【11ー3】○○○の魔女の末裔
猫を胸に抱いて花壇を歩きながら、庭師の男は朗らかな口調で言った。
「オレのご先祖様はすごくてさぁ、当時の王様も頭が上がらないぐらい、おっかない人だったらしいんだよ。この庭もオレのご先祖様が王様に言って作らせたんだぜ」
国王が庭師に頭が上がらないなんてことがあったら、一大事である。
この庭師の誇張表現だろうと思いつつ、シリルは黙って話の続きに耳を傾けた。
「知ってるかい? 当時の貴族達はトイレで用を足す習慣がなくて、そういう時は花壇の影で用を足してたんだ。ほら、女の人がよくトイレに行く時『お花を摘みに〜』なんて言うだろ? あれの語源は、花壇の影で用を足してたからって説もあるぐらいでさ」
何故、いきなりトイレの話になるのか。
品性の無さにシリルが顔をしかめても、庭師はお構いなしに言葉を続けた。
「その結果、排泄物で庭は汚れ放題! ご自慢の庭を汚されたオレのご先祖様はブチ切れて、城にそりゃあ立派なトイレを作らせたんだよ。でもって、庭を汚した奴は粉砕して肥料に混ぜて埋めるって宣言したら、みんなきちんとトイレに行く習慣ができた」
「………………」
「そのうち、家のトイレが立派なのが貴族達のステータスみたいな感じになってさ、貴族達はこぞって自分の屋敷のトイレを整備しだしたわけだ。で、それが少しずつ使用人から平民にも伝わっていって、一般家庭にもトイレ文化が根付いた」
そろそろ我慢の限界だったシリルは、冷ややかな目で庭師を睨みながら口を挟んだ。
「……それは、庭園案内をしながらするような話なのか?」
「まぁ、最後まで聞いてくれよ。リディル王国のトイレ文化が根付いて数十年が経った頃、世界的に伝染病が流行ったんだ。だけど、リディル王国ではこの伝染病が殆ど流行らなかった。何故かって? 排泄物の管理がきちんとできていたからさ。こうして公衆衛生の概念ってやつがリディル王国を中心に浸透していき、世界的に広まりましたとさ、めでたしめでたし」
なるほど話の着地点は案外まともだった。
だが、トイレ。何故、花壇の話題からそこに飛躍してしまったのか。
なんとも言い難い顔をするシリルに、庭師は誇らしげに言った。
「つまり、花壇を守るために立派なトイレを作らせた、うちのご先祖様は〈トイレの魔女〉って呼び名の方が相応しいんじゃないかと思うんだ。だから、オレのことは気さくに五代目〈トイレの魔女〉って呼んでもいいぜ!」
「……五代目? 魔女?」
「城に行ったら、オレのご先祖様が作らせたトイレを見てみてくれよな。いや、ほんとすごいからさぁ。トイレの個室一つ一つが俺の研究室ぐらいの広さがあって、めちゃくちゃ豪華なんだ。俺も初めて城のトイレを使った時は感動したぜ」
庭師の男がトイレについて力強く語ると、彼の腕の中の子猫が何かに気づいたかのようにニャウと鳴いた。
庭師の男は庭の先に目を向け、そちらに見える人影に大きく手を振る。
「あっ、あっちにオレの仲間がいるぞ! おーい! おーい!」
* * *
素敵な庭園でお散歩デートという響きに〈深淵の呪術師〉レイ・オルブライトは上機嫌であったが、実際に庭に出た途端、彼はぐったりした顔で杖にすがりついた。
具合が悪いのかとモニカが心配して声をかけると、レイは今にも力尽きようとしている砂漠の旅人のような声で一言。
「……日の光が眩しすぎて溶ける……太陽が俺を愛してくれてない……」
「あの、今は冬なので、そんなに日差しは強くないのでは……」
「あと単純に眠い……遅くまで調べごとしてて……」
調べごとの一言にモニカはハッと息を飲み、声を殺してレイに訊ねた。
「あの、調べごとというのは……もしかして……」
「これ」
そう言ってレイが懐から取り出したのは、漆黒の石に金細工を絡めた装飾品──ピーター・サムズが死の間際に使用した呪具だった。
どうやら、レイはこの呪具を徹底的に調べてくれていたらしい。
レイはモニカの手に呪具を握らせると、周囲に人の姿が無いことを確認し、ボソボソと小声で言った。
「……その呪具は、対象に呪いを植えつけることで正気を奪い、呪術師の意のままに被術者を操る……という性質のものだった」
「被術者を、操る?」
予想外の言葉にモニカが眉をひそめると、レイはボソリと言葉を付け足す。
「……の、失敗作。被術者を操るためには、呪いを強くする必要があった。結果、呪いを強くしすぎて、被術者はすぐに呪いに喰われて死んでしまい、肝心の傀儡の効果が発揮できなかった。これは、ただの強すぎる毒も同然だ」
「……ちょっと驚きました。呪いで誰かを操るなんて……考えたことがなかった」
モニカは呪いの専門家ではないが、それでももし自分が誰かを意のままに操る方法を選ぶとしたら、精神関与魔術を選ぶだろう。
レイも同意見らしく、神妙な顔で頷いた。
