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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第10章「冬休み編」
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【10ー11】迫りくるモノ

 公爵家の一室に運び込まれたグレンは、いまだに意識が戻らぬままだった。

 全身の皮膚にまとわりつく黒い影は、呪いの大元である緑竜を倒したことで動きこそ止まったものの、完全に消えることなく、痣のようにグレンの全身に残っている。まるで大蛇に巻きつかれているかのように。

 グレンは時折苦しげな呻き声をあげるものの、その声すらか細く。命の灯火が消えかかっていることは誰の目にも明らかだった。

 室内にいるのは、グレンの他はモニカとネロだけだ。グレンの体内に残った呪いが動きだし、人間を襲う可能性もゼロでは無かったので、使用人の出入りは禁じている。

 モニカはグレンの体に残った影を観察し、ポツリと呟いた。

「……ネロ。緑竜さんの、最期の言葉……聞こえた、よね」

「おぅ」

 上位種の竜は「言葉」を理解している。ただ、その発声器官の構造上、人間の言葉を喋ることは難しいため、大抵の竜は精霊達と同じ言葉を発しているのだ。

 モニカはミネルヴァにいた頃に精霊言語を学んでいるので、簡単な単語なら聞き取ることができる。


 ──ゆるさない、ゆるさない、あのにんげん、ぜったいにゆるさない。


 あの緑竜は明らかに人間を憎んでいた。それも恐らく……特定の誰かを。

「あの緑竜な、オレ様が感知した時点で、だいぶ衰弱してたぜ。オレ様がすぐに竜の存在を感知できなかったのは、そのせいだ」

 本来、上位種の竜は精霊と同等か、それ以上に強い魔力を持っている。故にネロの感知能力にすぐに引っかかる筈だったのだ。

 だが、あの緑竜は酷く衰弱していた。だからネロの感知に、すぐには引っかからなかった。

「オレ様が感知したのは、竜にまとわりつく呪いの魔力だな。蛇みたいなウネウネが竜ぐらいの大きさだったから、もしかして竜じゃね? って思ったら正解だったわけだ」

 緑竜が衰弱していたのは、恐らく呪いが原因なのだろう。

 だが、そもそも呪いがどういう経緯で発生するのかを、モニカは知らない。グレンを蝕む呪いを解く方法も。

(呪いの大元の緑竜を倒すだけじゃダメなの? このままグレンさんが呪いに取り込まれたら……どうなってしまうの?)

 グレンに大量の魔力を注ぎ込めば、呪いを退けることはできるかもしれない。だが、その効果は一時的なものにすぎないし、下手をするとグレンが魔力中毒になる。

 無理矢理この呪いを引き剥がしたとして、その行為にグレンの体が耐えられるかも分からない。

 現状を打破するには、あまりにも呪いに関する情報が足りなすぎるのだ。今は専門家の到着を待つことしかできない。

(……グレンさん、守れなくてごめんなさい)

