【13ー8】決行三日前
モニカがブリジットに協力を持ちかけられてから一ヶ月近く過ぎた頃、ようやくネロが冬眠から目覚めた。
丁度そのタイミングで屋根裏部屋を訪れたのが、ルイス・ミラーの契約精霊であるリンだ。
随分久しぶりに訪れたリンは、既にルイスから魔法戦騒動の顛末を聞いていたらしい。
むにゃむにゃと前足で寝ぼけまなこを擦るネロに、リンは流暢な口調で魔法戦騒動について語って聞かせていた。
「……かくして、〈沈黙の魔女〉殿をかけた男達四人の熱い戦いが、今ここに幕を開けたのでございます。大衆が見守る中、悪の魔王ヒューバード・ディーの奸計に倒れる男達……そこに駆けつけた〈沈黙の魔女〉殿は、封印されし禁断の力を解放し、ヒューバード・ディーをメタメタのギタギタに……」
「なんだそれ。オレ様が寝てる間に、そんな面白いことになっていたなんて……!」
「あの、あの、あのぅ……」
流石にモニカが口を挟むと、リンは人形じみた無表情で「何か?」と問う。何かもへったくれもない。
「ちょっと、事実と、違う、ような……」
「はい、わたくしの方で少々脚色を加えさせていただきました」
リンの悪びれもしない態度に、モニカは両手で顔を覆う。
ネロはもう、すっかり眠気も覚めた様子で、金色の目をキラキラとさせていた。
「くそぅ、冬眠してたことが悔やまれるぜ。オレ様がいたら、そこに乱入してたのに」
「はい、わたくしもその時、現場にいなかったことを非常に後悔しております」
きっとこの二人がいたら、いよいよ収拾のつかないことになっていただろう。
そもそもリンは風の上位精霊だし、ネロは正体を隠しているけれど黒竜である。この二人が魔法戦に乱入などしたら……想像するだけで恐ろしい。
(ネロが冬眠中で良かった……リンさんが来てない時で良かった…………あれっ?)
ふとモニカは思い出す。
人伝に聞いた話だが、あの魔法戦の結界はルイス・ミラーが結界の補助をしていたらしい。つまり、あの場にはルイスがいたのだ。
ルイスは長距離の移動の際は、大抵、リンの飛行魔術を使う。ルイス自身も飛行魔術は使えるが、人間は長距離飛行に耐えられるほどの魔力を有していないからだ。
(……あの魔法戦の日、ルイスさんは来てたのに、リンさんは来てなかった? ……そういえば、最近はあまりリンさんが来てなかった気がする……)
そのことがほんの少しだけ気になって、モニカはリンに訊ねた。
「あの、リンさん、最近……お忙しいんですか?」
リンはコクリと頷き、淡々と答える。
「はい、ルイス殿の悪巧みの片棒を担ぐのに忙しく」
「……そ、それって、言っちゃって良いんですか?」
「口止めされておりませんので」
恐らく口止めはされていないけど、ホイホイ言いふらして良いことでもないのだろう。
この美貌のメイドは場の空気を読むとか、相手の気持ちを察するという能力に、いまひとつ欠けているのだ。
それにしても、ルイスは一体何を企んでいるのだろう。気にならないと言えば嘘になるが、聞いてしまったが最後、自分も巻き込まれる予感がしたので、モニカは深く追求をすることをやめた。
リンはモニカから近況報告書を受け取りエプロンのポケットにしまうと、窓枠に足をかける。
「それでは、わたくしはこれにて失礼いたします」
そう言ってメイド服の美女は、春の夜風に乗るように窓から飛び立っていった。
やがて漆黒のメイド服と鮮やかな金髪が夜闇に溶けて見えなくなった頃、モニカは静かに窓を閉める。
「……ネロ」
いつになく神妙な声に、ネロがピクリと髭を震わせる。
「ネロが冬眠している間にあったこと、話すね」
「メイドのねーちゃんや、そのバックにいるルイルイルンパッパには聞かれたくない話ってことだな」
モニカはコクリと頷くと、ネロが寝ている間の出来事をかいつまんで語って聞かせた。
呪竜騒動の影に、クロックフォード公爵の影がチラついていること。
同じ七賢人である〈深淵の呪術師〉〈茨の魔女〉が、クロックフォード公爵の調査に協力してくれていること。
そして、ブリジットと共に、クロックフォード公爵邸に潜入することになったこと。
一通り話を聞いたネロは、人間がするみたいに前足で顎を撫でて、ふぅむと唸った。
「ブリジットって言うと……あぁ、思い出した。オレ様のセクシーポーズを無視した、ツンツン女だな」
「……せくしぃぽぉず? 待って、何の話?」
