【12ー1】拝啓、永遠のライバル様
セレンディア学園の冬休み終了前日、モニカは王都とケルベック伯爵領の中間地点にある街でイザベルと待ち合わせ、セレンディア学園へ向かうことになった。
冬休みの間、モニカはイザベルの帰省に同行したことになっているので、一緒の馬車で寮に戻らないと不自然になってしまうからだ。
ケルベック伯爵家の馬車にモニカが乗り込むと、先に乗り込んでいたイザベルがモニカの首にギュウギュウと抱きついた。
「お姉様ぁ〜〜〜、お会いしたかったですわぁ〜〜〜! なんでも先月は、レーンブルグの呪竜をフェリクス殿下と共に退治されたとか! 流石……流石お姉様ですわ! わたくし、もう鼻が高々ですわぁ〜!」
キャアキャアと盛り上がるイザベルを、侍女のアガサがのんびり窘める。
「お嬢様、お嬢様、それでは御者が馬車を出せませんよ」
アガサに窘められたイザベルは、恥じらうように自身の席に座る。それでも、モニカの右腕をしっかり掴んだままだったので、モニカは必然的にイザベルの横に座る形になった。
やがて馬車がゆっくりと走りだすと、イザベルは呪竜討伐について、モニカにあれこれ訊ねてきた。どれだけ大きかったのかとか、どうやって退治したのかとか。
それらの質問攻めにモニカがしどろもどろになっていると、アガサが控えめに口を挟んだ。
「お嬢様、先日の件をお話ししておいた方が良いのでは?」
その言葉に、イザベルはハッと顔を上げて口元に手を当てる。
「そうね、そうだったわ」
「……先日の、件?」
「モニカお姉様に、ご報告しなくてはいけないことがありますの」
イザベルはきちんと居住まいを正すと、冬休みに入ってすぐの頃に起こったことについて説明してくれた。
曰く、ケルベック伯爵領内の修道院に「ここにモニカという娘がいた記録はあるか?」と訊ねて回る人物がいたこと。
そして、その人物らしき者がケルベック伯爵家の屋敷に忍び込んだこと。
その話を聞いたモニカは青ざめた。
セレンディア学園に潜入するにあたって、ルイスが考えたモニカ・ノートンの設定が「修道院で暮らしていたが、ケルベック伯爵家の前伯爵夫人に引き取られた」というものだ。
そして、わざわざ修道院を調べにきた者がいるということは……何者かが、モニカの素性に疑問を持っている、ということになる。
「冬休みの間、アガサにモニカお姉様の格好をして過ごしてもらいました。領民達にも口裏を合わせてもらっていますし、バレてはいないと思います」
「あ、ありがとうございます……」
礼を言いつつも、モニカは心中穏やかではなかった。
モニカ・ノートンという存在に疑いを持っている者がいるとしたら、それは恐らくセレンディア学園の関係者だろう。
そして、現時点で一番可能性が高いのは……。
(……もしかして、殿下が?)
