【11ー2】不思議な庭師
馬車を降りたシリル・アシュリーは目の前にそびえ立つ豪奢な建造物──リディル王国城を見上げ、緊張と感動の入り混じった気持ちで石畳を歩く。
前方を歩く養父、ハイオーン侯爵はそんなシリルをチラリと見て、口髭をしごいた。
「緊張しているのかね」
「……いえ、大丈夫です」
「右手と右足が同時に出ている」
ハイオーン侯爵の指摘に、シリルはピタリと動きを止める。
この新年の儀で、シリル・アシュリーは正式にハイオーン侯爵の後継者としてお披露目されるのだ。失敗は許されない──そう気負いすぎたせいで、シリルは表情も体もガチガチに強張っていた。
侯爵家の養子になってから、社交界の場に出たことは何度もあるが、城に来たのはこれが初めてだ。
贅の限りを尽くした屋敷はいくつも見てきたが、ただ豪奢なだけではない、歴史を感じさせる厳かな城を前に、シリルは気圧されていた。
ハイオーン侯爵は「ふむ」と何やら思案顔をしている。呆れられてしまっただろうか、失望されてしまっただろうか……不安になるシリルに、ハイオーン侯爵は一つの提案をした。
「この城の庭を、君はまだ見たことがなかったな」
「え、は、はい……」
「素晴らしい庭園だ。一度見てくるがいい。私はここで待っている」
庭を歩いて、すこし緊張をほぐしてこいと侯爵は言っているのだ。
気を遣われてしまったことを申し訳なく思いつつ、シリルはその言葉に甘えることにした。
「……申し訳ありません、父上」
「君は若いんだ。城に来たのなら、もう少し浮かれてもバチは当たるまい」
低く穏やかな声が「いっておいで」と静かに促す。
シリルは養父に一礼をして、庭の方へ歩きだした。
* * *
城の庭園に足を踏み入れたシリルは、思わず感嘆の吐息をこぼした。
季節は冬、いつ雪が降ってもおかしくない寒さだというのに、庭園には色とりどりの花が咲き誇っている。
特に冬薔薇の美しさといったら、素晴らしいという言葉では足りない。
秋冬に咲く薔薇は決して花数が多くなく、葉を落とした枝に一つ二つポツンと咲くのが常であるが、この庭園では夏の盛りのように大輪の薔薇がいくつも咲き誇っていて、季節を忘れてしまいそうだった。
薔薇の花は一輪一輪が大きく、色も鮮やかだ。冬になってもこんなに鮮やかに咲く薔薇をシリルは見たことがない。
驚きながら足を進めれば、色濃い緑の葉を茂らせる木にも鮮やかな花が咲いていることに気がついた。
さほど背の高くない木だが、赤みがかったピンクの花と、黄色の花芯、そして濃い緑の葉のコントラストは冬の薄い空色の下で一際鮮やかだ。
初めて見る花に見惚れていると、どこからともなく声が聞こえた。
「綺麗だろ。最近外国から入ってきた花で、椿って言うんだぜ」
声は頭上から聞こえた気がした。何故、頭上? と思いながら首を傾ければ、背の高い木の上に一人の男が腰掛けている。その腕には猫が抱かれていた。
この男が不審者や侵入者なら、わざわざシリルに話しかけたりはしないだろう。恐らく、この庭の庭師といったところか。
シリルがそんなことを考えていると、男は猫を撫でながら「なぁなぁ」と気さくに声をかける。
「この猫を助けようと木に登ったはいいんだけどさぁ、降りられなくなっちまったんだ。助けてくれないか?」
木から降りられなくなる庭師とは一体。
そんなことを思いつつ、シリルは口の中で短く呪文を詠唱した。最近習得したばかりの短縮詠唱で、男のいる木の枝から地面に向かって氷の坂を作ってやる。木の上の男は「すごいなぁ」と感心したように呟きながら、氷の坂をつるりと滑り下りてきた。
「いやぁ、助かったよ。オレ、高いところ苦手でさ」
「……苦手なのに、木に登ったのか?」
「こいつを助けるために、無我夢中だったんだって」
そういって男は腕の中の子猫を撫でる。
改めて近くで見ると、男はちょっと驚くぐらいに整った顔をしていた。
シリルの知る限り、最も容姿の優れた男性と言えば、やはり敬愛するフェリクス・アーク・リディルだが、目の前にいるこの男はフェリクスと並んでも引けを取らぬ美しさだ。特に薔薇色の巻毛と濃いグリーンの目は、まるでこの薔薇園の精だと言われたら信じてしまいそうなほど美しい。
年齢はシリルと同じぐらいだろうか。身につけているのはサスペンダー付きのズボンに生成りのシャツ。首に手拭いを巻き、頭に麦わら帽子をかぶったその格好は、いかにも庭師らしかった。
