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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第10章「冬休み編」
128/236

【10ー16】モニカとネロの出会い

 フェリクスにはしばし廊下で待っていてもらい、モニカはレイに一つの頼みごとをした。


「〈深淵の呪術師〉様、わたしに呪いをかけてほしいんです」


 モニカの言葉にレイは一瞬驚いたように目を丸くし、すぐに納得顔で手を打った。

「人間の強い感情が呪いになるなら愛情だって呪いだよな。つまり『呪ってくれ』とは『愛してくれ』と同じ意味だと受け取って良いんだよな」

「いえ、あの、そうじゃなくて……」

 モニカはもじもじと指をこねながら、かけてほしい呪いの詳細をレイに伝える。

 呪術は本来準禁術扱いだが、オルブライト家の人間は一定基準を満たした弱い呪いなら、被術者同意の元、使用することが許されている。とは言え、術を受ける側から呪術を望む例など、滅多に無いが。

 レイは何故そのようなことをする必要があるのかと不思議そうではあったが、モニカが「お願いします」と繰り返すと、すぐに機嫌良く頷いてくれた。

「あぁ、いいぜ。俺のことを慕ってくれる後輩の頼みだからな……なぁ、俺のこと愛してる?」

「け、敬愛、なら……」

「敬愛……敬い、愛する……うん、イイな、イイ。敬われてるって、すごくイイ」

 レイはうっとりとした顔で呟き、モニカの喉元に節の目立つ青白い指をひたりとあてがった。そうして、文字を刻むように首筋に指を這わせ、短く呪文を詠唱する。

 彼の目に良く似た鮮やかなピンク色の光が指先から溢れだし、モニカの首に呪術式を刻んだ。モニカの喉の奥がジリジリとひりつくように痛痒くなる。

「できた。『醜い声になる呪い』……効果はほんの一時間」

「……アリガトウございマス」

 礼を言うモニカの声は、まるでカエルの声帯で無理矢理人間の言葉を発しているかのように、しゃがれていた。モニカは何回か発声練習をし、椅子の背もたれにかけていたフード付きローブを素早く羽織る。

 モニカがフードを目深に被っても、レイは特に何も言わなかった。七賢人会議に出る時も、モニカは大抵フードをかぶって俯いているので、見慣れているのだ。

「〈深淵の呪術師〉様、エっと、ワタシ、殿下と内密に話したいコトがアルので……」

 席を外してほしい、としゃがれた声で遠回しに伝えると、レイは鼻の頭に皺を寄せた。

「あぁ、やっぱり女はみんな王子様が好きなんだ……金髪碧眼の美男子だもんな、王族三兄弟で一番の美男だもんな、愛されて当然だよな……」

「あ、アノ、本当に、真面目ナお話をスルだけデ……」

「王族ってずるいよな、そこにいるだけで愛してもらえるんだから……俺も無条件に愛されたい愛されたい愛されたい……」

「うるせーから、もうこいつ、つまみだそうぜ」

 ネロは辛辣に言い放つと、ブツブツ恨み言を呟いているレイの首根っこを掴んで、扉を開けた。

 そして扉の向こう側に立っているフェリクスを「退け」と雑に押し退けて、レイを廊下に放り出す。フェリクスに対してもレイに対しても、敬意を感じない振る舞いであった。

「よし、掃除完了。入っていいぜ、王子」

「……失礼するよ」

 フェリクスは困惑したように放り出されたレイを眺めながら、それでも室内に足を踏み入れる。

 フェリクスが室内に入ると、ネロは素早く扉を閉めて鍵をかけた。

 モニカはフェリクスに一礼し、口を開く。


「……お足をハコびイタダキ、アリガトウございマス、殿下」


 そのしゃがれた醜い声に、フェリクスはギョッとしたような顔をした。

「聞き苦しい声ユエ、今まで口を閉ざシておりましたガ、これから話すコトは筆談で記録に残すベキではないと思い、口を開きマシた。醜い声デ、殿下を不愉快にさせてしまうコト、どうぞゴ容赦くだサイ」

