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【番外編15】ノリノリ伯爵

 男は旅人だった。年齢は三十歳前後。人の記憶に残りづらい、ありふれた容姿をしており、ありふれた旅装を身につけている。

 そんな旅人は景色を眺めるような素振りでウォーガン山脈を眺め、近くで畑仕事をしている農民に声をかけた。

「やぁ、お寒いのに精が出ますねぇ」

「おぅよ。うちんとこは竜害がひでぇモンだからなぁ。竜がおとなしい冬の方が、畑仕事が捗るんだがや」

「あそこに見えるのが、黒竜が出たと噂のウォーガン山脈ですか?」

「んだんだ、あん時は翼竜がバーッと湧いて出てなぁ。向こうのお空が真っ黒に染まって、えんらい恐ろしいもんだったがや」

 農民の男が身振り手振りを交えて、その時のことを語り出せば、話し相手に飢えていた他の農民達もチラホラと集まり、話に混ざりだした。

「おぅ、旅人さん。あんたも鱗拾いに来たんかい?」

 この土地、ケルベックでは初夏頃にウォーガンの黒竜と呼ばれる竜が出没している。

 その黒竜は七賢人〈沈黙の魔女〉によって撃退されたらしいが、その後、山に残っている黒竜の鱗を集めるために、多くの人々がウォーガン山脈を訪れたらしい。

 竜の鱗はお守りや魔導具の材料として重宝されており、宝石並みに高く売れるのだ。

 旅人の目的は黒竜の鱗ではなかったのだが、農民達に不審に思われぬよう、曖昧に肯定しておくことにした。

「えぇ、まぁ、そんなところです」

「はぁ、ウォーガンの黒竜が出てから、鱗拾いに来るあんたみたいな旅人さんが増えたなぁ」

「だども、もうめぼしい鱗は残っでねぇど思うど? 夏の内に狩人どもが軒並み拾い集めちまったべ」

「んだんだ、この時期に山登りはやめどけ。竜はいねぇだども、雪崩と猪の方がおっがねぇ」

「そうなんですか? うーん、残念だなぁ。あぁ、そうだ。この辺りに良い宿はありませんか? まだ、今夜の宿を決めていないのです」

 旅人がそう言うと、農民達はニコニコしながら、お勧めの宿を教えてくれた。

「宿を探してるんなら『銀の匙亭』にしとけ。塩漬け肉と豆のスープがうんめぇから」

「酒飲むんなら、酒の種類が多いティンダー婆さんの店がえぇど。雄鶏の看板が目印だで」

「だども、旅人さんが歌とか芸ができんなら、領主様のお屋敷に行ってみるのも、えぇんでねぇか? 領主様はそういうのお好きだがら、一泊させでくれるかもしんねぇど?」

「んだんだ、特にイザベルお嬢様は芝居や物語がお好きらしいからな。珍しい本とか持っでぐど、高く買い取ってくれんべ」

 お目当ての場所が農民の口から出れば、旅人の男はしめたものだと胸の内でほくそ笑んだ。

「そうなのですか? 私は歌には少し自信があるので……それでは行ってみようかな。ここの領主様はどのようなお人なのですか?」

「うちの領主様は、ケルベック伯爵っていうお方でな。オレらがこの冬、塩漬け肉の入ったスープ食えんのも、領主様がいろいろやってくれてるからだで」

「んだんだ、ここは竜の多い土地だども、税金が安いしなぁ」

「それに竜が出たらすぐに兵を出してくれっし。常駐兵も多いし。領民のこどさ考えでぐれる、えぇ領主さまだで」

 領主について語る領民達の顔は明るく、それだけで、いかにこの土地の領主が民から慕われているのかがよく分かった。

 どうやら下調べした通り、この土地の領主──ケルベック伯爵アズール・ノートンは民から慕われている人格者であるらしい。

 農民達は口々に領主のことを褒めちぎっている……が、農民の一人が周囲をキョロキョロ見回すと、声のトーンを落として言った。

「あぁ、あんた、領主様んとこさ行ぐんなら、絶対に馬小屋には近づいちゃあなんねぇぞ?」

「……? 馬小屋に何かあるんですか?」

 旅人が不思議そうな顔をしてみせれば、農民達は一斉に口ごもる。

 やがて、一番年長の男がボソボソと歯切れ悪く語りだした。

「何年か前、先代領主様の奥方様が修道院から引き取った娘がおってなぁ。奥方様が生きておられる間は、それなりに可愛がってもらってたらしいんだが、奥方様が亡くなってからは、そらぁ酷いもんで……特に、イザベルお嬢様に苛められとってなぁ。この冬は屋敷に入れてもらえず、馬小屋で暮らしとるんだど」

 これだ、と旅人は胸の内で呟く。どうやら「例の娘」は領民の間でも噂になっているらしい。

(となると、架空の人物ではないと考えるべきか……否、直接目で見て確かめなくては)

