【12ー16】彼の無慈悲な女王様
ようやくお目当ての獲物が狩場に現れたことに、ヒューバードは歓喜していた。
だが、彼が懸念していることが一つある。それは……。
「んっんっんー、なぁ、この霧はお前の仕業だろぉ? ……解除しなくていいのかぁ?」
この付近に張り巡らせた霧は、観戦席の舞台にモニカの姿が映らないようにするためのものだろう。
だが、魔術師が同時に使える魔術は、基本的に二つだけ。
つまり、霧を起こしている間、モニカは一つしか魔術が使えないことになる。しかも霧の維持に、そこそこの魔力を放出し続けなくてはならないのだ。
これではモニカが全力で戦えない。そんなのあまりにつまらないではないか。
そのことをヒューバードが指摘すると、モニカは無表情に答えた。
「……片手間で、充分ですから」
臆病者のモニカからは考えられないような挑発に、ヒューバードは腹を立てるよりも寧ろ嬉しくなった。
「嬉しいねぇ。三年前はあんなにビクビクオドオドしてたお前が、そんな挑発を覚えるなんて……だけど、三年前と違うのはお前だけじゃあないんだぜぇ?」
ヒューバードが右手をヒラリと振れば、詠唱無しに炎の矢が生まれ、モニカに降り注ぐ。
それをモニカは無詠唱の結界で即座に防いだ。流石は七賢人の防御結界なだけあって硬い。
ヒューバードは追加で詠唱をし、雷の槍を結界にぶつける。
炎の矢と雷の槍の同時攻撃に、モニカの防御結界が軋み始めた。このままなら、ヒューバードが押し切るのは時間の問題だろう。
だが、モニカは焦るでもなく、静かな声で呟く。
「……雷の槍は、詠唱がいるんですね」
「無駄口叩いてていいのかぁ? このままだと結界がぶっ壊れるぜ?」
「…………」
その時、周囲を包む霧が濃くなった。それも互いの姿が見えないほどに。
同時にモニカが結界を解除する気配を感じた。この霧に紛れて攻撃をするつもりか。
ヒューバードは素早く防御結界を張り、モニカの攻撃に警戒する。
今、ヒューバードのそばには気絶したグレンがいる。少し離れた場所にはシリルとロベルトも。
もし、モニカが攻撃を仕掛けて、それをヒューバードが回避するなり結界で弾くなりしたら、流れ弾がグレン達に着弾しかねない。だから、モニカは迂闊に攻撃できない筈だ。
だが、ヒューバードはグレン達がどうなろうが知ったこっちゃないので、こう宣言した。
「早く撃ってこいよ。このまま隠れ続けるつもりかぁ? ……お前がヤらねぇなら、こいつら全員巻き込む広範囲魔術ぶちかます。五、四、三……」
カウントが終わるより早く、霧の中から氷の槍が飛来した。一見ただの氷の槍に見えるが、込められた魔力が桁違いに多く、威力も高い。
(あれは、結界で受けても貫通されるな)
だが、射出速度はさほど速くない。ヒューバードの身体能力ならギリギリで避けられるだろう。
ヒューバードは結界を解除し、飛行魔術を展開して氷の槍を回避した。
例えモニカがこの氷の槍に追尾術式を組み込んでいたとしても、追尾術式の有効時間はせいぜい二秒から三秒程度。一度軌道修正をするのが精一杯なのだ。なら、飛行魔術で一気に距離を空けて回避してしまえばいい。三秒以上が経過すれば、追尾術式は効果を失う。
……現存する、追尾術式なら。
「な、にぃっ!?」
氷の槍は三秒以上が経過してもなお、ヒューバードを執拗に追い続けた。まるで、氷の槍そのものが意思を持っているかのように。
こんな追尾性能の高い魔術を、ヒューバードは知らない。
霧の中からモニカの声がした。
「最近開発した高度追尾術式です。持続時間は通常の術式の十倍……およそ、二十秒から三十秒」
なるほど、これほどまでに高度な追尾性能なら、グレン達を巻き込む心配もない。
ヒューバードの背中は興奮にゾクゾクと震えた。
あのモニカ・エヴァレットが、開発したばかりの新しい魔術で自分に挑んでいる!
こんな最高に気持ちいいことがあるだろうか!
「……っひゃははっ、最っ高の女だなぁ、お前は!」
今のモニカは、霧と氷の槍の二つの魔術を維持している状態だ。つまり他の魔術を使えない。
一方、ヒューバードは起動しているのは飛行魔術のみだが、回避に専念する必要があり、他のことに意識をさく余裕が無い。
(なら、この氷の槍の追尾性能が切れた瞬間、一気に畳み掛ける!)
ヒューバードは回避をしながら、カウントをした。残り時間、およそ十秒から二十秒。氷の槍は執拗にヒューバードを追いかけたが、ヒューバードの飛行魔術に追いつけるほどの速さじゃない。すぐに着地できるようにと、ヒューバードは少し高度を下げる。
その時、前方に赤い光が瞬いた。
視界が赤く染まる。少し遅れて、右目に激痛。
「がっ、ぁあっ!?」
飛行魔術の制御を失い、ヒューバードは地面を転がる。高度を下げていたのが幸いして、それほど衝撃は無かったが、地に落ちた彼の背中に、ヒューバードを追尾していた氷の槍が深々と突き刺さった。
のみならず、複数の炎の矢がヒューバードの背中に突き刺さる。
その激痛に喉が裂けんばかりに絶叫しつつ、ヒューバードは思考を止めずに状況を把握しようとした。
(俺の右目を貫いたのはなんだ? 炎の矢? モニカは二つの魔術しか使えないから、炎の矢なんて使う余裕が無かったはずだ。なら、あの炎の矢を放ったのは誰だ? グレン・ダドリーか? シリル・アシュリーか? ロベルト・ヴィンケルか? ……違う、違う、違う……あの炎の矢は……………………俺のだ!)
