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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第12章「決闘編」
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【12ー10】幸せな夢の代償

 新学期が始まって三週間が過ぎた。

 今のところモニカはフェリクスに正体がバレることもなく、また、因縁の男であるヒューバード・ディーと遭遇することもなく、日々を過ごしている。

 たまにロベルトが教室に乗り込んできて、突如詩(?)を読み上げたり、チェスに誘ってきたりということはあるが、それ以外は概ね平和だ。

 生徒会の業務もまだ繁忙期ではないし、左手の調子もだいぶ良くなってきている。まだ握力は弱いし、力を込めるとズキリと痛むが、軽く握ったり開いたり程度なら、だいぶ自然にできるようになってきた。

 最近変化があったことと言えば、放課後のグレンとの勉強会にアルバートも混ざるようになったことだろうか。

 少し前までミネルヴァに通っていたというアルバートは、魔術についてそれなりに知識があった。そのことでグレンと意気投合し、最近は一緒に魔術の勉強をしている。

 アルバートは魔術式の理解は深いが、魔力を操る感覚操作が苦手なタイプだ。だからこそ、真逆のタイプのグレンと共に勉強することで、互いに得るものがあるらしい。

 最近ではもっぱらグレンがアルバートに飛行魔術を教え、アルバートがグレンに追尾術式を教えている。そうして三人で勉強会をした後で、アルバートのところでお茶会をすることもあった。


 この三週間正体がバレることなく、モニカ・ノートンとしての日々を送ることができて、モニカはほんの少し……そう、ほんの少しだけ油断していたのだ。

 モニカが抱えている問題は何一つとして解決していないというのに。



 * * *



 その日は生徒会役員会議の日だったが、三年生の授業が終わるまでに少し時間があったので、モニカは三年生の授業が終わるまでの間、ラナに誘われてお茶をすることにした。

 天気の良い日なら中庭でお茶会を楽しむところだが、今日は灰色の空から雪がちらついている。

 なので、今日は室内のティーサロンでお茶会をすることにした。

 参加者はラナとクローディア、そしてモニカの三人だけのこぢんまりとしたお茶会だ。茶菓子はラナが用意し、飲み物はモニカがコーヒーを用意した。

 ミルクをたっぷりといれた温かなコーヒーは、ラナがリクエストしてくれたものだ。自分が好きな物を友人にも気に入ってもらえると、素直に嬉しい。

 ラナは美味しそうにコーヒーに口をつけ、ほぅっと息を吐いた。

「やっぱり私、モニカのコーヒー好きよ。モニカ、コーヒーサロンを開けちゃうんじゃない? このコーヒーなら、絶対王都でも人気が出るわよ」

「えへへ、そ、そうかな……」

 モニカがはにかんでいると、クローディアがコーヒーカップを片手にボソリと言う。

「……あのポット、大事にした方がいいわよ。結合部分のゴムが海外の特殊なゴムだった…………簡単には替えが利かない」

 父の遺品であるコーヒーポットは上下に分かれており、下のポットに水を入れ、漏斗に粉砕した豆をセットし、上のポットをセットして加熱する……という物なのだが、この上下の結合部分にゴムが使われている。

