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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第2章「学園生活編」
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【2−7】黄金比

 シリル・アシュリーの氷の鎖で手首を拘束される直前に、モニカは無詠唱魔術を起動していた。

 術式の内容は、魔術を使用したことを相手に気づかせないようにする秘匿術式を組み込んだ、極々薄い防御結界である。つまりは、シリルに気づかれないようにモニカは手首を防御していたので、特に手首が霜焼けになることはなかった。

(……この人、中級魔術師ぐらいの実力はありそう……ううん、もしかしたら、上級に届くかも)

 モニカの手首を拘束する鎖は頑丈かつ緻密な造りをしている。下級魔術師にできる技ではない。

 ただ、シリルが常に全身から冷気を撒き散らしているのが、モニカにはどうにも気になった。少し距離をおけば気にならないぐらい弱い冷気なのだが、隣に立つと僅かにひんやりとした空気を感じるのだ。気温の高い日に部屋にいてもらったら、非常に重宝しそうな人である。

「あ、あのぅ……わ、わた、わたし、どっ、どこに、つれ、つれれ……っ、つれて、いかれ……」

 初対面かつ高圧的な態度にシリル相手では、どうしたって舌が回らなくなる。

 シリルはモニカを見下ろして不快そうに顔をしかめた。

「余計な口を利くな。黙ってついてこい」

「す、すみ、すみま、まっ、まっ、ませせ……ん」

「……その喋り方はふざけているのか?」

 シリルの周囲を取り巻く冷気が少し強くなる。威圧的かつ冷ややかな空気にモニカはガクガクと震えながら首を横に振った。

「今から貴様が会うのは、本来なら貴様のような平民オーラ丸出しの小娘が、逆立ちして庭を百周してワンと鳴いても会うことが叶わぬような高貴なお方だ」

 逆立ちで庭を百周してワンと鳴くような奇人とは、誰だって会いたくないのでは……とモニカは思ったが口をつぐんだ。

 やがてシリルは四階の立派な扉の前で足を止める。

 そうして彼がパチンと指を鳴らすと、モニカの手首を拘束していた氷の鎖は空気中に溶けるみたいに霧散した。

「くれぐれも失礼の無いように」

 モニカに釘を刺して、シリルは扉をノックする。

「モニカ・ノートンをお連れしました」

「入ってくれ」

 シリルは先程までの高慢な態度を綺麗に引っ込めると、美しい所作で扉を開け、モニカを中に入るよう促す。

「……しっ、しっ、失礼、しま、すっ」

 室内は緋色の絨毯が敷かれた広い部屋だった。セレンディア学園はどの部屋も一般学校とは比べものにならない贅沢な造りをしているが、その中でもこの部屋は際立って贅を尽くしている。

