【12ー7】十四歳会議
寮の一室で、リディル王国第三王子アルバート・フラウ・ロベリア・リディルはソファに優雅に腰掛け、紅茶を嗜んでいた。
セレンディア学園の寮は以前まで通っていたミネルヴァと比べてゆったりと広く、調度品も立派だ。
そういった細かなところにも、クロックフォード公爵の影響を感じて、アルバートは機嫌悪く鼻を鳴らす。
「それで、調査の結果はどうなんだ、パトリック? フェリクス兄上の弱みは見つかったのか」
アルバートの言葉に、主人の向かいの席に座ってのんびり茶菓子を齧っていたパトリックは、モゴモゴと焼き菓子を咀嚼しながら、ポケットから手帳を取り出した。
「……もご、むぐ……では、ご報告いたしますね〜」
「食べかすをポロポロ溢しながら喋るな、だらしない!」
「ふぁ〜い」
「あぁ、まったくもう! まずは口を拭け!」
従者の身でありながら、どこかマイペースなパトリックはハンカチで口元を拭うと、紅茶を一口飲んで、ふぅっと幸せそうな吐息を溢した。
「アルバート様の選んだ紅茶、美味しいですね〜」
「そうだろうそうだろう。この僕が厳選した物だからな……って、そうじゃなくて! 報告! フェリクス兄上の弱みは分かったのか!」
「あ、は〜い」
どこまでも緊張感のない返事をしつつ、パトリックはパラパラと手帳を捲る。
「まずですね〜。フェリクス様の評判についてですが〜」
「好評価の部分はカットしていい。悪評についてだけ言え」
「それが〜、誰も悪口とか弱みを言うはずがないんですよね〜。だってこの学園、クロックフォード公爵のお膝元ですし〜」
ごもっともである。
アルバートがうぐぐ、と歯軋りをすると、パトリックはのんびりとページを捲りながら言葉を続けた。
「実際、学業優秀で座学も剣術馬術も成績は常にトップクラス。生徒会長としての実績も充分。人当たりが良く温厚。文句のつけようがないんですよぅ〜」
そう、フェリクスは長兄のライオネルと比べて随分と細身でスラリとした貴公子だが、剣の腕にも優れているのだ。最初は指南役が贔屓しているんじゃないかと思ったりもしたのだが、実際にフェリクスが訓練で剣を振るう様を見れば、本当に兄が優れていることは一目瞭然だった。
筋骨隆々としたライオネルが力で押し切るタイプの剣なら、フェリクスの剣は受け流し、隙を突くことに長けた剣だ。無駄のない剣捌きは非常に美しく、一朝一夕で身につく技術じゃない。
社交界でもフェリクスの評判は非常に高い。誰に対してもそつのない振る舞い。偏屈と言われる老貴族相手でも礼を尽くし、懐柔するだけの話術を持っている。外交での活躍もめざましく、最近はファルフォリア王国との貿易取引を成功させた。
フェリクスを敵視しているアルバートからしても、フェリクスのどこが気に入らないのかと言えば、上手く言葉にすることができない。ただ、どこか人間味が無くて薄気味悪いのだ。
アルバートやライオネルなどの異母兄弟だけでなく、国王すらも他人を見るような目で見ている……そんな気がして。
「女性関係はどうなんだ? こう、どこそこの令嬢に手を出したとか……」
「うーん、周りはみんな、レーンブルグ公爵令嬢エリアーヌ・ハイアット様か、シェイルベリー侯爵令嬢ブリジット・グレイアム様のどちらかが婚約者候補じゃないか、って言ってるんですけど……その辺もハッキリしてないですねぇ」
フェリクスは学祭の後夜祭で一番最初にエリアーヌと踊っているし、冬休みはレーンブルグ公爵領に赴いている。そういう意味で言えば、エリアーヌの方がやや優勢に見えるが、今のところ婚約発表は無い。
「フェリクス兄上には、エリアーヌ嬢がお似合いだな。うんうん」
「アルバート様はブリジット様がお好きですもんねぇ」
「馬鹿、パトリック! 人が胸に秘めていることを声に出して言うんじゃない!」
白い頬を林檎のように赤く染めて従者の少年を叱りつけたアルバートは、ハッと我に返り、不自然に咳払いをした。
「……ゴホン。僕の意中の相手のことは今はいいだろう。絶対に誰にも言うなよ? 言うなよ?」
「言いませんよ〜」
ふわふわした口調の従者に、本当に大丈夫だろうか……とアルバートが密かに頭を抱えていると、パトリックは手帳のページを捲って「そう言えば〜」とおっとり言った。
「フェリクス殿下にはですね、どうやらお気に入りの生徒が二人いるらしいんですよ〜」
「ほぅ?」
