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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第2章「学園生活編」
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【2ー5】ありがとうの練習

「よぅ、モニカ。お疲れさん。無事に王子に接触はできたか」

 モニカが寮の屋根裏部屋に戻って、すっかり日も暮れた頃、黒猫のネロは屋根裏部屋の窓からひらりと入ってきた。

 屋根裏部屋に戻るなりベッドに突っ伏していたモニカは、のろのろと起き上がり、力無く首を横に振る。

 今のモニカは王子に接触するどころか、クラスメイトと人並み程度の交流すらできていないのだ。この状況で、どうやって王子に近づけば良いのやら。

 モニカがメソメソと泣き言を漏らすと、ネロは尻尾を左右に振りながら得意気に言った。

「オレ様、情報収集してきたぜ! 褒めろ!」

「…………うん、ありがとう」

「聞いて驚け、第二王子は生徒会長なんだ。つまり、生徒会役員になれば、自然と近づける」

 確かにネロの意見は的をいていた。

 第二王子とモニカは学年が違うから、普通に接近するのは非常に難しい。だが、同じ生徒会役員になれば、自然と接近できる……が。

「…………無理いぃぃ」

 生徒会役員になるためには、成績優秀であることが絶対条件だ。その上で生徒会役員とのコネなども必要とされる。

「でもよぉ、モニカ。お前は七賢人なんだろ? 天才なんだろ? じゃあ、次のテストでめっちゃくちゃ良い成績を取れば、きっと生徒会役員に……」

 モニカは無言で首を横に振り、教科書を机に並べた。

 教科書は歴史や語学に関する物が圧倒的に多い。貴族の子に求められる知識ともなれば、それも当然だろう。

 そして、モニカが専攻していたのは魔術に関すること全般である。魔術史、基礎魔術、魔術式、あとは魔術に絡む法律関係は詳しいが、それ以外は算術以外平均以下であった。

「お前はミネルヴァって学校に通ってたんだよな? そこでは語学の勉強はしなかったのか?」

「……み、ミネルヴァで私が専攻したのは……古代魔術文字と、精霊語で……」

 この国の貴族が古代魔術文字で手紙を書いて、精霊と言葉をかわすのなら、モニカの知識はさぞ役に立っただろう。だが、当然にどちらも貴族の子に求められている知識ではない。