 吃らないように、吃らないように、と自分に言い聞かせながらモニカはゆっくりと言葉を紡ぐ。

 フェリクスは驚きを隠せない様子だったが、不快そうに顔をしかめたりはしなかった。いつもの穏やかな顔に、ほんの少しの痛ましさを滲ませて、モニカの左手を見る。

「お体の具合はいかがですか、レディ・エヴァレット? 左手は……痛みますか?」

「……動かさなけれバ、問題はアリません」

「あぁ、レディ。無理に起きていなくて構わないのです。辛かったら、どうかベッドで横になって……」

 フェリクスの言葉を遮るように、モニカは首を横に振る。

「……大事ナお話が、アリます」

 そう言ってモニカが椅子を勧めれば、フェリクスは自然な足取りで勧められた椅子ではなく、その正面にある椅子を引く。

「どうぞ」

 こういう時でも自然に女性をエスコートしてしまう人なのだ。

 モニカがぎこちなく椅子に座ると、フェリクスは向かいの席に腰を下ろした。ネロはモニカの背後に立ち、腕組みをして威圧的にフェリクスを見ている。

 フェリクスはそんなネロを苦笑混じりに眺めつつ、口を開いた。

「レディに話したいことは、色々ありますが……まずは、彼についてお聞きしても?」

 やはり、まずはそこから話すべきだろう。モニカが言葉を選んでいると、ネロがふんぞり返って、得意げに鼻を鳴らした。

「オレ様のことが知りたいのか? いいだろう、教えてやる。好物は鳥とチーズ。好きな小説家はダスティン・ギュンターだ」

「……個人の嗜好ではなく、キミがどうしてレディ・エヴァレットの使い魔になったのか。その経緯を訊きたいのだけど……キミは翼竜を率いて、ケルベック伯爵領を襲っただろう?」

 フェリクスの言葉にネロは眉間に深い皺を刻み、下唇を突き出し「はーぁー?」と小馬鹿にするような声を漏らした。

「オレ様がいつ人間襲ったよ? あぁ? ……こういうの何て言うんだっけか? ……あ、そうだ、冤罪。冤罪だ! そもそもオレ様、別に翼竜共の仲間じゃねぇし」

「……? 違うのかい?」

 困惑するフェリクスに、ネロはフンスと鼻息を吐いて頷いた。

「オレ様、元々は帝国の山に棲んでたんだよ。でも、開発だなんだでうるさくなってきたから、新しい棲処を探して適当にぶらぶらしてたら、ウォーガン山脈だっけか? あの辺の若い翼竜どもが勝手にオレ様をボスみたいに崇めだしただけだ」

 翼竜は下位種の中でも特に知性の低い生き物だ。黒竜と翼竜では、たとえ同じ竜であっても知能が人と犬ほどに違う。

 つまるところ、翼竜は上位種の簡単な命令には従うが、正確な意思疎通は難しいのである。

「イキがってる若い翼竜どもが調子こいて、人間や家畜襲ったらしいけど、オレ様、別に命令はしてないぜ」

「……それならレディ・エヴァレットとは、どういう経緯で主従関係に?」

 フェリクスの問いに、モニカはうなだれた。

(こ、これは……話しても良いのかなぁ……?)

 悩むモニカとは対照的に、ネロはあっけらかんと答える。

「適当な野鳥を食ってたら、骨が喉に刺さってよぉ」

「うん」

「痛くて困ってたら、こいつが抜いてくれたんだよ」

「…………それだけ?」

「おぅ」



 本当に、それだけなのである。



 * * *



 二十を超える翼竜を撃退し、山の奥へと進んでいったモニカが見たのは、森の奥にうずくまり、グルグルと不機嫌に鳴いている黒竜だった。

 モニカに命じられているのは、黒竜討伐。そのまま攻撃魔術を眉間に叩き込めば、任務は完了……のはずだったのだが、モニカはその竜の呻き声が精霊と同じ言語であることに気がついた。

