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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第12章「決闘編」
159/236

【12-12】変わらぬことの幸福

「チミ達ね。簡単に魔法戦魔法戦って言うけど、魔法戦の結界って、準備も整備も管理もすごく大変なのよ? しかも、この魔力量のメンバーで魔法戦とか、結界を頑丈にしないと危なくて仕方ないデショ? えっ、観戦もできるようにしてほしい? ちょっとちょっと、それ、どれだけ手間がかかると思ってるの? ……助っ人呼ぶけど、三日はかかるよ。あんまり年寄りこき使うのやめてネ?」


 というマクレガン教諭の言葉により、モニカ・ノートンを賭けた魔法戦決闘は、決闘宣言から三日後の放課後に行われることになった。

 この三日間、モニカは生きた心地がしなかった。

 なにせ、生徒会室でのあの騒動は通行人にも目撃されていたため、その日のうちにあっという間に学園中に噂が広まってしまったのである。

 特にクローズアップされたのが、モニカとヒューバードの関係だ。

『モニカ・ノートンはヒューバード・ディーの元情婦であり、ヒューバード・ディーはモニカに執心である』

 というのが、もっぱらの噂だった。

 違うんです誤解です、と主張したいところだが、それならどういう関係だったのかと問われれば、モニカには答えられない。

 ミネルヴァ時代の先輩と後輩です、などと馬鹿正直に答えたら、モニカがミネルヴァ出身であることがバレてしまう。

 おかげで何も弁明のできないモニカは「ヒューバードの元情婦」の烙印を押され、行く先々で心ない噂と視線に晒され続けた。

 自分の噂だけでも頭が痛いのに、更に頭が痛いのは、モニカがロベルトやグレンに体を売って誘惑した、という噂である。自分のせいでグレンやロベルトまで、心ない噂に晒されていると知り、モニカはやつれにやつれた。



 * * *



「……黒ずんで廃棄される寸前の魚の干物って感じね」


 昼休み、モニカがげっそりと机に突っ伏していると、隣の教室からやってきたクローディアが人形のような無表情で言った。

 モニカの様子を気にしていたラナが、じとりとクローディアを睨み付ける。

「あなたには人の心が無いわけ?」

「……干からびたマンドラゴラよりは、マシなたとえでしょ」

 何がどうマシなのかと、突っ込む余裕すらモニカには無かった。

 いつもなら、昼休みになれば食堂に顔を出すところだが、今はとてもそんな気にはなれない。廊下を歩くだけで周囲から注目されてしまうのだ。

「あの……二人で、お食事してきて、ください……わたしは、だいじょうぶ、なので」

 モニカと一緒に食堂に行けば、ラナとクローディアにも迷惑がかかる。

 そう思っての提案だったのだが、クローディアはモニカの首根っこをムンズと掴むと、椅子から立たせた。

「……くろーでぃあ、様?」

 モニカが虚ろな目でクローディアを見上げると、クローディアはモニカの首根っこを掴んだまま、スタスタと歩きだした。いつもなら、ラナが「何するのよ!」と咎めるところだが、今はラナも無言でクローディアの後をついてくる。