モニカの疑問の声を無視して、ネロはふむふむと独りごちる。
「ツンツン女は、キラキラ王子を偽物だと疑ってるってわけだな……で、モニカはどう思ってんだ?」
「正直に言うと、半信半疑……かな。殿下に違和感があるのは事実だけど……でも……そう都合よく、そっくりさんを用意することができるとは、思えない……」
まして、フェリクスの顔はモニカも感心するほどの黄金比である。あれほど稀有な美貌の持ち主は、そうそういない。
モニカが唸っていると、ネロが不思議そうに目を丸くした。
「そういうのって、魔術でチョチョイとできるもんじゃねぇのか? ほら、学祭の時にいたろ。気持ち悪いグニャグニャ粘土野郎が」
ネロが言っているのは、恐らくユアンの肉体操作魔術のことだろう。あの男は、その顔を粘土のように歪めて他人そっくりに化けていた。確かにあの技術を使えば、本物のフェリクスに成り済ますことは可能だろう。
だが、それはできないのだ。
「……肉体操作魔術は、リディル王国では禁術扱いなの。帝国では数年前に解禁されたみたいだけど……ブリジット様が言うには、殿下の性格が変わったのは十年前だから、時系列的に無理がある、と思う」
モニカの知る限り、肉体操作魔術に関する研究は、ほんの数年前までは肉体の一部を強化したり、止血したり、傷痕を消したりするぐらいが精一杯だった筈だ。
「まして、クロックフォード公爵は帝国との開戦派だから、帝国の技術を持ち込めるとは思えない……」
モニカの言葉に、ネロはうーむと唸る。
そして何かを思いついたような顔で、モニカの膝を肉球でポムポム叩いた。
「オレ様閃いた。きっとあのキラキラ王子は、本物の王子の双子の兄弟なんだ。そういうトリックの話を、小説で読んだことがあるぜ」
「……流石に、王族のかたが双子だったら、記録に残ってるでしょ」
「ちぇー、それもそうか」
ネロはあっさり引き下がり、残念そうに尻尾をユラユラ揺らす。
モニカはゆっくりと息を吐き、ポケットから一枚の手紙を取り出した。
手紙は〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグからの手紙だ。そこには、いよいよ三日後に行われる潜入調査の集合場所が記されている。
……それと「一人、仲間を連れて行きたい」というモニカの要望に了承する旨も。
モニカの肩に飛び乗って手紙を覗き込んだネロは、得意げにニヤリと笑う。
「この、もう一人連れて行く仲間ってのがオレ様なわけだな? 従者の次は庭師役か。腕がなるぜ」
「ううん、ネロは今回お留守番」
「にゃ、にゃにぃっ!?」
モニカが手紙に書いた「もう一人」とは他でもない、ブリジットのことである。
「わたし、三連休の間、ほとんど留守になるから……ネロには連休中の殿下の護衛をお願いしたいの」
「ちぇー、そういうことなら仕方ねぇけど……なぁ、暇潰しに本を沢山用意しておいてくれよ。なんなら、図書室のダスティン・ギュンター、ありったけ借りてこい」
「はいはい」
相槌を打ちつつ、モニカは頭の片隅にこびりつく違和感に、ほんの少しの焦燥を覚えていた。
(……なんだろう、何か見落としてる気がする)
ここしばらくの自分の記憶を、モニカは一つ一つ辿っていく。
魔法戦騒動、新年の儀、帰省、呪竜騒動、学祭、歓楽街での夜遊び……。
「……あっ」
記憶に僅かに触れたのは、歓楽街でアイクと出会う直前。
〈星詠みの魔女〉メアリー・ハーヴェイ邸でのやりとり。
『あたくし、国の未来と王族に関する部分を特に重点的に〈視て〉いるのだけど……もう十年ぐらい前から、フェリクス殿下の運命だけが読めなくなってしまったのよぉ』
十年前という数字はブリジットの言う、フェリクスが病になり、会えなくなった時期と一致する。
ブリジットは、本物のフェリクスはクロックフォード公爵邸に幽閉されているのではないかと言っていた。
だが、それよりも悪い予想がモニカの頭をよぎる。
(……もしかして、本物の殿下は…………)
【登場人物に対するネロの呼び方まとめ】
ルイルイルンパッパ(他)→ルイス
メイドの姉ちゃん→リン
オレンジ色のクルクル→イザベル
キラキラ王子→フェリクス
ヒンヤリ兄ちゃん→シリル
声デカ坊主→グレン
ふわふわお嬢→エリアーヌ
ツンツン女→ブリジット
ルイスに対してだけ悪意を感じます。