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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第13章「潜入編」
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【13ー9】潜入

 クロックフォード公爵邸への潜入当日の朝。

 モニカは、ブリジットと共に馬車に乗り込んでクロックフォード公爵邸付近にある宿の一室に移動し、そこで潜入のための準備をしていた……のだが。


「お前は庭師というものを、見たことが無いの?」


 庭仕事用のズボンとシャツに着替えたモニカに、ブリジットは辛辣な一言を投げつけた。

 モニカは改めて自分の服装を見直す。

 サスペンダー付きのズボンに、使い込んだシャツ。これに帽子を被れば、どこから見ても庭師だ……とモニカは思っているのだが、ブリジットは眉間に皺を寄せていた。

「どこの世界に、そんな生白い庭師がいるというのです」

「……あっ」

 言われてみれば確かに、庭仕事をしている者が、全く日に焼けていないのは不自然である。あの美貌の〈茨の魔女〉ですら、健康的に日に焼けているのだ。

 そのことに今更気づいたモニカがオロオロしていると、ブリジットは自身の荷物の中からドーランの瓶を取り出して、机にドンと置いた。

「まずは、これを肌に塗りこみなさい。顔だけでなく首も手も、露出するところ全てよ」

「は、はいっ」

 モニカは言われた通りに、色の濃いドーランを指にすくって手の甲に塗ってみた。しっかりと塗り込んでいけば、青白いモニカの肌は日に焼けた赤茶色に変わっていく。

 モニカがドーランを塗り込んでいる間に、ブリジットは美しいドレスから、くたびれたシャツとズボンに着替えた。履き替えたブーツも、しっかり泥で汚れて使い込んだ跡のある物だ。徹底している。

 更にブリジットは美しい金色の髪をひっつめ髪にして、帽子の中に仕舞い込んだ。

 だが、どんなに美しい髪を隠しても、肌にドーランを塗っても、その際立った美貌は隠し切れていない。

 やはり、ブリジットが潜入など無理があるのでは……と思っていると、ブリジットは荷物の中から綿を取り出して口に含んだ。

 そうして最後に野暮ったい眼鏡を取り出して装着すれば、その印象はガラリと変わる。


「これで、どだ?」


 ブリジットが発した声はくぐもっている上に、独特の下町訛りがあった。

「…………え、っと……ブリジット様、です、か?」

 思わず間の抜けた声を漏らすモニカを、ブリジットはフンと鼻で笑う。

「お前はケルベック伯爵家の諜報員なのでしょう? この程度で驚いてどうするのです」

「す、すみません……」

 ブリジットが語学堪能なのはモニカも知っていたが、まさか下町訛りまで網羅しているとは思わなかった。

 モニカが感心していると、ブリジットは庭仕事用の厚手の手袋を二つ取り出し、一つをモニカに押し付ける。

「それと、手袋は絶対に外さないようになさい。どんなに色を変えても、手の荒れ具合を見れば、どのような階級の人間かは一目で知れてよ」

 モニカは今更ながら、ブリジットに潜入ができるのかと疑っていた自分を恥じた。

 ブリジットの方が、モニカよりもよっぽど徹底している。



 * * *



 モニカとブリジットが、クロックフォード公爵邸に向かうと、〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグが出迎えてくれた。

「やぁ、今日は絶好の庭仕事日和だな!」

 薔薇色の巻き毛に濃いグリーンの目。

 妖精の国の王子様かと見紛うような美貌が快活に笑えば、白い歯がキラリと眩しい。

 フェリクスやブリジットに並んでも何ら遜色のない容姿のラウルは、今日もお馴染みの野良着姿であった。ついでに肩にはスコップを担いでいる。

 ブリジットはモニカに小声で耳打ちした。

「……なんなの、あの場違いに顔の良い庭師は?」

 流石のブリジットも、あれが七賢人〈茨の魔女〉だとは思わなかったらしい。まぁ、それを言ったら、モニカも七賢人なのだけど。

「え、えーっと……こ、今回の、協力者様、です」

 ラウルには事前にブリジットが同行する旨と、ブリジットには自分が〈沈黙の魔女〉であることを隠して欲しいと伝えてある。

 ラウルはブリジットの素性について、あまり深く詮索せず「モニカの仲間なんだな! 勿論大歓迎だぜ!」と快諾してくれた。

 現場にはラウルの他に、ローズバーグ家の使用人が八人ほどいる。みな、庭仕事に長けた者達なのだろう。全員こんがりと日に焼けていて、改めてモニカはブリジットの判断が正しかったことを知った。この中で、モニカだけ青白い肌をしていたら、確かに不自然である。

「今日の流れについて、ざっと説明するぜ。作業は午前中いっぱい。花壇担当は主に種蒔きと苗の植え付け。植木担当は木の剪定。オレは全体の指揮って感じだな。モニカ達は一応花壇担当だけど、適当なところで抜けて自由に動いていいぜ。ただ、邸内の調査は昼まで待った方が良いかもな」

「……えっと、お昼に、何かあるんですか?」

「屋敷の中に飾る花のことで、執事さんから相談を受けててさ。飾る部屋を直接見たいって言ったら、作業が一段落した昼頃に見せてもらえることになったんだ。だから、その時にオレに同行してくれれば、自然と屋敷の中を見て回れるぜ」

