死んだ従者に懐いていたもんだから、すっかり落ち込んで塞ぎ込んじまったらしい」

「そ、その、亡くなった従者の方って、お名前は、なんと仰るんです、か?」

 老人は目尻の皺を深くして、懐かしむような顔をした。



「アイザック・ウォーカー……ワシの手伝いもよぅしてくれた、殿下想いの優しい良い子じゃったよ」


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