【11ー4】大事なのはおっぱいじゃない。愛だ。
シリルは思わず己の目を擦って、目の前の光景を二度見した。
庭師の男が「オレの仲間」と呼び、手を振っているのは、揃いのローブを着た二人組。
どちらもフードを目深に被っているので顔はよく見えないが、細身の男と小柄な女であることは、なんとなく分かった。
特筆すべきは、この二人が身につけているローブである。濃紺の生地に金糸銀糸の刺繍を施した儀礼用のローブは、この国の魔術師の最高峰、七賢人のみが身につけることを許された物だ。
庭師の男は猫を胸に抱いたまま、ローブの二人組に駆け寄る。
「やぁ、キミ達が庭に出るなんて珍しいなぁ!」
庭師の男の言葉に、ローブを着た男の方がボソボソと低い声で言った。
「……お前がいつまで経っても翡翠の間に来ないから、わざわざ迎えに来たんだろうが」
「そうなのか? いやぁ、わざわざ悪いなぁ。ありがとう! あっ、野菜食べるか?」
「いらない」
庭師の男は「ちぇー」と残念そうに呟き、今度はカブを取り出してムシャムシャ齧りだした。
そこでシリルはようやく気づく。
庭師の男が腰に雑に巻いている上着も濃紺なのだ。それもよくよく見ると金糸銀糸で刺繍が施されているではないか。
ローブの男が口にした「翡翠の間」とは、七賢人と国王のみが立ち入ることを許された部屋である。
そして七賢人だけしか着ることが許されないローブとなれば、もはや彼らの正体は言わずもがな。
「……五代目? 魔女? ……まさか、〈茨の魔女〉……」
思わず呟くシリルに、庭師の男改め〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグはキョトンと目を丸くした。
「あれ? もしかして気づいてなかったのか? なーんだ、てっきりとっくに気づいてるもんだとばかり……」
ムシャムシャとカブを齧るラウルに、仲間の陰気そうな男がボソリと言う。
「……ローブを着てないからだろ」
「あっ、そっか。庭仕事するのに邪魔だから脱いでたんだよなぁ。あっ、ちょっとこいつ預かっててくれよ」
ラウルはそう言って、仲間の男に子猫を押しつけると、腰に巻いていた自身のローブを広げて羽織る。
誰もが見惚れるような美貌の男が七賢人のローブを身に纏うと、それだけで圧倒的な風格があった。
薔薇色の巻き毛も神秘的な緑の目も、濃紺のローブによく映えている。
──だが、頭には麦わら帽子。首には手拭い、おまけにローブの下は野良着である。
野良着姿で庭の手入れをしていて、木から下りられなくなって、会う人会う人に野菜を押しつけ、トイレの魔女の末裔を名乗る男を、誰が七賢人だと想像できただろうか。
絶句するシリルに、〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグはニコニコしながら言った。
「あっ、そうだ。オレの仲間を紹介するぜ! こっちの陰気なのが〈深淵の呪術師〉で、こっちの小さいのが〈沈黙の魔女〉! 七賢人の若手三人衆とはオレ達のことさ!」
ラウルの言葉に〈深淵の呪術師〉が「……変な括りを作るな」と不満そうな声をあげる。〈沈黙の魔女〉はその二つ名のとおり、黙したまま俯いていた。
(……これが七賢人……国のトップの魔術師…………)
にわかに信じがたいが、シリルの目の前にいるのは国王陛下の相談役の魔法伯なのだ。
今更になって、シリルは自分の振る舞いが失礼だったのではないかと青ざめた。
シリルの家は侯爵家なので、単純に爵位の序列だけで見れば、伯爵位相当の魔法伯より上である。
だが、爵位というのは単純な序列だけで語れるものではない。まして、国王と直接謁見することが許されている魔法伯の地位は、そこらの伯爵とは比べものにならないのだ。
しかもシリルはハイオーン侯爵家の養子という立場である。この場で最も気を遣わねばならないのがシリルなのは明白。
