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【番外編17】青バラの思い出

 ブリジット・グレイアムがクロックフォード公爵邸に招かれたのは、ブリジットが七歳の時のことだった。

 クロックフォード公爵邸には、ブリジットと同じ年の第二王子フェリクスが病気療養のため滞在している。そんな病弱な王子の話し相手になってほしい、というのが公爵側からの申し出だった。

 幼いながら聡いブリジットは、自分がフェリクスの婚約者候補として招待されているのだということを、正しく理解していた。理解した上で不満を抱えていた。

 リディル王国には既に、フェリクスより九歳年上の第一王子がいる。

 第一王子のライオネルは快活な少年で、剣の腕や乗馬の腕に長けており、既に竜討伐の現場も経験しているという。

 一方第二王子は病弱で、最低限王宮の行事に顔を出す時以外は、殆ど母親の実家であるクロックフォード公爵邸で療養している。

 王宮暮らしもまともに耐えられぬ体の王子が、どうして次期国王になれるだろう。

 フェリクスの母方の祖父クロックフォード公爵は国内でも有数の権力者であったが、肝心の第二王子は王宮における存在感が無い。中には、成人するまで生きられないのではないか、と心無い噂をする者までいる。

 そんな王子の婚約者候補に選ばれても、ブリジットはちっとも嬉しくなかったし、正直、貧乏くじを引かされた気分だった。



 * * *



「はじめまして、フェリクス殿下。シェイルベリー侯爵家のブリジット・グレイアムです。この度はお招きいただきましたこと、心から光栄に思いますわ」

 クロックフォード公爵邸を訪れたブリジットが完璧な淑女の礼をしてみせると、公爵家の使用人達は感心したようにブリジットに注目した。

 まだ七歳でありながら、ブリジットの容姿は際立って美しかったし、ドレスの着こなしから、歩く姿勢や微笑み方まで、非のうちどころがない。完璧な令嬢だ。

 それに比べてフェリクスときたら恥ずかしそうに俯いて、指をこねながら口をモゴモゴとさせている。

 フェリクスの容姿は、美貌の令嬢とうたわれた亡きアイリーン妃の面影があり、非常に整っていた。艶やかなハニーブロンドに澄んだ水色の目は、大粒のアクアマリンをはめ込んだかのように美しい。

 だが、白い頬は緊張で真っ赤になっていたし、視線はずっと足元を向いたままだし、とにかく頼りないという印象が強かった。

(あたくしは、いつまで殿下の返事を待っていればいいのかしら?)

 いつまで経ってももじもじしている王子に、背後に控えていた従者の少年が「殿下、練習を思い出してください」と小声で話しかけるのが聞こえた。

 この程度の挨拶に練習が必要だなんて、なんて情けない!

 呆れるブリジットの前で、フェリクスは緊張にこわばった顔のまま自己紹介を始めた。

「は、はじめまして、フェリクス・アーク・リディルでひゅっ……」

 噛んだ。

 フェリクス王子は顔を真っ赤にしたり、真っ青にしたりと忙しなく顔色を変えながら、涙目でプルプルと震えている。

 周囲に控えている使用人達も、様子を見守っているクロックフォード公爵も、失望の目でフェリクスを見ているのが肌で感じられた。

 そんな中、フェリクスの背後に控えている従者の少年が、控えめに口を挟む。

「殿下、ブリジット様をティールームにご案内しましょう。ティールームには、殿下がブリジット様のために選んだ花が飾ってありますので、きっとブリジット様もお喜びいただけるでしょう」

「えっ、あのお花は君が選んでくれたんじゃ……」

「…………殿下」

 従者のフォローを一瞬でぶち壊した幼い王子様は、ハッとした顔で口を両手で塞ぐ。

 周囲の失望に満ちた空気は、もはや最高潮と言っても良い。

 この見るからに頭の鈍そうな王子様が自分の将来の伴侶になるかもしれないと思うと、ブリジットはただただ頭が痛かった。

 フェリクスが緊張しているのは、クロックフォード公爵や大勢の使用人に見られているからなのでは、とも思ったが、ティールームに移動した後もフェリクスは俯いたまま膝の上で指をこねている。

