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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第13章「潜入編」
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【13-2】医務室での飲酒はご遠慮ください

 魔力が尽きた時の症状は貧血に似ているらしい。全身が冷たくなり、頭がズンと重くなって、体に力が入らなくなる。

 魔力量が人より多いグレンは魔力切れになったことが殆ど無いが、一度だけ、明確に魔力が尽きて今と同じように倒れたことがある。ミネルヴァで魔力を暴走させた時だ。

 あの時も、ヒューバードとの魔法戦だった……否、あの時の出来事は魔法戦なんて呼べるようなものじゃない。グレンは何もできず、ただ逃げ回ることしかできなかった。

 今のグレンは、あの頃と違う……はずなのに、結局また負けてしまった。

(……悔しい)

 モニカのためにも、この勝負は勝たなくてはいけなかったのに。

「……そーいえば、勝敗は……どうなったんだろ」

 グレンがベッドの中でもぞりと寝返りを打つと、頭上から聞き覚えのある声がした。

「引き分けですよ」

 グレンはギョッとしてベッドから飛び起きる。

 ベッドサイドに座り、干し肉を齧りながら酒瓶を傾けているのは、彼の師のルイス・ミラーだ。

「なんで師匠がここにっ!?」

「今回の魔法戦の結界を維持してやったのは、誰だと思ってるんです」

 なんでもルイスは、恩師のマクレガンに頼まれ、魔法戦の結界維持のために遠路遥々やってきたらしい。

 つまり、ルイスはグレンの醜態を全部見ていた、というわけだ。

 グレンはションボリと肩を落として、チラチラと上目遣いにルイスを見る。

「……オレ、また、あの人に負けたっス」

 落ち込む弟子の前で、ルイスは短く呪文を詠唱し、指先に火を灯した。

 そうして干し肉を軽く炙りながら、そのついでのような口調でルイスは言う。

「前回は、人生舐め腐っていたガキが魔力を暴走させただけ。今回は全力で挑んだ上での純粋な敗北。そこの区別はつけなさい。でないと反省点を見誤る」

「…………はい」

「追尾術式を最初から使わず温存しておいたのは、なかなか悪くなかったですよ。成長したではありませんか」

 ルイスは指先の火を消すと、じわりと脂の浮いた干し肉をグレンの口に突っ込んだ。どうやら、この干し肉はグレンの見舞いの品だったらしい。

 それを勝手に酒の肴にしているのもどうなのだろうとこっそり思いつつ、グレンは干し肉を齧る。

「そういえば、引き分けってどーいうことっスか?」

「ヒューバード・ディーが持ち込んでいた魔導具が暴発しました。今回の魔法戦は引き分けです」

 とりあえず、モニカがすぐにヒューバードに連れて行かれる心配は無いらしい。友人の身を案じていたグレンは、ホッと胸を撫で下ろし、干し肉を噛みしめた。やっぱり疲れている時は肉に限る。

「あー、良かったぁ……オレが負けたせいで、モニカが……あっ、モニカってオレの友達なんスけど、モニカがあの先輩に連れていかれちゃうとこだったんスよ」

「……ほぅ?」

 あのポンコツ魔女、今度は何をやらかした……とルイスが内心舌打ちしているとは露知らず、グレンは師が片手に握りしめている酒瓶を見る。

「ところで、師匠ぉ……医務室にお酒持ち込むのは、良くないと思うっス」

「消毒用アルコールも飲料用アルコールも、同じアルコールではありませんか」

「それロザリーさんの前で言ったら、絶対叱られるっスよ」



 * * *



「んーっ、んっ、んっ、んん〜」

 一度魔力が底をついたというのに、ヒューバードはいつもと変わらぬ態度でポケットに手を突っ込み、廊下を歩いていた。

 今回の魔法戦はヒューバードの魔導具が暴走した、という嘘を押し通すことになり、ヒューバードの評価は地に落ちたが、彼は特に気にする様子もなかった。他人の評価に無頓着な性分なのだ。

 なにより彼は、これ以上ないぐらい上機嫌だった。

 数年前、彼が夢中になって追い回したあの獲物は健在だった……否、あの頃より更に強くなっている。

(まさか、あいつが自ら狩場に飛び込んでくるなんてなーぁー?)