レーンブルグ公爵領で、フェリクスは〈沈黙の魔女〉がセレンディア学園の人間だと確信したはずだ。だから、〈沈黙の魔女〉候補として、モニカのことを調査したというのは充分に考えられる。
(新年の儀の反応を見る限り、まだ、わたしの正体はバレてない……と思うんだけど……)
もしモニカ・ノートンについて探りを入れているのが、フェリクスではないとしたら。その人物がモニカには皆目見当がつかないのだ。
まるで見えない敵が背後に忍び寄っているような感覚に身震いしていると、イザベルが荷物袋から何かを取り出した。
「それにあたりまして……わたくし、冬休み明けの対策をいたしましたの」
「……? 対策?」
「えぇ、これです」
首を傾げるモニカにイザベルが差し出したのは、一冊の日記帳だ。
受け取ってパラパラと中身を流し読みしてみると、イザベルが過ごした冬休みの出来事が、日記と言うには詳細すぎるほどびっしりと書き連ねられていた。
特筆すべきは、その日記の中にモニカが登場するという点である。
『今日はアーヴェロンに視察に行きましたわ。それにしても、どうして視察にあの女も連れて行かねばならないのかしら。お供をさせるかわりに荷物持ちをさせたら、すぐに泣き言を言い出したので、食事は抜きにしてやりましたわ(以下略)』
『あぁ、なんてこと! わたくしのお気に入りのカップをあの女が不注意で割ってしまいましたわ。ファリム・メイの新作の水色のカップ……繊細な蔓バラの模様がお気に入りでしたのに! 当然許せる筈もないので、馬小屋に追い立ててやりましたわ。あんな女が同じ屋敷にいるなんて冗談じゃない! 家畜以下のあの女には、馬小屋だって生温いですわ!(以下略)』
思わず絶句するモニカに、イザベルは目をキラキラと輝かせて言った。
「いかがでしょうか?」
いかがでしょうか、と言われて何と言葉を返せば良いのやら。
とりあえず、モニカは率直に思ったことを訊ねることにした。
「え、えっと……これは……?」
「わたくしの冬休みの日記です。アガサと相談しながら書いた力作ですわ」
それは日記というには、やけに描写に力が入っているのも特徴だった。
ケルベック伯爵家の内部の様子や、イザベルのドレスの色やデザイン、モニカが壊した(ことになっている)カップのデザインや模様まで、とにかく描写が細かいのだ。
困惑しているモニカに、イザベルは真剣な顔で言う。
「冬休み明けは、大抵お茶会では冬休み中のことが話題になりますの。もし、お姉様が冬休み中の出来事を、ご友人に聞かれたとしても、これを読んでおけば、冬休みの話題はバッチリですわ!」
「な、なるほど……!」
モニカが過ごした実際の冬休みの内容は、レーンブルグ公爵領での呪竜騒動、養母の家に帰省、そして王宮で新年の儀と宴会三昧である。当然、馬鹿正直に語るわけにはいかない。
だが、この日記の内容を頭に入れておけば、冬休みの話題を振られる度に言い訳を考えずに済むだろう。
(で、でも……これ……人に話せるかなぁ……?)
モニカは脳内でシミュレーションをしてみた。
まず、モニカはラナを思い浮かべる。
「モニカは冬休みは何をして過ごしたの?」
「イザベル様の荷物持ちをしたけど、食事を抜きにされました」
次にモニカは、グレンを思い浮かべた。
「モニカは休み中はどんなご馳走食べたんスか?」
「馬小屋に追い立てられて、食事は泥水だけでした」
これはこれで人に話しづらい……が、イザベルの好意を無下にするのも忍びない。
とりあえず明日の朝までに、このちょっとした小説ぐらいの厚さはある日記を読破しようと、モニカは心に誓った。
* * *
久しぶりの屋根裏部屋は、少しだけ埃が溜まっていた。
モニカは窓を開けて換気をすると、荷物袋の中からネロを引っ張り出す。ネロはやっぱり今も冬眠中らしく、たまに起きてほんの少し水を飲むと、すぐにむにゃむにゃと寝てしまう。
モニカは空のバスケットに温かな布を敷き詰めると、そこにネロを寝かせてやった。
「早く起きてね」
小さく声をかけ、掃除をしようと袖捲りをしたモニカは、ふと机の上に手紙が一通置いてあることに気がついた。
どうやら冬休み中にモニカ宛に届いた手紙を、寮監が部屋に届けてくれたらしい。
