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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第13章「潜入編」
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【13-3】(自称)飼い犬

 決闘騒動から一週間が過ぎた。

 決闘騒動の話題も最近はすっかり落ち着き、モニカやグレンに対する不名誉な噂も、ある程度沈静化しつつある。

 フェリクスは教室の自席で書類を眺めつつ、エリアーヌとアルバートに根回しを頼んでおいて正解だった、とひとりごちた。

 決闘騒動は生徒会側の完全勝利とは言えないが、モニカを手放さずに済んだし、とりあえず一段落と言えるだろう。

 だが、もう一つフェリクスが抱えている件については、順調とは言い難い。


 ……それは、〈沈黙の魔女〉探しだ。


「殿下」

 席の近いシリルが、フェリクスに硬い顔で声をかける。

 シリルはその手にリストを持っていた。リストにズラリと並んでいるのは、この学園の女子生徒と、同行している従者一覧。

「左手を負傷した少女探しの件ですが、その……」

「うん、分かってる。参ったね、これは」

 フェリクスがちらりと教室内に目を向ければ、数人の女子生徒がここぞとばかりに左手首の包帯をチラつかせたり、わざと左手で物を持って、それを取り落としたりした。中には露骨に左手を押さえて「いたっ……」などと言う者もいる。

 シリルは渋い顔で手元のリストに目を落とした。

「なお、このクラスの女子生徒は既に全員調査済みです」

「……そうだろうね」

 フェリクスは珍しくガッカリした様子を隠さず、溜息を吐いた。

 〈沈黙の魔女〉探しが難航している理由。それはここ数日で「左手を怪我した女子」が急激に増えたからだ。

「どうやら学園内で妙な噂が流れているようです。なんでも『フェリクス殿下は、左手を怪我した少女を妻にしたいと考えている』というものらしく……」

「噂の出所は?」

「申し訳ありません。調査したのですが、明確な出元はなんとも……」

 シリルが言うには、その噂自体もバリエーションがあるらしい。

 曰く、殿下が暗殺者に狙われ、そこを通りすがりの令嬢が庇って怪我をした。殿下は責任を感じてその令嬢を妻にしたいと考えている。

 曰く、傷ついた動物を庇って左手を怪我した少女に、殿下は心を惹かれた。

 曰く、左手を怪我した娘こそ、殿下の妻に相応しいとの予言があった。

 ……などなど、「左手を怪我した少女が殿下の妻候補」という点は共通しているが、それ以外の部分は派生が多すぎて、噂の出元を突き止めるのが難しいらしい。

 決闘騒動の話題が下火になりつつあるのも、この新しい「ブーム」の影響だ。

(どうやら、左手の傷からレディ・エヴァレットの正体を突き止めるのは難しいようだ)

 きっとこの噂も、賢いレディ・エヴァレットが流したのだろう、とフェリクスはこっそり肩を落とした。



 * * *



(ブリジット様、すごいなぁ……)

 一人廊下を歩きながら、モニカはブリジットの手腕に感心していた。

 すれ違った女子生徒が左手の手袋を外して包帯を巻いているところを、モニカは今日だけで十人以上見ている。

 ブリジットの流した噂は、モニカには到底思いつかなかったことだし、仮に思いついたとしても、モニカでは実行に移すことは難しかっただろう。たった数日でここまで噂が広まったのは、偏にブリジットの影響力故にだ。

 モニカの左手はだいぶ良くなってきているし、これなら数日中にはいつも通りに動かせるようになるだろう。あとは、モニカがフェリクスの前でヘマさえしなければ、誤魔化し通せる。

 そんなことを考えていたせいか、前方不注意になっていたモニカは、反対側から歩いてきた複数の男子生徒達の一人とぶつかった。ぶつかったのは右肩が少しだけだが、小柄なモニカはそれだけであっさり尻餅をつく。

「ふみゅっ……っ」

 ぺショリと尻餅をつくモニカを、ぶつかった男子生徒が不快そうに見下ろした。

「おい、こいつって、あれだろ……生徒会の」

「あぁ、ヒューバード・ディーの情婦って噂の……」

「男なら誰だっていいんだろ?」

 頭上から聞こえてきた声に、モニカはビクリと体を竦ませる。

 この手の噂はほぼ沈静しつつあるが、一部の生徒の間では、歪んだ認識が定着してしまったらしい。

 今、モニカを見下ろす男子生徒達もそうなのだろう。

 モニカを見下ろす目は、娼館で女を選ぶ客の目だ。

「こんな地味なチビが良いって、ディーも変わってるよな」

「案外、あっちのテクが良いのかもしれないぜ」

「へぇ、じゃあ、試してみるか?」

 なんだか話が不穏な方向に向かっている気がする。

 モニカは尻餅をついたまま、じりじり後退りをしたが、男子生徒の一人がモニカのスカートの裾を踏みつけた。

「……あっ」

 モニカが慌てて靴の下からスカートを引っ張り出そうとすると、男達は何が楽しいのかゲラゲラと笑いだす。

「あの……靴、どけて、くださ……」

「貴族でもないくせに、オレ達に命令すんのか?」

 モニカがヒィッと喉を震わせると、また男達はゲラゲラ笑った。まるで、足をもがれた虫を見て笑うみたいに。

 こういう笑い方をモニカは知っている。ミネルヴァにいた頃、何度も経験してきた。

 あの時は、バーニーが助けてくれたけど、今はもう、モニカは自分一人でなんとかしなくてはいけないのだ。

(こ、こういう時は、とにかく、大きい声を、出さなきゃ……)