サクリ、サクリと土を踏む音がした。右目を押さえながら顔を持ち上げれば、自分を見下ろす無慈悲な魔女が見える。
モニカはその手に、大振りの宝石をあしらった指輪を摘み上げていた。
指輪の宝石の中には魔術式が浮かび上がっている。この指輪はただの指輪じゃない……魔導具だ。
「右手親指、中指、薬指。左手人差し指、中指、小指……合計六個。ディー先輩が、魔法戦が始まる前に付けていた指輪の位置です。でも、今は右手の中指の一つだけ。それ以外の指輪は、この周囲に仕込んでいたんでしょう?」
ヒューバードはケケッと喉を鳴らして笑った。
「ルール違反じゃないぜぇ? これは魔法戦だからなぁ」
何故、魔法戦は魔術戦ではなく魔法戦と言うのか。
そもそも「魔法」とは「魔力を行使して何らかの現象を起こす」ことを言う。そのための手段の一つが、詠唱して魔術式を編む「魔術」なのだ。
大雑把に言ってしまえば「魔法」という大きな括りの中に、魔術、呪術、占星術、召喚術などが含まれることになる。
そして、魔導具を製作し、それを用いて戦う技術もまた「魔法」という大きな括りの中に分類されるのだ。
魔法戦の結界内では、魔力を行使して戦うのなら、その手段は問わない。つまり、魔導具を用いて戦うことも当然に認められている。
だが、それを好んで実行する者はあまりいない。魔導具は非常に高価だし、攻撃系の魔導具は一度使うと効果を失う使い捨ての物が多いからだ。
あの指輪はヒューバードが自作した、六つでワンセットの魔導具だ。手元に残した指輪が司令塔の役割を果たし、それ以外の五つの指輪は炎の矢の発射装置になっている。
使い方は実に簡単。手元の指輪に魔力を送り込むだけ。それだけで、残りの五つの指輪から炎の矢を放つことができる。
発射装置を五つに分け、炎の矢の威力をギリギリまで落とすことで、使い捨てではなく一度に十回まで連続使用が可能な、高性能の魔導具なのだ。
ヒューバードはこれを密かに使うことで、自分が無詠唱で魔術が使えると周囲に錯覚させていた。
そして、それに気づいたモニカは氷の槍で時間稼ぎをしている間に、指輪を一つ回収して分析し……。
「書き換えやがったなぁ? その魔導具を」
六つの指輪は常にリンクしている。だからモニカは指輪の一つを回収し、そこに記された魔術式を書き換えたのだ。この魔導具の使用者を、ヒューバード・ディーからモニカ・エヴァレットに。
無論、そんなの誰にでもできることではない。常人なら魔導具の完全解析に数時間、書き換えには更に時間を要するのが当たり前だ。
(それを……それを、この化け物は、たった数十秒でやり遂げやがった!)
ヒューバードの体が興奮に震える。
あぁ、今、自分を無慈悲に見下ろしているこの魔女は、やはり規格外の化け物なのだ。
ヒューバードが張り巡らせた罠を全て破壊するどころか、所有権を奪い、取り上げた。
これっぽっちも大したことじゃないような涼しい顔で!
「……以前、ルイスさんの防御結界を、書き換えたことがあります……その時の、書き換え防止用のダミー術式は、解除に一分近くかかりました」
そう言ってモニカは、ヒューバードの指輪を掌で転がし、つまらない玩具を見るような目で呟く。
「ディー先輩の魔導具に仕込まれたダミー術式の解除には、五秒もかかりませんでした……こんなの子ども騙しも同然です」
濃霧に覆われた薄暗い森の中、〈沈黙の魔女〉は、その目を緑色に煌めかせて無慈悲に囁く。
「……こんな小細工をしてでも再現したかったんですか? ……無詠唱魔術なんかを」
この魔女にとって、誰もが絶賛する無詠唱魔術すら、大した技術ではないのだ。
その高慢極まりない言葉が、ヒューバードの胸をときめかせる。昂らせる。
あぁ、こんなにゾクゾクする女が他にいるだろうか。
「いいねぇ、その無慈悲さと高慢さ……最高だぜ、お前ぇ。なぁ、命じてくれよ『圧倒的な力の差に平伏し、跪け』って…………女王様?」
ヒューバードの言葉に、今まで冷たい無表情だったモニカは、眉毛を下げて途方に暮れたような顔をした。
そこに、先ほどまでの無慈悲さはない。いつものオドオドとした幼い少女の顔だ。
「……あのぅ、跪かなくて良いので……わ、わたしの正体を伏せて、任務に協力すると約束して……ください」
「俺を従わせたいなら躾けをしてくれよぉ、女王様。とびきりキツいやつで、ガツンと俺をイかせてくれ」
「…………」
モニカは主導権を奪った手元の指輪に、魔力を込める。
周囲に配置された指輪と、ヒューバードの右手の指輪が赤く発光した。指輪から生まれた炎の矢が、一斉にヒューバードを取り囲む。
モニカはヒューバードのお望みどおり、一言告げた。
「ガツン」
炎の矢が、愉悦に笑うヒューバードに降り注いだ。
本作における魔法と魔術の違いについては【1ー2】でも少しだけ触れています。
作中で「魔法剣」や「魔法兵団」という単語があるのも、魔法戦と同様の理由です。
極端な話、呪術や魔導具など「魔術」以外の方法を使っても、魔法剣はできるし、魔法兵団に所属することができます。
竜のブレスやネロの黒炎も、魔力を行使した結果なので、厳密には魔法に分類されます。