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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第11章「王宮編」
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【11ー7】チクチク

 新年の儀の式典は、病床に伏せっている国王に代わり、第一王子ライオネルと、その母であるヴィルマ妃が取り仕切る形で、つつがなく行われた。

 式典の装飾や規模などは例年とさほど変わらないが、挨拶などは一部簡略化されている。

 七賢人用の席に着いたモニカはフードを目深にかぶりつつ、こっそりと周囲を見回して式典の参加者達の様子を眺めた。

 壇上に上がって、朗々とした声で新年の挨拶を述べているのは第一王子ライオネル・ブレム・エドゥアルト・リディル。先ほど庭で会ったばかりの男だ。

 その背後に控えているのは、二人の王妃。第一王子の母ヴィルマ妃と、第三王子の母フィリス妃である。

 第二王子の母である、アイリーン妃はフェリクスを産んですぐに亡くなっている。なので、この国の王妃は今のところこの二人だけだ。

 ヴィルマ妃は赤茶色の髪の凛々しい顔立ちの女性である。隣国ランドール王国の姫君である彼女は、女だてらに剣を振り回し、前線に立っていたこともあるらしく、そこらの男性よりよっぽど筋肉質な体をしていた。どうやらライオネル王子は母親似らしい。

 第三王子の母であるフィリス妃は、ヴィルマ妃とは対照的に小柄で控えめな金髪の女性だ。王家に嫁ぐ前はエインズワース侯爵家の令嬢だったのだが、最近は実家が傾き始めていて、色々と苦しい立場なのだとか。

 そして、壇上から一番近い席に座っているのが第二王子のフェリクス・アーク・リディルと、第三王子のアルバート・フラウ・ロベリア・リディル。

 モニカは式典の前にラウルに教えてもらった最低限の知識を思い返しながら、フェリクスの席の横に目を動かした。

 王家に最も近い席にいる六十歳過ぎの男性貴族がいる。白髪まじりの金髪に、怜悧な横顔の男。

 彼こそがクロックフォード公爵、ダライアス・ナイトレイだ。

 モニカはコクリと唾を飲み、この場にいる人間の顔を──正確には、その顔を構成する「数字」を、目に焼きつける。

 今まで政治に無関心だったモニカは、この場にいる人間の顔をろくに覚えようとしてこなかった。その結果、フェリクスの顔を知らないままセレンディア学園に入学し、大失言をやらかしているのだ。

 まずはこの場にいる人間の顔と名前を覚えて、それぞれの人間関係も把握しておきたい。




 やがて式典が終わると、その流れで宴会になる。

 新年の儀では女性客は圧倒的に少ないので、舞踏会というよりは立食パーティに近い形式だ。

 そのためか毎年無礼講とまではいかずとも、通常の夜会以上に酒が多く振る舞われる。

 式典の会場を出たところで、〈砲弾の魔術師〉ブラッドフォードが肩をグルグル回しながら言った。

「よぉっし、かたっ苦しいことは終わったし、あとは飲むぞ飲むぞ! 結界の! 今年も飲み比べだ!」

「おや、昨年醜態を晒したことを、もうお忘れでいらっしゃる?」

「ガッハッハ、覚えてねぇなぁ!」

 ルイスが辛辣なことを言っても、ブラッドフォードはお構いなしだ。半ば肩を組むようにして、ルイスを宴会場へと引きずっていく。

 そんな二人を〈宝玉の魔術師〉エマニュエルは馬鹿にするような目で見ていたが、式典会場から名のある貴族が出てくると、顔に愛想笑いを貼りつけてそちらに擦り寄っていった。

 〈星詠みの魔女〉メアリーは、残った若い三人にちらりと目を向けて、話しかける。

「あたくしは一度着替えてから会場に行くけれど、貴方達はどうするのかしらん?」

「勿論行くぜ!」

 即答したラウルは、右手にレイ、左手にモニカのローブをがっしり掴んでいた。

 モニカはカタカタ震えながら、首を横に振る。

「い、いえ、わた、わたたたたたしは、遠慮しま……」

「勿論、モニカとレイも行くよな!」

 ラウルが一点の曇りもない笑顔で言えば、レイは冥府の底を覗き込んだかのように絶望的な顔をした。

「……いつのまにか名前呼び……これだから人との距離感が狂ってる奴は嫌なんだ……」

「レイもオレのこと、名前で呼んでいいぜ! だってオレ達友達だろ!」

 ラウルがレイの肩をバシバシと叩けば、ヒョロリと痩せたレイの体はふらりと傾き、力無く壁にもたれた。

「……と、も、だ、ち……友愛と友情の境界とはなんだ、俺は愛されたいけれど別に友達が欲しいわけじゃないんだ、しかも俺より顔が良い男なんて最悪だ……そもそも呪術師が宴会に参加したら『めでたい席に不吉な奴がいる』って後ろ指をさされるのが目に見えてる……絶対嫌だ……嫌すぎる……死にたい……」