 ティールームにはブリジットとフェリクスを除けば、あとはブリジットの侍女と、フェリクスの従者が一人ずつ付き添っているだけだ。それでもフェリクスはカチコチに緊張したまま、一向に口を開こうとしない。

 仕方なく、ブリジットは自分から会話を切り出すことにした。

「まぁ、とても綺麗なお花ですわね。これをあたくしのために選んでくださったの? とても嬉しいですわ。最近はこういうレースみたいな花弁のバラが、とても人気なんですのよ。殿下は流行にも詳しくいらっしゃるのね」

「……え、いえ……あの……」

「花瓶も素敵。コルミネットコレクションかしら。コルミネットコレクションは、あたくしの母も好きで、集めていますのよ。ティーカップが特にお気に入りで……」

「……コルミネットコレクション?」

 どうやらこの王子様は、この花瓶がどういう価値のある物なのかすら分かっていないらしい。初めて聞いた単語を復唱するような態度に、見かねた従者の少年がさりげなく口を挟んだ。

「ブリジット様がお好きな物を、用意したんですよね。殿下」

「あ、うん、そう。そう……です」

 それだけ言って、フェリクスはまた俯いてしまった。これでは会話がまるで続かないではないか。

 ブリジットは「まぁ、嬉しいですわ」と華やかな笑みを見せつつ、内心酷く苛立っていた。

 クロックフォード公爵がフェリクスを王宮に出さないのは、フェリクスが病弱だからではなく、人前に出すのが恥ずかしいからではないだろうか。

 そんな意地の悪いことを考えつつ、ブリジットは間を持たせるために「お菓子を頂いても?」とフェリクスに声をかける。

 フェリクスはコクコクと落ち着きなく首を縦に振った。せめて口で「どうぞ」ぐらい言えないものか。

 ブリジットが呆れ果てていると、主人に代わり、フェリクスの従者が滑らかな口調で言った。

「本日のお茶菓子は、スコーンと三種のジャム、クロテッドクリームを用意させていただきました。紅茶はブリジット様のお好きなフロゥレンディア産の物を。まずはストレートでお楽しみください」

 用意されている紅茶も菓子も、どれもがブリジットの好きな物ばかりだが、それもきっとフェリクスが手配したのではなく、いかにも気の利きそうなこの従者が用意したのだろう。

(……茶番だわ)

 ブリジットは不快感を押し殺し、美しい笑顔で覆い隠した。だが、ほんの少しだけ……そう、本当に少しだけ苛立ちが手元に影響していたらしい。

 スプーンですくった木苺のジャムがポタリと垂れて、ブリジットのドレスの胸元を汚した。

「……っ!」

 ブリジットは咄嗟にナプキンで胸元を抑えつつ、己の未熟さを恥じた。感情的になって手元を狂わせるなんて、なんという体たらく!

「お嬢様、失礼いたします」

 ブリジット付きの侍女が慌ててハンカチでジャムを拭ってくれたが、粘度の低いサラリとしたジャムは、白いレースにしっかりと染み付いてしまっていた。全体的に淡い水色でまとめていたドレスなので、余計に木苺の赤が目立つ。

 ブリジットが己の失態を恥じていると、フェリクスは何を思ったか、突然自身の襟元のスカーフをしゅるりと引き抜いた。まさか、それでジャムを拭けとでも言うのだろうか?

 ブリジットが困惑していると、フェリクスは青いスカーフを細く折り、クルクルと巻き始めた。そうして、袖口のカフスを一つ外し、ピン代わりにしてハンカチを固定すれば、青いバラのコサージュのようになる。