 ミネルヴァにいた頃のモニカは、いつだって泣きじゃくりながらヒューバードから逃げ回っていた。

 そんなモニカが、自ら魔法戦に飛び込んで立ち向かってくるなんて!

 しかも、怒りをヒューバードにぶつけるなんて!

(あぁ、イイなぁ……あいつの冷たい無表情、何回思い出しても唆るぜぇ)

 思えば、ミネルヴァにいた頃のモニカはいつも一人ぼっちで研究室に引きこもって、教師以外と交流をしようとはしなかった。

 けれど今のモニカは友人に囲まれている。生徒会という居場所に執着している。

 その執着が、モニカを動かしている。

(あいつが執着してるモンを滅茶苦茶にしてやったら……あぁまた、あの無慈悲で残酷な女王様が見られるんだろうなぁ。試しに一人、モニカの目の前でぶっ壊してやりてぇなぁ)

 ……例えばそう、今目の前に立ちはだかっている男、シリル・アシュリーみたいに。

「止まれ、ヒューバード・ディー」

 そう言ってシリルは、短縮詠唱を口にした。

 ヒューバードの眉間に氷の矢が、ピタリと突きつけられる。魔法戦が終わったばかりで魔力など殆ど残っていないだろうに、シリルはもう魔術が使えるほどに回復しているのだ。

 大したもんだと思いつつ、ヒューバードはニヤニヤ笑いを浮かべた。

「んっんっん〜、心配しなくても、モニカに無理強いをしたりはしねぇよ」

「貴様は信用ならん」

「本当さぁ……今はなぁ」

 また狩りの準備ができたなら、モニカの前でこの男を見せしめに壊してやっても良い。

 あるいは、あの無慈悲な女王様に従順に傅いて、喉笛に食らいつく隙を狙うというのも悪くなさそうだ。

(あぁ、楽しいなぁ、楽しいなぁ。セレンディア学園だなんてお上品な学校、ツマラナイと思ってたのに。今はこんなに楽しいことが沢山だ)

 ニタニタと笑うヒューバードを、シリルは気味が悪いものを見るような目で見ていたが、やがてボソリと呟く。

「……貴様は、〈沈黙の魔女〉を知っているのか?」

「んっんっんー、なんのことだ?」

「……あの霧の中、貴様が口走っていたではないか。〈沈黙の魔女〉と」

 なるほど回復の早いこの男は、あの魔法戦の最中、意識を失わずにいたのだろう。

 それでも、〈沈黙の魔女〉=モニカ・ノートンという結論には至っていないらしい。

 ヒューバードはシリルの前に近づくと、腰を折ってシリルの顔を覗き込み、告げた。

「ひ、み、つ、に決まってんだろぉ? 聞き出したかったら、またヤろうぜ、魔法戦」

「気色悪い。顔を近づけるな」

 シリルが鼻の頭に皺を寄せて呻いたので、ヒューバードは腹を抱えてゲラゲラと笑った。

 モニカほどではないけれど、この男もまた良い玩具になりそうだ。



 * * *



 ブリジットから解放されて屋根裏部屋に戻ったモニカは、そのままゴロリとベッドに横になった、

「…………ネロぉ」

 枕元のバスケットで眠るネロに声をかけると、ニャウニャウと幸せそうな寝息が聞こえてきた。とても竜とは思えない寝息である。

「……ブリジット様にね、色々バレちゃった……わたしが〈沈黙の魔女〉ってことは、バレてないけど……」

 ブリジットはあくまで、モニカのことを「ケルベック伯爵家の諜報員」と思っているらしい。

 だが、モニカが一般人ではないことがバレてしまったのは事実だ。何より、左手の負傷のことを知られてしまっている。

「ブリジット様は、わたしに何をさせたいんだろう……?」

 ブリジットは言っていた。どうしても知りたい「殿下の秘密」がある、と。

 そのためにモニカに協力してほしい、と。

(……殿下のことを知りたいのは、わたしも同じだけど……)

