【12-11】手袋無しの決闘宣言
図書館棟を出たところにある渡り廊下で、リディル王国第三王子アルバート・フラウ・ロベリア・リディルは片足立ちをしていた。
「本当にこれで、飛行魔術ができるようになるのか、ダドリー先輩?」
「飛行魔術で一番大事なのはバランス感覚っス! まずは片足だけで、渡り廊下を真っ直ぐ渡ってみて欲しいっス」
半信半疑の顔をしているアルバートに、グレンは自信満々に言う。
アルバートの横では、特に飛行魔術を覚える予定のないパトリックが楽しそうに片足でピョンピョン飛び跳ねていた。
「アルバート様〜、競争しましょう〜」
「むむっ、望むところだ! とうっ!」
二人の少年は渡り廊下をピョコンピョコンと跳ねて進む……が、アルバートはほんの数歩進んだところで、バランスを崩して尻餅をついた。
少し先を進んでいたパトリックが、片足立ちのままアルバートを振り返る。
「アルバート様ぁ〜、大丈夫ですかぁ〜?」
「くそぅ、こらパトリック! 主人より早く先に進むやつがあるか!」
アルバートがギャンギャン叫ぶと、パトリックは「あれぇ?」と首を傾けながら、アルバートではなく高等科の校舎に目を向けた。
アルバートは目尻を吊り上げ、頬を引きつらせる。
「主人の話の最中に余所見とは良い度胸だな!」
「あのぉ〜、なんだか高等科の方がザワザワしてるんですけどぉ〜……」
言われてみれば確かに高等科の方が騒がしい。なんだなんだと目を向けたアルバートは、高等部校舎一階の廊下の窓に背の高い赤毛の男子生徒と、その肩に担がれている小柄な少女の姿を見つけ、目を丸くした。
まるで狩りの獲物みたいに担がれているのは、モニカ・ノートンではないか。
「なんだ、あれは……」
モニカは足をバタつかせて必死に抵抗しているようだったが、男子生徒は気にした様子もなく、上機嫌に階段を上っていく。
その光景に、グレンが低い声で呻いた。
「…………あいつ……っ!!」
グレンはいつも陽気な彼らしからぬ低い声で呻くと、校舎に向かって走り出した。
アルバートはしばしポカンとしていたが、ハッと我に返りパトリックに声をかける。
「パトリック! 僕達も追いかけるぞ!」
「片足でですか〜?」
「普通に走れ!」
「廊下は走っちゃダメですよ〜」
結局二人はギリギリ走っているうちに入らない早足で、グレンの後を追いかけた。
* * *
生徒会室の柱時計を眺めながら、シリル・アシュリーは苛々としていた。もう生徒会役員会議の時間になったというのに、モニカが姿を見せないのだ。
「……ノートン会計は何をしているのだ」
「うーん、今日、生徒会役員会議があることは、知ってる筈ですけど」
ニールが困ったように呟き、エリオットが「先に始めてようぜ」と促す。
無言のブリジットがフェリクスの言葉を窺うように目を向ければ、フェリクスは「おや?」と扉の方に目を向けた。
「……何か、声が聞こえるね?」
言われて耳をすましてみれば、確かに誰かの悲鳴らしき声が聞こえた。あのみっともない子どもみたいな泣き声をシリルはよく知っている。彼の後輩モニカ・ノートンの声だ。
「ようやく来たか……一体、何を騒いでいるんだ」
小心者で小動物みたいなモニカが、驚いたりすっ転んだりする度に、奇怪な悲鳴をあげるのは、まぁよくあることである。だが、今日はやけにその悲鳴が長い。
モニカの悲鳴は、徐々に大きくなっていく。それも、啜り泣き混じりのみっともない声だ。
流石に何かあったのではと、シリルが腰を浮かせかけたその時、勢いよく扉が蹴り開けられた。