 熱に強く丈夫なそのゴムは、ポット内の気密性を保ってくれる重要なパーツだ。クローディア曰く、劣化しても簡単には替えが利く物ではないらしい。

 だが、そんなクローディアの言葉にラナが反論した。

「あら、サザンドールでなら手に入ると思うわ。最近、良質なゴムの輸入量が増えてるの。最近は色々と機械化が進んでいるから、需要が多いのね」

「……安物ではないでしょう」

「うっ、ま、まぁ、そうだけど」

 ラナは誤魔化すようにコーヒーを啜り「サザンドールと言えば」と、言葉を続けた。

「サザンドールの商人達が、帝国の方に流れていってる感じね。新しい皇帝陛下は新しい物好きらしくて、関税を下げたり、商人への優遇が手厚いみたい」

「……関税を下げたせいで、うちの外交部と揉めてるらしいけどね」

「そうそう。それで帝国に対抗するべく、サザンドール側も新規事業を起こしたいらしくて。お父様もそこに出資するつもりみたい」

 モニカにはあまりピンとこない話だったので、大人しくコーヒーを啜っていると、ラナがモニカをちらりと見て言った。

「ねぇ、モニカ。モニカは卒業した後のことって、何か考えてる?」

「…………へっ?」

 予想外の質問にモニカは思わず目を丸くした。

 モニカ達は現在高等科の二年生。卒業までは、まだ一年以上ある。

 だが、そのことを抜きにしても、モニカは卒業後のことなんて考えたことがなかった。

 モニカがこの学園にいるのは、フェリクスの護衛のため──つまり、フェリクスが今年卒業した時点で任務は終わり、モニカは七賢人〈沈黙の魔女〉の生活に戻るのだ。

 そのことを改めて実感したモニカは、内心ヒヤリとしつつ、ぎこちなく笑ってみせた。

「えっと……うん、まだ、何も考えてない……かな」

「わたしね、卒業後はお父様の仕事を手伝うつもりなの。サザンドールを拠点に新しい商会を立ち上げようと思ってて」

 若い女性が商会長になるなど、簡単なことではない。が、ラナの家の財力があれば、あとはラナの才覚次第だろう。

 ラナが言うには、サザンドールで新しい染料を取り扱い、ファッション業界に新しい風を吹かせたいらしい。流行り物やお洒落が大好きなラナらしい計画だ。

 モニカがラナの事業計画をふんふん頷きながら聞いていると、ラナは「それでね」と言葉を切り、モニカを見た。

「卒業したら、わたしの仕事を手伝わない?」

「…………えっ」

 思わずモニカが驚きの声を上げると、ラナは髪をクルクルと指に巻きつけながら、唇を尖らせた。

「モニカは数字に強いでしょ。だから、経理の仕事を任せたいのよ。べ、別に、友達だから贔屓しようとか優遇しようとか言ってる訳じゃないのよ」

 早口になるラナに、クローディアがボソリと言う。

「……でしょうね。セレンディア学園の生徒会役員経験者……しかも、第二王子が会長を務めた代の役員ともなれば、取引相手の貴族に対して確実に信頼をもぎ取れる」

 どうやらモニカが思っていた以上に、セレンディア学園生徒会の影響力というのは大きいらしい。

 クローディアが言うには、王宮勤めの官僚や大臣にもセレンディア学園生徒会役員経験者が多いのだとか。

 生徒会役員が憧憬の目で見られる理由にモニカが納得していると、ラナがボソリと呟いた。

「そうよ。セレンディア学園の生徒会役員って、それだけで引くてあまたなんだから……それに、モニカがいたら心強いし……」

 その言葉にモニカの心臓が跳ねた。

 ラナがモニカを頼ってくれた。モニカがいたら心強いと言ってくれた。必要としてくれた。

(……嬉しい)

 だが、喜びと同時に込み上げてくるのは胸を刺す罪悪感。

 ──モニカはあと半年で学園を去る。ラナと一緒に卒業式を迎えることすらないのだ。

「まぁ、まだ一年以上先の話だから、ゆっくり考えて頂戴。ケルベック伯爵家の了承がいるなら、わたしも説得を手伝うわ」

 ラナはモニカが顔を強張らせている理由を、ケルベック伯爵家を気にしてのものだと思ったらしい。

 モニカは曖昧に微笑み、小さく頷いた。


 ラナの提案を受けることはできないと、分かっている癖に。



 * * *



 生徒会役員会議の時間が近づいてきたので、モニカはラナとクローディアを残して、一足先にティーサロンを後にする。そうして、どこかフワフワした心地で生徒会室へ向かった。

 モニカの頭を占めているのは、ラナの提案。

 ラナと一緒にサザンドールで商会を立ち上げる……それをモニカは素直に「楽しそう」だと思った。

 流行に敏感で、それでいて案外手堅いラナはきっと商売を成功させるだろう。自分がそれを陰ながら支えることができたら、きっと充実した日々を送れる筈だ。

 だが、モニカ・ノートンは本来存在しない人物……モニカの正体がバレたら、ラナはきっとモニカから離れていくだろう。ラナの仕事を手伝うなど、絶対に叶わぬ未来だ。

 それでもモニカは自分を取り巻く現実に、ほんの僅かな時間だけ目を瞑り、空想に耽った。


 だから、周囲への警戒が散漫になっていた。


 いつもならば廊下を曲がる時に人の姿を確認していたのに、この時のモニカはそれを怠ったのだ。

 角を曲がった時、前方から歩いてくる誰かが足を止めたことにも、その誰かがモニカを凝視し、唇を三日月のような笑みの形にしたことにも、空想に耽るモニカは気づかなかった。


「……なんでお前がここにいるんだぁ、エヴァレットぉ?」


 空想の中のモニカは〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットではなく、ラナの友人のモニカ・ノートンだ。だから、粘着質なその声を聞いてもなお、モニカはそれが自分に向けられたものだとすぐに気づかなかった。