「大丈夫大丈夫、考えすぎだって!」

 ラウルはモニカとレイのローブを引っ掴むと、鼻歌混じりに上機嫌で歩きだした。

 モニカがカタカタ震えていようが、レイがブツブツ不満を垂れ流していようが、ラウルはお構いなしである。

「あの、わた、わたしっ、むっ、無理っ、無理ですぅぅぅぅ……お部屋に帰るぅぅぅぅぅ……」

「死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい……」

「ははっ! 二人とも元気だなぁ!」

 元気なのはラウルだけである。

 そんな三人を〈星詠みの魔女〉メアリーはおっとりと微笑みながら見送った。

「ラウルちゃん、お友達ができて良かったわねん」

 庭に出ていたラウルをあの二人に迎えに行かせて良かった、とメアリーは胸の内で呟いた。

 美少年好きの魔女は元美少年のラウルのことを、こっそり気にかけていたのである。



 * * *



 ラウルに引きずられて宴会会場に来てしまったモニカは、出来うる限り己の体を縮こめてビクビクと震えながらラウルの影に隠れた。ちなみにレイも同じことをしているので、二人の体はしっかりラウルの背中からはみ出している。

(わぁぁぁぁ、どうしようどうしようどうしよう……っ)

 宴会場ではフェリクスやシリルと遭遇する可能性もあるのだ。もしかしたらそれ以外にも、セレンディア学園の関係者が来ているかもしれない。

 とにかく一刻も早く、この場を離れなくては……。


「レディ・エヴァレット!」


 嬉しそうに弾む甘い声に、モニカの全身が総毛立った。

(ひぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!)

 声なき声で叫びながら、ほんの少しだけ顔を上げれば、目を輝かせて早足でこちらに近づいてくるフェリクスの姿が見える。

 クロックフォード公爵絡みでフェリクスにも疑いを持つようになってしまった今、モニカが一番会いたくなかったのがフェリクスだ。


 ──殿下は、クロックフォード公爵がしたことを知ってるんですか?

 ──お父さんの死にクロックフォード公爵が関係しているかもしれないことを、ご存知ですか?


 そんな疑問がモニカの頭をグルグルと駆け巡る。

 だが、フェリクスはモニカの葛藤などお構いなしに距離を詰めると、にこやかに笑いかけた。

「レーンブルグ公爵領ではお世話になりました。その後、左手の具合はいかがですか?」

 第二王子のフェリクスは、どこにいたって目立つ男である。当然に周囲の視線はモニカ達に向けられた。

 しかも、フェリクスと〈沈黙の魔女〉は、共にレーンブルグの呪竜を倒した英雄である。

 二人に向けられる視線は憧憬混じりのものから、政治的に利用したいという思惑混じりのものまで、様々だ。

 いまだかつてないほど周囲から注目され、いよいよモニカは倒れそうになった。

 できれば数字の世界に逃げたい。ひたすら数式のことだけ考えていたい。だがそれをしたら最後、フェリクスに正体がバレてしまう。

(とにかく……011235……なんとか……81321345589……この場を離れなくちゃ……144233377610987……わぁぁぁぁぁんっ、数字の世界に逃げたいぃぃぃっ!)

 モニカがフードの下で半泣きになっていると、レイが小声で何かを詠唱し、モニカをこっそり指さした。

 するとモニカの左腕に不気味な紋様が浮かび上がり、ピカピカ発光しだしたではないか。発光は数秒で消えたが、とにかくそのインパクトは絶大である。

 モニカがギョッとして自身の左手を跳ね上げると、フェリクスが青ざめた。

「レディ!? もしや、まだ呪竜に受けた呪いが……」

 青ざめるフェリクスを尻目に、レイがモニカの左袖をまくって、もっともらしい顔で言う。

「……あぁ、これは部屋に戻って休む必要があるな」

 無論、大嘘である。左手がまだ痛むのは本当だが、あの謎の発光は恐らくハッタリ。レイは、この場を離脱するための言い訳を作ってくれたのだ。

(〈深淵の呪術師〉様……ありがとうございますっ!)

