【12ー8】十四歳の演技力
最近の生徒会の仕事は、それほど多くない。忙しくなるのは二ヶ月後の生徒総会の時期で、それまでの間はしばらくのんびりした日々が続いていた。今も、生徒会室内にはフェリクスとモニカしかいない。
モニカも生徒会の仕事にはすっかり慣れたので、今は少し書類を片付ければ、やることはあっという間になくなる。
今日の業務が一段落したら、図書室に行こうとモニカは密かに決めていた。最近は時間があれば、モニカは図書室に行ってグレンの勉強の手伝いをしている。
友人として力になりたいという気持ちもあったし、モニカ自身、追尾術式については前々から研究をしたいと思っていたのだ。だから、グレンに術式を噛み砕いて説明する片手間に、モニカは追尾術式の分析作業をしていた。今もモニカは会計のノートを片付けつつ、作りかけの追尾術式に思いを馳せる。
(追尾術式の持続時間は凡そ二秒前後……これは攻撃魔術を平均速度で一定の距離の相手に放った場合に被弾するまでの時間だけど、もしこの持続時間を伸ばすことができれば更に使いやすくなる……)
「モニカ」
(そのためには攻撃対象をいかに正確に認識するかと、術式の持続時間のバランスが……まずは追尾術式の有効範囲を定めて、その範囲内での追尾性能を上げることから検証を……)
「あーん」
術式のことについて考えこんでいると、唇に何かがフニッと触れた。鼻をくすぐるのは仄かに香ばしいバターと干しぶどうの香り。
(有効範囲を中級魔術一等範囲とした時……干しぶどうの風味とバターの香りが……射程と座標軸から算出される…………干しぶどう美味しい…………)
一度何かを食べ始めると、そちらに集中してしまう性分のモニカは、途中からモグモグと口を動かしながら、焼き菓子を食べるのに夢中になった。少し硬めのバターケーキ生地に、たっぷり練り込まれた干しぶどうが美味しい。
そうして、コクンと焼き菓子を飲み込んだところで、モニカはようやく我に返った。
「──はっ!?」
大きく目を見開けば、すぐ目の前にはフェリクスの整った甘い顔がある。
フェリクスはモニカの向かいの席に腰掛け、頬杖をついて楽しそうにモニカを見ていた。どうやら、彼がモニカの口元に菓子を運んだらしい。
もし、この場にシリルがいたら「殿下に声をかけられて無視をするとは何事だ!」と怒鳴られていただろう。
「でんっ、ででんっ……でん、でん、で殿下」
「今日は一層リズミカルだね。もう一つどうぞ?」
そう言ってフェリクスは焼き菓子を一つ差し出した。モニカは咄嗟に右手と左手のどちらを伸ばすかためらい、結局両手でおずおずと受け取る。
フェリクスの前では、極力左手の負傷を感じさせずに振る舞いたかったのだ。
「あ、ありがとう、ござい、ます」
「なんだか真剣に考え事をしていたようだけれど。何か悩みでもあるのかい?」
考え事の中身は新しい魔術式に関することだし、モニカの悩み事はその大部分にフェリクスが関わっている。
モニカはフェリクスに対してどのように接すれば良いのかが、分からない。
フェリクスはモニカの父の死に関与しているクロックフォード公爵側の人間だ。周囲から「傀儡王子」と囁かれている通り、彼はクロックフォード公爵に逆らわない。逆らえない。
それでも、彼がたまに見せる「アイク」の顔が、モニカを惑わせる。
歓楽街で、彼は魔術に興味があるのだと語り、モニカのことを夜遊び仲間だと笑いながら言った。そうして本とネックレスを贈ってくれた。
舞踏会の夜、モニカに「自分自身のために、夢中になれるものを探してほしい」と言ってくれた。
レーンブルグ公爵領では、〈沈黙の魔女〉に自分の論文を見せて、はしゃぐ子どもみたいな顔を見せた。
(……なんだか、「殿下」と「アイク」って……違う人と話してるみたい……)
美しい笑顔で全てを隠し、周囲から求められるように振る舞う完璧な王子様の「殿下」
