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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第12章「決闘編」
162/236

【12ー15】ガツン

 会場はどよめきに包まれていた。

 舞台に映し出される映像は、音声までは再現されない。それでも、シリルが、グレンが、ロベルトが悲鳴を上げて苦しんでいることは否応無しに伝わってくる。

 ……そして、ヒューバードが詠唱無しに炎の矢を操っていることも。

 フェリクスは映しだされる光景を、瞬きもせず見つめていた。

 誰かが「無詠唱魔術?」と口にすれば、ざわめきは一気に広まっていく。

 無詠唱魔術が使えるのは、世界でもただ一人……〈沈黙の魔女〉だけの筈だ。

(彼が〈沈黙の魔女〉だった? いや、レディ・エヴァレットは女性だ。それは間違いない……だが、私が会った彼女が幻覚か何かだとしたら?)

 珍しく混乱するフェリクスのポケットの中で、トカゲの姿をした契約精霊ウィルディアヌがもぞもぞと動く。

 もし、シリル達が敗北するようなことがあったら、フェリクスはウィルディアヌを介入させ、ヒューバードを秘密裏に処分するつもりでいた。

 だが、もしもヒューバードが無詠唱魔術の使い手だとしたら、戦闘の不得手なウィルディアヌに、どうにかできるだろうか?

 フェリクスが判断に迷っていると、彼の背後でラナが悲鳴じみた声をあげた。

「モニカ、大丈夫? モニカ!」

 フェリクスが振り向けば、モニカは土気色の顔で口元を手で押さえ、ガタガタと震えていた。

 映像の中でヒューバードが炎の矢を放ち、いたずらにシリル達の四肢を抉る。その度に、モニカはヒィッ、ヒィッと息を飲み、涙目で体を震わせる。

「……やめてぇ……もう、やぁ……っ」

 どよめきにかき消されそうなほどか細いモニカの声は、嗚咽混じりだった。

 隣に座るラナが、モニカの背中をさすってやっているが、モニカは今にも吐きそうな顔をしている。

「……吐いてきたら?」

 クローディアが率直にそう告げれば、モニカはコクコクと頷き、よろめきながら立ち上がる。

 心配そうな顔のラナが付き添おうとしたが、モニカは首を横に振り、それを断った。

「……ラナ、わたしの、代わりに、誰が、勝つか、見てて」

 それだけ告げて、モニカは席を離れた。鈍足の彼女にしては珍しく素早い歩みで。

 フェリクスはしばし考え、席を立つ。隣に座るブリジットが口元を扇子で覆いながら、フェリクスを見上げた。

「モニカ・ノートンの介護に?」

「放ってはおけないだろう」

「そう。では、あたくしは、この魔法戦の顛末を殿下に代わってこの目に焼きつけておきますわ。書記として、この勝負を記録に残せるように」

「ありがたいね」

 フェリクスは苦笑混じりに言葉を返し、モニカの姿を探す。

 観客席付近には立ち見している者も多いので、人混みに紛れてしまうと小柄なモニカを探すのは困難だ。

 フェリクスは周囲の人間が自分に注目していないことを確認し、ウィルディアヌに命じた。

「ウィルディアヌ。魔法戦に介入し、ヒューバード・ディーを事故に見せかけて始末しろ。方法は問わない」

「……殿下は?」

「モニカを探す。途中で倒れたりしてないか、心配だからね」

「……仰せのままに」

 ポケットから這い出たウィルディアヌが素早く移動するのを確認し、フェリクスはモニカを探した。


 ちょうどその頃、彼が探している少女が、慣れない飛行魔術で森に向かっているとは露知らず。



 * * *



 ──不愉快な鼻歌が、聞こえる。


 激痛の中、シリルの意識はほんの僅かにだけ浮上した。霞む目を動かして周囲を見れば、ロベルトがぐったりと地面に横たわり、その奥でグレンが一方的にヒューバードからいたぶられているのが見える。

「んっんっんー、魔力量が多い奴は、楽に気絶できなくて可哀想になーぁー?」

 そう言ってヒューバードが指を一振りすれば、炎の矢がグレンの体を抉る。肉体も服も傷つくことはないが、痛みにグレンの体がビクビクと跳ねた。

 もはや声をあげることすら苦痛なのか、グレンの口からはカヒュー、カヒュー、とか細い呼吸音だけが聞こえる。

 シリルはヒューバードに一矢報いようと、詠唱をしようとした……が、もう唇すらろくに動かない。

 シリルの魔力は既に底を突いていた。それなのにかろうじて意識を取り戻すことができたのは、恐らく、シリルが魔力過剰摂取体質だからだ。

 人より魔力を取り込みやすい体質は不便だが、こういう時には役に立つ……とは言え、ここまで魔力が減ってしまっては、もはや焼け石に水だが。

 今更シリルが攻撃をしたところで、ヒューバードに太刀打ちすることはできないだろう。相手は無詠唱で魔術を使うことができるのだ。

(……だが、本当に、奴が、無詠唱魔術を?)

 もし、ヒューバードが無詠唱魔術を自由自在に使いこなせるのなら、何故、最初から使わなかったのだろう?

