【13ー7】恋愛初心者、迷走中
その日、お茶会の席で、ラナ・コレットは友人の言葉に衝撃を受けた。
「あ、あのね……ラナは、誰かに恋したことって、ある?」
そう言ってモニカは、小さい指をもじもじと捏ねる。いつも血の気の薄い頬は、ほんの少しだけ朱に染まっていた。
これは、もしかして、もしかしなくても、もしかするのではないだろうか?
「モニカ……好きな人ができたのっ!?」
思わず前のめりになるラナを、隣の席のクローディアが冷ややかな目で見る。その視線に、ラナはここが個室ではない大部屋のティールームだということを思い出し、慌てて浮いた腰を椅子に戻した。
もう少し暖かくなってくれば、外のティールームが使えるのだが、今はまだ冬の真っ盛り。ちょっとした茶会をするならば、大抵の生徒はこの大部屋のティールームを使う。
ティーテーブル間はそれなりに距離が開いてはいるけれど、あまり大きな声を出せば、近くのテーブルに届いてしまう。
ラナはコホンと咳払いをし、居住まいを正してモニカを見た。
モニカはいつもの彼女らしく、眉を下げた困ったような顔で、ポソポソと言う。
「あの、えっと、わたしのことじゃないんだけど……その、恋してる人のために、一生懸命な人がいて……」
自分の話ではなく知り合いの話……という前置きは、自分の話を遠回しにしたい時のお約束である。
(……これはモニカの話で間違いないわ、きっとそうよ)
となると、モニカが恋する相手は誰かという話になってくる。
実を言うと、ラナには心当たりの人物が一人いた。学祭の日に花飾りを受け取ったとなれば、もう相手はその人に決まっているではないか。
ラナとしては、モニカには卒業後、自分が設立する予定の商会に来てほしいというのが本音である。だが、もしモニカに婚約したいほど好きな人がいるなら、応援するのは吝かではない。
ラナは普段あまり使わない扇子を取り出し、口元を隠しながら、隣に座るクローディアに小声で話しかけた。
「ねぇ、これって……つまり、そういうことよね」
「………………」
「貴女のお兄さんなんでしょ? 何かそういう話は聞いてないの?」
ラナが話しかけても、クローディアはその美しい顔をピクリとも動かさない。
何か言いなさいよ、とラナが睨むと、クローディアは感情の読めない目で真っ直ぐにモニカを見つめ、言った。
「……モニカ、誕生日はいつ?」
「へっ? え、えっと、先月、です」
「……そう。私は秋生まれなの。私の方が数ヶ月年上ね」
「は、はぁ……」
突然誕生日の話題を振られ、モニカは困惑しているようだった。当然だ。
そんなモニカに、クローディアはいつもの気怠げな口調で一言。
「…………お義姉さんって呼んでもいいわよ」
ラナは思わず叫んだ。
「誰もそこまで話を飛躍させろとは、言ってはいないわよっ!」
「……大事なことでしょう。私がモニカの義妹なら、周囲が混乱するわ」
「そりゃ確かに、モニカが義姉って、ちょっとややこしいけど……」
思わず顔を赤くして唇を尖らせるラナに、クローディアはどこか呆れたような目を向ける。
「貴族階級の人間にとって、結婚は身近な話よ」
「そ、そりゃ、そうだけど……」
「何も飛躍してないわ……お、わ、か、り?」
「……うぅ」
そもそも貴族ともなれば、結婚相手は幼少期に親が許婚を決めてしまうのが一般的である。恋愛結婚できる者は極少数だ……まぁ、ラナの父親は恋愛結婚だったらしいけれど。
ラナとクローディアがそんな話をしている間、ずっと置いてけぼりになっていたモニカは、困り顔で口を挟んだ。
「あ、あのぅ……クローディア様に、弟か妹ができるんです、か?」
「……近い将来ね」
「お、おめでとう、ございます」
多分、モニカはラナとクローディアのやり取りの意味を理解していないし、微妙に話が脱線している。
ラナはゴホンと咳払いすると、なるべく自然な態度を装って、モニカに話しかけた。