「……どうしよう、どうしよう、どうしよう」

 モニカはベッドに腰掛け、ネロを胸に抱いて泣き言を溢す。

 もはや、モニカは第二王子の護衛をするどころではなかった。この学園で落第しないようにするだけで、精一杯なのだ。

 否、そもそもそれ以前に……

「……わたし、今日、二人の人に、親切にしてもらったの」

 モニカは机の上に置いたリボンと、木の実の包みをちらりと見る。

 ラナは高飛車な態度だったけれど、あのクラスで初めてモニカに話しかけてくれた人物だ。

 旧庭園で出会った青年は、書類よりもモニカの木の実を優先して拾ってくれた。

「本当は、ちゃんと、ありがとうございます、って、言い、たかったのに……」

 数字の間違いの指摘はできても、ありがとうの一言も言えない自分が、モニカは不甲斐なかった。

 モニカがしゅんとうなだれると、ネロはモニカを見上げる。

「お前、オレ様には普通に『ありがとう』って言えたじゃん。さっき言ったろ。オレ様聞いてたぞ」

「そ、れは、ネロは、人間じゃない、から……」

 ネロはまるで人間みたいに顔をしかめていたが、ふと何かを思いついたような顔で尻尾を揺らし、モニカの膝の上から下りた。

「よしよし、それならオレ様が、お前の人見知りを克服する練習を手伝ってやろう」

「ネロ? ま、まさ、か……」

「そのまさかだぜ」

 ネロは椅子の上にピョコンと飛び乗ると、尻尾を一振りした。途端にその姿がぐにゃりと歪み、黒猫は黒い影の塊になる。やがてその影は膨張し、人間のシルエットになった。

 瞬き二回分の時間で、今度は影に色がつく。まるで墨を洗い流したかのように、影の下から滑らかな肌色が見えた。

「ほれ、これでどーだ」

 椅子に座っているのは黒猫ではなく、黒い髪に金色の目を持つ二十代程度の青年だった。身につけているのは、どこか古風なローブ。

 当然だが彼は人間ではない。ネロが人間の姿に化けたのだ。

 モニカはネロが人間に化けられることを知っているし、見たこともある……が、目の前に成人男性がいるという現実に、モニカの体は勝手に竦んだ。

「ひ、ぃっ…………や、ぁ……」

 いつもぼんやりと下を向いているモニカの目が限界まで開かれ、細い体がカタカタと震える。

 モニカはベッドの上で縮こまり、自分を庇うように頭を手で押さえた。

「やだ……それ、やだ……ネロ、おねがい……猫の姿に……」

 モニカは今にも泣き出しそうな有様だったが、ネロは不貞腐れたように頬を膨らませる。そうしていると、成人男性の姿の割にやけに幼く見えた。

「いーやーだーねー。だってお前、ルールル・ルンタッタとは、まぁまぁ吃るけど、なんとか喋れるじゃん!」

 どうやらネロは、ルイス・ミラーの名前を覚える気がないらしい。

 とりあえず、モニカはルイスの名前を訂正しつつ、主張した。

「ルイスさんは! ちゃんと返事しないと頬っぺたつねるの! 酷い時は往復ビンタなの!!」

「うっわ……マジかよ、あの男。最低だな。まぁ、オレ様はお前を引っ叩いたりしないぜ! どうだ! 優しいだろう!」

 ルイスが過激なだけで、それが普通である。

 だが、ネロは得意げにフンフンと鼻を鳴らし、モニカに詰め寄った。

「さぁオレ様に感謝しろ〜崇めろ〜ありがとうって言え〜」

 ズイズイと近づいてくるネロに、モニカは仰け反りながら、口をパクパクさせる。

「ひ、ぃぃぃっ……ぅ、ぁあ……あ……り……っ…………ありり……あっ、ぁっ……」

 あり、と辛うじて二文字紡いだところで、モニカの口はもにょもにょと意味のない言葉を発し、あとはフゥフゥと荒い息を繰り返すだけになった。はたから見ていると、具合の悪そうな人にしか見えない。

 ネロは不貞腐れた子どものように唇を尖らせた。

「へー、そーかよ。モニカは学園に潜入して調査をしてきたオレ様に、感謝してないのか。あー、オレ様超ショックー。きーずつーいたー」

「ち、ちがっ、ごめ……」

「ごめんなさいより、ありがとうが聞きたいぜ。ほらほら、ちゃんと使い魔を褒めろよご主人様」

 そう言ってネロはお行儀悪く椅子の上で足をブラブラさせる。

 モニカはギュッと目を瞑り、膝の上で拳を握りしめて声を絞り出した。

「い、いつも、ありがとう、ネロっ!」

「おっ、いいじゃん、その調子その調子。よし、次はネロ様最高〜!」

「ねろさまさいこう!」

「ネロ様素敵ぃ〜!」

「ねろさますてき!」

 目をグルグルとさせて復唱するモニカを見て、ネロは頬をポリポリとかく。

「……なんかオレ様、善良な人間を洗脳してる悪人の気持ちになってきたぜ」

「ネロ酷い……」

「にゃにおぅ! オレ様はお前のためを思ってだな…………ん?」

 ネロは金色の目をくるりと動かして窓の外を見ると、窓を開けて身を乗り出した。

 モニカは慌ててネロの服の裾を引く。

「ネ、ネロっ! あ、危ないよっ、落ちちゃう……っ」

「おい、モニカ、見ろ。男子寮の窓、怪しい奴がいるぞ」

「…………えっ?」

 モニカはネロに並んで窓から身を乗り出すと、隣接している男子寮の方に目を向けた。

 屋根裏部屋の窓は高くて見晴らしが良いが、それでも月明かりだけを頼りにするにはあまりに心許ない。

 モニカは無詠唱で遠視と暗視の魔術を起動した。これは視力を強化するものではなく、少し離れた場所にある光景を頭にビジョンとして描く魔術だ。

(……男子寮の庭、誰かいる……)

 モニカの脳裏に男子寮のビジョンが浮かび上がる。更に意識を集中すれば、男子寮の一階の窓から誰かが出てくるのが見えた。

 その人物は頭からフード付きマントを被っており、顔は見えない。ただ、フードの隙間から黒髪がチラチラと揺れているのが見える。

 背はすらりと高く、マントの下に身につけている服は立派なフロックコートだ。

 その人物は一階の窓から身軽に庭に出ると、そのまま庭の木々の間に消えていく。

「見えなくなっちまったな。お前の魔術でどうにかできねーの?」

「……遠視は透視じゃないの。障害物に隠れられたら、これ以上は追跡できない……ただ……」

 モニカは顎に指を当てて、目を細める。

 今、モニカの頭の中ではめまぐるしい速さで数字が行き交っていた。

 その数字が、モニカに一つの事実を教えてくれる。

「……わたし、あの人と……会ってる」


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