【12ー3】左手を負傷した女の子
オリエンテーションの後、モニカが生徒会室に行くと、既に他の生徒会役員は会議机に着席していた。
遅刻した訳ではないのだが、一番最後に到着したことがなんとなくバツが悪くて、モニカはペコペコと他のメンバーに頭を下げながら、自分の席に着席する。
生徒会長フェリクス・アーク・リディル
副会長シリル・アシュリー
書記エリオット・ハワード、ブリジット・グレイアム
総務ニール・クレイ・メイウッド
会計モニカ・ノートン
以上六名が揃うと、フェリクスは穏やかに微笑み口を開いた。
「この六人が今こうしてこの場に揃っていることを、心から嬉しく思うよ。新しい年も、我が学園に光の女神セレンディーネの祝福があらんことを」
フェリクスのその言葉を皮切りに、新年第一回目の生徒会役員会議が始まった。
生徒会役員の任期は、現時点で凡そ半分が過ぎたことになる。
任期は残り約半年。セレンディア学園では社交シーズンになる初夏から夏の終わりにかけて長期休暇が長く設けられているので、実際はあっという間だろう。
残り半年の間にあるイベントは、比較的小規模なものだと各クラブの小さなイベントが挙げられる。
ハンティングクラブのハンティング会、乗馬クラブの乗馬会、あるいは合唱クラブの発表会など。規模はチェス大会と同じぐらいだ。
そして大きなイベントは、春先に行われる生徒総会と、初夏の長期休暇前に行われる卒業式だ。
フェリクスが後期のスケジュールを大まかに説明すると、エリオットがモニカを見て、ニヤニヤ笑いを浮かべた。
「生徒総会は、ノートン会計の腕の見せ所だな」
「へふっ!?」
「各クラブの代表者が、予算を上げろって詰め寄ってくるからなぁ。いやぁ、去年はすごかった。会計係は連日お茶会に呼び出されて……」
エリオットの話によると、生徒総会前に予算会議が行われ、ここで各クラブの予算が概ね決定するらしいのだが、この予算会議前に各クラブ長達による水面下の戦いが始まるらしい。
クラブ長達としては当然、予算を上げてほしい。だが、生徒会長のフェリクスに直訴するのは貴族の流儀に反する。
国王に直訴する前に財務大臣にお伺いを立てるのが、貴族社会のマナーだ。
だからクラブ長達はまず会計役を口説き、予算会議で自分達のクラブが優遇してもらえるよう根回しをする。
予算会議が近づくと、会計は連日、各クラブ長のお茶会にお誘いされるのが毎年のお約束らしい。そのお茶会で何が行われているかは想像に難くない。
「お茶会という名の接待なら、まだ良い方だぜ。中には賄賂を渡してくる奴や、家柄を盾に恫喝紛いのことをしてくる奴もいる」
「ひぃっ……」
モニカが青ざめると、フェリクスが穏やかな声で窘めた。
「そういう慣習を一番嫌っているのは君だろう? あまり彼女を脅さないでおくれ」
「だが、事実だろ? 去年の会計は賄賂で簡単に動いたが、ノートン会計が賄賂を受け取らないのは明白……ともなれば、脅す方が手っ取り早いと考える奴は相当数いると思うぜ」
モニカの前任者である、ステイル伯爵令息アーロン・オブライエンは、生徒会の予算を着服していた人物だが、それだけでは飽き足らず、茶会で賄賂を受け取っていたらしい。
モニカがカタカタ震えていると、フェリクスが小さく喉を鳴らして笑い、エリオットを見た。
「モニカが賄賂を受け取らないと、確信しているんだ?」
「……見てりゃ分かるだろ」
「そうだね、確かにその通りだ」
モニカを当初酷評していたエリオットが、今はモニカの公平性を評価している。そのことをフェリクスは揶揄っているのだが、モニカはもうそれどころではなかった。
モニカの頭の中では、お茶会の席で自分がクラブ長達に脅されている光景がぐるぐると渦を巻いている。
(ひぃぃぃぃぃ、怖い、怖い、怖い、予算会議怖いぃぃぃぃぃ……)
モニカが涙目でプルプル震えていると、シリルが片手を挙げて発言をした。
「でしたら、予算会議までノートン会計を茶会に誘うことを、全面的に禁止してはどうでしょう?」