「んっんー? ここが生徒会室で、あってるか?」
お行儀悪く足で扉を開けたその男をシリルは知っていた。
最近セレンディア学園に来たばかりの編入生、ヒューバード・ディー。
七賢人〈砲弾の魔術師〉の甥であり、魔術師の名門であるミネルヴァに入学するも、二年留年した挙句、退学処分になったと噂の問題児である。セレンディア学園に編入することになったのは、世間体を気にした親族の意向らしい。
クラスこそ違うが、同じ高度実戦魔術の授業を受けているので、シリルも顔と名前だけは知っていた。
本来、高度実戦魔術の授業は、一、二年時に実戦魔術と基礎魔術の授業を履修していないと受講できないのだが、ミネルヴァ出身のヒューバードはそれを免除されている。そんな特別扱いを受けているだけあって、魔術の腕は非常に優れていた。まだ数回しか一緒に授業を受けていないが、それでもすぐに分かるほど、ヒューバードの実力はずば抜けている。
だが、そのヒューバード・ディーが何故、肩にモニカ・ノートンを担いでいるのか。
モニカは「おろしてぇ……」と死にそうな声で泣きじゃくっているし、誰が見てもただ事じゃない。開きっぱなしになった扉の向こう側では、好奇心旺盛な生徒達が何事かと足を止めて、生徒会室に注目している。
緊迫した空気の中、フェリクスがヒューバードに訊ねた。
「君は編入生のヒューバード・ディー君だね……どうして肩にその子を担いでいるのかな? どうやら、本人の意思とは反しているようだけど」
「んっんー。直談判したいことがあるンだよ。率直に言うぜ。モニカは魔法戦研究会がもらうから、生徒会辞めさせろ」
ヒューバードの言葉に廊下の生徒達がざわつきだす。そんな中、モニカが啜り泣きながら、か細い声で主張した。
「……ちがうんです、ちがうんです……おねがい、ゆるしてください……わたし、生徒会、やめたくな……」
「んっんっんー。俺に意見できる立場かぁ? なぁ、モーニーカぁ?」
「……っ!」
ヒューバードがモニカに顔を近づけて囁けば、モニカは真っ青になってガタガタ震えだす。モニカがなんらかの脅迫を受けているのは、誰の目にも明らかだ。
シリルがいつでも詠唱できるように身構えると、それをフェリクスは片手を持ち上げて制した。
フェリクスの顔からは穏やかな笑みが消え、冷ややかな目がヒューバードを見据えている。
「モニカ・ノートン嬢は魔術に関する授業を受けていない筈だ。それなのに、どうして魔法戦研究会に?」
「んっんー? 俺がこの女を毎日部室に連れ込む理由なンて、一つだけだろ?」
モニカの顔がさぁっと青ざめる。
この時、モニカは自分が魔術師であるとバラされることを懸念していた。
しかし、ヒューバードはそれを見越した上で、ニンマリと悪質な笑みを浮かべて言う。
「毎日(魔法戦を)ヤりまくるに決まってンだろぉ? 顔と体が良いだけの女は娼館で買えるが、俺を(魔法戦で)満足させられる女は、こいつしかいねぇからなーぁー?」
場の空気が凍りついた。
「シリル」
フェリクスの発した言葉は制止の声ではなく、攻撃命令だ。
シリルは短縮詠唱で氷の魔術を発動した。床から生えた氷の槍が、ヒューバードの顎先にピタリと突きつけられる。
しかしヒューバードは動じることなく、寧ろ楽しそうに口笛を吹いた。
「んっんー、良い腕だな。セレンディア学園にも短縮詠唱をできる奴がいるとは思わなかったぜ」
「その下品な口を閉じて、ノートン会計を解放しろ」
「嫌だと言ったら?」
シリルが詠唱をしながら軽く指先を振る。氷の鎖がヒューバードの手首に絡みついた。