 そんな部屋の奥、執務机の前に一人の男子生徒が座っていた。

 窓から差し込む光を受けて輝くハニーブロンド。青に少しだけ緑を混ぜたような美しい目。

「突然呼びだしてすまないね、モニカ・ノートン嬢」

「あ、あ、あなた、は、き、昨日、の……」

 旧庭園でモニカの木の実を拾ってくれたあの青年は、あの時と同じ穏やかな笑みを浮かべてモニカを見ていた。

 モニカがポカンと目を丸くしていると、シリルがモニカを睨みつける。

「頭が高いぞ、貴様! この方をどなたと心得……」

「シリル、少々席を外してくれるかい?」

 金髪の青年がおっとりとそう言えば、シリルは「なりません!」と切羽詰まった声で叫んだ。

「こんな得体の知れない娘と二人きりなんて、もし何かあったら……」

「心配してくれてありがとう。でも、大丈夫だよ」

「ですが……」

 尚も食い下がるシリルに、青年はほんの少しだけ目を細める。

 穏やかな表情はそのままなのに、ただ目を少し細めただけで、目に見えない威圧感がシリルに突き刺さる。

「私のことが信用できない?」

「そのようなことありません! 私は誰よりも貴方のことを想っております!」

「そう。それなら、私の気持ちも汲んでくれないかい? ……無駄な問答は嫌いなんだ」

 必死で言い募るシリルに、金髪の青年はあくまで柔らかな態度で言う。だが、最後に落とされた一言だけが低く、重い。

「……出過ぎた真似、お許しください」

 シリルは深々と頭を下げ、部屋を出て行った……扉を閉める直前に、射殺しそうなほど鋭い目でモニカを睨みつつ。

 扉が閉まったのを確認し、金髪の青年はニコリとモニカに笑いかけた。

「きちんとお昼ご飯は食べられたかい、子リスさん?」

「あ、あの、その節は…………あ、ありがとう、ございましたっ!」

 言えた、ちゃんとお礼を言えた。

 今日のモニカの目標は、ラナとこの青年に昨日の礼を言うことだった。その目標が早々に達成されたことに、モニカは密かに喜びを噛み締める。

 そんなモニカに、青年はやはり優しげな笑みを向けつつ、机の上に乗せていた書類の束を持ち上げてみせた。

「突然呼んで悪かったね、どうしても君に言いたいことがあったんだ」

「な、なな、なんで、しょうか」

 もし、旧庭園に出入りした方法を訊かれたらどうしよう、とモニカは内心ビクビクしていたのだが、青年は「これ」と言って、書類をチラつかせる。そこに記載されている数字には見覚えがあった。昨日、モニカが拾い集めた書類だ。

「君は昨日、これに不備が三十九箇所あると言っていたね?」

 モニカが弱々しく頷くと、青年は書類を机にパサリと落とした。

「君の言う通りだった。私は三十八箇所しか見つけられなかったのだが、君に指摘された後によく見直したら、三十九箇所目が見つかったんだ。生徒会長として、お礼を言わせてほしい」

「い、いえ、そ、そんな……」

 褒められれば、素直に嬉しい。モニカはもじもじと指をこねて照れていたが、ふと聞き捨てならない単語に気がつき、ゆっくりゆっくり首を持ち上げた。

「……生徒、会長?」

「うん」

 青年はニッコリ笑顔で頷くと、静かに立ち上がり、モニカの前で優雅に一礼する。

「名乗りが遅れたね。セレンディア学園第七十五代目生徒会長フェリクス・アーク・リディルだ。どうぞよろしく、子リスさん」

「………………」

 昨日木の実を拾ってくれた、親切な男子生徒は実は生徒会長だった。

 つまりは第二王子で、モニカの護衛対象だった。

 その事実を理解した瞬間、モニカが思ったことは……

「……よ、よ……良かったぁ」

 この一言だった。

 安堵の表情で胸を撫で下ろすモニカに、フェリクスは「うん?」と首を傾ける。

「何が良かったんだい?」

「あ、えっと、昨日男子寮から、貴方が変装して出て行くのを見て……もしかして、親切な木の実の人は殿下の命を狙う悪い人なんじゃないかって思ってたんですけど、殿下本人だったのなら安心だなぁ……って…………」

「…………」

「…………あ」

 モニカは咄嗟に口を押さえたが、時既に遅し。

 モニカの脳内でルイス・ミラーが『随分と軽い口ですね? 〈沈黙の魔女〉から〈失言の魔女〉に改名したらどうです、同期殿?』と高らかに笑った。それぐらい今のは致命的な失言である。

「……キミは、それをどこで見たのかな?」

 フェリクスの言葉に、モニカはブワッと全身から汗が噴き出すのを感じた。

 昼ならともかく、明かりのない夜、女子寮の窓から男子寮の窓を観察するのは困難だ。ネロのように夜目が利くか、モニカのように遠視と暗視の術でも使わない限り、まず不可能。

「今の発言、キミは夜中に女子寮を抜け出し、男子寮の敷地をうろついていたと受け取っても?」

「ちちち違いますっ、ま、まま、窓を開けたら、ぐ、偶然見えて……っ」

「昨日は月の無い夜だったね? おかげで星が綺麗だった」

 遠回しに、窓からでは暗くて見えるはずがないだろうと言われている。

 口をパクパクさせるモニカに、フェリクスは笑顔のまま一歩近づいた。

「キミは夜に男子寮から誰かが出ていくのを見た訳だ? あぁ、それはきっと不審者かもしれないね。でも私ではないよ。君が見たその人物の特徴を教えてくれるかい? 学園側の警備を強化しなくては」