魔術に興味があって、〈沈黙の魔女〉の大ファンで……それなのに、何かを諦めようとしている「アイク」
その二つの顔が交互に見えるものだから、モニカはフェリクスに対してどんな態度で向き合えば良いのかが分からなくなる。
「予算会議が不安かい?」
「あ、えっと、そんなところ、です」
「大丈夫だよ、私達の方でもフォローはするから。あんまりしつこいクラブ長がいたら報告しておくれ。こちらでも然るべき処置を取るから」
モニカに菓子を食べさせて悪戯っぽく笑っている顔は「アイク」に見えるし、穏やかな顔でクラブ長の処置を仄めかす顔は「殿下」だ。
「あぁ、それと」
フェリクスは碧い目を僅かに細める。口元の笑みが少しだけ冷ややかさを増した。
「編入生のロベルト・ヴィンケル君が、連日君の元に通っていると聞いたよ。あまり君に迷惑をかけるようなら、彼の担任に進言しておくけど」
「だ、大丈夫、ですっ」
モニカが首を横に振ると、フェリクスはクスクスと笑う。
碧い目が窓から差し込む光を反射して、とろりと濡れた宝石のように輝いた。
「本音を言おうか? ……君に『助けて』っておねだりされてみたい」
モニカは自由に動く右手の拳をギュッと握り締め、モニカなりに強そうに見えるポーズと、キリリとした顔を作って言った。
「殿下のお手を、煩わせるわけには、いきませんからっ!」
「…………そう」
金色の長い睫毛が少しだけ伏せられれば、碧い目が陰る。
──これは「殿下」と「アイク」のどちらの顔なのだろう。
そんなことを頭の片隅で考えつつ、モニカは立ち上がった。
「わ、わたし、今日のお仕事終わったので、お先に、失礼いたしますっ」
そう言って筆記用具を片付けるモニカを、やはりフェリクスは静かな目でじっと見つめていた。
* * *
「ターゲットを発見した。パトリック、配置につけ」
「配置なんて決めてましたっけ〜?」
「本を選んでいる振りをしつつ、いい感じの本棚の影に隠れてろ」
「はぁ、いい感じの〜」
のんびりした声で復唱しつつ、パトリックは近くの本棚の影に自然な足取りで引っ込んでいく。
それを確認したアルバートは自身も本棚の本を選ぶふりをしながら、少し離れたところにいるターゲット──グレン・ダドリーとモニカ・ノートンを横目に見た。
パトリックが調査した通り、ターゲットはここ数日、図書室で一緒に勉強をしていることが多い。
セレンディア学園の図書館棟は中等部と高等部ともに利用するので、中等部のアルバートがターゲットに自然に接触する絶好の機会だ。
(よし、行くぞ)
アルバートは、誰が見ても素晴らしく自然なことこの上ない足取りでターゲットに近づくと、その横を素通りする際に、ポケットからハンカチをヒラリと落とした。
そして、それに気づかぬふりをして、近くの本棚の前で足を止め、本を探す振りをする。
こっそり横目で確認すると、モニカ・ノートンの方がハンカチに気づいたようだった。彼女はハンカチを拾い上げると、オロオロしながらアルバートとハンカチを交互に見る。
(よし、よし、いいぞ。さぁ、僕に話しかけろ)
アルバートはモニカから話しかけられるのを待ったが、モニカはなかなか話しかけてこない。横目でチラリと様子を窺えば、やっぱりハンカチを握りしめたままオロオロしている。
(どうした? 早く話しかけろ。もしかして、僕が王族だから気後れしているのか?)
アルバートの予想通り、この時のモニカは完全に気後れしていた。
(あ、ああああの人って、確か第三王子……っ!? 新年の儀で見たから間違いない……目の幅、鼻の長さ、顎の角度、完全一致してるぅぅぅぅ……どどどどどどうしよう、わたしが〈沈黙の魔女〉だって気づいてないよね、気づいてないよねぇ……あぁぁぁぁ、つい拾っちゃったけどハンカチどうしよう、わたしから話しかけたら不敬にあたる? こ、こっちに気づいてくれないかな、チラッと見てくれないかなぁ……!!)
