【11ー5】金のゴリラと三匹の猫
「以前、どこかで……」
シリルの言葉にモニカが硬直したその時、シリルの言葉を遮るような大声が響いた。
それはもう、シリルの声などあっさり吹き飛んでしまうぐらいに大きな、地の底から響くような声だ。
「ぬぅぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!! すまぬ、そこの御仁達! その猫を捕まえてくれぇぇぇぇぇ!!」
声の方に目を向ければ、ラウルが胸に抱いている猫とよく似た毛並みの白猫が二匹、こちらに向かって走ってくる。
その猫を追いかけているのは、金髪に水色の目のゴリラのように厳つい大男だった。二匹の猫は、恐らく大男に怯えているのだろう。全身の毛を逆立てて、庭の木々の間を逃げ回る。
モニカがラウルとレイを見れば、ラウルは抱き上げた猫を撫でながら、レイは地面に蹲ったまま、それぞれ口を開いた。
「オレは手が塞がってるからなぁ」
「……俺の呪術でどうしろと?」
どうやら二人の協力は得られないらしい。
生真面目なシリルだけが、逃げ回る猫を捕まえようと躍起になっていた。だが、シリルが腕を伸ばした瞬間に、猫はシリルの肩を踏み台にしてピョンと背後に着地する。
もう一匹の猫を追い回している金髪の大男も苦戦しているようだった。
これでは、いつまで経っても猫は捕まらないだろう。
(あぅ、ぅぅう……ど、どうしよう……)
モニカは助けを求めるような目でレイとラウルを見たが、逆に期待の眼差しを向けられてしまった。どうやら、やるしかないらしい。
モニカは小さくため息を吐き、手にした杖で地面をトンと叩く。
対象は猫が二匹。まずは位置座標を把握。
(シリル様と大きい人には、接触しないように……)
素早く動き回るものを安全に保護するというのは、案外難しいのだ。実は竜巻の一つでも起こして敵を吹き飛ばす方が遥かに簡単なのである。
モニカは慎重に座標を指定し、無詠唱で風の魔術を起動した。
地面から巻き起こった風がふわりと猫の体を包み込み、浮き上がらせる。そうしてニャアニャア鳴きながら手足をバタつかせている猫をモニカは自分の腕の中まで誘導し、術を解除した。
「……っぅ!?」
二匹の猫を腕に抱き込んだ瞬間、モニカの左手がズキリと痛む。呪竜騒動の後遺症だ。痣はだいぶ薄くなったが痛みはまだ残っており、握力も殆ど戻っていない。
猫を落とさないように、右腕だけで必死に支えていると、モニカの手からサッとシリルが猫を抱き上げてくれた。
「……ぁ」
いつもの癖で、反射的に「ありがとうございます、シリル様」と口走りそうになり、慌ててモニカは口をつぐむ。
(あ、危なかったぁぁぁ……!!)
一言でも喋ったら、〈沈黙の魔女〉の正体がバレてしまう。
モニカが左腕を押さえながら俯くと、二匹の猫を抱き上げたシリルが眉をひそめてモニカを見た。
「左手を痛めているのですか?」
「…………っ」
モニカはローブの裾に左手を引っ込めると、なんでもないです、と心の中で呟きながら首を横に振る。
シリルは怪訝そうにモニカを見ていたが、抱きかかえていた猫が暴れ出したので、慌てて飼い主らしき大男に猫を差し出した。
大男は猫を受け取り、神妙な顔で頭を下げる。
「おぉっ、かたじけないっ! 心から感謝する!」
その大声に猫が驚いたようにピクンと顔を上げる。
今の今までマイペースに猫を撫でていたラウルが、のんびりした声で言った。
「殿下の声が大きいから、ビックリして逃げちゃったんじゃないか?」
「ぬぉっ!? そ、そうだったのか……驚かせてすまなかったな、アードリアン、クリストッフェル」
大男が腕の中の猫達に謝ると、猫達はそれに応えるかのようにニャアニャアと鳴いた。大男はポケットから小魚の干物を取り出し、腕の中の猫達に与えてやる。
(………………あれ? 待って? 今、〈茨の魔女〉様…………殿下って……)
殿下と呼ばれた金髪の大男はラウルが抱いている猫を見て、険しい顔を緩めた。
「おぉ、ローデヴェイクもそこにいたのか。いつもすまないな、〈茨の魔女〉殿」
「殿下んとこの猫は、脱走の常習犯だからなぁ。あっ、三匹持てる?」
「うむ」
大男が頷けば、ラウルは抱きかかえていた猫を大男の腕に移した。大男の腕は丸太のように太く筋骨隆々としていて、猫を三匹抱えていても安定感がある。
大男は三匹の猫を抱き直すと、今度はシリルの方に向き直った。
「そちらの客人も手を煩わせてすまなかったな。この猫達は母上の大事な猫なのだ。本当にありがとう」
丁重に礼をいう大男に、シリルは目に見えて動揺しているようだった。
「い、いえっ。滅相もありません、ライオネル殿下!」
シリルの言葉を聞いて、モニカはようやく思い出した。
そう、この筋骨隆々とした大男こそ、この国の第一王子であり、フェリクスの異母兄──ライオネル・ブレム・エドゥアルト・リディルなのだ。