「一人目は高等科二年のグレン・ダドリー様。七賢人〈結界の魔術師〉様のお弟子さんで、フェリクス殿下がレーンブルグ公爵領に赴くことになった時も、護衛としてお供したんだとか〜」
パトリックが挙げた人物の名前に、アルバートは思わず目を輝かせ、椅子から腰を浮かせた。
「その名前は知っているぞ! 学祭で英雄ラルフ役を演じた先輩だ!」
「そのラルフ役も、フェリクス殿下がグレン・ダドリー様を推薦したらしいですよ〜」
学祭の頃、アルバートはまだセレンディア学園の生徒ではなかったのだが、母に命じられてセレンディア学園の学祭に足を向けていた。
あの頃から、アルバートがミネルヴァを辞めてセレンディア学園に編入することは決まっていたのだ。
『わたくしの可愛いアルバート。貴方はこれから、セレンディア学園に通うのです』
母からそう言われたアルバートは、大層不貞腐れながらセレンディア学園の学祭に足を運び……そして、舞台に目を奪われた。
英雄ラルフの物語は、前半こそありふれたつまらない舞台だった……が、後半、主役が交代してからの怒涛の演出! 爆発の中、飛行魔術で空を飛び、ヒロインのアメーリアを助け出したシーンに、アルバートは興奮を隠せなかった。
アルバートはミネルヴァでは優等生だったし、魔術の成績も悪くない。だが、飛行魔術だけはどうしても不得手で、習得することができなかった。
だからこそ自由に空を飛び回るグレン・ダドリーの姿が、アルバートの目には本物の英雄ラルフのように格好良く映ったのだ。
「ずるい、ずるいぞフェリクス兄上! ダドリー先輩みたいなすごい人を従者にするなんて!」
きっと、フェリクスはグレン・ダドリーを自分の側近にするつもりなのだ。あぁ、なんて抜け目のない兄だろう。今から未来の七賢人候補につばをつけておくなんて!
アルバートが悔しがっていると、パトリックがクッキーをサクサクとつまみ食いしながら報告を続けた。
「むぐ、それともう一人。フェリクス殿下はとある女子生徒を子リスと呼んで、ペットのように扱っているらしいんですよぅ〜」
「な、なにぃっ!? 女子生徒をぺ、ぺぺ、ペット扱いっ!?」
「はい〜。女子生徒達に聞き込みをしたら、こんな証言がでてきました〜」
そう言ってパトリックが広げたページには、複数の女子生徒達の証言が記されていた。
『あぁ、あの女ね。フェリクス様にちょっと気に入られてるみたいだけど、あんなのペットを愛でるようなものでしょう』
『そうそう、あんな小娘は生徒会のペットで充分ですわ』
『女としても、生徒会役員としても、認められる筈がないでしょう。あんなみすぼらしい娘。殿下はお優しいから、野良犬に情けをかけて、生徒会で飼うことにしたのよ』
(〜以下略〜)
アルバートは従者がクッキーを貪っていることも忘れて、衝撃に打ちひしがれる。
「非人道的な! そんなことが許されていいのか!?」
「えーっと、噂の子リスというのが、生徒会会計で高等科二年のモニカ・ノートン様。ケルベック伯爵家の前伯爵夫人が修道院から引き取って、養女にしたんだそうですよ〜。現ケルベック伯爵令嬢イザベル・ノートン様の付き人だそうです〜」
「ケルベック伯爵家? 東部地方の大貴族じゃないか!」
東部の広大な地域を治めるケルベック伯爵家は、勇猛果敢な兵を抱える大貴族だ。その軍事力は王国の竜騎士団に匹敵するとすら言われている。
「あんな大物貴族の家の養女を、兄上は、ぺ……ペットに……」
「モニカ・ノートン様はケルベック伯爵家から冷遇されていて、伯爵令嬢のイザベル様に苛められているんだそうです。学園内でも、イザベル様に怒鳴られたり、馬鹿にされたりしているって証言がいくつかありました〜」
「な、なんと不憫な……ケルベック伯爵家に冷遇され、挙句、フェリクス兄上のペット扱い……」
アルバートは真っ青な顔でしばし項垂れていたが、やがて顔を上げると眉をキリリと吊り上げて、声も高らかに宣言した。
「よし決めたぞ、パトリック。僕はグレン・ダドリー先輩と、モニカ・ノートン嬢の二人を懐柔し、こちらの陣営に引き摺り込む!」
なかなか他人に隙を見せないフェリクスの弱みを、グレン・ダドリーとモニカ・ノートンなら知っているかもしれない。
もし欲しい情報が手に入らなかったとしても、フェリクスのお気に入りを自分の陣営に引き込むことができたら……きっとあの兄を悔しがらせることができる。
メラメラと野望に燃えるアルバートの前で、マイペースな従者は最後の一枚のクッキーを緊張感無く頬張っていた。