「フ、フフ、フ、フード付きマントを被ってて、顔は見てません。く、黒い髪がちらっと見えた程度……です」

 モニカの言葉に、フェリクスはクスクス笑いながら、ハニーブロンドを指でつまむ。

「君はその不審者が私だと言ったね? 君は目の前にいる私の髪色が見えていない? これが黒髪に見えるとでも?」

 反論された瞬間、モニカの中で火がついた。

 或いは「証明したい」という学者特有の思考と言っても良い。

「か、髪は染めるなりカツラなりで、誤魔化せます……で、でも」

「でも?」

 余裕たっぷりに先を促すフェリクスに、モニカは拳を握りしめて断言する。

「昨日の黒髪の人と、殿下は……た、体格が、一緒、で」

「体格が近い人間なんて、珍しくないだろう?」

「近いんじゃなくて、黄金比、なんですっ!」

「………………うん?」

 一度火がついたモニカは、吃り癖が引っ込むかわりに、周りが見えなくなってしまうという悪癖があった。それが今だ。

 お誂え向きに、壁には会議用の移動式黒板がある。モニカはそこに簡単な人間の絵を描き、頭の部分に長方形を描いた。

「私は目で見た物の長さは大体正確に言い当てる自信があります。まず、殿下は頭の形の横と縦の比率が1:1.618でした。これは人間が最も美しいと感じる黄金比に限りなく近い数値です。黄金比はより正確には1:1.61803398……と続くのですが、ここでは割愛します。昨日の夜に見た人物は、フードをかぶっていたので正確な数値を測定できませんが、フードの上から見える形で凡その計算をするとこの数値に当てはまります」

「…………」

 無言で黒板を見るフェリクスの反応など気にもせず、モニカは更に黒板の絵のへその部分で横線を引いた。いわば、人体図を上下で分割したような形だ。このへそから上の部分に1、へそから下の部分に1.618とモニカは書き込む。

「服を着ていても足の長さで大体へその位置は割り出せます。そして昨晩の人物も、殿下も、胴体をへそのところで分割した時、上半分と下半分の比率もこの黄金比でした。更になんと! 下半身を1とした時、上半身と下半身を合計した全長が1.618になるんです。まるで計算され尽くされたような黄金比です! こんな人、滅多にいません! メジャーで測定してもらえれば、私の説が正しいと理解して……もら、え……」

 鼻息荒く力説していたモニカは、ここに至って漸く我に返った。

(わ、わたしは、なにを……)

 チョークを握りしめたままガタガタと震えているモニカの前で、フェリクスは「最後に採寸した時の数字は……」とのんびり呟き、なにやら計算していた。

 そして納得顔でポンと手を打つ。

「あ、本当に1:1.6だ」

「…………」

「容姿を褒められたことは、まぁまぁあるけれど、こんな褒められ方をしたのは初めてだよ」

 皮肉というよりはどこか面白がるような物言いに、モニカは思わず頭を抱えた。そうして必死で頭を巡らせて、言い訳を考えて考えて考えて……迷走した末に思いついた言い訳がこれである。


「黄金比をもとに作られた黄金螺旋は半径がフィオレッティ数列になってるんです。これは今から約六百年前にフィオレッティという数学者が見つけたとても美しい数列なんです! これが美しくないはずがありません!」


 この言い訳で何をフォローするつもりなのか。

 ルイス・ミラーがこの場にいたらゲンコツ必至の言い分に、フェリクスはニッコリと微笑み、モニカを見下ろした。

「君、私より数列を褒めたね?」

「ご、ごごごごごごごめんなさいぃぃぃぃぃい」

「否定はしないんだ?」

 ここで頷いたら不敬になることは分かっている。

 それでもモニカは「数字」を裏切れない。

「……数字より綺麗なものを、わたしは知りません」

 項垂れながら呟くモニカに、フェリクスはふぅっと息を吐き、少し長めの前髪を軽くかき上げた。

「君の数字に対する熱意に敬意を示し、正直に答えよう。君が昨日目撃した黒髪の人物は私だ。ちょっと息抜きがしたくてね、こっそり学園を抜け出して夜遊びをしていたんだ」

「よ、夜遊び……」

 モニカの考える夜遊びとは、綺麗なお姉さんのいるキラキラしたお店で、お酒を飲むことである。まさか、この殿下もそうなのだろうか?

 正直、この第二王子がどうハメを外そうがモニカは興味ないのだが、護衛対象ともなると、見過ごす訳にはいかなかった。夜遊びに行った先で王子が何者かに襲われたら、目も当てられない。

「第二王子がお忍びで夜遊びなんて、バレたら大目玉だろう? どうか、君と私の秘密にしてくれないかな? そうしたら、君が昨晩どこから私を見ていたのかは不問にしよう」

 当然、誰かに言いふらすつもりも無かったので、モニカはコクコクと力強く頷く。

 あぁ、良かった。とりあえず、自分が咎められて学園から追放されることはなさそうだ。

 密かに胸を撫で下ろすモニカの手を、フェリクスはごくごく自然な仕草で取った。途端にモニカの全身が強張り、体が小さく震えだす。

「あ、あ、あの、まだ、なに、か……?」

「うん、君が私と秘密を共有をするだけの価値があるかどうか……確かめさせてくれないかい?」

 そう言って、フェリクスは碧眼を妖しく煌めかせ、モニカの手を引いた。


※作中でモニカが力説している「フィオレッティ数列」はフィボナッチ数列のことです。フィオレッティさんは架空の人物です。

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