 二人が向かっているのは、ちょうど食堂とは真逆の方向だ。故に、廊下に人の姿は殆どない。

「あの? えっと? ラナ? クローディア様? どこに……」

「例の決闘、今日の放課後なんでしょう。決闘の景品が干物なんて笑い話だわ」

「……景品……干物……」

「水分補給ぐらいすることね」

 クローディアはとある空き教室の前で足を止めると、扉を開けてモニカをポイと中に放り込んだ。

 ふらふらと教室に足を踏み入れたモニカはのろのろと顔を上げ、落ち窪んでいた目を丸くする。

「モニカ、待ってたっスよ!」

 ブンブンと元気良く手を振っているのはグレンだ。隣にはニールもいる。

 彼らは空き教室の床の上に絨毯を敷き、そこに軽食や飲み物をずらりと並べていた。まるでピクニックでもしているかのように。

 モニカがポカンと立ち尽くしていると、グレンが「早く座るっスよー!」とモニカを急かす。

 モニカはラナに背中を押されて、ふらふらと絨毯の上に座り込んだ。

「……あの、これ、は……?」

「ふっふっふ、オレ特製、さぼりセットっス!」

 グレンはなにやら得意げな顔で、端の方に寄せていた鞄から、干し果物やらカードゲームやらを取り出して見せた。

 まさか、午後の授業をさぼって、この教室に居座る気では……と青ざめるモニカに、優等生のニールがおっとりと言う。

「毛布も用意してきたので、お昼寝もできますよ。ノートン嬢、ほとんど寝てないみたいですし、放課後まで仮眠を取った方が良いですよ」

「あの、でも、わたし……」

 モゴモゴと口籠るモニカに、ラナが温かい茶を注いだカップを押しつける。

「あーあ、わたし、なんだか今日はすっごく授業をさぼりたい気分!」

「ラナ、えっと……」

「モニカも付き合いなさいよ。良いわよね?」

 ボロリ、と大きな涙の滴が零れ落ち、モニカのカップに波紋を作る。

 一度涙が溢れると、もう止まらない。モニカはカップを両手で握りしめたまま、鼻をすすり、みっともなく泣きじゃくった。

「ごめ、なさ……わたしの、せいで…………みんなに……迷惑、がげでる、のに……っ」

 モニカがゴシゴシと目元を擦ると、ラナとグレンが拳を握りしめて、いきり立った。

「馬鹿ね! どう考えても迷惑かけてるのは、モニカじゃなくて、あの赤い髪の先輩の方でしょうが!」

「そうっスよ! モニカが気にすることなんて、全然ないっス!」

「だいたい、悪趣味なのよ、あのゴッテゴテの指輪!」

「そうっス! センスも性格も、えーっと、とにかく全部最悪っス!」

 ラナとグレンは思いつく限りの罵詈雑言で、ヒューバードを罵っていた。とは言え、語彙力に偏りがある二人なので子どもの悪口レベルだが。

 モニカはずずっと鼻を啜ると、グレンに頭を下げる。

「グレンさん、本当に、ごめん、なさい……わたしのせいで、変な噂、されちゃって……」

「えーっと、愛人がどうとかってやつっスか? あんなの、ぜーんぜん気にしてないっスよ。なにも後ろ暗いことなんて無いんだから、堂々としてればいいんスよ!」

 ニカッと太陽のように笑うグレンの横で、クローディアが月のように静かな笑みを……というより、薄ら笑いを浮かべて言った。

「……景品はふてぶてしく『やめて、私のために争わないで』……ぐらい言っておけば良いのよ」

「どう考えても『私のために』じゃなくて『私のせいで』争いになってますぅぅぅぅ」

 再び泣き崩れるモニカに、ニールが慌てて口を挟む。

「ク、クローディア嬢っ、逆効果! 逆効果ですっ! あの、ノートン嬢、これはクローディア嬢なりの慰め方というかですね、えっと、今日のこの会を企画したのもクローディア嬢で……」