 そのための段取りを考えつつ、旅人はその顔に同情的な表情を作ってみせた。

「それは……その娘さんも、お可哀想に」

「領主様は、えぇお人なんだども、あの娘っ子にだけは冷てぇからなぁ……まぁ、領主様のお屋敷に行ぐんだったら、その娘のことは話題にしない方がえぇ」

「わかりました、肝に銘じておきます」

 それから旅人は農民達と少し会話を交わし、丁寧に礼を言って領主の屋敷へ向かった。




 旅人の男が立ち去っても、農民達はしばしその場に留まり、立ち話を続けていた。

 だが、その話題はありふれた世間話でも、作物の出来に関する話でも、嫁への愚痴でもない。

「……行っだでな」

「おぅ、行っだな」

 農民達は声を潜めてそう言うと、旅人の姿が小さくなったのを確認して、各々動き始めた。

「よぅし、おめぇら作戦開始だべ。オレぁ領主様んとこさ馬出してくっべ。おめぇは『銀の匙亭』の爺さんに連絡して、旅人さんの足止めさせてけろ」

「おぅ、あの爺さんは話が長ぇからな。足止めに最適だべさ」

「んだんだ、そんじゃちょっくら行ってくるだ」



 * * *



 旅人が領主の屋敷に辿り着いたのは、昼をだいぶ過ぎた頃だった。

 本当はもう少し早めに着く予定だったのだが、途中で話好きの老人につかまったり、通りすがりのご婦人に野菜の干物を貰ったりしていたら、すっかり時間がかかってしまったのだ。

(さて、芸を売りにしている旅人らしく、正面から屋敷に入っても良いが……その前に、直接「例の娘」とやらを拝んでおくか)

 男は門番に見つからぬよう屋敷の裏側に回った。馬小屋というのは大抵、屋敷の裏側にあるものだ。

 途中、丁度良く柵が緩んでいる場所があったので、そこから敷地内に入り込み、物陰に隠れながら旅人は馬小屋を目指す。

 すると馬の鳴き声に混じって、何やら甲高い笑い声が聞こえてきた。


「オーッホッホッホ!」


 なんだなんだと思いつつ、男は辿り着いた馬小屋の小窓から中をこっそり覗き込む。

 小屋の中には二人の少女がいた。一人は美しいドレスに身を包んだオレンジ色の巻毛の少女。おそらく、この屋敷のご令嬢なのだろう。先ほどの高飛車な笑い声は、彼女のものらしい。

(あれが、ケルベック伯爵の娘のイザベル嬢か……ということは、もう一人の方が)

 イザベルの前にへたり込み、啜り泣いているのは、薄茶の髪の少女。俯いているので顔はよく見えないが、着ている服はみすぼらしく、擦り切れた袖から覗く手は赤く悴んでいた。

 薄茶の髪の少女は啜り泣きながら、か細い声でイザベルに懇願する。

「あぁ……イザベルさま、おねがいです……なにか……たべるものを……」

「この小屋の馬よりも役に立たない家畜以下の分際で食事? 身の程知らずにも程があってよ? あぁ、お祖母様はどうしてこんな女を引き取ったりしたのかしら!」

「……おねがいします……おねがいします……」

 薄茶の髪の少女が哀れに懇願すると、イザベルは目を細め、その唇にいかにも意地悪そうな笑みを浮かべた。

「あぁ、そうね。水ぐらいは与えてあげるわ」

 そう言って、イザベルは馬の飲み水が入った桶を手に取り……その水を哀れな少女の前にぶちまけた。

 真冬の冷たい水が少女の服の裾を濡らし、スカートにシミを作る。ただでさえみすぼらしい格好だった少女は、水浸しになったスカートに呆然としていた。

 そんな少女に、イザベルは邪悪に微笑みながら告げる。

「ほら、這いつくばってお飲みなさい。好きなだけ」

「…………っ」

 薄茶の髪の少女がフルフルと震えながら、目の前の水たまりに口をつけるべく頭を垂れたその時、馬小屋に一人の男が入ってきた。

 立派な毛織物のマントを羽織った初老の男は、この屋敷の主人──ケルベック伯爵だ。

「おや、イザベル。こんなところで何をしているんだい?」

 ケルベック伯爵が口髭を弄りながら訊ねると、イザベルは途端に悲しげな顔を作り、その目元に涙を浮かべて父に抱きついた。

「お父様、聞いてくださいまし。この女が、わたくしに水をかけようと!」

 薄茶の髪の少女は驚いたように顔を上げ、か細い声で「ちがいます……っ」と否定する。

 だが、ケルベック伯爵はみすぼらしい少女の声になど、耳も貸さなかった。

「恥知らずな娘め! 屋敷に置いてやっている恩を忘れたか!」

 ケルベック伯爵の腹の底から響く怒声に、哀れな少女はブルブルと震えながら、その場に平伏する。服がますます汚れるのも構わずに。

(なるほど、モニカ・ノートンが、ケルベック伯爵家の鼻つまみものというのは本当らしい)