シリルの提案に一筋の希望を見出したモニカは、是非ともそうして欲しいとフンフン頷いた。
だが、フェリクスはシリルの提案をあっさり却下する。
「彼女の社交の場を奪うのは、賛成しかねるな」
いえ奪っていただいて全然構いません、というのがモニカの本音だった。
モニカが出席した茶会なんて、授業とラナとの個人的なお茶会を除けば、あとは毒殺未遂事件になったあのお茶会だけである。
だがフェリクスが反対する理由は、それだけではないらしい。
「予算会議対策とは言え、あまり露骨すぎるとクラブ長達が反発するからね」
「……私が浅慮でした。申し訳ありません」
フェリクスの言葉にシリルはあっさり引き下がった。
あぁ、折角のありがたい提案だったのに……とモニカは肩を落とす。
この先、親しい人以外からお茶会の誘いがあったら、それは十中八九予算会議対策だと思って良いだろう。
それらをモニカが全てキッパリ断れば良いだけの話なのだが、相手が上級生ともなると、簡単に断れるものではない。クラブ長は殆どがモニカよりも上級生なのだ。
どうしよう、とモニカが途方に暮れていると、今まで沈黙を貫いていたブリジットが口を開いた。
「それでしたら、あたくしから提案が」
モニカが関わることに、ブリジットが口を挟むのは珍しい。
一同に注目されてもブリジットは眉一つ動かさず、淡々と己の意見を述べた。
「モニカ・ノートンが誘われた茶会には、あたくしも同席するように仕向けてはいかがでしょう。殿方よりは同席しやすいですし、不正に対する抑止力になりますでしょう?」
なるほど確かに、ブリジットが同席してくれるなら、クラブ長側も強気には出られないだろう。ブリジットは名門であるシェイルベリー侯爵家の人間だ。彼女相手に恫喝紛いのことをすれば、逆に自分の首を絞めかねない。
フェリクスは何かを探るような目でブリジットを見た。そんなフェリクスに、ブリジットは上品な笑みを返す。
「いかがです?」
「悪くない提案だ」
モニカがオロオロしている間に、話はどんどん纏まっていく。
モニカはブリジットが自分のことを良く思っていないことは知っていた。それなのに、どうしてこんな提案をしてくれたのかが分からない。
純粋に生徒会を思ってのことなのか、或いは……。
(わたしがお茶会で恥をかいて、生徒会の顔に泥を塗らないよう見張るため……とか……)
大いにありえそうである。
あぁ、お茶会の授業の復習をしておかねば、とモニカが頭を抱えている間に、話は概ねまとまったらしい。
フェリクスはモニカを見て「それでいいね?」と訊ねた。
そんな訊かれ方をすれば、モニカに拒否できる筈もない。なにより、自分一人でクラブ長と渡り合うのに比べれば、ブリジットがついていてくれた方がだいぶマシだ……多分、針の筵になるだろうけれど。
「よ、よろしく、お願いします……」
モニカがブリジットに頭を下げれば、ブリジットは美しい顔に淡い笑みをのせた。
「まぁ、お気になさらないで。あたくし達、同じ生徒会役員同士ですもの」
その言葉を聞いた瞬間、ゾクリと背筋が冷えたのは何故だろう。
ブリジットの完璧で美しい笑顔は、なんだかフェリクスのそれと似ているのだ。
寒気を感じ、こっそり腕をさすっていると、フェリクスが「今日はこんなところかな」と呟く。
「今日は今後の方針を話し合うぐらいに留めておこう。通常業務は明日から…………あぁそれと、これは私の個人的なお願いなのだけれど」
フェリクスは碧い目を細めて生徒会役員の顔をぐるりと見回し、言った。
「ちょっと訳有りで、左手を負傷している女の子を探しているんだ。見つけたら教えてくれないかい?」
モニカの心臓が、音をたてそうなほど強く跳ね上がった。
顔面の筋肉を総動員して頬が引きつるのを堪え、石のように硬直していると、隣の席のニールが訊ねる。
「女の子ってことは、高等科の女子生徒ですか?」
「もしかしたら中等科かもしれないし、生徒の付き人かもしれない。職員でないことは確かなんだ……もう調べたからね」
(職員は、もう調査済っ!?)