おまけに今は冬だというのに、男は上着を脱いで腰に巻きつけ、シャツの袖を捲っている。捲られた袖から覗く腕は、美しい顔に似合わず筋肉質だった。
いくら鍛えても筋肉がつかないシリルにしてみたら、ちょっと羨ましくなるぐらい立派な筋肉だ。
美しい顔に、筋肉質な体と野良着。なんだかチグハグな印象の男である。
シリルがそんなことを考えていると、男は猫を撫でながら人懐っこく笑った。
「新年の儀の参加者かい? 君みたいに若い奴は珍しいなぁ。どこの家の息子さん?」
とても庭師とは思えない口の利き方に、シリルは少しだけムッとしつつ口を開く。
「……ハイオーン侯爵家嫡男、シリル・アシュリーだ」
「ハイオーン侯爵家!」
男はパッと顔を輝かせると、ニコニコと満面の笑みを浮かべた。
「ハイオーン侯爵にはいつも世話になってるんだ。たくさん出資してもらっててさぁ」
「……父上が?」
「あぁ、この庭の花を見たかい?」
男はそう言って、季節を忘れたかのように咲き誇る花壇に目を向ける。
「この城の庭は、代々俺んちが管理してるんだ」
庭について語る彼は、どこか得意げな顔をしていた。緑色の目もキラキラと輝いている。
「温室でもないのに、こんなに花が咲いてるなんて不思議に思うだろ? 実はこれ、全部肥料に秘密があるんだ。肥料に魔力を含ませてるんだよ」
「……? 動植物に魔力を付与することは、禁じられているのではなかったか?」
「正確には、人体などに害を与える量の付与を禁じられてるって感じだな。つまり、その一定量を超えなけりゃいいのさ」
人間が生まれつき一定量の魔力を持っているように、動物や植物も微弱な魔力を帯びている。男はその微弱な魔力量を増加させずに、魔力を構成する要素の比率を変えることで、植物を強化するという試みをしているらしい。
「人間が持ってる魔力が100なら、この花は1ぐらいかな。この1という数字を超えないようにしつつ、0.01%単位の微妙な魔力バランスを肥料で調整してやるんだ。そうすると、こんな感じで寒さに強い品種ができたりする。今はこの庭の観葉植物だけだけど、ゆくゆくは他の植物でも同じことができるようにしたいんだ」
男の説明に、シリルは素直に感心した。なるほど、これは確かに養父が出資をするのも頷ける。
もし、この品種改良によって、荒れた土地でも野菜や薬草が作れるようになったら、食料問題や薬不足の解決に大きく貢献するだろう。
「……非常に画期的だな」
「まぁ、実際は言うほど簡単なものじゃなくてさ。失敗の連続だよ。ちょっとでも配合を間違えると、含有魔力量が増えすぎて枯れちまうし、土も使い物にならなくなる。それに魔力量を弄った野菜を食べても人体に影響はないのか、ってとこも研究してかないとだし。その辺の研究がこの国は遅れてるんだ」
なるほど確かに、魔力は一定量を超えて摂取すると人体に害をなす。そのことは魔力過剰摂取症であるシリルも、身をもって知っていた。
食用の物を作るとなると、安全性を確かめるために膨大な時間と手間がかかることだろう。
それでもシリルは素直にこの研究を応援したいと思った。
「……非常に優れた研究だ。いずれ飢饉などの食糧難が訪れた時、この研究は数万の命を救う」
「いやぁ、未来のハイオーン侯爵様にそう言ってもらえると嬉しいなぁ!」
男は白い歯を見せて快活に笑い、ポケットから細めの人参を取り出してシリルに差し出した。
「お近づきの印に、うちの畑で作った野菜やるよ! あっ、普通の肥料で作ったやつだから、安心して食べていいぜ」
「……これから城に行くので、それは遠慮する」
「この場で食べちまえばいいのに」
そう言って男は、生の人参をボリボリと菓子のように齧った。
女の子が王子様と夢見そうな甘い顔だが、やることがいちいちワイルドである。
「ところで、まだ時間はあるかい? 折角未来の侯爵様に会えたんだ。良かったら庭を案内してやるよ」
「……では、お願いしよう」
シリルは少し迷った末に、男の申し出を受けることにした。
男の話は非常に興味深いものであったし、何より気さくなこの男と話していると、緊張がだいぶ薄れるのだ。
シリルの返事に男はニカッと笑って、猫を胸に抱き、人参を齧りながら庭を歩きだした。