* * *
シリルは動揺のあまり、手袋の下の手が冷たくなるのを感じた。
城に来ると決まった時から、フェリクスに会えるのではないかと密かに思っていたのだが、まさか、フェリクスより先に第一王子に会うことになるのは予想外だった。しかも、こんな形で。
シリルは次期国王にはフェリクスこそ相応しいと思っている第二王子派だが、だからと言って、第一王子に礼を欠いて良い筈がない。
そもそもフェリクスを支持しているのはあくまでシリル個人の話であって、現ハイオーン侯爵は中立派なのだ。
シリルが自分の振る舞いに非礼は無かっただろうかと必死で思い返していると、ライオネルは気さくに笑いかけてきた。
「貴殿のように若い人間が新年の儀に参加されるとは珍しい。失礼だが、名前を伺っても良いだろうか?」
「ハイオーン侯爵家嫡男、シリル・アシュリーと申します」
シリルが緊張に強張った声で答えると、ライオネルは「おぉ!」と目を輝かせる。そうしていると、厳ついながらもどこか愛嬌があった。
ライオネル殿下は常々ゴリラに似ていると言われる大男だが、その目はつぶらでなかなか愛らしいのである。無論、シリルはそんなことを観察する余裕もなかったが。
「ハイオーン侯爵家の人間だったのか。〈識者〉の知識にはいつも助けられている。今後もその英知を我が王家に貸してほしい」
穏やかにそう言われ、シリルは言葉を詰まらせた。
シリルはハイオーン侯爵の実の息子ではない。つまりは〈識者の家系〉の直系ではないのだ。
〈識者の家系〉はリディル王国の頭脳、歩く図書館とも呼ばれている、膨大な知識を持つ一族である。
シリルは自分がその一族を継ぐに相応しいだけの知識を有していると、胸を張って言い切ることができなかった。
〈識者の家系〉を名乗るのに相応しい知識を有しているのはクローディアだ。クローディアが男だったら、間違いなく後継ぎになっていただろう。
シリルは密かに焦った。第一王子に期待されるような言葉をかけてもらったのだ。「有り難きお言葉、拝命いたします」そう言わなくてはと分かっているのに、舌が痺れたように声が出てこない。
「……若輩者故、どこまでご期待に添えられるか分かりませんが……精一杯やらせていただきます」
今のシリルには、これだけ言うのが精一杯だった。
(あぁ、私は何をしているのだ。王族の方が期待してくださったのなら、言い訳などせず、必ずや期待に応えると言わねばならないのに!)
内心青ざめるシリルとは対照的に、ライオネルは快活に笑った。
「あまり気負わなくていい。私の方とて未熟者なのだ。私は剣を振り回すのは得意だが、外交の方はからきしでな。弟のフェリクスの方が出来がいいと皆が言う」
「それ、は……」
「私もそう思っているのだ。国王になるのもフェリクスの方が相応しい。だが、王になれずとも私は私の全力で、この国を守りたい。そのために貴殿にも知恵と力を貸してほしいのだ」
ちょうどその時「殿下、どこですか!」と使用人のものらしき声が聞こえた。
ライオネルはマントを翻して、声の方に足を向ける。
「では、これにて失礼する! 協力感謝するぞ、七賢人殿! また会おう、未来のハイオーン侯爵!」
その背中に頭を下げながら、シリルは思った。
(あぁ、あの方もまた、フェリクス殿下とはタイプが違えど王族なのだ……)
ライオネルは『今後もその英知を我が王家に貸してほしい』と言った。
「私に」ではなく「我が王家に」という言葉が、ライオネルの本心を意味している。
ライオネルは、この国の未来を見据えているのだ。
今、この国は第一王子派と第二王子派で分かれ、争い合っている。それは他国に付け入る隙を与えることに他ならない。
だからこそ、今から国内貴族達が団結しなくてはならないと考え、ライオネルはこうしてシリルに声をかけたのだろう。
自分が王になれずとも、この国の未来を守っていけるように。
「気持ちの良い王子様だよなぁ。気さくで偉ぶらないしさ。自分のできることと、できないことを分かってる」
〈茨の魔女〉がローブについた猫の毛を払い落としながら言う。
シリルは慎重に〈茨の魔女〉に訊ねた。
「……貴方は第一王子を支持しているのですか? 〈茨の魔女〉殿」
「うーん、オレは面白ければどっちでも。そっちの二人も同意見だと思うぜ」
そう言って〈茨の魔女〉は、〈沈黙の魔女〉と〈深淵の呪術師〉を見たが、〈沈黙の魔女〉は困ったように俯き、もじもじとしているだけだった。
挙句、〈深淵の呪術師〉に至っては、
「顔の良い方が、落ちぶれればいいと思う……」
この暴言である。
〈茨の魔女〉は、あっはっは、とマイペースに笑った。
「まぁ、七賢人にまともな意見を期待しちゃダメってことだな!」
この国トップの頭脳派集団であり、国王の相談役である七賢人の言葉に、シリルは自分の中で色々なものがガラガラと崩れていくのを感じた。主に、七賢人に対する尊敬の念とか。