「物言わぬ氷像にしてやる」
シリルが青い目をギラつかせて告げてもなお、ヒューバードは余裕の表情で笑っていた。
だが、突如その体がグラリとぐらつく。ヒューバードの背後から、誰かが飛び掛かったのだ。
「モニカを離せ!!」
ヒューバードにタックルをしたのは、グレン・ダドリーだった。どうやら途中から飛行魔術で加速してきたらしい。
ヒューバードがよろめいた拍子に、肩に担がれていたモニカが床に落ちる。だが、モニカが床に叩きつけられる前に、その小さい体を抱きとめた人物がいた。
「お怪我はありませんか? モニカ嬢」
真冬であるにも関わらず袖まくりをし、たくましい腕でモニカを抱きとめたのはロベルト・ヴィンケルである。
モニカは放心状態らしく、ロベルトに声をかけられても、虚ろな目をしていた。そんなモニカにロベルトは「おいたわしい……」と沈痛な顔で眉を寄せる。
ヒューバードはゆっくりと立ち上がると、ゴキゴキと首を鳴らしながら、グレンでもロベルトでもシリルでもなく、フェリクスを見て言った。
「なぁ、生徒会長の目の前で暴行事件が起こったわけだが……だんまりでいいのか?」
「暴行事件? 君はおかしなことを言うんだね。これは純然たる制圧行為だろう?」
「ほーう?」
ヒューバードはこんな状況になってもなお、ニヤニヤとタチの悪い笑みを浮かべていた。
三白眼が、いかにもずる賢そうに室内を見回す。
次の魔術の準備をしているシリル・アシュリー、今にも飛びかかりそうなグレン・ダドリー、モニカを抱えつつヒューバードを睨むロベルト・ヴィンケル……そして最後にフェリクス・アーク・リディルを見据えて、ヒューバードは口を開く。
「じゃあ、お前らの流儀に則ってやんよぉ。由緒正しい決闘しようぜぇ?」
「……決闘?」
冷ややかに言葉を返すフェリクスに、ヒューバードは指輪だらけの手を振って「決闘を申し込むための手袋がなくて悪ぃなぁ?」と笑う。
「建前を気にするお前らは大好きだろう? 女をかけての決闘。いいよなぁ、燃えるよなぁ、楽しそうだよなぁ?」
ヒューバードがこの場を引くつもりは無いことは明らかだ。ヒューバードは退学になろうとも、自分の意思を貫き、暴力でこの場を支配するだろう。
その上で譲歩案として、ルールのある「決闘」を提案した。
「魔法戦しようぜぇ? こっちは俺一人。そっちは何人でもいい。俺が全員ぶちのめしたら、モニカは俺が貰う。だが、お前らが勝ったらモニカは諦める……簡単だろぉ?」
ヒューバードの露骨な挑発に、真っ先に反応したのはグレンとロベルトだった。
「上等っス!! 今度こそ……ぶっ飛ばしてやるっ!」
「騎士を志す者として、モニカ嬢の婚約者候補として、その挑戦お受けしましょう」
グレンとロベルトが乗り気になれば、ヒューバードはニヤニヤ笑ってフェリクスを見上げる。
廊下にも人が溢れているこの状況下、ここまで盛り上がってしまえば、フェリクスは引くことはできない。そこまで見越して、ヒューバードは決闘なんぞを申し込んだのだ。
生徒会役員の中で、魔法戦ができる者は一人しかいない。フェリクスはシリルを見る。
「シリル・アシュリー副会長」
シリルがはい、と返事をするとフェリクスは過去最高に冷ややかな顔で告げた。
「命令だ。この決闘に勝利しろ……大事な会計を失うわけにはいかないからね」
「御意に」
この瞬間、生徒会会計モニカ・ノートンを賭けた決闘が行われることが決定したのだ。
モニカはもはや数字の世界に現実逃避することもできぬまま、どうしてこんなことに……と自問自答を繰り返していた。