 モニカはミネルヴァで精霊言語を履修していたので、簡単な単語なら聞き取ることができる。

 漆黒の鱗を持つ凶悪な伝説の竜は、こう呻いていた。


 ──いたい、いたい、いたい。


 だから、モニカは思わず訊ねたのだ。

「……あの、何か、困ってるん、ですか?」

 極度の人見知りであるモニカにとって、竜は人間よりも話しかけやすい存在であった。

 たとえそれが伝説級の黒竜であろうとだ(モニカは無自覚だが、ルイスはモニカのそういった点を異常と認識している)


 ──ノド、ささった、ぬけない、いたい


「……喉? えっと……お口、あーんって、できます……か?」

 モニカの言葉に応じるように、黒竜は突っ伏したまま大きく口を開けた。

 鋭い牙は一本一本が槍のように鋭く、赤い舌はモニカなど容易く絡めとれるのではないかというぐらいに長い。

 だが、黒竜の舌に毒性は無いと記憶していたモニカは、モタモタと黒竜の顎をよじ登り、口の中に入り込んだ。

 自ら黒竜の口の中に入り込むなど、正気の沙汰ではない──と、誰もが考えるところだろう。

 だが、ルイス・ミラー曰く「頭のおかしい」モニカにしてみれば、人の輪に入るより竜の口に入る方が、遥かに恐ろしくなかったのだ。

 うんしょ、うんしょ、と四つん這いになって黒竜の舌の上を進むモニカは、喉の奥に白い何かが刺さっていることに気づいた。恐らく動物の骨だ。

「えっと、これ、抜くので……ちょっと我慢して、ください……」

 両手で骨を掴んだモニカは「えいっ」と全体重をかけて骨を引き抜いた。黒竜の喉がゴロゴロと鳴り、その振動にモニカはバランスを崩して、尻餅をつく。

「取れた……」

 モニカが引っこ抜いた骨を掴んでフゥッと息を吐くと、黒竜の舌がゆっくりと動いた。黒竜が長い舌をベロリと外に垂らせば、モニカの体は坂道を転げ落ちるみたいに黒竜の舌をコロコロと転がっていく。

「ひにゃあああああああああ!?」

 モニカは唾液まみれになりながら、黒竜の口の外にベシャリと落ちる。

 モニカが地面に突っ伏して目を回していると、黒竜は天を仰いで上機嫌に鳴き──次の瞬間、その姿は黒いモヤに包まれた。

 モヤは圧縮するかのように人の形を作り、やがて、指先、つま先、髪の先から人の姿となる。

 黒竜の化身である古風なローブを身に纏った黒髪の男は、神秘的な金色の目をモニカに向け、言った。


「あー、やっとスッキリしたぜ! いやぁ、適当に食った鳥の骨が喉に刺さってよぉ。黒炎で塵にしちまえばいいと思ったんだけど、微妙に届かない位置にあるから困ってたんだよ」