 何故、クロックフォード公爵の言いなりなのか。

 クロックフォード公爵が呪竜騒動に関与していることを知っているのか。

 モニカの父の死にクロックフォード公爵が関わっているかもしれないことを、フェリクスは知っているのか。

 ……疑問点は挙げだしたらキリがない。

(このことは、ルイスさんに話した方がいいかな……ううん、でも、殿下の秘密に関することは……言わない方が、いい気がする)

 ルイスはクロックフォード公爵も第二王子も気に入らないと公言している男である。まして、気合を入れて作った魔導具をフェリクスに三日で壊された件を相当根に持っている。

 フェリクスの秘密や弱みをルイスが知ったら、嬉々としてそれを利用するのは目に見えていた。

(そういえば、新学期になってから、まだ一度もリンさんが来てない……いつもなら、もっと頻繁に来てたのに……)

 妻であるロザリー夫人の臨月が近くて忙しいのだろうか、モニカがそんなことを考えていると、窓をコツコツと叩く音が聞こえた。

 リンだろうか、と思いながら窓に目を向けたモニカは目を丸くする。窓辺にちょこんと座っているのは黒猫だ。ネロとよく似ているが、こちらの猫は尻尾と手足の先だけ白い。

 その首輪には薔薇の紋章を施した手紙が括り付けられていた。ついでに猫は背中に小さな布包みを背負っている。包みからは人参が一本飛び出していた。

 薔薇の紋章に野菜とくれば、思い浮かぶのはただ一人──〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグだ。

 モニカは窓を開けて猫を招き入れると、猫にくくりつけられた手紙を外して広げる。

 手紙には豪快な文字でこう書かれていた。



『やぁ、モニカ、元気にしてるか! オレは元気だぜ!

 そうそう聞いてくれよ。この間はレイを家に招待したんだ。一緒に野菜の収穫をしたんだぜ!

 レイが太陽の光が眩しくて溶けるって言うから、ミミズみたいだな! ……って言ったら、オレに虫がたかってくる呪いをかけてきてさぁ、いやぁ、ビックリしたなぁ。あの呪いを有効活用して害虫除けとか作ったら、すごく良いと思わないか? あっ、蜂を集めて果物の受粉させるってのもいいなぁ。

 レイと一緒に収穫した野菜、うちの使い魔に持たせとくな。今年はキャベツの出来が良くて、是非とも食べて欲しかったんだけど、うちの使い魔にキャベツ持たせるのは無理だから人参にしといたぜ。

 今度、モニカもうちに遊びに来いよ。とっておきのキャベツのスープを食べさせてやるから!


 あ、そうそう。もうすぐシェフィールドの祭日があるだろ? その時期にさ、オレ、クロックフォード公爵家の庭の植え替え作業に行くことになったんだ。

 これって、クロックフォード公爵家に潜入して、公爵の悪事を暴くチャンスじゃないか?

 レイは庭仕事は懲り懲りだから行かないって言い張るんだけど、モニカは来るか?

 植え替え作業の時は、オレんちの使用人を数人連れてくから、そこに紛れちまえば正体隠して潜入できると思うんだ。

 一緒に潜入調査しようぜ!


 〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグより』



 まるで遊びに誘うような気軽さで、潜入調査に誘われてしまった。

 だがこれは、クロックフォード公爵を探るチャンスだ。

 手紙の中にあるシェフィールドの祭日とは、丁度今から一ヶ月後、風の精霊王が春を呼ぶ風を運んでくれることを祝う日だ。この日も含む前後三日間はセレンディア学園も休校となる。

 モニカはもう一度手紙を読み直すと、文机の前に座り、潜入調査に連れて行ってほしいという旨の返事を書いた。


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