「それじゃあ、その時に、同行させて、ください。よ、よろしくお願いしますっ」

「おぅ! 任せとけ!」

 ラウルはドンと胸を叩くと「庭仕事庭仕事〜」と鼻歌を歌いながら、台車に乗せた苗を取りに行く。

 その背中を見送り、ブリジットが怪訝そうな顔で呟いた。

「……クロックフォード公爵邸の庭だけでなく、邸内に飾る花まで一任されてる? 何者なの? あの男……」

「あ、あはは……」

 繰り返すが、彼は庭師でも無ければ、花屋でもない。この国トップの魔術師である。



 * * *



 クロックフォード公爵と言えば、この国で最も権力の強い大貴族であることはモニカでも知っている。

 故に、その屋敷もきっとさぞ豪華絢爛で金ピカなのだろうと思っていたのだが、公爵邸はモニカが想像していたよりもずっと上品で、何より歴史を感じさせる佇まいだった。

 建物の装飾一つ一つに歴史を感じる荘厳な佇まいは、華やかさや絢爛さとは別の意味で見る者を圧倒する。

 その敷地はとにかく広く、庭の手入れにこれだけの人手がいるのも納得だった。

 庭に移動したラウルは、公爵邸の使用人達に「やぁ、どうも、どうも」と気さくに挨拶をしつつ、部下達に指示を出している。

 その忙しそうな様子に、モニカは自分も手伝うべきかと思わずソワソワしたのだが、ブリジットが呆れたようにモニカに耳打ちした。

「何のためにここまで来たか、もう忘れたの?」

「あぅっ……」

 言葉を詰まらせるモニカに、ブリジットは呆れ顔で鼻から息を吐き、ラウルに声をかけた。

「庭師長、わたす達は草むしりしてきます」

「おぅ、適当に頼むぜ!」

 ラウルの言葉にブリジットは一つ頷き、モニカの手を引いて歩きだす。

「さぁ、行くわよ。まずは、屋敷の外から調査するわ」

「は、はいっ」

 つくづく頼もしい令嬢である。もし、ブリジットがいなかったら、モニカはうっかりその場の空気に流され、庭仕事を手伝うことに専念していたかもしれない。

 ブリジットは本物のフェリクスが、公爵邸の敷地内のいずれかに隠されているのではないかと考えているようだった。その場所の目星を彼女は既につけているらしい。

「疑わしいのは、公爵邸の二階以上の部屋のいずれか。一階は客人が出入りするから可能性は低いわ。まずは屋敷の外からぐるりと回って、窓の様子を調べるわよ。不自然にカーテンがかかっている部屋があったら、疑わしいと思いなさい」

「な、なるほど……」

 モニカとしては、呪竜騒動の主犯であるピーターとクロックフォード公爵の繋がりについて調べたかったのだが、まずはブリジットの目的を優先させることにした。

 ブリジットは窓を見上げながら、周囲には聞こえぬよう小声で呟く。

「それと、屋敷の使用人で接触したい人物がいます」

「……接触したい人物?」

「当時、幼かったフェリクス殿下の侍従だった男よ。年齢は恐らくあたくしと同じか少し上。金髪。右目のそばに傷があって、前髪でそれを隠していたから、見ればすぐに分かるわ」

 ブリジットはそこで言葉を切り、一度だけ瞼を閉ざして、ゆっくりと開く。

「あの男は、この屋敷で唯一殿下の味方だったわ。まだ、この屋敷にいるかは分からないけれど。もし、まだいるのなら……きっと何か知っているはずよ」

 そう言ってブリジットは再び歩き出す。その足取りには迷いがない。きっと、何度かこの屋敷を訪れたことがあるのだろう。

「ブ、ブリジット様は、すごい……ですね……」

 変装にしても、調査の段取りにしても、モニカよりよっぽど手際が良いし、徹底している。

 先頭を歩くブリジットはモニカを少しだけ振り返って、鼻を鳴らした。

「……あたくしが、何年かけて下準備をしてきたと思っているの?」

 その呟きには、重みがあった。

 きっと、ブリジットはフェリクスの人柄が変わってしまった日から、ずっとずっと彼女の王子様を探し続けてきたのだ。

 ……誰にも相談できず、たった一人で。

「これが、あたくしにとって最初で最後のチャンスなのよ。これを逃したら、きっと次の機会は来ない……入念に準備をするのは当然でしょう」

 ふと、ブリジットは言葉を切って足を止める。彼女の視線は右斜め前方にある小さな小屋に向けられていた。

「……見覚えのない小屋ね」

 それは屋敷の裏手の少しひらけた場所に建てられた、こじんまりとした小屋だ。真新しいというほどではないが、歴史を感じさせる公爵邸と比べると、比較的新しく見える。

「ブリジット様も知らない小屋なんですか?」

「あたくしがこの公爵邸に出入りしていた幼少期は、もっと粗末な物置小屋だったわ。……恐らく、それ以降に作り直された物ね」

 変装用の眼鏡の下で、琥珀色の目が爛々と輝いた。

「……怪しいわ。調べるわよ」

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