 友人の苦しむ顔を前にしても、モニカには何もできない。魔術師の最高峰である七賢人なのに。

 無力さに唇を噛み締めていると、部屋の扉が控えめにノックされた。

 モニカがサッとフードをかぶり直したのを確認し、ネロが扉を少しだけ開ける。

「誰だ」

 扉の隙間からこちらを見ているのはエリアーヌだった。

 泣き腫らした目をしている彼女は、ネロの肩越しに部屋の中を覗き込もうと背伸びをしている。

「あの、グレン様の……容態は……」

「この部屋には近づくなって言われたろ」

 ネロが扉を閉めようとすれば、慌ててエリアーヌは扉の隙間に指を挟み込んだ。

「グレン様は助かりますのっ? 助かり……ますわよね……だって、七賢人様がいらっしゃるのだから……」

「呪いは普通の魔術とはちげーんだよ。専門家でなきゃ、どうにもならねぇ」

 鼻の頭に皺を寄せて素っ気なく言い放つネロに、エリアーヌは懸命に食い下がる。

「でもっ、〈沈黙の魔女〉様は、さっき呪いを結界で弾いていらっしゃいましたでしょう? その要領でグレン様の呪いも……」

「結界で弾くのと、解呪は別モンなんだとよ。呪いを無理矢理引っぺがすことで、ショック死する可能性もあるらしいぜ」

 ネロの言葉にエリアーヌは衝撃を受けたような顔で、ヒッと息を飲んだ。

 グレンはエリアーヌとピーターという使用人を庇って、呪いを受けたのだという。だからこそ、エリアーヌも責任を感じているのだろう。

 いつも可憐に微笑んでいる美しい少女の顔も、今は花が萎れたかのようだった。

「……失礼いたしました……困らせて、ごめんなさい」

 エリアーヌは震える声で謝罪し、そっと扉を閉じた。

 扉の向こう側からは啜り泣く声が聞こえる。それが遠ざかるのを確認し、ネロは面倒くさそうな顔でため息を吐いた。

「やれやれだぜ。どいつもこいつも、七賢人を万能薬とでも思ってるんじゃねぇのか」

 だが、それも無理のないことだった。一般人にしてみれば、魔術と呪術など大差ないように見えるのだろう。だから魔術師の最高峰である七賢人なら、呪いもどうにかできると思い込んでいる。

 実際のところ呪術は非常にレアケースだ。まして準禁術扱いだから学ぶ機会が少なく、扱えるのは呪術を専門にしている一族ぐらい。

 モニカは本で読んだ僅かな知識とグレンの症状を元に、即興で呪い用防御結界を作ったが、それだって本来なら誰にでもできるようなことじゃないのだ。

 それでも、モニカは自分を責めずにはいられなかった。もっと他に何かできたのではないかと。

「呪竜なんて、オレ様でも見たことがない伝説の災害だぜ。過去には街が滅んでるんだぞ? 他に死傷者が出なかっただけ奇跡だ」

「……でも、グレンさんを、助けられなかった……わたし、ルイスさんに、なんて言えば……」

 その時、ベッドに眠るグレンが苦しげに呻き声をあげた。反射的にベッドに目を向けたモニカはギョッとする。

 グレンの体に染み込んだ呪いの影が、僅かに動き始めているのだ。

「離れてろ、モニカっ」

 ネロがモニカをベッドから引き剥がし、グレンを蝕む呪いを睨みつける。

「……声デカ坊主の魔力が減ってきてる……いや、これは……吸われてる?」

 だが、グレンの魔力を吸ったにしては、影の動きがさほど活発化しているようには見えない。

 ──グレンから吸い上げた魔力は、どこに行ったのか?

 ネロとモニカは同時に答えを思いつき、顔を上げた。

「もしかして、呪竜のところに?」

「ありえない話じゃねぇ。末端の呪いが獲物から魔力を吸い上げて、本体の呪竜に送り込むって寸法か」

 ネロは窓に近づくと、狩場の方角に目を向ける。

 日は既に沈み、窓の外には満天の星空と暗く深い夜の森が広がっていた。ネロはそんな暗い闇の奥にあるものを、見えずとも感知することができる。

 癖の強い黒髪が、猫の尻尾みたいにピクリと動いた。

「……どうやら、オレ様達の予想は正しかったようだぜ。あの呪いが、ちょっとずつこっちに近づいてきてる」

「!?」

 呪竜にとどめを刺したことは、ネロとモニカも念入りに確認している。あの竜は死んだ筈だ。

 だが、まだ動いているということは……。

「呪竜は死んでも、呪いはまだ生きてる……? とにかく、すぐに呪いの大元をなんとかしないと」

「オレ様が出るか?」

 ネロの提案にモニカはほんの数秒考え込み、首を横に振った。

「まずは、わたしがなんとかしてみる。でも……一緒についてきてくれる?」

 ネロは口角を持ち上げ、鋭い歯を見せて「勿論!」と笑った。



 * * *



 ファルフォリアの客人との晩餐会を終えたフェリクスは、自室に戻ると襟元のタイを緩めて息を吐いた。

 今日の晩餐会の席に、〈沈黙の魔女〉とその従者の姿は無かった。二人とも、呪いを受けたグレン・ダドリーの看病にあたっているためだ。看病と言えば聞こえは良いが、実際は見張りと言った方が正しいだろう。