「まぁ、流石ニールね。私のことを分かってくれるのは、ニールだけだわ」

 こんな時でもクローディアは、いつものクローディアであった。

 そんなクローディアにラナが呆れ顔で鼻を鳴らしつつ、薄切りのパンにリエットを塗ってモニカに差し出す。

 すると、すかさずグレンが口を挟んだ。

「そのリエット、オレが作ったんっスよ!」

「えっ、グレンさん、が……?」

「オレ、肉料理は得意っスから!」

 いつもなら塊の肉を好むグレンだが、用意されている料理はどれも、少食のモニカが食べやすいように細かく刻んだりすり潰したりしたものばかりだ。

 モニカは礼を言ってパンを受け取り、小さく口を開けて齧る。そう言えば、あの決闘宣言の日から、まともな食事をしていなかった。

「……すごく、おいしいです…………えへ……」

 忘れかけていた空腹感を思い出し、ハミハミとパンを咀嚼していると、突然勢いよく教室の扉が開いた。


「クローディアっ! どういうことだこれはっ!?」

「おーおー、やってるやってる」


 唾を飛ばして怒鳴り散らしているのはシリル、その背後で教室の中を覗きこみ、苦笑しているのはエリオットだ。

 クローディアは紅茶のカップを優雅に傾け、その一口をたっぷりと時間をかけて味わってから、あたかも、たった今、兄に気づいたような態度でシリルを見た。

「……あら、ご機嫌ようお兄様」

「空き教室で茶会をするとは何事だ! ティーサロンを申請しろっ!」

「……それじゃあ、さぼりにならないでしょ」

「堂々とさぼり宣言をするんじゃない!」

 シリルの怒声に、クローディアは笑ってもいないのに、笑みを隠すかのような仕草で口元に扇子を当てた。

「あら、こっそりやるなら見逃すってことかしら?」

「…………ぐっ」

 シリルが口をへの字に曲げて黙りこめば、エリオットが苦笑混じりに頬をかく。

「メイウッド総務まで便乗か。やれやれ、俺はこう見えて優等生だから、さぼりには厳しいんだぜ」

 エリオットの言葉にモニカとニールがギクリと体を強張らせると、エリオットは溜息を一つ吐いて、バスケットの中の焼き菓子を一つつまみあげた。

「俺の好きな菓子だな。これを口止め料ってことにしておいてやろう。あとな、ノートン嬢」

「は、はいっ」

「ロベルト・ヴィンケルに関しては、気を遣わなくていいぞ」

「………………え?」

 突然出てきたロベルトの名前に、モニカはぱちくりと瞬きをする。

 ロベルトもまた、今回の騒動に巻き込んでしまった人の一人だ。編入早々にあらぬ噂を広げられ、さぞ迷惑しているに違いない、とモニカは密かに気に病んでいた。

 だが、エリオットは菓子を齧りながら、軽く肩を竦めてみせる。

「どうせ、自分のせいで巻き込んでしまったとか気にしてるんだろ? 心の底から気にしなくていいぜ。あいつ、決闘に勝利したらノートン嬢をチェスクラブに勧誘するつもりだからな。さっき、そのための書類を取りに来たぞ」

「………………わぁ」

 挙句、ロベルトはモニカが体を売ってロベルトを誘惑したという噂に関しても、周囲の人間にこう返したらしい。


『非常に残念ながら、自分はモニカ嬢と肉体関係にありません。ですので、今後モニカ嬢に誘惑してもらえるよう、鋭意努力いたします』


 いっそ清々しい切り返しである。

 だが、その変わらぬ態度が今のモニカにはありがたかった。ロベルトだけじゃない。ラナもクローディアもグレンもニールもエリオットも、いつもと変わらぬ態度でモニカに接してくれる。