誰からだろう? と首を傾げつつ封筒を手にとったモニカは、そこに記された名前に目を丸くする。
バーニー・ジョーンズ。
ミネルヴァに通っていた頃の学友で、今はライバルとなった少年である。
モニカは掃除を後回しにして、ペーパーナイフで慎重に封筒を開けた。
『我が永遠のライバル様、いかがお過ごしでしょうか。
有能な僕は次期伯爵となるべく、毎日領地を回り、勉強の日々です。
本当なら新年の儀に次期伯爵として出席したかったのですが、まだ兄の喪が明けておらず、参加できないことを残念に思います。
さて、非常に多忙な僕がこうして筆を取ったのは、貴女の生涯のライバルである有能なこの僕が、貴女の役に立つ情報を教えてさしあげようと思ったからに、他なりません。
咽び泣いて感謝してほしいところですが、貴女は今からお伝えする情報を目にしたら、別の意味で泣き崩れることでしょう。
いいですか、今から深呼吸を一つして、悲鳴を上げぬよう口を塞いでから、二枚目の便箋をお読みなさい』
モニカは手紙に書いてある通りに、一度深呼吸をすると、口を掌で塞いで、二枚目の便箋を広げた。
『心の準備はできましたね? では、お伝えいたします。
ミネルヴァでも指折りの問題児である、ヒューバード・ディー先輩が、先日ミネルヴァを退学し、この冬からセレンディア学園に編入することが決まりました。
そう、貴女の在学中、熱烈に貴女を追い回して魔法戦を挑み続けた、頭のおかしい戦闘狂の、あのヒューバード・ディー先輩です。
ディー先輩は、貴女が正体を隠してセレンディア学園に潜入していることなど知らないでしょう。それでも、貴女を見つけたら間違いなく魔法戦を挑んでくるのは目に見えています。
どうぞディー先輩に見つからないよう、日夜ビクビクしながら任務を全うしてください。
貴女の生涯のライバル、バーニー・ジョーンズより』
モニカは悲鳴をあげることこそなかったが、掌で押さえた口元で、ヒィッヒィッと掠れた呼吸を繰り返した。
その小さい体はガタガタと震え、全身から脂汗が滲み出している。
「ディディディ、ディー先輩が、来るっ!?」
ヒューバード・ディーという男は、モニカがミネルヴァに在学していた頃の先輩だ。
七賢人〈砲弾の魔術師〉の甥であるという彼は、とにかく血気盛んで物騒な男であった。
名家の出身でありながら、在学中に起こした暴力事件は数知れず。そのせいで留年を繰り返していた、ミネルヴァ史上でも五本指に入る問題児である。
ミネルヴァには十年ほど前〈ミネルヴァの悪童〉と呼ばれる、それはそれは手のつけられない問題児が在学していた。その〈ミネルヴァの悪童〉も伝説に残る問題児だったらしいが、ヒューバードはそれに匹敵すると言われており、〈二代目ミネルヴァの悪童〉と影で言われている。
ヒューバードは特殊な結界の中で行われる魔法戦を好み、教師だろうが先輩だろうが、誰かれ構わず勝負をふっかけた。
血気盛んなところは〈砲弾の魔術師〉とよく似ているが、話の通じなさは圧倒的にヒューバードが上である。ネロを上回る傍若無人っぷりは、ちょっと筆舌に尽くし難い。
忘れもしない三年前。ヒューバードと魔法戦をすることになったモニカは、恐怖のあまり試合開始と同時にありったけの攻撃魔術を無詠唱で発動してしまい……有り体に言って、ヒューバードをボッコボコにしてしまったのである。
以来、モニカはヒューバードに目をつけられており、事あるごとに追い回され、魔法戦を挑まれた。
モニカが研究室に引きこもるようになった原因は人見知りもあるが、ヒューバードから逃げるため、というのも理由の一つである。
「どっどっどっどっどっ、どうしようぅぅぅぅぅぅ」
化粧なり変装なりをしたところで、ヒューバードは騙されたりはしないだろう。ヒューバードは粗野で粗雑な男に見えて、その実、恐ろしく観察眼が鋭いのだ。
彼の視界に入ったが最後、魔法戦の会場に引きずられていき、容赦なく決闘を申し込まれるのが目に見えている。
ただでさえ、フェリクスに正体がばれかけていたり、何者かに素性を探られていたりと、気が休まらないのに、更に更に問題の種が増えるなんて!!
モニカはバーニーの手紙を握りしめながら、さめざめと泣き崩れた。