 そのやりとりを観察していた旅人の男は、屋敷の方から馬丁らしき青年が近づいてくることに気づくと、素早く馬小屋を離れ、来た道を引き返した。

 旅人の振りをしてケルベック伯爵家に滞在するより、今は一刻も早く彼の主人の元へ戻って、己が見た光景を告げる方が先だ。



 * * *



 キャスケットを被った馬丁の青年は馬小屋に入ると、ケルベック伯爵達に声をかけた。

「どうやら、行ったようです」

 馬丁の言葉にケルベック伯爵は「ふむ」と頷き、地に這いつくばっていた薄茶の髪の娘に声をかけた。

「ご苦労だったな、アガサ」

「恐れ入ります」

 薄茶の髪の少女は顔を上げると、頭にかぶっていたカツラを外した。

 少し乱れた焦げ茶の髪を手で撫で付けている、この女の名はアガサ。イザベル付きの侍女である。


 ケルベック伯爵家は、現在〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットの任務に協力するため、モニカ・ノートンを引き取った意地悪な父娘の役目を担っている。

 ところが今から数日前、領内に複数ある修道院に不審な人物が現れた。その人物は「この修道院にモニカという娘はいたか」と訊いて回っていたらしい。

 モニカ・ノートンはケルベック前伯爵夫人が修道院から引き取った娘、という設定だ。おそらくその不審人物は、モニカ・ノートンという娘の存在を不審に思った何者かに命じられ、ケルベック伯爵家周辺を嗅ぎ回っていたのだろう。

 そこでケルベック伯爵は屋敷の周りの領民達に、不審な旅人が来たらこの屋敷に誘導するよう命じ、そしてイザベル、アガサと共に一芝居打った。

 モニカ・ノートンという娘がこの屋敷に本当に存在すると思わせるために。

「あの男、追いかけますか?」

 ケルベック伯爵にそう提言したのは、キャスケットを被った馬丁の男だ。名をアランと言う、アガサの双子の弟である。

 アランの言葉にケルベック伯爵はしばし考え、首を横に振った。

「いや、いい。できれば、間者の主人の正体を知りたいというのが本音だが、こちらから探りをいれたことが間者の主人にバレれば、今の演技が無駄になる」

 今は間者に気づかぬ振りをしつつ、モニカ・ノートンがケルベック伯爵家の人間であることを証明し続けることの方が大切だ。

 そのために、ケルベック家が今すべきことは……。


「今後、同じように間者が来た時のために、より演技に磨きをかけねばならんな!」


 アランは何とも言い難い顔で黙り込んだ。

 一方、イザベルとアガサは目を輝かせて、フンフンと頷いている。

「えぇ、そうですわね。今後のために、より悪役らしさを極めていかなくては! 精進あるのみですわ!」

「そういえば旦那様、もしかしてそのお髭は……このために伸ばされたのですか?」

 アガサの言葉に、ケルベック伯爵はちょっぴりソワソワしつつ、得意げに口髭を指でしごいた。

「うむ、こんなこともあろうかと思ってな」

 アランは(こんなこともとは、どんなことだろう)と思ったが、口に出したりはしなかった。

「流石お父様! わかっていらっしゃるわ! 悪の伯爵と言えば口髭ですものね!」

 アランは(口髭の伯爵なんて、いくらでもいるのでは)と思ったが、やっぱり口に出したりはしなかった。

 ノートン父娘とアガサは、悪役とはこうあるべきだの、次は衣装をこだわるべきだのと、それはそれは楽しそうに盛り上がっている。

 アランはそんな三人に、控えめに口を挟んだ。

「旦那様方、ここは冷えますので、続きは中で……」

「おぉ、そうだったな。すまんすまん」

「アガサ、寒かったでしょう。お風呂を沸かしてあるから、しっかり温まってきてね」

「ふふっ、お気遣いありがとうございます、お嬢様」

 ケルベック伯爵は領民思いの良い領主だ。

 その娘のイザベルも使用人を気遣う優しさがある。

 ただこの父娘、ちょっと……とても……ノリが良すぎるのだ。

 特にケルベック伯爵は、村の祭りの舞台にノリノリで飛び入り参加するようなお茶目さんなのである。

 アランはこっそり苦笑した。

(……まぁ、だからこそ、民に慕われているのだけれど)

 不審な旅人を見つけたら、足止めをして領主の屋敷に報告せよ──という指示に、領民達が素直に協力してくれたのも、ケルベック伯爵の人望あってこそなのだ。

 アランはそんなケルベック家の人々が大好きだった。


 たまに、困った人達だなぁとは思うけれど。

イザベルお嬢様は水をアガサに直接かけるのではなく、その前に撒いて、アガサがなるべく濡れずに済むよう計算していました。

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