 グレンを蝕む呪いが、他の人間に襲いかかることを懸念してる者は少なからずいた。それならば、グレン・ダドリーを殺してしまった方が良いのでは、と考えている者も。

 無論そうならないようにするために、フェリクスはグレンを早々に隔離し、見張りをつけたわけだが。

(……皮肉なことに、今回の件、ファルフォリアの客人達の反応は悪くない)

 〈沈黙の魔女〉が呪いを防ぎ、犠牲を最小限にしたこと。そして、フェリクスの狙撃で呪竜にとどめを刺したことを、ファルフォリアの人間──特に、あの偏屈なマレ伯爵は高く評価していた。

 晩餐の席でマレ伯爵はフェリクスの銃の腕を絶賛していたし、機嫌も悪くはなさそうだった。竜の脅威を肌で感じたことで、竜騎士団駐屯所の件にも一定の理解を示してくれたらしい。

 なにより伝説級と呼ばれる災害に直面し、生き延びることができたというのは一種の話題のタネ──いわゆる武勇伝になる。

 きっとファルフォリアの客人達は、自国に戻ったら、いかに呪竜が恐ろしい存在だったかを語り広めてくれることだろう。自分達が何もできずに右往左往していたことは都合良く伏せて。竜の脅威から生き延びた英雄のような顔で。

 レーンブルグ公爵夫妻もフェリクスのことを英雄だと持ち上げている。じきに、第二王子フェリクス・アーク・リディルが呪竜を倒したという話は国中に広がるだろう。

 〈星詠みの魔女〉が予言した竜を倒した英雄王子だなんて、まるで……。

(……よくできたシナリオだ)

 フェリクスは暗い目で、文机に投げ出していた封筒に目をやる。

 双頭の竜の紋章が施されたその封筒は、クロックフォード公爵から送られてきたものだ。

 この屋敷に到着すると同時に渡されたこの手紙には、簡潔にこう記されていた。


『国王陛下に病の兆候あり。万全に対処せよ』


 事情を知らぬ者が見れば「国王陛下の体調が優れぬからこそ、国王の負担にならぬよう、万事つつがなく対処せよ」と受け取れる文面だ。

 だが、フェリクスにはクロックフォード公爵の真意が手に取るように分かった。


 ──国王の死期が近い。万全をもって、次期国王の座を射止めよ。


 今回の件は、そのための「お膳立て」だ。

 フェリクスは暗い目で手紙を見つめ、口の端を持ち上げる。

「……忌々しい」

 低く呟き、彼は封筒を暖炉の火にくべた。

 クロックフォード公爵家の紋章──双頭の竜が灰になっていく。

 〈星詠みの魔女〉が予言した竜害の竜とは呪竜ではなく、この双頭の竜こそが国を蝕む「害」なのだと、フェリクスは思わずにはいられない。

 火かき棒で手紙の灰を奥に押しやると、ポケットから白いトカゲ──ウィルがスルスルと這い出てきた。

「殿下、大変です。昼の呪竜がこの屋敷に接近しています」

「へぇ? 眉間を貫いたと思ったのだけど、生きていたのかな? 大した生命力だ」

 顔色一つ変えずに相槌を打ち、フェリクスは部屋の隅に立てかけていた猟銃を手に取った。

 ウィルが爬虫類特有の無表情のまま、しかし困惑したようにフェリクスを見上げる。

「あの、殿下? 公爵家の方や七賢人様に報告は……?」

「『万全に対処せよ』それが、あの男のオーダーだ」

 フェリクスの顔から表情が消える。

 整った顔から穏やかな笑みが消えれば、どこか虚ろで、それでいて見る者の背すじを凍らせるような、冷ややかな空気が青年を支配した。


「クロックフォード公爵の傀儡らしく、あの男の後始末をしようじゃないか」


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