シリルは血の気の引いた顔で、三人の七賢人達に頭を下げようとした。だが、そんなシリルに〈深淵の呪術師〉が足音もなく詰め寄り、シリルの手を取る。
こちらを覗き込む〈深淵の呪術師〉の青白い顔は、どこか恍惚としていた。
血色の悪い唇が動いて、切なくかすれる声で囁く。
「……ねぇ、俺のこと愛して?」
シリルはたっぷり十秒ほど沈黙した。
沈黙した末に、無表情のまま口を開く。
「……失礼。今、なんと?」
「俺のこと愛して?」
どうしよう、聞き間違えではなかった。いや、きっとこの男は何かを勘違いしているのだ、きっとそうに違いない。
必死でそう自分に言い聞かせているシリルに、〈深淵の呪術師〉は作り物めいたピンク色の目を爛々と輝かせて詰め寄る。
「……バラの花が咲く庭園で女の人と出会ったら、それってもう運命だよな? 運命だったら、惹かれ合うし愛しあう定めだよな? 男装の麗人……イイ、すごくイイ」
「……男、装?」
喉の奥を痙攣させるシリルに、〈深淵の呪術師〉は神妙な顔で言う。
「大丈夫、大事なのはおっぱいの大きさじゃない、愛の大きさだって誰かが言ってた……ねぇ、俺のこと愛して? おっぱいが小さいことぐらい気にしないから、俺のこと愛してるって言って?」
(この男、もしや、もしや、いやまさか……)
シリルが頬を引きつらせていると、〈沈黙の魔女〉が〈深淵の呪術師〉のローブを引き、ゴニョゴニョと何かを耳打ちした。
「…………え? 違う? 男?」
〈沈黙の魔女〉がフードを被った頭をコクコクと上下させる。
〈深淵の呪術師〉が首を左右に捻りながらシリルの顔をまじまじと見ていると、〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグが言った。
「そいつ男だよ。ハイオーン侯爵んとこの息子さん」
その言葉に〈深淵の呪術師〉はピキリと硬直する。かと思いきや、そのままフラリとその場にしゃがみ込み「……吐きそうだ」などと失礼なことをブツブツ呟きだした。
シリルは呆然とした。
〈茨の魔女〉はマイペースに猫と戯れており、〈沈黙の魔女〉はただひたすらオロオロしている。
(こ、これが七賢人……? 我が国最高峰の魔術師達……?)
〈深淵の呪術師〉は頭のネジが吹っ飛んでいるし、〈茨の魔女〉は野良着だし、〈沈黙の魔女〉なんて、まるで子どもではないか!
(……うん? 子ども?)
改めて見ると〈沈黙の魔女〉は小柄だった。まるで、ローブに埋もれている子どもだ。シリルを精一杯フォローしようとしているのか、小さい手をワタワタと無意味に動かしている。手袋もしていない手は赤くかじかんでいた。
シリルが彼女の手をじっと見ていると、〈沈黙の魔女〉は困ったように俯き、もじもじと指をこねだす。
その幼い仕草が、シリルの記憶を刺激した。
* * *
(大丈夫です! シリル様は男の人ですっ! 全身の骨格も喉のラインも女の人とは違います!)
シリルを女性と間違えているレイに、モニカはワタワタと手を振り回しながら、声なき声で主張していた。
セレンディア学園でシリル・アシュリーを女性と間違える頓珍漢な者など、まずいない……が、七賢人の中にはいるのだ。そんな勘違いをする頓珍漢が。
(シリル様は! ちゃんと! 男の人に見えます!)
無論、声に出して言うわけにもいかないので、その代わり懸命に手をバタバタさせていると、シリルの方から視線を感じた。
(シリル様に見られてる……ば、バレてない、よね? バレてないバレてないバレてない……)
動揺のあまり、寒さにかじかむ手をもじもじとこねていると、シリルが少しだけ眉をひそめる。
「失礼、〈沈黙の魔女〉殿」
「…………!!」
息を飲んで一歩後ずさるモニカに、シリルは告げた。
「以前、どこかで……」