 己を呼び止めた男に気づかぬまま横を素通りすると、モニカの肩に指輪だらけの手が食い込む。

「へぅっ!?」

 気付いたら、モニカは誰かに背後から肩を掴まれ、抱き込むようにもう片方の手で顎を掴まれていた。

 モニカの顎を捉えた指先が、モニカの頬を左右からムニムニと潰す。

「久しぶりに会ったのに無視だなんて冷たいじゃねぇか? もう、俺のことを忘れちまったのか? ……寂しいねぇ、俺はお前のことを忘れた日なんて無かったのによぉ」

 背後から顎を掴まれているモニカは、振り向くことができなかった……が、それでもその声を聞けば、背後にいるのが誰かなんて疑うまでもない。

「…………ディ、ディー先輩……」

 かつてミネルヴァでモニカを追い回した男は、上機嫌に「んっんー」と鼻を鳴らし、モニカの顎をグイと傾けて己の方を振り向かせた。

 記憶の中と変わらない三白眼、燃えるような赤い髪。

 七賢人が一人〈砲弾の魔術師〉の甥にあたる男──ヒューバード・ディーはニタニタと笑いながらモニカを見下ろしていた。

 モニカは震えながら、目だけを動かして辺りを見回す。幸か不幸か、周囲に人の姿は無い。

 モニカは自分の中のありったけの勇気をかき集めて、声を絞り出した。

「い、今のわたしは、モニカ・ノートン、です。大事な任務で、正体、隠してて……お願い、です。エヴァレットって、呼ばないで、ください」

 かつてモニカに暴力を振るった叔父の姿と、ミネルヴァにいた頃にヒューバードに追い回された記憶とがグチャグチャに混ざって、モニカは恐慌状態だった。既に目尻には涙が滲み、喉は嗚咽混じりにヒィッヒィッとみっともなく震えている。

 それでも、以前のモニカなら泣き叫んで、この場を逃げだしていただろう。それを思えば、真正面からお願いをできるようになったのは、大きな一歩だ。

 ヒューバードは何かを考え込むように、俄かに目を細めた。その間も、モニカの肩と顎を掴む手の力は緩まない。

「んっんっんー……お前が任務でセレンディア学園にいることを、叔父貴が知ってたら、任務の邪魔をしないよう俺に言う筈……叔父貴が知らないってぇことは、七賢人の中でもごく一部しか知らない、政治的案件……そう言えば、お誂え向きにここには第二王子がいたなぁーあ? ……んんっ、てこたぁ、任務ってぇのは第二王子の護衛か調査ってぇところか?」

 ヒューバードは粗野に見えて、非常に頭のキレる男だ。一を聞いて十を理解する頭の回転の速さはモニカがミネルヴァにいた頃と変わらないらしい。

「……お願い、です、わたしのことは、誰にも、言わないで……」

 か細い声で懇願するモニカを、ヒューバードは罠にかかった兎を見るような目で見る。

「お願い? いいぜぇ、聞いてやっても」

 モニカは絶望の中、一筋の希望を見出した。

 あぁ、話の通じなかったこの先輩も、歳月を経て、少しは丸くなったのだ、と。

 頭上でヒューバードが舌舐めずりをしているとも知らずに。

「ただし、条件がある」

「…………へっ?」

「俺は今、この学園で『魔法戦研究会』に所属している。分かるかぁ? 放課後に毎日、魔法戦をヤるんだよ。お前そこに入れ」

 さぁっと青ざめるモニカの耳元で、ヒューバードは低く囁く。

「卒業するまで、毎日ヤろうぜ……ま、ほ、う、せ、ん」

「む、無理、無理です、わたし、魔術は使えないことになってるし、それに……生徒会が、あるし」

 生徒会役員はクラブや研究会に所属することが禁じられている。だから、生徒会役員のモニカはその条件を飲むことはできない。

 だが、ヒューバードは無情に告げた。

「じゃあ、生徒会辞めろ」

「……っ、や…………イヤ、です」

 モニカが弱々しく首を横に振ると、ヒューバードの目がギラリと輝いた。

「『無理』じゃぁなくて『イヤ』って言ったな? ってぇことは、生徒会は辞めても任務の継続は可能ってぇワケか」

「…………っ!!」

 ヒューバードの言うことは正しい。生徒会役員でいる方がフェリクスの護衛をしやすいのは事実だが、生徒会役員を辞めたからと言って、即座に任務が継続不可能になる訳ではないのだ。

 それでも、モニカは生徒会役員を辞めるのが嫌だった。やっと仕事に慣れてきて、少しずつ頼ってもらえるようになってきたところなのだ。

「……おねがいします……それだけは許してください、おねがいします……」

 モニカが嗚咽混じりに懇願すると、ヒューバードは「んっんー」と喉を鳴らし……突然モニカの体を肩に担いだ。

 モニカはヒィッと息を飲み、手足をバタつかせる。

「お、おろして……おろしてくださいっ……!」

「だったら、生徒会に直談判しに行こうぜぇ? なぁ、モーニーカぁ?」

 ここに至って、モニカはようやく理解した。

 この先輩の話が通じないところは、昔からこれっぽっちも変わっていないのだと。


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