仕事が早すぎて怖い。モニカは思わず、恐ろしいものを見るような目でフェリクスを凝視した。
続いて口を開いたのはシリルだ。
「……それ以外の特徴はありますか? 例えば身長とか、髪色とか……」
「残念なことに、その手の情報が少ないんだ。でも、そうだね……だいぶ小柄だよ。モニカと同じぐらいじゃないかな」
ヒィッと声が出そうになるのを、モニカは全力で耐えた。
幸いモニカがオドオドしているのはいつものことなので、誰もモニカが死にそうになっていることに気付いていない。だが、モニカの制服の中は冷たい汗でびっしょり濡れていた。
シリルはしばし黙り込んでいたが、やけに慎重な口調でフェリクスに訊ねる。
「……その女性は殿下にとって、どういう人物なのですか?」
「恩人、といったところかな。うん、どうしても会いたいんだ」
そう言って、フェリクスは一瞬だけとろけるように甘い笑みを浮かべた。あれは彼が〈沈黙の魔女〉に向ける笑みだ。
あぁ、やっぱりフェリクスは〈沈黙の魔女〉がセレンディア学園にいると確信していたのだ。そして、確実に見つけだそうとしている。
モニカは無意識に左手を机の下に引っ込めて、右手で押さえた。
(どうしよう、どうしよう、どうしよう、ここは無理やりでも左手を使って、わたしは左手を怪我してませんってアピールするべき? でも、なんかそれって、逆に怪しいような……あぁぁぁ……)
悶々と悩んでいるモニカの向かいの席では、シリルがなにやら考え込むような顔をしていた。
そんなシリルにエリオットが軽口を叩く。
「珍しいな、いつものシリルなら『殿下のお望みとあらば、全力を尽くしてその女性を探してみせます!』ぐらい言いそうなのに」
「言われずとも、殿下のお望みとあらば全力を尽くすまでだ」
シリルは強気な口調でそう返したが、やはりどこか気もそぞろな様子だった。
微妙に気まずい沈黙が流れる中、ブリジットがさらりと訊ねる。
「ちなみに、モニカ・ノートンは該当しませんの?」
モニカは白目を剥きそうになりながら、心の中で叫んだ。
(該当します、むしろ殿下の探し人は多分確実に間違いなくわたしですっ)
さっきからモニカの横隔膜は変なふうに痙攣し、ヒィッヒィッとしゃっくりみたいな声が漏れかけている。
それでもモニカは、己のもてる全ての力を費やして、表情と声を取り繕った。
「わたしは、左手、怪我してないです……」
そう言ってモニカは左手の手袋を外し、握ったり開いたりしてみせる。実はこれだけで結構痛いのだが、顔に出ないように必死で耐えた。
掲げられたモニカの小さい手を、フェリクスはじぃっと見つめている。
「そう、君は違うんだね」
「は、はいっ」
「じゃあ、私の人探しに協力してくれるね? あぁ、そういえば、君は人探しが得意だったね。見ただけで、体のサイズが分かるのだっけ………………サイズを測っておけば良かったな」
(何のですかーーーーーーっ!!)
ボソリと付け加えられた一言に、モニカはいよいよ卒倒しそうになった。
だが、それでもなんとかこの場を切り抜けることはできたのだ。
(すごい、わたし気絶しなかった、すごい……!)
自分の成長に感動しているモニカは、先ほどから延々と握ったり開いたりを繰り返している左手を、シリルが真剣な目で見ていることに気付いていなかった。