「あ、ああ、あの、その…………っ」

 フェリクスは顔を真っ赤にして、恥ずかしそうにフルフル震えながら、スカーフとカフスで作った青バラのコサージュを差し出す。

「……ブ、ブリジット嬢には、あ、青が似合うと、思うので…………さ、差し上げまふっ」

 また噛んだ。

 それなのに、ブリジットはこの気弱な王子様を見下す気にはならなかった。

 ブリジットは即席のコサージュとフェリクスを交互に見て、ポツリと言う。

「……ありがたく、頂戴いたしますわ」

 生花に触れるよりも慎重な手つきでコサージュを摘まみ、ブリジットはシミで汚れた胸元を隠すように留める。水色のドレスの上に、濃いブルーのコサージュはよく映えた。

「……似合うかしら?」

「は、はいっ!」

「そう、良かった」

 ブリジットはその日初めて、心からの笑顔を浮かべた。



 * * *



 手洗いのために席を外したブリジットは、ティールームに戻る途中、廊下にフェリクスとクロックフォード公爵の姿を見つけた。二人は何やら立ち話をしているらしい。

 この手の立ち話ともなれば、ブリジットに対する批評と決まっている。立ち聞きすべきか、知らんぷりをして素通りすべきか、決めあぐねていると、クロックフォード公爵の声が耳に届いた。

「……スカーフとカフスをどうした」

「あ、あの、私、お茶をこぼしてスカーフを汚してしまったんです。だから、外して……カフスは……ごめんなさい。落として無くしました」

 フェリクスがもじもじと指をこねながら答えれば、クロックフォード公爵は不愉快そうにフェリクスを見下ろし、吐き捨てる。

「……我が家の恥晒しが。身嗜み一つ、満足に整えられぬか」

 ブリジットは思わずカッとなって、廊下を飛び出そうとした。

 フェリクスは何も悪くない。彼はただ、優しい気遣いでブリジットの名誉を守ろうとしてくれただけだ。

 殿下は何も悪くありませんわ! そう口にしかけたブリジットの腕を、誰かが背後から強く引いた。

 無礼者、と言いかけたブリジットの唇に人差し指を押し当てたのは、フェリクスの従者の少年だ。


「僕の主の優しさを、無駄にしないでください」


 ブリジットは思わず従者の手を振り払った。その拍子にブリジットの指先が従者の長い前髪を払う。

「……あ」

 ブリジットは思わず息を飲んだ。

 目の前の少年は王族の侍従に選ばれるだけあって、整った顔をしていた。だが、右の額から目の下にかけて、刃物でつけたような傷痕がある。目は傷ついていないようだが、縦に入った傷痕は一生消えないであろう深さだ。

 服装がこざっぱりしている割に、やけに長い前髪だと思っていたが、どうやらこの傷痕を隠していたらしい。

 従者の少年は乱れた前髪を指先で直すと、冷ややかな目でブリジットを見下ろした。

「ティールームにお戻りを」

 その冷たい目が語っていた。

 主人の気遣いを無下にしたら、絶対に許さない……と。

 ブリジットはしばし黙り込み、フェリクス達に背を向ける。

「ティールームに戻ります。案内なさい」

「かしこまりました」

 従者の少年は何事も無かったかのような顔で、ブリジットを先導して歩きだす。

 フェリクスはまだ、クロックフォード公爵に叱咤されているのだろうか……ブリジットを庇ったせいで。

 ブリジットは胸元を彩る青いバラに手を添え、己の無力さと未熟さを強く噛みしめた。



 * * *



 その日から、ブリジットはフェリクスの話し相手として公爵邸に招かれるようになった。

 話し相手と言っても、ただお茶を飲みながら談笑をするだけではない。外交官の娘で語学が堪能なブリジットは、既に数カ国語を習得している。それをフェリクスに教えたり、時にダンスの練習相手をすることもあった。

 フェリクスは決して物覚えが良い方ではなかったし、運動神経が悪くて、ダンスの練習では何度もブリジットの足を踏んだ。それでもブリジットはフェリクスを叱咤しながら、根気強くダンスの練習に付き合った。

「ほら、殿下! また猫背になっていましてよ! 背筋を伸ばして! 顎は軽く引いて!」

「は、はい……ぃっ」

 フェリクスは眉を頼りなく下げてオロオロしながら、それでも顔を真っ赤にして、必死でダンスに取り組む。

 フェリクス・アーク・リディルは人よりも不器用で、鈍臭くて、頼りない王子様だ。

 それでも勤勉で、努力家で……なにより優しい王子様だ。

 フェリクスの拙いダンスを指導しながら、ブリジットは胸の内で呟く。


(しっかりしてくださいまし。貴方は将来あたくしの伴侶になる……あたくしの王子様なのだから)


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