 モニカは心の中でレイに礼を言うと、左手がさも痛むかのようにローブの上から左手を押さえ、フェリクスに会釈をして背を向ける。

「待ってください、レディ。誰か付き添いを……」

 モニカはブンブンと首を横に振ると、全速力でボテボテバタバタと走り、その場を離れた。

 宴会場を走るなんて、舞踏会では悪目立ちすることこの上ないが、今日の宴会場は殆どの客が酒に酔っているので、誰もモニカを咎めたりはしない。

(あとちょっとで、出口……っ)

 慢性的に運動不足のモニカは、ゼェハァと荒い息を吐きながら出口を目指した。

 会場の空気は人の熱気と酒の匂いが入り混じっていて、吸うだけで胸がムカムカする。

「……っ、はぁっ……はっ……」

 酒の匂いに目眩を覚えた拍子に、モニカは前方から歩いてきた誰かとぶつかった。

 ベシャリと尻餅をついたモニカは咄嗟に相手に謝ろうとして、口をつぐんだ。

 驚愕のあまりヒゥッと吸い込んだ空気は酒の匂いはせず、清涼でヒンヤリとしている。

「失礼、お怪我は?」

 モニカに手を差し伸べているのはシリル・アシュリーだった。



 * * *



 もしここがセレンディア学園で、今と全く同じ状況だったら、きっとシリルは細い眉を吊り上げて、モニカを叱ることだろう。廊下を走るな! と。

 だが、今目の前にいるシリルは、紳士的な態度でモニカに手を差し伸べている。

 おずおずと手を取ると、シリルは丁寧な手つきでモニカを立たせてくれた。

「貴女は先ほどの……〈沈黙の魔女〉殿とお見受けします」

 モニカの全身から冷たい汗が噴きだした。落ち着かねば、という意思とは裏腹に体が勝手に震えだす。

「突然、こんなことをお訊きするのは失礼かと思いますが……貴女とは、以前どこかでお会いしていなかったでしょうか?」

 丁寧な口調、丁寧な態度。それはモニカ・ノートンに向けられたものじゃない。〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットに向けられたものだ。

 いずれモニカがセレンディア学園を去って、〈沈黙の魔女〉としてセレンディア学園の知り合いと会うことになったら、きっとこうなると分かっていた。分かっていた、つもりだった。

 それなのに……。

(……なんか、やだ)

 庭園で遭遇した時もそうだ。

 シリルがモニカに他人行儀だと……なんだか胸がチクチクと痛い。

 フェリクスが〈沈黙の魔女〉を前にすると露骨に好意的になるのも衝撃だったけれど、シリルに感じる感情は、それとは少しだけ違うような気がする。


(……シリル様が、私に他人行儀なの、やだ)


「〈沈黙の魔女〉殿?」

 俯くモニカを具合が悪いとでも思ったのだろう。シリルは気遣わしげに、モニカの顔を覗き込もうとする。

 モニカの全身を、今までにない強い恐怖が支配した。


(やだ、やだ、やだ!)


 声無き声で悲鳴をあげて、モニカはシリルを両手で押しのける。

 もとより非力な上に、左手を負傷しているモニカが押したところで、シリルの体はぐらつきもしない。それでも、モニカが必死で手を突っ張って抵抗しようとしていることを察し、シリルはほんの少し身を引いた。

 ズキリ、と左手が痛む。

「…………ぁ、うっ」

 噛み締めた歯の隙間で弱々しく呻き、モニカは驚いた顔をしているシリルの横をすり抜け走る。

 シリルは戸惑い顔でモニカを見ていたが、追いかけたりはしなかった。それでもモニカは立ち止まらずに走り続ける。

「……っ、はぁっ、はっ、はぁっ……」

 モニカは宴会場の出口を飛び出してもなお、立ち止まらずに廊下を走った。

 やがて体力が限界を迎えたところでモニカは壁に手をつき、ずるずると膝をついて項垂れる。

(……分かってた、はずなのに)

 モニカ・ノートンは架空の存在だ。

 セレンディア学園を去れば、モニカはもう今までと同じようにシリル達と接することはできない。

 だから、セレンディア学園で思い出をたくさん作って、それを胸に抱いて生きていこうと決めていたのに。

 他人の顔でモニカに接するシリルを見た瞬間、血の気が引いた。胸がチクチクと痛かった。

 モニカを叱る、いつものシリル様がいい、と思った。

(……わたし、すごくわがままに、なってる)

 俯き、ゆっくり呼吸を整えていると、背後に人の気配を感じた。

 また知り合いだったらどうしよう、とモニカはビクビクしながら振り向いたが、そこに佇んでいるのは使用人らしき見覚えのない男だ。

「失礼いたします、〈沈黙の魔女〉様。我が主人、クロックフォード公が、貴女様と個室でお話をしたいと」

「…………え」

 ようやく落ち着いてきたモニカの心臓が、嫌な音を立てて跳ねる。

 耳の奥でゴゥゴゥと血が流れる音がした。


 ──クロックフォード公爵。呪竜騒動と、モニカの父の死に関わっているかもしれない疑惑の人物。


 これは真実に近づくチャンスだ。

 モニカは右手でローブの胸元を握りしめると、ゆっくりと呼吸を整えてから口を開いた。

「……お受けします。案内してください」


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