 無詠唱魔術の強みは、不意をついて先手を取れること。なのに、ヒューバードはロベルトが姿を見せるギリギリまで、無詠唱魔術を使おうとしなかった。

 今思えば、グレンの火炎球を受けたのも、潜伏しているロベルトを誘き出すためだったのだろう。

(……無詠唱魔術を使うところを、ロベルト・ヴィンケルに観察されると都合が悪かった? もしかして、何か仕掛けがあるのか?)

 その時、シリルは気がついた。ヒューバードの手……あの節くれだった指には、いくつも悪趣味な指輪がはめられていたはずだ。だが、今はその指輪が右手の中指一つにしかない。思い返せば、この森でヒューバードと交戦した時には、既に指輪は一つに減っていた。

(……! そういうことか!)

 シリルはいつもの癖で無意識に襟元のブローチに手を伸ばそうとした。だが、もう指一本動かせない。朦朧とする意識は再び闇に沈もうとしている。とうとう視界も白く霞み始めてきた。

(……いや、これは…………霧?)

 いつのまにか、不自然なほど濃い霧が辺りを包みこんでいる。ほんの数歩先の景色すらろくに見えず、ヒューバードの姿も、ぼんやりとした人影程度にしか見えない。

 自然発生したというには、あまりにも不自然な霧だ。なんらかの魔術によるものだと考えるのが妥当だが、この状況で動けるのはヒューバードのみ。

 そして、ヒューバードがわざわざ霧を発生させる意味が分からない。

(一体、何が……?)

 困惑するシリルの視界の中、ヒューバードに、小さな人影が近づいていくのが見えた。本当に小さな人影だ。ヒューバードと比べると、まるで幼い子どものように。

 幼い人影が、ボソボソと小声で何か言葉を発した。その声は小さすぎてシリルにはよく聞こえない……が、ヒューバードのゲラゲラという笑い声だけは、嫌になるぐらいよく聞こえた。


「あっひゃっひゃっひゃっひゃ! あぁ、あぁ、やっぱりお前は最高だよ! なぁ……


 ──〈沈黙の魔女〉様よぉ!」



 * * *



 モニカは飛行魔術の術式を理解していたし、魔力操作も完璧だったが、致命的にバランス感覚が悪く、今までは高く跳躍するのが精一杯だった。

 だが、一刻を争うこの状況で、モニカは躊躇うことなく飛行魔術を起動した。

 バランス感覚が問われるのは、主に方向転換をする時だ。あまり高度を出さず、真っ直ぐに飛ぶだけなら、モニカでもかろうじて使える。万が一、人や障害物とぶつかったら大事故は必至なので、多用できるものではないが。

 直進できるところまで真っ直ぐ進み、曲がり角で一度術を解除して、体の向きを変えたらまた術を起動して。そうやって必要以上に魔力を消費しながら森の入り口まで高速移動したモニカは、無詠唱魔術で霧を生み出すと、森一帯を包み込んだ。天候を操る魔術は本来禁術扱いだが、この森の一部を覆う程度なら禁術扱いにはならないだろう。

 そうやって己の姿を霧で覆い隠し、モニカは森を奥へ、奥へと進んでいく。

 感知術式を使えば、ヒューバードの姿を見つけるのは、さほど難しくはなかった。

 ヒューバードは鼻歌混じりに、誰かを足蹴にしている……グレンだ。既に意識は無いのか、その目は硬く閉ざされている。

 少し目線を動かせば、霧で見えづらいが、地面に倒れているシリルとロベルトの姿も確認できた。二人とも気絶しているらしく、ぐったりとして動かない。

 その光景が、まるで氷でも飲み込んだかのように、モニカの臓腑を冷やしていく。指の先が冷たいのは、きっと寒さのせいだけじゃない。

 モニカは両の拳をきつく握りしめる。左手がズキリと痛んだが、それでも構わなかった。

「……ディー先輩」

 モニカがボソリと声をかければ、ヒューバードの鼻歌がピタリと止んだ。

 ヒューバードは首を傾けモニカを見ると、ニンマリと笑う。

 心の底から嬉しそうに三白眼を爛々と輝かせて……獲物を見つけた狩人の顔で。

 それがモニカはいつも恐ろしかった。本当は、今も怖い。

 ……だが、それ以上に強い感情が今のモニカを支配していた。

「わ、わたし、今……多分、とっても、とっても、怒ってる……ので」

 モニカはいつだって怒ることに不慣れで、俯いてばかりいた。

 そんな少女が今は歯を食いしばって背すじを伸ばし、己よりずっと背の高い男を睨みつける。

 そして、一言。


「……ガツンって、します」


 ヒューバードは呆気にとられたような顔をし、次の瞬間、体を仰け反らせてゲラゲラと笑った。

「あっひゃっひゃっひゃっひゃ! あぁ、あぁ、やっぱりお前は最高だよ! なぁ……〈沈黙の魔女〉様よぉ!」

 ヒューバードは笑いの余韻にヒィヒィと喉を震わせながら、心底楽しそうにモニカを見据える。

 いつもならすぐに目を逸らすモニカが、今はチェス盤を見据える時と同じ凪いだ目でヒューバードを見つめ返した。

「……この魔法戦、挑戦者は何人でもいいんですよね? ……じゃあ、わたしが飛び入り参加、です」

「あぁ、いいぜぇ。やっぱり俺を満足させられるのは、お前だけだ……とびきり気持ち良くイかせてくれよぉ?」

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