 モニカは周囲の人間が一瞬で手のひらを返す瞬間を知っている。

 父が役人に連行された時、優しかった近所の人が一斉に父に向かって石を投げた。

 モニカが無詠唱魔術を覚えた時、同級生も教師も態度を変え、バーニーはモニカから離れていった。


 だからこそ、セレンディア学園で得たものは、モニカにとって得難い宝物なのだ。

 モニカはパンの最後の一欠片を飲み込むと、ありったけの勇気を振り絞って、あの日から口を利いていないシリルに頭を下げた。

「こっ、こっ、この度は、大変、ご迷惑を、おかけしま、したっ…………でも、わたし…………生徒会、やめたくない、です」

 震え声で言うモニカに、シリルは視線を右に左に彷徨わせる。

 ちなみに右を向いたら意味深に笑うクローディアと目が合い、左を向いたらニヤニヤしているエリオットと目が合った。

 シリルは気まずそうにゴホンと咳払いをすると、いつもの彼らしい高飛車さで踏ん反り返る。

「ふん、辞めたいと言っても辞められるとは思わぬことだな。私が卒業するまで、徹底的にしごいてやるから、覚悟するがいい」

 その、なんともシリルらしい物言いに、モニカは眉を下げてへにゃりと笑った。

「いつものシリル様だぁ……」

 シリルは「どういう意味だ貴様」と渋面になったが、それすらも今のモニカには嬉しかった。



 * * *



 高等科で最も豪奢な個室のティールームには、少し珍しい顔ぶれが揃っていた。

 生徒会長フェリクス・アーク・リディル。

 その異母弟のアルバート・フラウ・ロベリア・リディル。

 そして、レーンブルグ公爵令嬢エリアーヌ・ハイアットの三名。

 フェリクスとアルバートは王族、そしてエリアーヌもまた、遠縁ながら王家の血を引く人物である。この学園で最も高貴な顔ぶれである、と言っても過言ではない。

 アルバートとエリアーヌを呼び出したフェリクスは、二人に茶菓子を勧めると、自身もカップの紅茶を一口飲んで、おだやかに微笑んだ。

「突然呼び出してすまなかったね、二人とも」

 アルバートは硬い口調で、エリアーヌはどこか気もそぞろに、各々「いいえ」と短く答える。

 アルバートは単純にフェリクスに対して、警戒しているのだろう。アルバートがセレンディア学園に編入してから数週間が経つが、今までフェリクスは学園でアルバートに声をかけたことが一度もない。それなのに、わざわざこのタイミング──決闘直前の昼休みに呼び出すなんて、何かあると考えるのが当然だ。

 エリアーヌが落ち着かない様子なのは、グレンのことが気になるのだろう。

 生徒会室でヒューバード・ディーが起こした騒動に飛び込んでいったグレンは、モニカ・ノートンと懇ろの仲なのではないか、という憶測が広まっている。それがエリアーヌは気になって仕方ないのだ。

(……どちらも、分かりやすくて助かるね)

 胸の内でそう呟いて、フェリクスは率直に本題を切り出す。

「実は、二人に相談したいことがあるんだ。今日の放課後に行われる決闘のことは知っているね? この決闘の原因となったのはヒューバード・ディーという編入生なのだけど、そのせいで、モニカ・ノートン嬢を貶める噂が一人歩きしている」

 噂の内容はあえて口にはしなかったが、二人とも耳にしているのだろう。

 モニカがヒューバードの元情婦だの、グレンやロベルトを誑かしただの、聞くに耐えない噂ばかりだ。

「我が生徒会役員の名誉を汚す噂を、看過する訳にはいかない」

 フェリクスが常より低く冷ややかな声で宣言すれば、その静かな怒りにあてられたアルバートとエリアーヌは俄かに顔を強張らせる。

 声のトーンを変えるだけで、僅かに目を細めるだけで、フェリクスの纏う空気は変化する。

 そうして彼は、たったそれだけのことで、その場にいる人間を支配できる──クロックフォード公爵と同じように。

 そうして自ら張りつめさせた場の空気をフェリクスはほんの少しだけ緩め、穏やかな口調でアルバートに問う。

「ところで、アルバート。君は最近、ダドリー君やモニカと仲が良いみたいだね?」

「え、えぇ、ダドリー先輩とモニカ嬢は僕の友達ですから!」

 アルバートがここ最近、グレンとモニカに接触していることをフェリクスは知っている。

 大方、あの二人を自分の陣営に引き込んで、フェリクスの足を引っ張りたかったのだろう。

 フェリクスはそんなアルバートの子どもじみた策略を、あえて利用することにした。

「では、君の友人の不名誉な噂を根絶するために、力を貸してくれるね、アルバート?」

「勿論です!」

 よくできました、と声に出さずに呟き、フェリクスはニコリと微笑む。

 そして、今度はその視線をエリアーヌの方に向けた。

「君にとってダドリー君は命の恩人だ。レーンブルグ公爵令嬢として、彼の不名誉な噂は不本意だろう?」

「え、えぇ、えぇ、その通りですわ! グレン様の不名誉な噂を流されることは、レーンブルグ公爵令嬢として非常に不本意ですもの」

 あくまでエリアーヌ個人ではなく「レーンブルグ公爵令嬢」という肩書を強調してやれば、エリアーヌは簡単に飛びついた。

 中等科で影響力のあるアルバートと、高等科で影響力のあるエリアーヌ。この二人に根回しをしておけば、いずれモニカとグレンの不本意な噂は収まることだろう。

(……あの子に泣かれるのは、良い気分がしないからね)



 ちなみに、噂になっているのはモニカに絶賛求愛中のロベルト・ヴィンケルも同様である。

 だが、フェリクスはロベルトを助ける気などサラサラ無かったので、特に根回しはしなかった。



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