「そう、呪術は憎い相手や罪人を苦しめたり、制限をかけたりするものだ。普通は呪術で誰かを操ろうなんて、考えたりしない」
レイはローブのフードを目深にかぶると、フードの下で宝石のようなピンク色の目をギラつかせて、低く呟く。
「ところが最近、俺に『呪術で生き物を操ることはできるか』と訊いた奴がいる」
「……えっ?」
意表をつかれ、瞬きをするモニカにレイは告げる。
「第二王子フェリクス・アーク・リディル」
モニカの全身から血の気が引いた。
「……それは、レーンブルグ公爵家で、ですか?」
「そう」
モニカの中でバラバラだった糸が少しずつ繋がっていく。それもおそらく、最悪の形で。
そして、そんなモニカの最悪の想像をレイの言葉は裏付けていく。
「それと、ピーター・サムズ個人について調べたら、オルブライト家分家の呪術師の弟子だったことが判明した。その分家の奴が言うには、ピーター・サムズは十年ぐらい前に、うちの分家で呪術を学んでいたが、突然失踪し……その後は一時期、クロックフォード公爵のもとに身を寄せていたらしい」
クロックフォード公爵はフェリクスの母方の祖父にあたる、この国でも有数の権力者だ。
ヒルダは言っていた。ピーター・サムズの背後には巨大な権力があると。
ケイシーは言っていた。フェリクスは、クロックフォード公爵の傀儡なのだと。
(……ピーターさんがお父さんを売った相手は、クロックフォード公爵? ……この人が、お父さんの死に関わっている?)
そして、ピーター、クロックフォード公爵、フェリクス。この三人が繋がっていると仮定すると、一つの恐ろしい想像が浮かんでくる。
「まさか、今回の呪竜騒動って……」
モニカが口にすることをためらい、言い淀んでいると、レイは低い声で呟いた。
「……クロックフォード公爵の仕掛けた茶番劇かもしれない」
ピーター・サムズはクロックフォード公爵に命じられて緑竜を呪い、呪竜に仕立て上げた。
本当は呪竜を意のままに操り、適当なところでフェリクスに退治させる算段だったのだろう。
だが、ピーターの呪術は失敗し、呪竜は暴走した。
結果的に呪竜は撃退することができたし、その結果、フェリクスはこの国を呪竜から守った英雄という扱いになったけれども、呪竜の暴走はピーターにとって想定外。
クロックフォード公爵の報復を恐れたピーターは、自ら命を絶った。
……勿論これは全て、モニカの想像だ。
だが、これが真実だとしたら、ピーター・サムズの告発は困難だろう。クロックフォード公爵はこの国でも有数の大貴族。その発言力は七賢人を上回る。
(クロックフォード公爵が、呪竜騒動の仕掛け人? しかも、お父さんの死にも関わっているかもしれない? ……殿下はこの事実を、どこまで知ってるの?)
もし、フェリクスが美しい笑顔の下に、このおぞましい真実を隠しているとしたら?
全てを知った上で、クロックフォード公爵に従っているのだとしたら?
(……怖い)
冬の風の冷たさとは違う寒気に、モニカの肌が粟立つ。
モニカがローブの上から己の腕を擦っていると、レイが苦い顔で言った。
「もし、クロックフォード公爵が関わっているのなら、迂闊には動けない」
「…………はい」
「一応、ピーター・サムズの調査は続ける」
「…………はい」
呪竜騒動の黒幕をクロックフォード公爵と言い切るには、証拠が弱い。
呪竜の死骸は残っていないし、実行犯のピーターは自殺してしまった以上、告発は難しいだろう。
後味の悪さと、フェリクスに対して募る不信感に、モニカは暗い顔でトボトボと歩く。
城の庭園は美しい花が咲き誇っているというのに、モニカにはそれを楽しむ余裕など無い。ただただ、フェリクスのことを考えると胸が重かった。
普段から陰鬱な空気を漂わせているレイと、落ち込むモニカ。
ローブのフードを目深に被った二人が、鬱々とした空気を漂わせて歩く光景は、はたから見たら亡者の行進のようであった。華やかな庭園に不釣り合いなことこの上ない。
そんな二人に「おーい! おーい!」と陽気に声をかけながら、大きく手を振る男がいた。
聞き覚えのある陽気な声は〈茨の魔女〉のものだ。太陽の下が似合いそうな明るい声に、レイが陰気な顔で舌打ちする。
「……あいつ、うるさいし、すぐ野菜押し付けてくるから嫌いだ……顔が良いのも気に入らない……あぁ、妬ましい妬ましい妬ましい……」
そんなレイの恨みがましい呟きも、モニカの耳には届いていなかった。
何故ならモニカは、〈茨の魔女〉の背後にいる青年の姿に目が釘付けになっていたからである。
遠目でも目立つプラチナブロンドと濃いブルーの瞳。細身の体に、女性的な美しい顔立ち。
(シ、シリル様ぁーーーーーーーーーっ!?)
モニカは動揺のあまり、うっかり杖を取り落としそうになった。