(えぇい、ハンカチぐらいさっさと渡せば良いだろうが。王族であるこの僕に話しかける絶好の機会なんだぞ。さぁ、話しかけろ話しかけろ……は、な、し、か、け、ろ……!)
(向こうから気づいてくれないかなぁぁぁ、気づいてぇぇぇ……っ!)
(早く話しかけろぉぉぉぉ! 作戦が進まないだろうがぁぁぁ!)
二人が互いにそんなことを考えている中、グレンがモニカを見て言う。
「そのハンカチ、どうしたんっスか?」
「あ、ああああああああああち、あちち、あちらの方が、おと、落とされ、て」
モニカが呂律の回らぬ声で言えば、グレンはモニカの手からサッとハンカチを取り上げて、スタスタとアルバートに近づいてきた。
「おーい、ハンカチ落としたっスよー」
よしっ! と思わず声に出しそうになりつつ、アルバートは自然な態度で振り向いた。
「おぉ、これは間違いなく僕のハンカチ! 母上からいただいた大事なハンカチではないか! そこの人、ハンカチを拾ってくれてありがとう。心から感謝するぞ!」
物陰のパトリックが「わぁ」と思わず半笑いになるぐらい、不自然な棒読みであった。
が、アルバートは自分の演技力を絶賛しつつ、用意しておいた台詞を続ける。
「お礼に、貴殿達をお茶会に案内したい。受けてくれるな」
「別にハンカチを拾ったぐらいで、大袈裟っスよ。モニカもそう思うっスよね?」
モニカは顔中に冷や汗を浮かべながら、ブンブンと首を縦に振っていた。
だが、ここで引き下がるわけにはいかないのだ。
「そうはいかない! 恩人を無下にしたとあっては、リディル王国第三王子アルバート・フラウ・ロベリア・リディルの名折れ!」
王族という肩書をチラつかせれば、グレンはキョトンと目を丸くし、アルバートの顔をまじまじと見た。
「第三王子、ってことはもしかして……会長の弟さんっスか?」
「いかにも、生徒会長フェリクス・アーク・リディルは我が異母兄だ」
「そうなんっスかー。会長にはいつも、お世話になってるっス」
ニカッと笑うグレンに、アルバートはさもたった今、グレンの顔を見たような態度で大袈裟に声をあげた。
「おぉ、よく見れば、貴殿は学祭でラルフ役を演じたグレン・ダドリー先輩ではないか。あの舞台はとても素晴らしかった。是非とも貴方には話を聞いてみたかったんだ。そちらのご令嬢も一緒に、是非」
「んー、でも、オレら今、勉強中で……」
ダメだ、このままでは埒があかない。
業を煮やしたアルバートは、両手を叩いて声を張り上げた。
「パトリック! パトリック!」
「アルバート様〜、図書室で大きい声出しちゃダメですよ〜」
打ち合わせと違う! と怒鳴りそうになるのをグッと堪えつつ、アルバートは尊大な主人の顔で命じた。
「可及的速やかにお茶会の準備だ! 客人方を案内しろ!」
「は〜い。あ、お二人ともすみません〜。アルバート様、お友達いないから、お茶会に人を誘うの慣れてないんですよ〜」
打ち合わせ内容はどこにいったのか。
アルバートは思わず額に青筋を浮かべたが、パトリックの言葉にグレンとモニカは同情的な顔で「そういうことなら」「す、少しだけ、なら……」と頷いた。
おかしい。当初の予定ではもっとスマートに二人を茶会の席に招待するつもりだったのに。何故、自分が友達がいない可哀想な人みたいになっているんだ。
釈然としない思いを胸に抱きつつ、とりあえず作戦の第一段階は成功だと、アルバートは自分に言い聞かせた。