 頭ではそう分かっているのに喉が引きつって、ヒィッヒィッというみっともない声しか出ない。

 それでもモニカは、震える唇を懸命に動かした。

「や、やめてっ、くだ、さ……っ」


「んーっ、んっ、んっ、んんー?」


 その時、男達の背後で、聞き覚えのある鼻歌混じりの声がした。

 あ、と思った瞬間には、モニカのスカートを踏んでいた男子生徒は膝の裏を蹴られ、無様に廊下を転がる。

「なっ、なにしやが……っ!?」

 怒鳴った男子生徒の口に、ヒューバード・ディーは靴底をねじ込み、にんまりと口の端を持ち上げた。

「んっんっんっ、いけねぇなぁ、足が滑っちまったなぁ。このまま体重かけたら……歯が何本か折れるかもしれねぇなーあー?」

 ヒューバードに口を塞がれた男子生徒が青ざめ、残る二人の男子生徒はじりじりと後退りをする。

「おーっとぉ、今度は指が滑っちまったなぁ」

 指輪をはめた指がパチリと音を鳴らせば、残る二人の男子生徒を炎の矢がぐるりと囲んだ。

 最悪だ、とモニカは青ざめる。

 苛めっ子に囲まれていたと思ったら、いつのまにかもっと悪質な苛めっ子が現れてしまった。

 それも、ヒューバード・ディーはただの苛めっ子ではなく、とびきり危険で凶悪な不良なのだ。

 炎の矢に狙われた男子生徒の一人が、悲鳴混じりに叫ぶ。

「わ、悪かったよ。お前の情婦に手を出したのは、謝る。だから……」

「情婦ぅ? おいおいおいぃ、こいつぁ、そんな安い女じゃないんだぜぇ?」

 ヒューバードは男の顔を踏みにじったまま、ぐるりと首を捻ってモニカを見下ろした。

「なぁ、モニカ。飼い犬に命じるみたいに言ってくれよ、こいつらぶちのめせってぇ。そうしたら、お利口なお前の狂犬は、悪〜いやつらを噛み殺してやるぜぇ?」

「やっ、やめてっ! やめてくださいっ、ディー先輩……っ!」

 モニカが悲鳴混じりに叫べば、ヒューバードはククッと酷薄に喉を鳴らした。

「ステイだとさ。お優しい飼い主様で涙が出るねぇ」

 ヒューバードが男の顔から靴を除けると、背後で凛とした声が響いた。


「そこで何をしているのです」


 きらめく金髪をたなびかせ、お供もつけずにこちらに歩み寄ってくるのは、美貌の令嬢ブリジット・グレイアム。

 ブリジットはこんな状況においても、怯む様子もなくヒューバードを睨みつけた。

「答えなさい、ヒューバード・ディー。この状況はどういうことです」

「ただの事故さぁ。ちょいとばかし足と指が滑ったんだよ……なぁ?」

 そう言ってヒューバードが同意を求めるように男子生徒達を見れば、彼らは揃って首を縦に振った。その顔が、今すぐこの場から離れたいと語っている。

 ブリジットは冷ややかな目でヒューバードと男子生徒を睥睨した。

「そう。これが事故ということなら責任を持って、お前が事故に巻き込んだ者達を医務室へ運ぶのね」

「……だ、そうだがぁ?」

 ヒューバードが男子生徒に目を向ければ、さっきまで大口を叩いていた彼らは一斉に逃げだそうとする。

 三人の内の二人はその場を離脱することができたが、ヒューバードに顔を踏まれた男だけは初動が遅れ、ヒューバードに首根っこを掴まれた。

「さぁ、行こうぜぇ、医務室にぃ。んっんっ、手厚く看病してやろうかぁ?」

「ぎゃっ、やめてくれっ、離してくれぇーっ!」

 真っ青になって叫ぶ男子生徒は、モニカに対して居丈高に振る舞っていたのが嘘のように、惨めな声で泣き叫ぶ。

 見かねたモニカは、おずおずと口を挟んだ。

「あ、あの……ディー先輩、乱暴なことは……しないで、ください」

 ヒューバードはニンマリと笑うと、男子生徒の首根っこを片手で掴んだまま、芝居がかった仕草で一礼した。


「女王様の仰せのままに」


 そう言って、ヒューバードは鼻歌を歌いながら医務室へ歩きだす。

 ヒューバードの背中を見送り、モニカは深く長い溜息を吐いた。

 へたりこんだままスカートの足跡を指で払っていると、ブリジットがモニカに手を差し伸べる。

「アレがお前の飼い犬なら、首輪をつけておくことね」

「ひぃっ、め、めめめめめめ滅相もない、ですっ」

 モニカがおずおずと手を取ると、ブリジットはモニカを引っ張って立たせた。

 改めて近くに立つと、ブリジットの美貌は際立って美しかったし、とても良い匂いがする。誰もが見惚れる美女というのは、こういう人のことを言うのだと思わせる気品と優雅さを、ブリジットは兼ね備えていた。

「この後、時間はあって? 一緒にお茶をしませんこと、モニカ・ノートン嬢?」

 ブリジットは親しげな笑顔で、モニカにそう提案する。

 だが、静かに底光りする琥珀色の目がこう語っていた。


 今日で約束の一週間よ……と。


 モニカはコクリと唾を飲み、頷く。

「お、お受け、します」

「まぁ、嬉しい!」

 両手の指を重ねて、華やぐように微笑むブリジットはとても可憐だったが、やはり琥珀色の目は笑っていなかった。


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