 ベラベラと流暢に人の言葉を喋るその男に、威厳も神秘性も無かった。古典的なローブであることを除けば、どこにでもいる気さくな兄ちゃんである。

 竜の姿の方がまだ話しかけやすかった、とモニカは思った。モニカはどうしても、大柄な男性に対し恐怖心を抱いてしまう。

 モニカが地面に突っ伏したまま硬直していると、人に化けた竜はモニカの前にしゃがんで目線を合わせた。

「なんだなんだ、オレ様がカッコ良すぎてビビったか?」

「……ひ……ぁ……」

「なんで竜の姿より人間の姿にビビんだよ? カッコいいだろ?」

「……ぅ、ぅぇぇ……っ」

 いよいよ涙目になって鼻をグズグズと啜りだしたモニカに、黒竜は困ったようにガリガリと頭をかいた。

「あー……人間の雌って、何が好きなんだ? うーん……よし、これならどうだ!」

 黒髪の成人男性の姿がモヤに包まれ、更に小さく圧縮する。

 やがてモヤが晴れれば、そこにいるのは一匹の黒猫だった。

「ほら、人間は可愛い猫が好きなんだろ? 肉球プニプニしていいぞ。にゃんにゃん」

 黒猫がモニカの頬をプニプニと押す。その柔らかな感触に、モニカは少しだけ緊張を解いた。

 目の前にいるのはどこから見ても、可愛らしい黒猫だ。

 だが、竜の時は人間の声を発声できないのに、猫だと人間の声を発せるあたり、完全に猫と同じ体というわけでもないのだろう。少なくとも声帯のつくりは違うはずだ。

 ゆらゆらと揺れる尻尾を見ながらそんなことを考えていると、黒猫は「よし、落ち着いたな」と安心したようにうんうん頷く。

「それで、なんで人間がこんなとこにいるんだ? 迷子か?」

「……あの、えっと、その……」

 地面に突っ伏していたモニカはノロノロと上半身を起こすと、地面にペタリと座り込んだまま、もじもじと指をこねる。

「こ、この山から、出て行ってもらえませんで、しょうか……麓の人が、とても、怖がってて……」

「んぁ? そういや、なんか、麓に人間がいっぱい来てたな? もしかして、オレ様、命狙われてたのか?」

「い、一応……わたしも、退治に来たと、いいますか……」

 馬鹿正直に自分の目的を明かすモニカを、黒猫は呆れたように見上げた。

「お前、バカだろ。今、ここでオレ様が元の姿に戻ったら、お前なんて黒炎で焼かれて、骨も残らねぇぜ?」

「あ、えっと、大丈夫、です。そうなる前に、わたし、あなたを倒せると、思う……ので……」

 そう言いながらモニカが近くの木を指させば、その木は瞬時に氷漬けになる。

 金色の目を丸く見開いている黒猫に、モニカはもじもじと指をこねながら言った。

「黒炎は、発動に溜めがいるので……あなたが火を吹く前に、倒せると、思います……」

 脅しではなく、ただ事実を告げるような口調のモニカに、黒猫は不思議そうに訊ねる。

「……じゃあ、なんで、オレ様のこと助けたんだ?」

「えっ? えっと……痛そうだった、から……?」

 モニカの答えに、黒猫は半眼になった。人間みたいに表情豊かな猫である。

「お前、実は、頭オカシイな?」

「…………ぁぅっ」

 悲しいことに「頭がおかしい」は、比較的よく言われる言葉であった。それこそ、叔父のところにいた頃は、暴力とセットで毎日のようにぶつけられた言葉だ。

 モニカがションボリ俯いていると、黒猫は器用に二本の足で立ち、人間がするみたいに顎に手を添えた。

「黒竜には怯えずに口の中に入ってきたくせに、人間が怖い人間か……変わった奴だな。オレ様は面白い奴が好きだ。お前は面白ぇ」

「は、はぁ……」

「よし決めた。オレ様、お前に飼われてやる」

 モニカはたっぷり数秒ほど沈黙して、黒猫の発言を吟味した末に「……はい?」と間の抜けた声を漏らした。

 そんなモニカに、黒猫はしたり顔で言う。

「だって、お前はオレ様にこの山を出て行ってほしいんだろ?」

「は、はい」

「でもオレ様、他に行くところねーんだよ。可哀想だろ? 可哀想だよな? 人間の都合で棲処を追い出されるなんて、なんて可哀想なオレ様!」

「ご、ごもっとも、です」

「だから、オレ様をここから追い出したお前が、責任を持ってオレ様を飼え」

 どうしよう、なんだかいいように丸め込まれている気がする。

 だが、気の弱いモニカはこういう時、咄嗟に強気の反論ができなかった。

 えっと、あのぅ、と意味のない言葉を繰り返していると、黒猫はぴょこんとモニカの肩に飛び乗り、肉球でモニカの頬をプニプニとつつく。

「竜は自分より強い奴には絶対服従なんだ。お前はオレ様より強いから、オレ様の主人にしてやろう。光栄に思え」

 人間と竜では「絶対服従」の意味が違うのではなかろうかと、モニカは頬をプニプニされながら思った。



【番外編1】の「鳥の骨が喉に刺さって大騒ぎ〜」の顛末がこれです。大騒ぎでした。

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