「モニカの知り合いで、恋してる人のために一生懸命な人がいるのよね?」
きっとモニカ自身のことなのだろうけれど、と胸の内で呟きつつラナが言えば、モニカはコクリと頷いた。
「そう、なの。その人は、どうしても好きな人に、会いたくて……」
モニカの言葉に、ラナはふんふんと頷きながら考える。
(なるほどね、学年が違うし、卒業したらもう会えなくなっちゃうものね)
「恋をすると、普段ならやらないような行動も、できちゃうみたいなの」
「そうね、それが恋ってものだわ」
特に今好きな人がいるわけではないけれど、ラナは先輩面で相槌を打つ。
モニカは、ラナのことを頼りになる姉を見るような目で見て、言った。
「わたし、今まで恋愛について真剣に向き合ったことがないから、そういう気持ちがよく分からなくって……それで、思ったの。恋心と行動力の関係性を数式化することができたら、今後、役に立つんじゃないかな、って」
「待って」
「恋愛とは何か、って哲学書も読んだんだけど『恋愛とは〜〜のようなものである』って……熱病だったり、音楽だったりに喩えてたりしてて、正直ピンとこなくって……『〜〜のようなもの』っていう曖昧で抽象的な表現が良くないと思うの。より具体的に『恋愛=○○である』と明言してほしいというか、いっそ数式で明確に証明してほしいというか……この間読んだ哲学書では『恋愛とは欲望の一種である』って書いてあったんだけど、それなら恋愛をすることで、人体の中でどういう物質が生成されて、どういう欲求に影響するかを医学的に提示してもらえたら理解できると思うんだけど……」
「待って待って待って」
モニカが恋愛について前向きになってくれたのは、友人として嬉しいし、素直に応援したい。だが、どうしてこうも、斜め上の方向に迷走してしまったのか。
頭を抱えるラナの横で、クローディアが心底くだらなそうな顔をしている。
「……医学的に提示? 恋の病と馬鹿につける薬は無いのよ」
「あぅっ」
言葉を詰まらせるモニカに、更にクローディアは言い募る。
「……そもそも、恋愛自体が抽象的なものでしょう。人によって形の異なるものを、明確に定義できる数学者がいたら、見てみたいものだわ」
「……人によって、形が、違う……」
モニカはそんな当たり前のことですら、驚いたような顔で復唱をする。
そうしてもじもじと指をこねながら、クローディアを見た。
「あの、ク、クローディア様の『恋』は、どんな形、ですか?」
人によっては失礼だと腹を立てそうな質問に、クローディアはあっさり即答する。
「ニールの中の特別になりたいわ」
「誰かの特別になりたいのが、恋ってこと、ですか?」
モニカはしばし考え込むように俯く。
なにやら思うところがあるのか、モニカはキュッと眉根を寄せ、悲しげに呟いた。
「……特別扱いは、イヤです。いつも通りがいい……です」
どうやら、クローディアの言う『恋の形』は、モニカにはピンとこないらしい。
ラナは少しだけお姉さんぶった顔で口を挟んだ。
「あら、一緒にいて安らげる人が良いっていう恋の形だって有りだと思うわ」
なおこれは、ラナ本人ではなく、ラナの両親のエピソードである。
先ほどから年上ぶった顔をしているが、実を言うとラナも恋愛経験というものが無い。
なにせ初恋の人は父親で、幼少期は「お父様と結婚するの!」と口にしていたぐらいである(ラナの父は若い頃はとてもスリムで、それはそれはお洒落で素敵だったのだ)
そう言えば幼馴染みの男の子と結婚の約束をしたような気がしなくもないけれど、そんなの可愛らしい子どもの戯れだ。
「なにも、ドキドキするだけが恋愛じゃないでしょ。一緒にいて、落ち着ける人と恋に落ちたって良いじゃない」
「……一緒にいて、落ち着ける人……」
モニカはうんうんと唸った末に、ポツリと一言。
「……一緒にいて、一番落ち着けるのは……ラナ、かな」
ラナは何も言わず、モニカの頭を撫でた。